音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

社会的価値と個人的価値〜私と仕事どっちが大事問題から贋作の価値問題

動画を見て考えた個人的意見の話です。社会の価値には二種類の系統があるから上手く振り切って楽しもう、という話に繋がります。

youtu.be

これについては私も昔考えたことがあります。

 

動画では触れられていない二つの価値について書きたいです。

 

二種類の価値があると思います。

社会の中で経済を回すために大勢から認可される社会的価値と、自分自身がコントロールできる自分だけの個人的価値の2つです。

私はようやく個人的価値で生きるようになりました。勝手に独自論を作って、勝手に配信しています。やりたい放題です。だからネットの山奥(?)に住み、そこに訪れる人とだけ交流してます。社会に無視されておく、ということは独自論熟成の秘訣です。

 

一方、ゴッホの作品の価値は社会的価値です。ゴッホの作品に価値を置くことで社会的美意識は維持されている、と言えます(逆に独自論は丁寧に無視してあげることで一般論と社会的価値を保たせます)。

 

「自分にはゴッホの価値は必要ない」と云うことができるのが、個人的価値の見解です。これは決してゴッホの否定ではなく、自分自身の表明≒個人の感想というだけです。

 

それぞれの価値に意義があると思います。使い方を誤ると拗れますが、動画で紹介されるゴッホ研究の第一人者、圀府寺先生のように、贋作に抱いた感動から道を見つけ権威を勝ち得る、といったことも可能です。

 

 

その作品が贋作かどうかは社会的価値かどうかです。

その作品が自分に与える美意識は個人的価値です。これらはよくごっちゃになってわからなくなります。

社会的価値を発信する人は、社会的価値を証明できないといけません。

しかし動画を見ると、多くの専門家が個人的価値を持ち出し、自分が唱える価値こそが社会的価値である、としようと必死です。そして泥沼になると社会は社会的価値自体を風刺することで、価値の本質を追求しようとする風潮を無力化します。

贋作であることを認め展示した絵画の美術館は、こうした価値の本質が人を辟易させることを知っており、そうした対応に踏み切ることが自在にできるのだと思います。

日本人は確かに五郎さんおっしゃる通り、価値の何たるかについてまだまだ迷信を抱いているように感じます。またそれも国民性なのかな??

 

人に認められるようになったら先行きに注意せよ、です。

 

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音楽に例えてみましょう。

レコード会社が発売する作品は"価値がある"と嘯くことで社会は成り立ちます。

動画作品は再生回数が回る作品/それを作る作家には価値がある、と決めることで経済は回ります。ヒット作を非難する人が出てくるのは「ヒットする作品は害悪である」と捉えるからです。

 

 

"価値がある"と言われると、そう聞こえてくるのが人の脳の特質です。「大ヒット上映中!」と言われれば安心できます。

「その映画はつまらない!」は個人的価値です。日本人は価値基準がとても厳しい、と感じます。名優と予算を使い「これはすごい社会的価値のある映画だ!」と宣伝されることを嫌っているように見えます。

社会的価値は個人的価値の熱意ある発信から生まれます。

無名の役者を使い、しょぼいプロモーションで、無い予算で必死に作った映画を日本人は見つけてプッシュされるとなぜか応援したくなる、と思います。島国根性でしょうか。

 

価値は無意識に捏造されます。

動画の再生回数を伸ばすための戦略によって価値が捏造(捏造は言い過ぎか??)されます。当人達は、捏造なんてする意図はありません。

ファンも"再生回数を伸ばすために一日中リピートしている"という行動をします。「自分が信じた価値は間違いないはずだ」と云う個人的価値と社会的価値の方向性が見事に合致します。

 

動画に出てくる「贋作」の概念自体は日常のあらゆるところに潜んでいます。これをいちいち疑っていたら、社会では生きていけません。

その野菜ほんとに無農薬?本当に国産?この成分表本当?化粧で盛った?編集してる?演出してない?脚色してる?そのフォロワー数本当?その売り上げ枚数本当?そのランキング正しい?その受賞、出来レースじゃない?不定調性論本当に自分に価値ある?(自分に対して)...

 

まっとうにやっていると社会的価値は作れません。

ほとんどの人がまっとうに生き、策略を巡らせる&天才だけが著名になってゆきます。目立っていることがその人の優れた特質を示しているのではなく、目立つという特質によって目立っている可能性があります。あなたにとってどんなに美人や有名俳優よりもあなたが知り合ったパートナーが優れているという実感を理解できれば、有名無名、目立つ目立たない、が作る独自の価値の特異性に気がつくのではないでしょうか。

著名人は経済的価値を作り出すので、一定期間は多少の悪事(?)すら容認されます。隠そうとする意図が知らず知らず働くからでしょう。

私が社会的価値を好きになれないのはその観点だけです。

でも世界はやったもん勝ちです。用心していないと一般の人はその理不尽に巻き込まれます。

 

