音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

C△は本当に基音cの倍音列に現れた音であると言えるか?

不定調性論をベースに考えるこじつけですので冗談半分に読んでください、

 

例えばwikipediaにこうあります。

ja.wikipedia.org

 

ハ長調の和音(すなわちCの和音)の構成音は、ハホト(C,E,G)であり、EはCの第5倍音、GはCの第3倍音である。つまり、Cの和音は、C音上の低次倍音のみから構成されている。cの和音はc音上の低次倍音のみから構成される。

 

とあります。

しかしながら、実際に平均律で用いる振動数は、12乗根の計算値なので

であり、ここからC△を作ると、

c=261.6256

e=329.6276

g=391.9954

となります。この振動数を実際の平均律楽器、録音では主に用いています。

 

wikipediaの表現をそのまま受け取れば、一般的な平均率楽器(ピアノ等)で弾いたC△は、cの倍音列から構成されている、という定義が成り立ちます。

これをより厳密に考えてみましょう。

 

基音cにおける第六倍音までの上方倍音列の振動数は、

です。

平均律e329.6276-基音cの第5倍音e327.032=2.5956

平均律g391.9954-基音cの第6倍音e392.4384=-0.443

ということで、先の定義ではこのくらいの誤差は認める、ということになります。

 

 

そうすると次のことも言えてしまいます。

これは基音b,dの下方第8倍音までの振動数値です。

bの下方第3倍音はeであり、その値は、少数第4位まで四捨五入で329.2555です。

平均律e329.6276-基音bの第1/3倍音e329.2555=0.3721

また基音dの下方3倍音はgです。

平均律g391.9954-基音dの第1/3倍音g391.5531=0.4423

 

これらの差は、先ほどの誤差以下です。

 

つまり平均律のC△は基音cの上方倍音と、基音b,dの下方倍音に基づいている。

また定義の誤差の範囲では、C△は平均律である基音b,dの下方第3倍音との親和の方が高い。

という表現も可能となってしまいます。この辺のかんじが音楽理論の危うさとして取り上げられたりします。

 

 

先の考えによれば、数理の上ではこのような関係も成り立つ、と言えます。

ここから下方倍音の存在を消すためには、拙論で言うところの「反応領域」という考え方を用いなければ、勝手に打ち消すことができません。

<不定調性論用語/概念紹介10>反応領域1

<不定調性論用語/概念紹介11>反応領域2 

 

 

つまり倍音という存在を用いるなら、こうした背景の関係も考慮した上で「自然倍音に限った場合」と限定しないと、西欧音楽理論的な慣習に縛られてしまいます。

上記の関係図からCM7、Cadd9、CM7(9)といった和音との親和性を考えるかどうかは個人の独自論でご検討ください。

 

いかにも長三和音の自然性は、自然倍音に現れているからだ、とする考え方は、誤差についての定義がないまま話が進んでいます。どこまでを同じ音名とするか、が明確でない限り、「自然倍音に基づいている」とするにはあまりに曖昧です。

慣習的に「この程度の誤差は考えない」というふんわりとした慣習が暗黙の了解になっているからです。ここには、

そういう自動的なことよりも、精神的に探求することによって得られる成果を重んじよ

という音楽の宗教性みたいなのが背景にあるからだと思います。

逆に数値にとらわれるのは、米を炊飯器で炊くような行為だ、的な感じではないでしょうか。米は釜で炊かない限り食べるに値しない、みたいな感覚がいまだに音楽理論文化にはあるのだと思います。

 

131円の買い物で、130円でも131円でもどっちでもええやろ、などと現代のコンビニのレジで130円で済まそうとすれば犯罪です。それよりも物が手に入る喜びを感じようではないか、見たのが音楽文化の根底にあるように思えます。根性論というか精神一徹。

それでもよかった戦後間もない闇市ではないのです。

そういう時代ではありません。

音楽理論も現代の価値観に沿ったやり方が別途個人の独自論としてあっても良いと考えています。

 

結局は自分の価値観に合ったやり方になるわけですが、私が自分のやり方に従うと、下方倍音的存在は無視できず、それを加えた体系にした時、自分にしっくりくる音楽方法論になった、という不思議を体験をしました。

 

人に独自論を進めることはしませんが、社会の中で苦しくて仕方がない時のために、自分の生き方が一つのヒントになればいいな、という思いはいつもあります。

 

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wikiの揚げ足をとれば、

"ハ長調の和音(すなわちCの和音)の構成音は、ハホト(C,E,G)であり、EはCの第5倍音、GはCの第3倍音に基づいている、とも言える。つまり、Cの和音は、C音上の低次倍音に基づいて構成されている。"

的に表現すると、自分にはしっくりきます。

しかし下方倍音は一般理論では用いられないため、そうした配慮はそれぞれの独自論の解釈において考えれば良いと思います。

 

と言うことで不定調性論においては、表題の

C△は本当に基音cの倍音列に現れた音であると言えるか?

は、

C△は基音cの上方倍音、および基音b,dの下方倍音に現れた音に基づいて構成されているとも言える、

となりますでしょうか。拙論は和音や調がないのでここまでいう必要性自体が存在しません。

 

連綿と受け継がれる方法論からいいとこ取りをして効率的に一般方法論を後世が構築しながら、人類は音楽を作り続けると思うので、個人はあくまで奔放な飛躍と仮定を自分に提示し続け、それを信じて自己の活動を拡張していく以外ないように思います。