あなたを否定する意見は多々あるでしょう。
多くの人に知られれば知られるほど様々な種類の、さまざまな観点からの批判を受けます。
批判を素直に受け入れられる人は、自分が何者かを知っている、自身の独自性の正体を高いレベルで把握している人です。
私なども「独自論大事」とか言っている時点、いつ家を燃やされてもおかしくありません。ただそんな相手をする価値がないだけで、結果として平和に幸福にのうのうと生きています。
批判を受けるだけの性格、行動をしている、とわかっています。
しかしこれは自分の信念に基づいたものです。
人は錯覚する生き物ですから、つい批判が多いと、現状否定されている、と思いがちです。
しかし、人は一人一人違う、ということがわかっていれば、否定意見はたくさんの意見の中の一つにすぎません。否定か肯定かなど自分で意見の範囲を狭めない限り、分けられません。目に入る意見は「今日のトレンド」であり、明日は変わりますし、三日後は誰も言及すらしません。「この人は終わった」として勝手に彼らの中で次に行くだけで、あなたにしてみれば、あなたを襲おうとしたクマが十分にあなたを脅して満足し、次の獲物に向かったのです。これはとてもラッキーです。噛み殺されなくて良かったね、と誰もが胸を撫で下ろす場面です。
自然の中で生きていれば、今日は食われなくてよかった、とてもいい1日だったと思うのが普通です。
自然数は無限にあります。では偶数はその中の半分しかないとあなたは思いますか?
数学の理論では、偶数も自然数と同じだけある、と結論されています。
これは可能性の話です。
ネット上の意見は、一人が幾つも違う名前で意見を書くこともできます。組織立って否定意見を書くこともできます。可能性という意味では、肯定的意見と否定的意見は常に同等ある可能性が高いのです。あなたは正しくもあり、間違ってもいる。生きる価値もあり、死も望まれている。何より、そうしたシュレディンガーの猫のような自分の存在価値の曖昧さに悩みますが、それは単に人の脳が確率的数学に弱いことに起因します。
そう言うことは下記でも書きました。
そして図に掲げた通り、あなたへの作品は、あなただけに波及するものではなく、あなたが影響した作品にも波及します。その責任は批判者が負うことになりますから、あなたが全てを受け止める必要はありません。むしろ批判する言葉を発したその人が背置くことになります。
あなたに対して「死ねばいい」と言う、それを言ったその人がその言葉を背負うことになります。「うわー、背負うねぇ」と言ってあげてください。
そして意見も「表現物」であれば、その意見に対しても膨大な反対意見と賛成意見がある、ということになります。
つまり、何が正しいかは証明されず、唯一違法か合法かで決着をつけることしかできません。社会のシステムの中で生きて行きたいなら、違法行為であれば刑に服す必要があり、合法であれば無罪放免です。
違法なのか、合法なのか、それ以外の判断は道徳に任されています。
マスメディア対策として、レッスンの中で話す考え方について書いています。
道徳で判断される点をどう作っていくかは、普段どれだけ独自性を把握しているかにかかっています。自分という存在を受け入れておかないと批判に耐えられません。
自分がどういう人間で、どういう性癖を持っていて、どういうことを面白がり、どういうことを嫌うか、親に躾けられたことを一旦忘れて、自分自身を見つめて自分自身の気質をしっかり把握しておく必要があります(独自論の研磨)。
特にアイドル、俳優、声優といったイメージが深く印象を与えてしまう職業の場合、自己を見失いがちです。自分の人を誤解している人の方が多いからです。
そういった社会的イメージは捨て置き、本来自分がどんな人間なのか、何がしたいのか、何をして人生を楽しみたいのか、を明確にしておかないと、自分が社会で行った行動を批判された時に判断を迷ってしまいます。
独自性を把握すると、大抵は落ち込みます。
理想の自分に反して、非常に下劣だったり、ちっちゃかったり、セコかったりするからです。でも本来の自分を普段から受けとめて理解、展開しておくと、社会で起きる自分の問題行動の説明がつきやすくなりますし、自分のセコさを十分に把握していれば「社会ではやらんとこ」と踏みとどまることもできます。
結果として、その意見が自己を鏡に映したような時、反発せず素直に入り込み、自分と意見の違う意見には心にもかかりません。
人は相手に理想を押し付けますので、意見をもらう側は損です。
ただその意見を究明し、ヒントに使えれば鬼に金棒です。
俺が喋ったら十人中九人は怒る、と自己を知っていれば、一人に怒られてもなんとも思いません。
意見の表面的な意味ではなく、意見の向こう側が見えるようになります。
SNSなどの意見にいちいち落ち込むことのないように、独自性のマネージメントを普段から厳しく追求してみてください。
作品は、意見によって変化などしません。
凛としてそこに存在し続けます。批判者が息絶えても。
意見はその個人の「表現物」であり、そのときの彼の中では絶対です。であれば、あなたの作品もあなたの中で盤石であり続けます。
あとのことは後世に委ねるしかありません。成果や批評を気にする理由はありません。