ポールマッカートニーが自身の作曲方法をラジオで語ってる、という動画を教えて頂いたので、聞いてみました。
要は、
・作曲の瞬間のフィーリングを大事にしたいから、いちいち色々考えない
・タイトルのアイディアとかフレーズのアイディアもあんまり用意しない
・2,3時間の集中できている間にやれることやる、1日で全部作り終える
・例えばメロディができた時も、カセットには録音せず、翌日覚えていたら採用、覚えていなかったら世間の人もこの曲を聴いても忘れてしまうだろう精神(怖!笑)
・作曲について、その手順やプロセスをしっかり把握しているなんてつまらない、なんで出来たかわからないからいいんじゃないか(怖!笑)
...もうこの辺まで出てきて、お腹いっぱいです。
字幕日本語でなんとか聞き読み込んでいたら、感想をアップしておられるyoutuberの動画を見つけてしまいました。
わかりすい笑。。
当サイトの基礎的なビートルズ研究では、どうやってこんなコード進行を作ったのか、どう考えたら作れるのか?という解決策を「音楽的なクオリアに委ねる」としました。
これは和音に進行感を感じるタイプの人にとって大変有効な考え方です。
つまり
「そう思ったから そうやる」
の実践です。
ポールがやってることはまさにこれじゃん、と思いました。
ポールのここがすごい!って言っても、何より本人がそこまで考えてない、そこは別に"わからなくていい"、"ミステリーでいいんだ"笑。
スタジオ時間がないから、ささっとMichelle作った、というのを1つの事例だと考えると、あのベースラインは、あの場で作って録音したことになります(実際あの場で作ったそうです。Michelleのレコーディングにかかった時間は90分だったとか...「マッカートニー321」(ディズニー+)より)。
あのすごいライン、逆に推敲の時間があったら却下されていた可能性もありますね。
上記動画のyoutuberの方の言葉ですが、
その場で、自分のフィーリングで進行していく、作曲方法は自分自身。
普通は、彼らは(一回聞けば)音楽理論で学ばなくても体に持っている音楽感覚でどんなジャンルも作れてしまう。
彼らみたいに天才になると、楽理的観点は必要であれば使うが、(それを学んで)理解した後に使ってるとは僕には思えない。僕らが想像しても彼らの(頭の)ブラックボックスの中まではわからない
全く同感です。じゃあ、そういう風に天才たちが作っているとして、じゃあ、これから私たちは、これまで通り、楽譜の読み方から教え、コードネームからしっかり数年音楽の基礎を教えて「はい、じゃあ、あとはあなたのセンスで頑張ってね」と送り出すような音楽教育をやっていていいんでしょうか?
天才との間は埋まって行くのでしょうか??
ポールは部屋に篭って楽譜に書かれると完成形が予想できないから苦手だ、とドキュメンタリーで述べています(楽譜を扱うジョージ・マーティンだけは信頼していたようです)。すべて口頭で伝える、というようなスタンスも彼の作曲方法に影響があったように感じます。
ポールが音楽学校に行っていたらどうなったでしょう。ビートルズは生まれたでしょうか。ビートルズは生まれなくてもウイングスは生まれたかもしれませんね。
またそういった法則がないので、誰かの曲を弾いてるうちに自分の方向性が見えてきたり、既存の曲を上手にデフォルメして自分の曲に出来てしまったりといった付随する他の能力も全て同様に高かったので、彼は天才と呼ばれるんだと思います。
またはアンチからしたら、全てが偶然で、本来は彼のような人間がヒットメーカーになるべきではなかったというような意見も、確率論的にはもちろんあり得ますが、ここでは起きなかった事実は考えないようにします。確率論を持ち出してしまうと、全てを非正当化することができますし、全てを正当化することができます。そうすると、社会的価値は確立できないし、社会の統制が取れなくなるので、そういうことを考える事は意味がないと思います。
一つの方法論だけで作曲が出来るわけでは当然ないので、どれだけいろんなやり方を持って活用し、実績として自信に繋げ、長い期間休まず取り組めてきたかという結果論と能力と努力によってポール・マッカートニーは成り立っているのだと思います。
それらの全てを真似することは当然できませんが、ここで一つ実践をしてみましょう。
まずコードをいくつか覚えます。
C,Dm,Em,F,G,Am
これを覚えたら、早速曲を作ってみましょう。
コードを自由にかき鳴らし、頭に思い浮かんだメロディやら、言葉やら、ラップやらシャウトを即歌にします。歌ができたと定義してください。彼らは天才だから、すぐにそれが良いか悪いかわかると思いますが、我々にはわかりません。
