音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

制作メモ;躁炎〜ソロピアノ作品

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涼しくなってきて曲を作る時間を取ることができました。

自分的には秋のピアノ曲です。

 

今回は不定調性の基本に立ち返って。

まず下記を聞いてください。

これは何のコードタイプだかわかりますか?

次はいかがでしょう。

最初の和音がCです。

後の和音が高いところにCが乗ったAメジャートライアドです。

高いところに音が乗ると、不協和度が薄れます。高い音が聞こえにくくなったり、音色が耳の中でさまざまな干渉作用を起こすせいで響き感に変化が出るためでしょう。

正確なことはわかりませんし、絶対音感がある方には関係のない話かもしれません。

楽器によっても違うでしょう。

このように高音部に配置された不協和音は、十分な不協和度の印象を与える前に、音楽の流れで許諾されてしまう場合があります。

 

こんな変な和音も下のCが強いから、なんか厳しいC7のtensionコードにしか聞こえません。

そんなことわかっているとは思いますが、この手の技法自体をメインに使うことはないと思います。

自分の場合はそうした効果自体がメインなので、こうした和音を時折ちょこっと使うことでいつもの普通感を消し去ってくれる感じが好きです。

時には何とも言えない緊張感や葛藤を作り出してくれます。

 

 

 

もう一つトピックを。

まずこれを聞いてください。

Dm7 G7 CM7です。

理想的なケーデンスですが、実際の楽曲ではこんなふうにそのまんま使われることはありません。

 

こんなふうに少し崩します。これだけでも調性は曖昧になります。

G7で何らかの複合的なスケールやプローチが使われていると考えてみてください。

これでも結局CM7に結びつけば、不安定→安定が成り立ちケーデンスは成立します。

 

意図的にこの感覚を肥大させて用いると、

これをコード表記すると、Dm7 G7 Gです。ビートルズのHelp!終止ですね。

最後にはGadd9をいかにも余韻があります的に使っているので、ミスディレクションを補強します。違和感も数回聞くうちに慣れてしまいます。

自分が"音楽である"と認識できるフォルムをその旋律が持っていれば持っているほど、それは表現に変態してしまいます。現代音楽もそこに挑戦していると思います。

 

このような認識や、美的価値観には個人差があります。

社会においても、こうした(姑息?反流義的?)やり方を積極的に教えることはしません(主題が多すぎてそれを教える時間がない)。

また、こうした補足技法によって社会で生きて行くような人間形成を時間を作って行うことが推奨される、とも思いません。

 

ただ自分は認めなくはなかったのですが、こうした表現によって音楽がみせる表情の不思議さにすごく魅力を感じてしまい、往生して受け入れてしまいました。

結果どうしてもこうした表現が主体になってくるので、それについては存分に自作品で追求しよう、と思っているだけです。まぁ犯罪を犯すよりはマシか、程度に思ってやってください。

 

今回は上記の二つの技法がメインになって、色々な展開をしています。

 

また

こうしたミニクラスターも「ゴボッとした響感」が好きになって以来使っています。本曲でも数箇所使っています。

過密配置和音はどこか、葛藤、言葉にならない声、得も言われぬ感、文字通り?得も言われぬエモ、を感じてしまうのです。

個性の探求なんて、自分のような一般人がやっても1円の得にもならないのですが、これも坐禅を組んでる時間と思うと、活力になるというか、リセットできる、というか、まみれた自分のマイナスをゼロに戻す効果はあるのではないでしょうか。

大体自分が今表現したい作品はこの作品くらいで網羅できました。

また何か作りたい作品が出てくるまでネタを練りたいです。