音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

ポピュラー音楽理論学習のコツ紹介〜全てを理解しようとしない

 2019.7.18⇨2020.9.5更新

 

 

 

 

 

Step0

音楽理論独習のコツは「全部を理解しようとしない」です。

「あとで学ぶ時のために何がどこに書いてあるかチェックしておく」ぐらいでOKです。

あとで調べるとき楽です。

音楽理論書は辞書みたいなものです。その全ての知識/技法を使うことはできません。

知識やテクニックには、あなたにとって向いているもの、苦手なものが微妙なバランスで含まれています。全部ができるようになっているのを待つと一生終わります。

変化球は数あれど、プロのピッチャーだって球種は1−3個を極めて戦います。それだけで十分ドラマは生まれ続けます。

 

また、私は、それ1冊で本当に分かりやすい教科書というものに出会ったことはありません。様々な教材を読み、様々な角度から勉強しもがいていたある日、突然ある本のある文章がきっかけでわかる時が来る、というのが実感です。どれか1冊を神格化するのも結構ですが、その理解の背景にはあなたがこれまで触れてきた多数の文章、学習経験が下支えしていることも思い出していただきたいです。

スマートに済んでしまった勉強は厚みがありませんので例外や突発的事故に遭うと崩れてしまいます。

勉強に真剣になれるのは、それまでに経験した"二度とあんな失敗をしたくない"という欲望のような強い後悔の念の存在が必要です。

今めちゃくちゃに泣きながら遠回りして無駄な勉強をしていると落胆しているあなたは実は相当頑張っている人です。それらは無駄ではなく、他の人よりも多めに肥料が撒かれた畑になっているだけです。

きっとあなたの知人よりも大きな果実🍏🍎🍐🍊🍋🍌🍉🍇🍅🥝🥥🍍🍑🍒🍈🍓がなることでしょう。

何より自分が信じたやり方をベースにして様々な文言に触れていってください。

m(_ _)m

 

 

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今回は北川祐著「ポピュラー音楽理論」を参考にしながら、一回さらっと読むぞ!って決めた人を対象にお話しします。

同著の目次はこちらで。

小味250ページぐらいですから、目安として毎日15分、4ページずつで二ヶ月ぐらいです。

(アドリブまでやらない人は後半はまずは読まなくても良いです。)

例としてこの本を示すだけで、皆さんが読みたいと思う本で結構です。その代わり知識や概念が網羅され、自分が読めると思える雰囲気で書かれている本格的な音楽理論書を1冊お選びください。勉強できるならインターネットサイトなどでも構いません。ただ大事なのはメモして付箋を挟むことで知識を体感出来ますのでネットの猛者でなければ三冊くらいは書物で持っていても良いように思います。

 

本の理論書は勉強したという形跡が残るので、またページの質感とか自分で書いたメモとかを見ると一気に色々なことが思い出されますので平成令和に生まれた人は、紙の本で勉強しても私は良いと思います。

勉強は手で触れ、考え、ページをめくり、肩が凝り、そうした体で感じる行為でもあります。

教科書が紙でできているのは、本そのものが脳の性質とマッチしているからだ、と考えてみて下さい。人類は自然と脳の性質に合った材料を発明してきた訳です。ネット教材への移行は、脳の次の進化の入り口なのかもしれません。私たちはその過渡期に生まれてしまっただけです。

 

また。北川先生は講師の実績として文句のつけようがないキャリアをお持ちですし、また実際私自身が講義を受けた(数回だけですが)先生の中で最もフラットに音楽を捉えることのできる先生だと感じたので、ここでご紹介しているだけです。このサイトで随時参考書としてご紹介できるのは、小さな恩返しです。

ちなみに中級者以上の方向けです。初心者の方が次のステップに大きく飛躍する、その境界線になる本だと思います。

 

 

毎日コツコツできる人は理論学習に向いています。

コツコツやれない人は不定調性論的思考で感性を研ぎ澄ませて活用する方法論を自分で創作するほうがいいでしょう。

 