(もしこの行為を行なっても、たとえできてもその行為に喜びではなく、恥ずかしさや無意味感を感じるような人は作曲はお勧めしません。)
そしてコードかき鳴らして叫んだ声や歌を録音しておいて、それを聞き返したとき「これは音楽だ」とこっちが認めてあげないとそれを"音楽"にしてあげられません。
自分の子供が前にいて、「こんな醜いの、俺の子じゃない」というようなことはしてくれるな、です。どこかで、自分の行った行為と、自分が受け入れるべき現実を受け止められるだけの器を持たなければ、何もかも始まらないことが多いものです。
これも「音楽的なクオリア」のトレーニング方法です。
音楽的なものを容認する広い心を持ってみましょう。
クラクションが遠くで鳴ったら「あ、音楽だ」と思うのが音楽家の基本です。轢かれたらごめん。
それから実際の作曲作業時には、
学んだことを使おうとしない
というのも大切です。
理論的なことにいちいち根拠を求めていると、着想はどこかに行ってしまい、問題点も気になったりして作曲の手順に勢いが消えてしまうことがあります。
つまり、迷いが出てくるのです。
ひたすら、思った通りに進めていくというやり方によって直感そのものが鍛えられていきます。これをこのサイトでは「直観的熟慮」と書いています。
学ぶことは、先人たちの独自論も含みます。
受け入れられない面と便利と思う面が微妙に絡み合っています。
最初は自分で都合よく解釈する段階がないと自分の思う通りに作業が進みません。それがうまくいけば独自論になりますし、うまくいかなければ修正して修正してより研ぎ澄まされた独自論になっていきます。
SNS文化はその過程にある人のことを批判しやすい環境であるため、その人が無知のままとは言え、勘違いしながらも自由にやろうとしている出鼻をくじいてしまう事がよくあります。過去の天才たちの中には、もしその時代SNSがあったら著名になるまで上り詰められなかった人もいたことでしょう。
直感で作るのは、裸で外を歩くような感じで、恥ずかしくなんともおぼつきません。
しかしこれに慣れていくことで、Amのポジションを間違ってGmを弾いたりBmを弾いたり、Fのコードをずらして弾いたらたまたまGの和音になることを発見したり、そこからAbを作ってみたり、どんどん"名前の知らないコード"を見つけることもできます。
そうやって意識の中を開いておけば、これまで聞いてきた曲の断片がふっと出てきたり、MVでギター弾いてるシーンがふっと出てきたり、繋げたコード進行でふっと知ってる大好きな曲のフレーズが思い浮かんだり、そうした意識が教えてくれる情報をもとに自分なりにアレンジを加え曲を作るわけです。普段はそっちの記憶の窓の方が開いているのに、理知的に考えてしまうと、そういう自由の扉が閉じてしまうんですね。
結果的にそれがどんな変な作品になっても、教科書を見ずに作ったその作品こそ、あなたの意識が作り出した作品です。
これがポールの言う「わからないからいいんじゃないか」という意見の本質であるようにも感じます。
とにかく自分は凡人ですから、
・たくさんインプットすると同時に、
・インプットしたことを全部忘れて、自分の意思に集中して短期間で曲を作り続ける
という習慣を人1倍こなして、自身の意識を鍛えるのが一番かな、と感じました。
理屈通りに作っても驚きは無いわけですし、理屈が及ばないようにしていくためには、事故的に様々な事象にぶつかり合っていかなければならないし、そのバランスは経験と数によって自分の中で培っていくしかない、そういう発想です。
しかしこれだと学校は必要ありませんし、先生も必要ないという発想になってしまいます。しかしそうではなく、学校で学んでいたとしても、自分なりの直感や自分なりに経験する数を重ねる行為はできるわけで、学校はむしろそれを背中を押してくれるような存在になっていくべきでしょう。
ひょっとするとですが、ソロになってからの、ポールの一時期の変貌は「時間ができたことで何らかの作業工程が変わった」ということかもしれませんね。
「時間がない!!」と諦めがついて、できることに集中して、できる範囲の未熟さが逆に個性を彩る、という傾向は確かにあります。ビートルズの奇跡も、ひょっとすると初期のそういう恵まれていない環境が、彼らの努力によってスパークしたから奇跡が起きた、と言うこともできます。
久々のビートルズトピックでした。
具体的な不定調性論的和音進行などは他記事もご参照いただけると幸いです。
