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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

起立/礼のピアノから和声機能の問題を考える〜様々な仮想起立礼音源と音楽的なクオリア

2018.1.17⇨2020.2.1更新

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修礼の弾き方、などなどのトピック記事です。

音楽的なクオリア、という不定調性論独自の観点から、「どんな和音展開でも、それなりの起立礼感が作れる」という意識にあなたを誘導します。

このページのすべての音源に、自分なりの「意味」を見つけることができれば、それがあなたの「音楽的なクオリア」であり、それを元に音楽表現、制作、音楽の鑑賞をすることができます。

 

我らの幼少時から体験して身についてしまった起立礼のピアノです。

 

ジャーン(起立)、ジャーン(礼)、ジャーン(直れ、着席)

のあれです。「修礼」といってましたね。

じゃーん(C)

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じゃーん(G)

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じゃーん(C)

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です。初心者の人は黒鍵の位置を確認して弾いてね!最初と最後は同じだよ!

 

調べてみますと、起源は少なくとも昭和初期に起こったものだそうです。

ここで考えるべきはあのコードと、あのコード感が脊髄反射のように我らの意識に入り込む「起立礼感」に対して音楽的なクオリアを理解した現代人がどう理解をすれば良いか、です。

コード表記で言えば、

C-G-C

いわゆる「T-D-T」、トニックードミナントートニックという和声機能の流れとなっています。

(音源が再生されない時は、お手数ですがページをリロードしてください!)

 

"トニックは安定している"、"ドミナントは不安定"というふうに覚えている人もいるでしょう。
つまりこの進行は、安定ー不安定ー安定となっているから、何となく落ち着くのだ、と刷り込まれているはずです。

 

不定調性論的思考への理解としてまず大切なのは、この「刷り込まれている」という感覚に気が付くことです。認めることです。あなたは刷り込まれたんです。それを認めることから、音楽家としての「自分とは何者か」ということへの旅が始まります笑。

 

この進行を聴いても、我々が予想する感覚とは異なる感覚を感じる民族もいます。それに対して「我々の感性が正当だ」とか言い張り過ぎて起きるのが戦争です。人類始まって以来争いはなくなったことがありません。しかし戦争って面倒臭くないですか?

そこでその間を省いて、「争う必要のない価値観」を持ってしまうと楽です。個別主義ではありません。相手も正当だと認める個別主義です。自分の理解できないこと=矛盾認めることで、新たな意識が広がります。

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さて。トニックは安定している、というのは、自分たちの価値観を真ん中に置いた考え方にすぎません。本来トニックは安定などしていません。あなたが「安定していると思おう」としているだけです。催眠術にかかっている状態です。

しかし日本にいる限り、別にこの催眠術状態自体に不便はないので、この記事では無理くり頭を柔軟にして、その催眠術中であった自我に少しでも気が付ければ幸いです。

実験してみましょう。
これを、
G-C-G

と弾いてみてください。これも解決していませんか?アーメン終止ですね。

サブドミナントによる終止です。

 

 慣れない時は6回ぐらい繰り返し聞いてみてください。徐々にGに終止感が生まれます。それを生んでいるのは誰ですか?機械?宇宙と科学の真理?それとも脳の認知機能?

 

では、次はどうでしょう。

C-G7-C

 

GがG7になることでさらにCへの解決感が増しましたね。これも最も強烈に刷り込まれている感覚だからですね。では一旦これもひっくり返してみましょう。

G7-C-G7

 

これでG7で解決感を感じた人は、ブルースマンです。感じない人は下記のフレーズを一回聴いてから戻って聴いてください。

<sample>

 

この辺で意見が分かれてくるでしょう。別に<sample>聴いてもG7は不安定だよ、という人もいます。そういう人はいわゆるブルースが入っていない、というだけです。まかり間違ってニューオーリンズの恋人ができて、2年ぐらい暮らしたら否が応でもこの進行に解決感があることを知ることになります。

 

さあ、このG7に「解決感」を生んだ原因はなんでしょう?