<理論を使わず音楽を作る方法>

音楽理論を使わず音楽を作る方法

 

 

理論書は読み進むに従い、全くわからないところ、興味が持てないところがあります。

そこは何が書いてあるかのメモ紙を作って挟んでおいて先のセクションに進んでOKです。

あとあとわかってきます。

 

現代の音楽理論の学習体系はまだ順序立てられていません。「セカンダリードミナント」なんて用語、レッスン以外で使ったことがありませんし、私も理論書読み始めた頃は意味もわかりませんでした。でも最初のほうに出て来ます。だから大事だと思ってしまいます。

大事なんですけど今すぐ覚えないと音楽の仕組みがわからない、ということはありません。そこまで読み進められた人は、おそらくセカンダリードミナントを感覚として分かっていると思います。ここが難しいところです。体感と知識は全く違う刺激で自分を捉えてくるからです。勉強とは、それらをリンクするために努力する行為です。

  

また、「理論学習+オリジナル曲制作」はセットです。

そばの打ち方を去年から本で学んではいるが一切実践はしてない、では意味がありません。

そこで対応策として、最初は学んだ理論/知識を無視してどんどん並行して自分が日頃から聴いている曲を参考に自由作曲をやってみてください。鼻歌でつまらない曲を作るでも全然OKです。

勉強は勉強、作曲は作曲と分けて同時に進めてOKです。

この勉強と作曲を分けて行う方法は、不定調性論的思考の独自のものなので、参考にできる方のみご活用ください。感覚的な判断に優れた方は、このほうがやりやすいでしょう。二つのリンクはある日突然やってきます。二つの方向から掘り進めたトンネルがある日、急に繋がるような感じです。一方からだけでは時間がかかります。

 

やがて「あれ?これがセカンダリードミナントじゃね?」「これがクリシェじゃね?」「これは便利だ!使える!」って気がつきます。

脳は学んだ知識を勝手に反映してくれるからです。それが勉強の成果であり、そう感じられなければ勉強は完成されていません。勉強はテストの成果じゃないんですね、体感の成果なんです。

学校のテストやクラス順位はただのエンタメなんです。

音楽制作心理学

 

下記の順にこだわらずピンと来たことから進めてください。

Step1

ポピュラー音楽理論の土台をマスターできたと実感できるのは、楽譜が読めて、完璧に書けたときです。

まず「読めるようにして」次に「書けるようにします」。

楽譜の読解など、一番面倒なものが学習の最初に来るから音楽理論は厄介なのです。

もしわからなければ楽譜の読み方のところは飛ばしてください(でも明日、賢明なあなたはもう一度開くでしょう、それが二週間続くとあなたは楽譜が読めるようになっています)。

必ずよく知っている曲の楽譜を最初に読んでください。

我々の時代はバンドスコアでした。なんであのメロディがこう書かれているのか、を音楽理論書を見ながら一つ一つ記号を覚えたものです。

近代国家主義的音楽は基本楽譜によって作られてきました。だから音楽構造の謎を知るには楽譜を知っているのが一番なのです。

ただ、現在のようにDTMで音楽を作るという時代になった場合には、今度はDTMの知識も必要になってきますので、大変です。

ただ、まだDTMも楽譜の概念で出来上がってますので、どうしても楽譜がどのような性質を持っているかを知らないと音楽がなぜそういう性質になっているのかを理解できない訳です。理解するのに手間がかかり、共有する時に共通言語が持てません。

音楽に詳しい友達が必要だと思うなら楽譜を学んでください。古い音楽業界人に自分の音楽を理解してもらいたければ、伝統的な理論を学んでください。彼らはそれらを吸収し、今の地位を得たのです。

