不定調性論とは?
不定調性="調性が定まらない音楽状態"を指す私の造語、から展開した独自論です。
通常の音楽学習は、社会的ニーズを満たす目的で進められますが、拙論は「自分自身が望む表現を創造すること」に特化しています。
リスナーを必要とする以前の、十分な「自己満足の探求」です。
つまり拙論は、私個人が、私の感性*1や直観*2(「音楽的なクオリア」)を活用して音楽制作するために整理された方法論です。
一般理論学習後、果たして自分はどうしたいのかを考えるとき、拙論的な発想が必要だと感じています。
<独自論について>
独自論は個人の喜びのための手段です。
皆さんの周りにいませんか?やたらと、マイペースで人生を楽しんでいる人。
独自論はその人に自己の意義をもたらすもの、であると思います。
拙論の課題を一つ紹介します。
問;ある和音αと置いた次に、あなたは和音βを置きました。その根拠は何か?
に答えてみてください。
拙論では「音楽的なクオリアという直観的意向に基づいて次の音を選択する」と表現します。つまり「βにしたい、と感じたからそうした」がこの問いの答えです。
そしてこの曖昧な選択行為を方法論にまで壮大にまとめたのが拙論です。
あとはこの「曖昧な選択行為」の質と結果の精度を上げる努力あるのみです。
普段から直感的判断を優先する人は、不定調性論的思考の方が楽かと思います。
音楽をやっているとき「理由が説明しづらい確信」を感じたら、それを「音楽的なクオリア」という視点から考えれば良いのです。あとはこの「音楽的なクオリアを鍛えようかな」とか感じていただければこのサイトの趣旨に沿います。
自己満足を探求すると独自論が生まれます。
今置いた和音を「対位法に基づいた」「ジャズ理論に従った」「メロディに従った」という根拠があったとしても、最後にその選択でよし、と判断したのはあなたです。
結局は独自論的に判断することになります。
こうした直感的判断は、必ずしも論理的である必要すらありません。
確信があれば人は前に進んでしまうからです。
「感性で音楽を作る」とは、自分のやり方の問題点や課題に対して誠心誠意向き合い、そこで見つけた自分の特長を磨き、欠点がデザインとして輝くまで磨く作業に入ってはじめて完結します(そこからが創造のスタートですが)。
結果として人生は思い通りにはならないかもですが、自分ならではの生きやすさを発見すると思います。
それでも不安なら、最初は必要なだけ社会的価値に頼ってみてください。
そして時には、自分の感性に従うと成果が劣化する、と感じることもあるでしょう。
ゆえに洗練されている(と自分が感じる)答えを教育で学ぶわけですが、音楽理論はいわゆる優れ過ぎた先人の知恵の集合体です。
オリンピック選手の靴を履いたところであなたの足が急に速くなるわけではありません。
たとえ自分の判断で決断した結果が劣化しても「感覚で音楽をやる」ことを諦めないでください。
長い訓練期間が必要です。
2年や3年で音楽を学ぶ取り決めは学校ビジネスが決めた期間です。
「あー、もうよくわからんから勘でやろ」という思いは諦め半分でトライすると本当にダメになります。直感に集中してください。諦めずギリギリまで集中し続けるてみてください。
不定調性≠不定調性論です。また「理論」ではありません。
当ブログでは、自分のままに考える、を「不定調性論的思考を用いる」と表現したりします。
拙論に根本的な誤りがあることも日々配慮しつつ、常に内容を顧みてまいります。
なお拙論は「ポピュラー音楽理論」等一般理論書の内容が理解活用できていれば問題なく入れます。
社会的価値と独自論を区別する
ときに、誰に忖度なくカッコ良さや美しさ、可愛さを感じてしまう時があるものです。
それを"独自感覚=個人的価値"として社会的価値と区別します。
その感覚はあなたの人生経験が作った感情です。それを無視するのは自己否定です。
メシアンはこれを詩的に「偏愛する」と表現しました。
フェティシズムです。
もし今現在、あなたの思うやり方で成果を出し、日頃社会的業務が成り立っているのであればあなたの独自論は機能していると言えます。不定調性論で私がやりたかったことが既にできています。
もしあなたが基礎と十分な経験を体得しているなら、自分の直観=音楽的なクオリアに自信を持ってください。
中にはあなたの欲望と感情の暴発が社会の中で事故やハラスメントになる場合もあります。その場合は事故が起きる前にセラピーに行けることを祈ります。