原因は不明なんです(はっきりとは分かっていない)。

そこで、これを不定調性論では「音楽的なクオリア」という捉え方をします。

「そう思ったのだから、それを音楽に利用しよう」という発想です。

科学的解明は脳科学や認知学の一般的回答が広がるまで待ちましょう。

私が知らないだけかも、ですが。

 

しかしその音を聞いて、理屈はともかく「あ、これ、いいやん!」と思うだけならだれでもできます。そう思うことを無条件に自分に許すのが不定調性論的音楽思考です。あとはすぐ作曲、です。

そうなると、大切なのは、人と意見が別れても「自分にとってはそれはそうなんだ」と認められる勇気です。「彼女は自分にとって大切だ」といくら言っても周囲は「そんなの一時期だけだよ」というでしょう。それも彼らの経験に基づく事実ですが(笑)、「あ、そうだね、じゃ、やめるよ、じゃ暇になったから飯行く?」とは人はならないんです笑。自分がそう思っている、ということを認めてくれる他人は滅多にいません。

 もちろんたくさん経験して理性的に慣れるまでは失敗もするでしょう。失敗させないために洗脳教育があるんです。法を犯すと罰せられるよ?禁則を用いると後ろ指さされるよ、自分の意思が一番だなんて言っていたら社会では通用しないよ?という教育です。

 

問題は、それも十分わかってくる年代になって、理性も付き、法を犯さず生きる自信があるにもかかわらず、いつまでも洗脳されたままになっていることです。

 

大学では意図的に「脱洗脳教育」が行われるべきです。自己責任で生きる秘訣を教えれば、背筋もピンとします。

=====

さて、このくらい言っておいて・・次に行きましょう!

   

現代ポップスにおいては、もはやどんな進行も活用され、様々な進行感を楽しめるようになっています。

あ、「解決感」も「終止感」も私が感じているそれとあなたが感じているそれは全く別物なので、

「私はこの進行に解決感を感じるけどあなたもそう思いますか?」

ということへの意訳は

「私はこの進行に私なりの進行感を感じるけどあなたもあなたなりの進行感を感じますか?」

となります。

 私の進行感あなたの進行感

です。

この手の話は不定調性論的思考でないと伝えることができません。これは拙論独自の発想です。

 

二人の価値観が一緒だ、と言ってしまうといずれ喧嘩になります(こういう話はコーチングなどで出てきます)。

もともと違うものを一緒だと決めつけて話を進めるのですから齟齬が必ず生まれます。二人の人が別々に好きなカレーの「ちょうどいい辛さ」をシェフにお願いしてどんどん辛くしてストップした時、その「ちょうどいい辛さ」は異なるんです。ここを互いに理解することがどれほど大切で難しいか。これが解決したら裁判所はいらないんです笑。

そして違うからこそ、同じコード進行で違うメロディが生まれるんです。

 

ではいよいよ上級編。「あなたなりの進行感」を感じて、表明してください。

C-G7-G


このときのGだって安定和音です。G7はGに解決しています。どんな進行感を感じましたか?

そろそろ感性が柔軟になった人は、ある種の解決感を感じていたり、「おー斬新だww!」とか感じたりするかもしれません。

えーそんなのありえん、中途半端で音楽では現実的ではない、という方もあるかもしれません。これ実際に曲でやっているのがビートルズの「Help!」です。
記事の参考は、

www.terrax.site

をご覧頂けましたら、と思います。同曲ではA7-Aで曲が始まります。

ずっこけるんですが、これだけヒットしていろんなところで聞くと慣れてしまうんです。そう、慣れることで理解できてしまうんです。

これもまた「音楽的なクオリア」ということができる拙論は我ながらとても便利です。

 

つまり、この話、あなたが無能だと言われようが、曲がつまらない!と言われようが、それでも好きでやめられず、ずーーーっと続けていたら、それが慣れてしまい、似たような人も音楽を始め、世界に浸透し、いつの間にか「あ、聞いたことあるサウンド」ってなるんです。本当に好きなら、辞めるのはもったいないんです。

