今回の作品の冒頭部分で行った制作意向の詳細を紐解きながら、独自傾向の意義の探究と音楽制作や個性形成の難しさについてまとめたいと思います。
この部分です。
この冒頭を
ポロロロロロン
ジャジャーン
ポローン
などのどの感じで始めるかを考えながらも、よく決めないで鍵盤を押さえ打ち込み始めました。
最初はこんなふうにまとめたと思います。
この曲の原曲のキーはCメジャーだったので、低音にcを置くことだけは避けよう、と感じとりあえずdにしました。あとはメジャートライアドにならないようf#,aを避けようとしたと思います。
この音集合は、C7(13)/Dになっています。結果メジャートライアドを含みますが、響きとしての曖昧さが好きで、これはこれでこの関連性がいいな、と感じこれを採用しました。目的と過程と結果がバラバラなのですが、そこに論理は求めず作り、結果で判断します。論理的に作るよりも試行錯誤に時間がかかりますが、作らされている感じはありません。
最初のこの「メジャートライアドにしたくない」という直感はどれほど正しいのでしょうか。直感は嘘をつきます。
最終的な響きを改めて感じて選ぶ、という試行錯誤を大切にしています。
これが正しい、とかではなく、自分にはしっくりくるんです、こういう無駄な感じの流れが。だからこれを独自論だ、といっているだけで、誰かに勧めようとは思いません。
そのあとの二つの和音を、なんとなく下がってくる感じかな、と心象し、並べ、雰囲気を作っていきます。その作業で、
・くぐもった夜
・ぼんやりした黄色い月
・静かな雰囲気
・誰にも邪魔されない時間
という雰囲気を纏えるようになるといいな、と直感=不定調性論的思考、し始め、その過程で雰囲気があまりに濁ったので最初の和音の1音をずらしてディレイドさせました。
これにより
という心象連環を落とし込むことができて。
この曲の冒頭はこういうのがいいな、と感じ初めて、この雰囲気をベースに全体の制作を進めました。
この時、最初からこれらの和音が頭に中で鳴っていたのでも、そうしようと思って作り始めたのでもありません。
皆さんはお腹が減った時、あれを作って、こう食べて、こういう感じを得られたい、とかって細部まで感じて思って予測して料理したり、冷蔵庫から食べ物を取ったり、棚からお菓子を食べたりしますか(几帳面な方はそうするかもしれません)?
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明け方、猫が外を見ていました、そこには普段あるはずもないと思っていた位置に半分にかけた黄色い月があり、ハッとしました。その時はそれ以上は何も思わなかったのですが、朝になり、昼になり、その印象が欲望を侵食するように、昨日の月をMoon Riverで残しておきたいな、と思いはじめ、ふと制作しました。制作には延べ二日かかりました。
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個性の探求ではありません。「個性」とは誰かと比較して表現しています。
十人同じやり方をしても、結果は変わります。
その過程のどこかの思考のステップや技量の小さな差こそ独自論の思念が広がっている部分です。だから結果が人と変わります。
だから独自論は学校教育でも見つけられます。
小さな差はなぜ生まれたのか、を考えればいいだけですから。
こうして置いた和音が音楽理論的におかしくても響きが自分の心象に刺さってきたら、OKとしてしまえる気質がありました。
これも社会的にみれば、ただの自己の正当化です。
冒頭のこれについて解説します。
普通の音楽理論だけでは、この三つの和音は、
こう分析され、
「あ、アナライズできないタイプの不定調性的ですね」
「強いていうなら7thコードが短三度移行しているモダンスタイルですね」
みたいな当たり障りのない分析がされ、
「抽象的で近代音楽の劣化した模倣ですね、権威もないし、売れないですね。」
で終わるのが学術的分析の色合いでしょう。
知識があれば先人のこの曲の冒頭に似てますね、とか言えるかもですが、別に私は誰かのスタイルを模倣したいわけではないのです。
それは結局作品に社会的価値への従属を作ろうとしている分析だと思うのです。
独自論、という文化は全く未発達です。
自分を知り、自分に合った生き方を創造する行為です。
自分としては、直観的熟慮という発想によって「あ、これいいな!!」って思ったからその音を置いたのです。
心象連環では一時的にこのように和音を説明づけます。
翌日にはそれらの心象は変わりますが、響きは変わらないので整合性が乱れることはありません。その響きから今何を得るか?と自分のモチベーションと常にリンクできれば良いのです。
そしてこの最初のC7(13)/Dという和音は、
低音から、d,g,a,b♭,c,eという構成ですが、これもコードネームではなく、
Cu7+cの側面領域+cの下方7倍音
とか
Cu7+Dul3
と言った和声単位分解によって表記することで、機能和声的観念から離れて和音集合を扱うこともできます。この和声単位分析は、どんな音集合でも12音に振り分けて細分化、命名化できるので即興的に音を置く私には大変有用性があります。
また、これらの集合をどのように解析するかは、分析者の音楽性で判断すべきで、その分析を自身の音楽性に反映して各自の独自論を作れば良いことになります。
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個性とは、本来得体の知れないものです。
もしあなたが天井のシミを数えるのが一番人生で楽しいと小学生時代に知る事ができて高校生になってもその癖が変わらないのであれば、そこを起点に仕事を探す必要があります。何かを数える仕事か、仰向けになってできる仕事か、何か自分のその性癖と見合う仕事があるはずです。
どうしても適正年齢までに性癖と仕事が合致せず見つからなかった場合は、仕方がありません。負担にならない仕事を探してとりあえず生活を作らなければなりません。
また小児愛好を社会貢献に活かそうとして学校の教師となり、実際に学生への犯罪行為にのめり込んでしまう例もあります。この場合もシステムが、性癖の問題点を見ようとしないがために起きています。社会の個別性癖探求の甘さ、というか、反社会性行為を孕む性癖は犯罪ですから、早い段階で(配属翌日より)セラピーを受けながら、もっと上手な社会的範囲での発散を見つける努力を学校全体で理解して推し進める体制の不足、としか言いようがありません。
現状はまだまだ社会が未成熟なので仕方ありません。
社会不適合者を個人が望む形で活かせないのですから。
現状では「独自論の柔軟な理解と展開」が、未来の人材育成のための一つのヒントになるかもしれないというほのかな確信を抱きながら、今しばらくはこのやり方で音楽制作やレッスンを進めてみたいと考えております。
個人が何を求めるかを引き出し、それをどう社会の中で表現するか、にはまだまだハードルがいっぱいです。そうこうしているうちにAIが台頭してきています。
人間はどんどん不完全であること、無用であること、取るに足らないことを嘆くでしょう。でも独自論をやっていれば、それは闘える要素になります。いかに自分の不完全さを嘆かず、それを見つめて得心できるまで探求するか?です。そこと闘うことが表現の苦しみであり、そこで落ち込んでいては表現活動はできません。
鳥のように空を飛べないからと泣いていては飛行機は作れなかったからです。
そこがうまく回れば、飛行機ができても「もうやることがない」とも思いません。
AIの登場なんて人間の創造性には関係ないんです。
ちゃんと自己と日々上手に闘えていれば。
ただそれだけをやっていると本当に社会で生きられなくなるので、社会性と独自論を上手に分けて生きられるよう鍛錬できるまで育てるのが我々趣味私塾の先生の役目かもしれません。