和音分析自体が自在に個々人のやり方でできるのは痛快です。
ここでは拙論の事例として、不定調性論の図表を用いて、解釈の自在性とその捉え方について書いておきます。
ここではCという一般的和音と、c,c#,dという半音でぶつかったクラスター的不協和音の間に関係性は作れるのか??について無理矢理考えてみます。
これは聞き方によっては、G7(11,#11)→C的なケーデンスのような匂いも聞こえるから不思議です。
使うのは12音連関表を敷き詰めた下記図を展開するだけです。
まず中心のcの周りにc#,dを強調してみます。
その後このようにそれらの音関係のめぐる順のような道を作ります。
あとは規則性の中にc,e,gが現れる部分を探します。
ここでは上記のように時計回りに二つ飛ばしで音を選択すると、c,c#dのクラスター集合は見事にc,e,gのC集合を作り出します。
これについては、例えばCなら、cを裏領域のf#にすると、f,f#,gというクラスターができることとも関係があると思います。対称性や類似性、関係性を見つけられる人は、自分なりに関係性を見つけてしまった上で、音集合を取り扱うと向き合いやすいタイプもおられようと思います。
この12音連関表は、倍音発生の数理の類似性によって生み出されました。
またこの連関表の横グループを動かしても緑矢印または青矢印の連関性でc,c#,dの集合がc,e,g集合に変化させられます。
これらの規則は12音連関表が平均律の数理関係によって振り分けたものだから、というところに端を発していると思います。
逆を言うと、平均律に親しんだ耳の癖や慣習のような、耳の中にこびりついてしまった寝癖のような状態と、この12音の関連性にもはや親和性ができてしまったという考えから、こうした連関性を説得することもできるかもしれません。
CとCc#d集合が、どんなに連関性を見つけられたとしても、この二つの和音を音楽的に連鎖、集合させるためには、やはり音楽家自体の音楽的なクオリアの力がその表現力を左右します。
また不可思議な音集合連鎖も、考え方次第でいくらでもその関係性を見出すことができます。
私自身は、あらゆる関係性を自由に解釈できるような方法論を作りたくてこの連関表の拡張を行いました。
ご自身が、良い、不思議だ、素晴らしいと思った音楽の音の連鎖の根拠は、あなたの音楽経験と人生経験と倍音の数理に関連して配列された耳の中の音を感じる仕組みがどの程度絡み合って、導き出しているか、現代ではまだ割り出せません。
時にはさまざまな数理的仕組みで、あなたはその謎を解こうとするかもしれません。
しかしもし袋小路に陥ったら、拙論的な「脳に自在な解釈をもたらすことが可能な方法論」があることも思い出していただきたいです。
今感じた美しさの根拠までを考えずとも、美しいと感じる心は今後いつでも脳内で起動できるので(脳が正常であり続ける限り)、その混沌の理解状態で制作を突き進んでいただいても問題などない、と考えております。
一度感じたエモさは、次いつでも起動できます。また次は次で、その時に必要なエモさを置くことができます。何か方法論を定めてしまうと、微妙な違いに気がつくことができません。これは方法論の副作用です。
不定調性論は、そうした方法論の副作用を最小限にするために、仕組みだけを提供し、あとは自在な解釈が可能になる資料を作りたいと思うようになりました。
方法論として持ってしまうと、意外とそこにこだわって、無駄に方法論を活用しようと思ってしまいます。次はあの技を使おうとか、サビ前で絶対あのコードを使おう、とかです。そうした自己露出行為は歪な表現を作ってしまうことが多々あります。
あくまで私の独自論ですが、こだわりのない瞬間瞬間に発動する音楽的なクオリアの門を開いて自在に、結果的に満足できる制作表現を作りたいな、と考えています。