音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と...旧音楽教室運営奮闘記。

不定調性論ってなに?-2(2024)

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自己満足の探究

"満ち足りた人生"は個々人の身の丈に合った生活のことです。

それを実現するために自分を受け入れます。

自分を受け入れるには自分の独自論の存在をある程度想定して生きていく必要があります。

不定調性論は、私が私の独自論によって音を楽しむ行為、つまり私の自己満足の世界にすぎません。

皆さんにも自分だけが浸れる喜び、フェチ、安息があると思います。

その先に社会貢献できる要素があれば社会貢献し、ただの変態なら、法律の範囲内で楽しむ方法を創造し、人生を豊かに暮らしてください。

 

人間は振動数を振動の回数という数値ではなく「音」という概念に変換して理解します。共鳴を「快」として認識します。だから快と不快を分ける宿命にあります。

自分を把握するというのは、自分にとっての快を見つける作業で、音楽理論の定義とは関係ありません。その快を用いて音楽を行うだけです。不協和音も時に快になります。そこに意味が見つかり、意義が生まれます。

それらを全て自分で考えて、自分で推進していく道自体が「独自論」です。

独自論=全部自分の責任

です。

 

全ての音楽制作は独自論

全ての民族が英語を選ぶわけではありません。

独自解釈は社会に対する自分のセカンドオピニオンです。

人は未熟なまま決断していかなければなりません。

鍛錬と学究をやめてしまうと独自性は消えます。

認められない、排除される、無視される、という状態は、独自性が保たれている証拠です。個人的価値は他の何かと比較できない存在です。

人は社会に根差し、世界の繁栄のために生きるべし、音楽も世の中に役立ち、音楽人として真っ当な社会貢献をすべき=社会的価値意見

人は地に根差し、地に生かされており、他社全てに無縁な存在=個人的価値意見

 

自分中心に考えてみる

個性の発見(独自論の剪定)は良いことばかりではありません。

「自分ができないこと」を認める作業も含みます。

しかしできないことを認めても可能性がなくなることはありません。

それがストレスになるなら独自論は勧めません。

 

例えば、あなたが目が見えないとしたら、楽譜はあなたにとって基準にはなり得ません。耳が聞こえなくてもあなたの手を握る誰かの手の感触があなたに美しさを感じさせるなら、それがあなたにとっての"美"であり、音楽といえます。失音楽症の人がショパンを聞いた時、ショパンはただのノイズだ、と感じるそうです。それがその人にとっての心象であり事実です。あなたが「音楽はよくわからない」と感じるなら、あなたがおかしいのではなく、あなたの身体の現状がそのように理解させているだけです。

「何も感じない」もまた心象です。

社会はそうした個々人の価値観の差異を排除し、経済を動かす仕組みを優先します。

自分を認めないと勉強自体が自分からの逃亡になります。

あなた自身の解釈の責任もご自身で執ってください。

 

 

楽曲解釈の心象表現化

楽譜では読み解けないこと、例えば、コンプがきつい、ピッチが悪い、グルーヴが良い、表情がいい、ダンスが良い、衣装が良い、等他にも言語化/非言語な感覚を人は音楽に感じます。

あるコード進行に対して、

HM7  |Jm7  |KM7  |Lm7  |

寒々しい冬のような」と思えるなら、この感覚は自身の冬の作品で応用できます。逆に「寂しい真夏の誰もいない海岸」を感じるならそれに従います。

小さな子供のパフォーマンスが未熟でも、笑顔が素敵だ、衣装が素敵だ、と感じるスタンスは誰でも持っています。

ライブで音楽はよく聞こえなくても、合間のトークが面白い!と感じる人は、それも音楽への願望と心象です。

自分なりに楽しめる人は、その人の独自論はすでに出来上がっています。

 

"アート思考"のその先へ

アート思考=自分なりの意見を持つ

しかしそれだけでは、バッハの作品を聴いて「くだらない」と意見を持って良い、となります。

・自分が感じることを受諾しその"価値"を創造する(自覚)

・価値を自分の生活/活動に具体化できるよう訓練する(活動)

・次なる価値観を与えてくれるものを見つける(冒険)

バッハに感動しないなら、今無理にバッハに何かを感じる必要はないわけです。

そこから独自解釈を日々更新改訂していく必要があります。

やがてバッハに共感できる日が来るかもしれません。

価値に気がつくのではなく、価値を認める行為です。

日本語では「慈しみ」とも言います。批判はそれを恐れているだけです。

 

感受性教育のその先へ

誰もが音楽を聴いて情緒豊かに感じるわけではありません。

音楽を聴いて情緒豊かに感じる人が、その感覚を活用し、音楽という存在を通して自分自身の人生を構築すれば良いだけです。

音楽を通して何かを感じ取ることができる人は、その他の教科で学ぶべき文法や、計算、物理を音楽を通して感じます。

感じるままに感じたら、自分が生きる価値がないと思い至った、と私に訴えてきた人がいました。

それは感受性教育の副作用だと思います。これも「慈しみ」の不足です。

体の細胞がなんとか今日も明日も生きるために全勢力を使っていることが感じられないと人生の価値を見失います。感受性もやはり自分を認めることから始まります。

 

 

以下は自分が制作時に"考えなくても済む"ために設けた様々な音組織法です。

「考えないで済む」ことの意義はこちら。

www.terrax.site

「Zone」という状態と比較されるかもしれませんが、もっと積極的に感覚的な作業に徹していく感じです。いちいち考えてつくらない...それでできるのが今の自分の実力です。それを認め、どうやったら先に進むか考えるだけです。選択肢があり、選択するだけです。そういう行為自体向き不向きがあると思います。

 

12音のモデルの再形成

音楽的和音も、海の波音も「自分が感じる音」と説明するための材料です。

自分が気持ちいい音はその都度変わります。

 

 

 

和音/和音進行を再形成する

 

www.terrax.site

音集合、音連鎖の作り方も再構成しました。

 

 

聴覚と脳と心

直感を重視すると、脳と心のバグについての知識と理解が求められます。

何も信用できないからこそ、素直に心に起きた反応と一緒に生きてゆきます。

 

 

さらに具体的方法論について

現状の自分にとって感覚的に自在に統制しやすいと感じる音材料を用いて直感だけで仕事していきます。人に聞いたりネットや本を開いたりしません。全部今の自分の力だけで一気に進めます。最初は自分を掘り下げるのに労力が必要でしょう。嫌な自分にも出遭います。

あとは自分を受け入れ、精進の道を見つけ、ひたすら作っていくだけです。それが独自論になり、それは作品に反映されます。明文化の必要はありません。

 

不定調性論の方法論的展開その1

不定調性論の方法論的展開その2

用語/概念紹介記事目次一覧

動画シリーズでも概略がつかめます。

 

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