「社会が間違っていて俺が正しい」的発信は独自論です。社会は個人が理解できる範囲を超えて様々な理由があって現況を作っています。
自己満足探求の結果、やっぱりどうしても他者に自分の価値を理解させたいなら、その独自論を社会的価値にするための努力(慣例に沿う作品制作、論文発表、出版、製品開発、販売売上実績、日々のプロモーション/営業活動等...)が必要です。そして途中でやめないでください。途中で辞めて世を憂う人になるのが独自論の最もダークサイドです。
音は脳の中で作られる
「音は外部に存在する」とする立場に対して拙論は「音認知は脳の中で作られる主観に依存する」と考えていきます。
AさんとBさんは同じ音を聞いても、厳密には個々人の心象を伴い聴くので、同じ音を聞いてる、とは考えません。
これはラモー以前の奔放で身勝手な価値観を改めて掘り起こす作業とも言えます。
もし、今楽しく一般論を学べている間はそれが独自論に代替されます。
耳ができてくると不協和音やおかしなコード進行にも解釈力がついてしまい、その意味を創造し、理解できてしまうようになります。しかしそれは一般の音楽観から離れた独自論です。この切り替えがいつ起きたかをしっかり把握していないと、マニアな方向に趣向が進み、それを感性の進化だと感じてしまいます。
しかしそれはただ独自論への承諾欲が肥大しただけです。
独自感覚自体もコントロールしないと、冷徹で独善的な音楽を、それこそ世界に押し付けることになります(それでもいいと思う人は別格)。
どのように独自論的感覚を極めたとしても、最終的には音だけでなく時系列情報を全て感性と理知で扱えるよう目指すことになります。ベースとなる独自論自体は早めに(取り急ぎの)完成を設けてしまうと良いと思います。
理論闘争グラフ
理論/感性の闘争は、上記のバランスが論点により違うために勃発します。
理論は社会的価値、感性は個人的価値です。
今どの部分が優先されるのかを把握できないと、このマトリックスから抜け出せません。
インフルエンサーの「直感と感覚」を信じがちです。脳が信じやすいから。
拙論は諸刀の剣と言える直感を用いることが一番の難点です。
脳に騙されないよう身体訓練と先端学習を怠ることはできません。
不定調性論で作る音楽
私にとっての独自論を追いかけた結果の作品集です。
これからまた変わるかもしれません。
再生バー、再生ボタン右横「▶︎|」マークをクリックで次の曲に進めます。
その二に続きます。
小史/用語活用
当ページ紹介アーティストの自在な和声のように、小刻みに転調解釈できる和声を「不定調性的な進行」と呼ぶところからスタートしました。いろいろ歴史はあるのですがもう時効なので消しました。
ネット上の「不定調性」用語は利用者の背景が様々ですので現状厳密に定義せずご活用ください。
用語の活用は、相手にそれなりの雰囲気を伝える時に有効、という程度でお使いいただくと良いと思います。「不定調」「不定調性」=調性感が曖昧、という意味程度の言葉でしょう。論文などで活用する場合にはより伝統的な専門用語を補足して説明されると良いと思います。
「パンダイアトニック」「複調性」などの言葉が歴史にはありますが、これらは調性システムの存在が前提にあります。不定調性には「調性という前提自体考えない」「調概念自体が不定な状態こそ本来」という意味も含まれます。
ビートルズのコード進行解説から拙論的解説を始めた理由は、現行の音楽理論では彼らの簡単なコード進行ですら分析しづらいのでは?という無知と傲慢からでした。
07年PDF化した"遺跡"レポート(96-98年作成?)。
00-02年HP公開当時は自分が正しいと信じてましたがやがて自分の感覚の方が変だと愕然としつつ「独自論を作る」という指向になり、だいぶ変わったと思います。
10-11年にM-Bankにて教材完成。一応、日本音楽理論研究会、日本リズム学会他にて発表実績もあります。
一般人から、著名人まで多数の指導実績があります(実績非公開)。
より社会的価値に近づいた考え方についてはこちらをご一読ください!みんな大好きSoundQuestさん!!
公式発表レポート。
不定調性論=Theory of Tonal Indeterminacy
学会機関紙掲載の折、川本准教授に英訳頂きました。訳語は今後変更する可能性もございます。