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不定調性であることは、あらゆる無権威な音楽状態にも名前を与えます。
川が流れる音、波音、風や虫の音。そもそも調性自体が西欧から持ち込まれた概念ですが、調律をはじめ、それぞれに土着固有の調性感があり、西欧の調性組織と合致しない状態の方が多いでしょう。調性音楽には大きな権威?があります。同様に非調性音楽には「不定調性」という組織感覚から見た多くの文脈があります。現代音楽が調性を超え、無調や混沌をも支配しようとしましたが、おそれらは本来、人が権利を有する前からそこにあり、人の勝手自由で虫が排除されたり、川をコントロールしようとして無視してきたに過ぎません。
人間の聴覚機関に親和する西欧音楽が発明されたのであって、人が知覚できる感じる音概念はそもそも不定調性であり、現代音楽は遠回りしてその価値を見出したように見えますが、なんとか忘れようとしてきたが忘れることができず最高の芸術音楽が結局自然の音世界に戻ってきたに過ぎません。
しかし自然の音に権威を与えることは生理的に許されず、現代音楽は元の鞘におさまろうとしています。つまり個人が個人で楽しみ、創造する行為。つまり独自論的な楽しみの世界です。
音と親しむ行為は人として生まれ、感覚期間が感じる現象と脳が戯れることです。
そこに権威や、倫理、だれかとの共感以前に、自分が本当に心地よく感じることを活用する、という音楽の原点があるに過ぎません。
不定調性論は、独自論によって音を楽しむ行為、からスタートします。
つまり自己満足を十分に行うことができます。
社会的音楽、商業音楽とは違う、私だけが浸れる方法論が不定調性論です。
皆さんにも自分だけが浸れる喜び、フェチ、安息があると思います。それを発見し、自信を満たす行為の方法論を探求し極めてみてください。
その先に社会を満たせる要素があれば社会貢献し、ただの変態なら、自分を満たす楽しみを法律の範囲内で上手に楽しむ方法を創造し、人生を豊かに暮らしてください。
私も多分後者の方ですが、何十年もそれを認められず生きあぐねてしまいました笑。
自分中心に考えてみる
個性の発見は良いことばかりではありません。
「自分ができないこと」を認める作業でもあります。
しかし、できないことを認めても可能性がなくなることはありません。
個性の発見は、醜悪なる自己との対峙であり、かつ社会との決別ですからあまり希望がなくなる方もおられるでしょう笑。
それがストレスになるなら独自論は勧めません。
例えば、あなたが目が見えないとしたら、楽譜はあなたにとって基準にはなり得ません。耳が聞こえなくてもあなたの手を握る誰かの手の感触があなたに美しさを感じさせるなら、それがあなたにとっての"美"であり、音楽といえます。
あなたが「音楽はよくわからない」と感じるなら、あなたがおかしいのではなく、あなたの身体の現状がそのように理解させている、だけです。それを他者と比較するから劣等感を感じやすい脳が反応しているだけです。人と比較しないようにするには独自論を認めてしまうことです。
辛いと感じる味覚に個人差があるように、個人の数だけ理解の仕方があります。
人間の感覚器官/神経の電気信号のスパイク回数は曖昧で柔軟性があり、毎回異なる反応をもたらすからです。
「最高の音楽」も、その人にとってのその時の評価です。
なお「不定調性論がそう言うから私はやった」と願望するのはあなたの自由ですが、あなたが発信した瞬間、それはあなたの独自論です。理論に従って作った曲が「つまらない」と感じるのは、誰かの言い分に従っていれば価値は生まれるはずだ、と自分と向き合おうとしない身勝手ゆえです。
自身の解釈の責任もご自身で執ってください。
最後は自分で決めないといけません。日頃の行いの結果、決断する時間がないと、自然と決めさせられることもあります。普段から独自論と生きることで悔いなく時間が進んでいくことを祈ります。
以下は自分が制作時に"考えなくても済む"ために設けた様々な音組織法です。
「考えないで済む」ことの意義はこちら。
12音のモデルの再形成
音楽的和音も、海の波音も「自分が感じる音」と説明するための材料です。
自分が気持ちいい音はその都度変わります。
和音/和音進行を再形成する
音集合、音連鎖の作り方も再構成しました。
聴覚と脳と心
直感を重視すると、脳と心のバグについての知識と理解が求められます。
何も信用できないからこそ、素直に心に起きた反応と一緒に生きてゆきます。
楽曲解釈の心象表現化
楽譜では読み解けないこと、例えば、コンプがきつい、ピッチが悪い、グルーヴが良い、表情がいい、ダンスが良い、衣装が良い、等他にも言語化/非言語な感覚を人は音楽に感じます。
失音楽症の人がショパンを聞いた時、ショパンはただのノイズだ、と感じるそうです。それがその人にとっての現状のその曲の心象であり事実です。社会はそうした個々人の価値観の差異を排除し、経済を動かす仕組みを優先して作っています。