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美意識についても二段階考えてみましょう。

最初、なんとなくいいな、と感じたまま全くその後その作品に触れる機会がなければその価値が自分の中でそこまで膨れ上がる事はありません(個人的価値)。

しかしコメントで自分と同じように良さを感じる人が多かったり、その作品がどんどんイイネされてる状況を見ることで、本当に価値があると感じてしまいます。承認欲求が満たされることで共感に拍車がかかります(社会的価値への迎合)。

 

社会的価値になってしまうと、それが失われると損をすると感じる人がその価値が維持されるように振る舞います。脚色が始まります(社会的価値の脚色)。

その価値に依存する人も出てきます。価値に群がり発信します(承認欲求)。その価値を発信しながら自分にセンスがあることを認知されたいのではないか、と(社会的価値への従属)。

 

”人は自分にメリットがないと他者を褒めない"

 

 

 

あなたは「私の方がもっと良いものを作っている」と言うかもしれません。著名な彼よりもあなたの方が確かに知識もセンスもあるかもしれませんが、彼には強い欲望、発信力、訴求力、エンターテインメント力、トーク力、そしてビジュアルとか、いろいろおそらくあなたよりも優っているからあなたよりも"著名"になってしまい、その価値が課題評価され、それに慣れた社会はそれをスタンダードとしてしまうんです。また運命のいたずらで著名人の側人という立場に置かれ、責任を感じて自分の個人的価値を犠牲にしてがんばる現場の人が無数にいます。彼らの個人的価値の犠牲によってその大きな社会的価値がさらに維持されます。

こうした社会的価値になる条件があると思います。

 

先の動画で言えば、ゴッホの作品であること、権威ある鑑定人が断定する、が満たされれば大きな価値が生まれます。贋作は社会的価値の条件の偽造です。

 

「贋作と知らずに見たときに感じる個人の感動=個人的価値」も、それがゴッホの作品だ、美術館に本物として飾られている、という先入観によって生まれた場合話は別です。これも社会的価値への迎合といえないでしょうか。

 

先入観には複合的なバイアスがかかります。

 

 

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その作品が素晴らしい、と直感して何気なく、その人のフォロワー数が少なかった場合"本当に素晴らしいのかな?"と冷静に見直したりします。

逆に見つけた作品に膨大なフォロワー数がいる場合、あまり確認せず「自分のセンスがいいからだ」などと思って、感じた価値を補強すべくリツイートします。

後者の感覚で行う行動は「個人的価値に端を発した社会的価値への迎合」です。

また「誰もシェアしていない価値を見つけてシェアし、それらのうちどれかが社会的価値になってくれるのを待ってる」なんて思考も。シェアされた方は勇気づけられ、その後本当に社会的価値を生み出したり。

 

個人的価値だけで社会を作ると、人を殺してもOK、となってしまいます。

だからゴッホに価値を置き、教科書に載せ、高値を出して売買させ、美術館に展示させ、拝観料を取り、パンフレットを買わせ、美術の授業が成り立たせ、文脈を守り、既得権益を守り庇護者の援助を得て、賞を受け取らせ、価値を厳守し、経済を回します。そしてこの価値を偽造し、経済的詐欺を行なうと罰せられます。

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普段の生活を社会的価値の中で生きていると(音楽業界の中とか)、自分の価値観を表明するよりも社会に迎合したほうが楽です。会社が育成しなさい、と指令が出るアーティストを育成しプロモーションをすることで自分の承認欲求も満たせ、感謝尊敬もされます。

そうして作られている価値はまるで化け物のように巨大になったカオナシ、なんて感じたりします。

 

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それでは最後にちょっとしたトレーニング(体験)をしてみましょう。

 

courrier.jp

この目に見えない作品が持つ価値の社会的価値の側面と個人が感じる個人的価値の側面の両面を説明してみて下さい。

 

社会的価値は美術史の文脈の先にある新しい価値観を創造したという点において認められます。

個人的価値は、そのシチュエーションが分かりやすく、誰でも面白いと感じて、それを想像する余裕が持てる人にとっては、自分なりの価値を感じることができるでしょう。

 

 

実は上記の記事はフェイクで、そんな作品はなく、発表者の写真もフリー画像で、記事自体がフェイクでした。

 

 

だまされた!!と思って確認しましたか?

 

 

 

 

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はい、もちろん記事は本物です。フェイクだ、と言ったのが嘘でした。

 

社会は手の込んだ嘘(演出/脚色)だらけです。演出する本人達も気がついていません。

 

私も業界人のはしくれですから、そのカラクリを体験しています。

社会経済を維持するための社会的価値と上手に付き合っていきましょう。

私は社会的価値が苦手だ、と知ったので、自分を頼ってくれる人と仕事をしたいと思って細々と暮らすことを楽しんでいます。

 

私は何十年も「自分の好き!」と「社会的価値」をゴッチャにして失敗してきました。迎合すべきところで迎合せず反発し、自我を出すべきところで遠慮してきた人生でした。

 

"仕事と私、どっちが大事?"
は社会的価値と個人的価値、今はどちらが大事かを問うているわけです。

 

皆さんの身の回りに存在する社会的価値と個人的価値は分類できますか?