音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と...旧音楽教室運営奮闘記。

音楽的な違和感との付き合い方-不定調性論的違和感論??-

音楽的な違和感、と云うものがあります。

・人ぞれぞれ感じるところ、程度が違います。

・やがて慣れます。

・たとえ完全に理論的な間違いでも、リリースされた作品なら、しばらく聴いていると慣れます。

・「これは無理!」と思うのは主観です。

 

だから法律に違反していない限り、それらを排除することは表現の自由を奪う、又は制限する排他主義的な行動になります。

それもまた個人の潔癖主義や"妄想的責任感"のために起こる嗜好的行為ですので営業妨害にならないのであれ双方容認されるべきです。

 

ここで話を簡単にするために、違和感のレベルを6段階にしたとしましょう。

違和感0...普通/許せる

違和感1...稚拙さ

違和感2...すこしきつい

違和感3...明らかに変/異様

違和感4...悪質

違和感5...病的/暴力的/侮辱的

 

通例9セクションある曲で全てが違和感のない作品である場合を、

0-0-0-0-0-0-0-0-0

と表現したとします。

 

例えば、これが

0-0-0-0-1-1-1-0-0

このような感じだと「もっと音楽理論を勉強しなさい」と言われます。微妙な不協和、スネアのピッチがあっていない、とか。ボサノバなのに本格的なボサノバのビートと違う、とか。

この1がどのようなものか、ということは皆さんそれぞれで御想定ください。

 

これが

0-0-0-0-2-2-1-0-0

だと、時折カッコよく聞こえたりします。アウトサイドするソロや、変態的なポリリズムとか。

 

また、

0-0-0-0-3-0-0-0-0

となっていると、あれ?やっちゃったかな、ひどいね、と思われます。前後の脈絡悪急にくるから「あれ?ミス?」などと感じてしまったりします。

 

しかし、

0-2-2-2-3-2-2-2-0

となっていると、明らかに意図的なので、3の「変」な感じはむしろ違和感2の「すこしきつい」ぐらいに相対的に感じられるようになり、「ああ、こういうヤバい系統ね?」と意図が見抜かれ、その違和感が十分な機能を果たさず、個性となったり、独自性として放置されます。"敵として認識されません"笑。

「まあ、頑張ってやってみたら?」と言われます。

 

 

これらの判断は、時にひどく曖昧で、前後の回答や周囲の反応にも左右されるものです。そもそもが曖昧な話だからです。わざとやっている場合もあり、そういう「目立ちたがりなこと=他の人が恥ずかしくてできないことをやっちゃう」ことに嫌悪感を抱き、本来与えるべき価値を放棄してしまうことも。

 

現在自分が使っている違和感がどの程度のものかある程度把握するために「違和感0」であることがどのようなものか、を学ぶのが学校での勉強であり、音楽であれば音楽理論の学習です。

 

だから学校で学んだそのままをやって自然でもそれは教習作品にしかなりません。

そこからいかに未踏の地に足を踏み込めるか、です。

 

現在私自身も違和感との付き合い方を考えています。好きなのですから仕方がありません。自分にとって美味しい食べ物を「美味しくない」と言って避けることができないように。

 

 

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この辺の曲からなんとなく発芽しました。

これを極めたのがラベルや、ドビュッシー、バルトークなので今更彼らの道を後追いする必要はないと思います。所詮は歴史の二番煎じの人間なのだ、と自覚しました。

後は残りの人生でどのくらい自分を追求できるかどうかです。

 

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この二つの作品で、かなり自分なりの意図を具現化することができました。

 

社会にとって3の違和感を持たれる人がその立場で塞ぎ込まず、どんどん発信し、自分が役立てるように日々頑張っていくことで、周囲のより影響力のある人の行動を変え、結果として社会が変わっていくとよいな、と。

違和感とは行動力の源です。

 

こういうことは学んだことがなかったので、自分なりにこれから少しずつ展開できれば、と思います。

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