あるコード進行に対して、
HM7 |Jm7 |KM7 |Lm7 |
「寒々しい冬のような」と思えるなら、この感覚は自身の冬の作品で応用できます。逆に「寂しい真夏の誰もいない海岸」を感じるならそれに従います。
だから個性が生まれます。
独自論の実践は、全員が一つの宇宙に住んでいるのではなく、全員が宇宙を持っていることに気がつくような感じです。
小さな子供のパフォーマンスが未熟でも、笑顔が素敵だ、衣装が素敵だ、と感じるスタンスは誰でも持っています。
ライブで音楽はよく聞こえなくても観衆の熱狂が最高だ、合間のトークが面白い!と感じる人は、それも音楽鑑賞への願望と心象です。だからライブに行きたくなります。
自分なりに楽しめる人は、その人の独自論はすでに出来上がっています。
当然「何も感じない」も心象です。
"アート思考"のその先へ
アート思考=自分なりの意見を持つ
しかしそれだけでは、バッハの作品を聴いて「くだらない」と意見を持って良い、となります。
・自分が感じることを受諾しその"価値"を創造する(自覚)
・価値を自分の生活/活動に具体化できるよう訓練する(活動)
・次なる価値観を与えてくれるものを見つける(冒険)
バッハに感動しないなら、今無理にバッハに何かを感じる必要はない、と解釈できます。それが自分の知識、経験、熟考の甘さ、浅さからくるとわかっていれば大丈夫です。理解は常に一時的な心象です。
独自解釈は社会学習を怠らず日々更新改訂していく必要があります。
今のあなた自身の美意識、フェティシズムを満たしてくれる存在を探してください。
やがてバッハに共感できる日が来るかもしれません。バッハは人類の共通言語になってしまったからです。価値があるのではなく、価値を置くことで得られる心象があるわけです。
感受性教育のその先へ
誰もが音楽を聴いて情緒豊かに感じるわけではありません。
音楽を聴いて情緒豊かに感じる人が、その感覚を活用し、音楽という存在を通して自分自身の人生を構築すれば良いだけです。音楽を聞いて何かを感じさせようとする教育は教師の言うことに共感させようとする行為に過ぎません。
音楽を通して何かを感じ取ることができる人は、その他の教科で学ぶべき文法や、計算、物理を音楽を通して感じます。
感じるままに感じたら、自分が生きる価値がないと思い至ったから、このまま餓死する、と私に訴えてきた人がいました。
それは感受性教育の副作用だと思います。自分の周りに共感できるものはないから絶望したのでしょう。誰にも共感を強要されなくなって独り立ちする術がないためです。
体の細胞がなんとか今日も明日も生きるために全勢力を使っていることすら感じられない教育は個人を殺してきたからです。全て自分で何でもできるのに何も選ばせないからです。始業時間を決めなければ始業できないのはなぜでしょう。
感受性教育が「学んでほしい側面」しか教えないからです。
自分勝手の探究は非常に危険が伴います。学校教育で自分勝手を認めるのは破壊的だと信じられています。
幼少期に学ばなければならないことをもっと厳選し、授業など1日2時間程度で済ませ、後の時間、何をさせるか、ではないでしょうか。
全ての音楽制作は独自論
全ての民族が英語を選ぶわけではありません。
独自解釈は社会に対する自分のセカンドオピニオンです。
人は未熟なまま決断していかなければなりません。
鍛錬と学究をやめてしまうと独自論は社会的価値に吸血されます。山で遭難したら救助され、二度と山に登らせてもらえなくなります。自分勝手は代償が大きいです。
認められない、排除される、無視される、という状態は、独自性が保たれている証拠です。個人的価値は他の何かと比較できない存在です。
人は社会に根差し、世界の繁栄のために生きるべし、音楽も世の中に役立ち、音楽人として真っ当な社会貢献をすべき=社会的価値、
人は地に根差し、地に生かされているから、音楽はただの空気の振動であり、価値や美意識とは無縁=個人的価値
独自論論を持つ
独自論は社会的規範から逃れ、ズルをして、人を騙し、社会的価値と偽って社会的地位や資産を作ろう、とする行為と思われます。
例えば暴飲暴食は法律で禁止されているわけではありません。
個人の判断で肥満を気にせず健康を害しても食べたい、と決断した時、その決断に至る思想が独自論です(個人的価値)。
社会的規範では健康指針(社会的価値)が決まっています。それを守り社会の中で生きることが社会人の礼節です。
「社会で独自論を認めてもらいたい」ならしっかり論文を書いて査読してもらってください。価値は競争で勝たなければ生まれません。
独自論は価値概念の外に置かれます。ごっちゃにしないでください。
どのような独自論を自分が持ち、実践していくか、という"独自論"論を持つ必要があります。
さらに具体的方法論について
動画シリーズでも概略がつかめます。