音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

<不定調性論用語/概念紹介3>「音楽的なクオリア」について

2018.6.5⇨2020.8.20

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クオリア

クオリア - Wikipedia

ここでは音楽を聞いた時に感じるさまざまな個人的心象について、共感覚とも合わせ「音楽的なクオリア」として考えてみましょう。

共感覚 - Wikipedia

www.terrax.site

音を聴くと、気持ちや心が反応する人は多数おられると思います。

雷を聞けば恐怖を感じます。

子猫の鳴き声を聞けば、「ああ、かわいいなぁ」と思うことでしょう。

それが人の心が生存本能やヒトとしての習性と複雑に交差して起きる自然な反応だと思います。

その仕組みは脳科学でもまだよく分かっていません。

 

だから音表現でも可愛い感じ、怖い感じを出そうとするときに、こうした効果音を使ったり似たような雰囲気を作って表現したりします。それを「メタファー」と呼びます。

ホラー映画の冒頭で怖さを演出する時、東村山音頭を流すよりも雷の音のほうが不気味さをすぐ感じさせます。

え?そうなの?って思う人は天才です笑。

 

モーツァルトを聴けば、暖かい光を感じ、バッハを聞くと、冷たい教会を感じ、ショパンを聞けばみずみずしさを感じます(個人差あります)。

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無調の音楽を聴けば、焦燥感や、退廃感を感じたりするでしょうか。

 

不定調性論では、 

まず自分がその音をどう感じるかを真剣に捉えます。

これが最初は難しいです。教えられた価値観、刷り込まれた常識、無意識に持ってしまった偏見・先入観などがあなたの認識を無意識のところから指示してくるからです。

偉人の言葉の方が立派に見えるし、偉人の選択の方が魅力的に見えてしまい、無意識に流用してしまいます。あとで自分が何もできていないことに気がついて愕然とするだけです。

それを「自我」と呼んだりします。

 

 

 

 

私の最初の疑問は、

C  G7  C

Cm  G7  Cm

この二つのG7に対して違う印象を持ったことでした。

同じコードなのに違う印象を持つのはなぜか。

音楽に興味のない人に聞いた時「別にどっちもおんなじだけど」と言われた時には、「ああ、自分がなんかカッコつけてるだけなんだろうな」ぐらいにしか思わずしばらくはこういう感覚は忘れよう、と思ったほどでした。

 

こういうことも音楽理論で学習できるのだ、と信じて勉強していましたが、どうも先生が言うことと自分は合致しません。

よく調べてみれば、脳科学でもまだ解決できていない問題らしいということがわかりました。今も新しい脳科学の本を見つけてはそうした内容への言及や新たな解答が載ってやしないか探しています。

 

あと100年すればそういうことはすべて小学校から教えてもらえるとしても、今はほとんどの人がその科学的理由を理解することができません。

じゃあ、今の時代に何が出来るか、と考えたら、その感覚的存在をストレートに認知する事ではないか。

そしてそれを創造性に活用しなければ、自分の表現というのは、生まれないのではないか、そう考えました。

きっと私が知らないだけで多くの先人達もそのように考えて、自分の方法論を持っていたことでしょう。

私は何十年もモヤモヤしたところからようやく解放されました。

それをそのまま使えばいい、という方法論を作りました。

 

Cm  G7  Cm

におけるG7で、自分が「セツナイ」と感じるのは、そういった要素を持つ曲を沢山潜在意識に埋め込んできたからそのように感じているだけ、と理解すればよかったのです。

曲を作らず、「なんでこのG7はセツナイのか」について考えていても答えは出ません。

 

また「この曲のこの部分、セツナイよねぇ」とAさんが言った時、Bさんもそれに同意するのはなぜでしょう。

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これもAさんの感じた「セツナイ」とBさんが感じる「セツナイ」は微妙に違う、と考えれば良かったのです。印象が似るのは生育環境の類似の度合い、受容してきた教育や文化の類似性、どのくらい同じような音楽を聴いて育ったか、で考えればいいだけです。

 

そこがわかれば、G7が切なく感じる本質的理由を追いかける必要はありません。

ただ、そういう気分になる音楽をたくさん聞いてきただけと考えることができるからです。脳にプログラムされたことですから、これを急に変えることはできません。


 

 

これを展開すると、

「このメロディで使うシンセの音色はAがいいかBがいいか」

も自分のクオリアで選べば良い、となります。

 

その時の根拠は、なんとなく「Aかな」って思う。

しかし明日の朝「やっぱりBかも」になるかも。

これらが繰り返されてケーススタディの中での迂回路が成熟されます。

判断力が付いてきます。

 

そして感じ方が分かってくるとわざと切なくないのに切ないと考えて、文脈を作り上げるようなことも可能になってきます。

感じ方はどんどん創造されて展開していきます。

そのためにも、まず自分がどのように捉えているかということを把握しなければならないと思っています。

これが「クオリアを鍛える」または「印象力を鍛える」という具体的行動です。


音楽的なクオリアを把握する作業は、自分自身の脳内プログラムの癖を把握することであると思います。

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