いずれ認められるのに。

===

「ドミナントモーションは、あのピアノの起立礼のかんじ、終わったかんじしない?」
といえば、理解できる方は多いでしょう。 

音楽の授業が嫌いだった人は「悪夢の始まる音」だったかもしれません。着席させられる最後のCの和音は終りでも解決感でも何でもなく、ただただ嫌な和音、なはずです。

それを「はい、解決感」と常に決めつけて考えるのは想像力の欠如です。

 

「ドミナントモーションのダサさ」も音楽の授業の印象から始まっているのではないか、というぐらいです。またアメリカとかの洋楽にはあまりドミナントモーションはそこまで出てきません。そういう習慣がないからでしょう。そもそもクラシックの古さ、V-Iをダサい、と感じる文化でもあります。

 

こんなかんじでジャーンジャーンジャーンの進行が「なぜ解決感を作るのか」を考えるところから、自分だけの和声機能感覚の確立は進むのではないでしょうか。

次です。

CM7-GM7-CM7

はどうでしょう。これ理論的なトニックはGM7です。でもこのようにCM7で”終わせる”人もいるでしょう。ポップスとか好きな人は特に優しいでしょう。

 

つぎはどうでしょう。
CM7-Fm6-CM7

 

なんか礼を忘れて遠くを見つめてしまうような起立礼ですね。

どんどん弾き方が「ポロロン」になっているのに気がつきました?

<がーん!>

 

このがーん!バージョンでは、遠くを見つめる感がうまく出ていません。

(と、私が感じてる!だけだよ)

これが自分の「音楽的なクオリア」を音楽に生かす、という一つの事例でもあります。

これがわかる人は音楽家になれます。

また、何回か聞くと、「この起立礼でもなんかいいな、おしゃれだな」とかって感じるあなたも柔軟性があります。粋です。それがあなたの可能性だと思います。

 

ではつぎ、これはどうでしょう。
CM7-F#M7-CM7

ちょっと熱に浮かされたような。一般には非機能進行と言われるものです。

極端に言えばこの進行には機能がない、というわけです。

本当にこの流れに音楽的なことをあなたは何も感じませんか?

これには理由があって、音楽理論が固まった当時19世紀から20世紀頭ぐらいまではこうした進行には価値がなかったんです。いろんな意味で。しかしジャズが生まれ、フュージョンが生まれ、私たちはそれらが「先人の挑戦」の中で現れたことを知っています。当ブログではニルヴァーナ的な進行に近づくので擦れてカッコいいです。

だからもはやこういう音楽の流れになんらかの進行感、機能感を感じてもおかしくはありません。

本当は現行の音楽理論を各々バージョンアップしなければならないんです。

現状はジャズ理論ぐらいしかありません。

それにこれを非機能でなくしよう、なんて会議がどこかで行われるわけでもありません。だから不定調性論という形で私みたいなタイプが新たな進行分類をまとめて発信していくことで少しずつ議論を進めていければとも思っています。

 

===

結果として、どんな和声を二番目に持ってきても、何らかの「礼効果」を考えることができる、といえないでしょうか。あとはどの和音が音楽のレッスンの最初に鳴らすのがふさわしいか、という音楽的なクオリアを働かせて、それならばVを選ぶ、という社会的感覚があるに過ぎません。

 

不定調性論では、これらの様々な和声進行を同列に扱うことができるように和音分類、進行分類を行いました。

C-G7-Cは基音の表面上方領域和音への進行であり、CM7-F#M7-CM7は、基音の裏面領域への進行、、という具合です。

また

C-G7-C=静和音-動和音-静和音

CM7-F#M7-CM7=静和音-静和音-静和音

といった分類もできます。「非機能だから無視」とはしないわけです。

<参考>

www.terrax.site

音楽の流れるイメージを自分の知覚で創造していくこと、が不定調性論的音楽鑑賞の方法です。これは、旧来の方法すなわち、作曲家の意図を求め、時代背景を重ねながら、音楽の機能を考えながら聴く、というやり方と対となるものです。

 

自分の聴き方、社会的な聴き方、

しばらくはこの二つを上手に分けながら音楽を自在に楽しんでいただければ幸いです。