音楽理論の用語は定義が曖昧なものもあり、自分の考えと矛盾するときもあります。

だからあなたの方にそれを受け入れる余裕がないと気に食わない学問でしょう。

だから、分からないところはどんどん飛ばしましょう。それは音楽理論が問題なのではなく、あなたの理解スタイルが近代音楽理論に寄せきれていないだけです。大変わがままな学問です。

しかし、社会はそれで成り立っていますので、そこは我慢我慢で覚えていかなければなりません。もしあなたが社会に理解されたいのであれば。

 

疲れたら、栞を挟んで今日は勉強をやめてとっとと鼻歌で曲を作りましょう(作曲の余力を残して勉強して)。

大事なのは見えるように栞を挟み本を手元に置いておくこと(時々触れる、常に見える)です。

これは本にしかできません。

勉強→自由に制作→勉強のサイクルを作ってください。やがて勉強と制作が合致しはじめます。

 

Step2

楽譜がある程度読めてくると、コードの基本的知識が足らないことに気がつきます。この「9」ってなんだ?とか。

コード進行が何もわからない間は、ポップスはチンプンカンプンです。

でも日を変えるとすぐ分かったりします。

そして理屈が分かってくると、せこい曲をバカにし始めるのです。ナイフをチンピラに持たせると厄介です。"本物分かってるオレ"の誕生です。

 

好きなアーティストの曲をカバーすると、急に理論書で見たコード進行を理解できたりします(それが脳のすごいところ)。

耳コピ、カバー勉強、真似は学習時期の初期はとっても大事です。英語を学ぶ際にネイティブスピーカーが友達になってくれるようなものです。

 

Step3

コードの知識と同時に「このコード、なんでここに進むと、こんなカッコイイの?」といったことが気になってきます。でも、理由はなんでもいいんです。それがあなたが分かっているなら理論的理由など後回しで構いません(不定調性論的思考)。

北川本ならPart2でコード機能、ヴォイシングについて読むことができます。

あー、この感じかっこいいなぁと感じるのは、あなたが知らない言語のその意味を確実に捉えていることを意味しています。

だって、そのアーティストはその流れがかっこいいと思ったから作品にした訳ですから。

 

何度も言います。完璧に理解しなくていいんです。理論書の文言に触れて慣れていってください。理解しすぎるまで勉強すると歳をとってしまいます。理論オタクが曲を作れないのは、作曲経験の絶望的な不足のためです。

伝統的知識は難しい言葉を使って、あなたを古い伝統で諭そうとする執事のような存在です。執事を理解しようとしていると、あなたの人生は歩めません。あなたがあなたらしく歩もうとする時、音楽理論がサポートしていることに気がつくと思います。とにかく執事を横に従えながら、自由に作品を作ってみてください。

 

本来は、スティービー・ワンダーのように、全米No.1曲を世に出してから音楽大学に行って勉強する、ぐらい専門の勉強は後回しでも良いと思います。

何百年も人が作り上げてきた学問です。一人の人間の一生ごときで学べる程度のはずがありません。音楽理論マウントは幻想なのです。口が上手い人に注意です。

後はあなたが文法の先生を目指すか、作品作りをしたいかという選択をするだけです。

 

Step4

コードスケールって必要??

もしあなたがジャズ・フュージョン寄りのアドリブを求められる音楽性に向かっているならスケールは便利なので理解いただきたいです。

しかしコードスケールの知識は、ジャズ理論/分析を学ぶための助けにはなりますが、アドリブフレーズを作る助けにはほぼなりません。ジグソーパズルのピースをすべて裏返しで作っていこうとするようなものです。

スケールの知識はただの外郭に過ぎません。

例えばギターであればスケールより、ポジション構造を全部覚えることのほうが重要です。

それ以外の人は、この北川本Part3は年末とか、お盆とかの休みの夜長などにじっくり読んみましょう。

そもそもアドリブしたければ好きなアーティストのプレイを真似て30個リックをノートに書き出して、それを組み合わせて弾く努力の1年を作りましょう。1年後、あなたはソロが取れています(組み合わせ再創造する才能が必要です)。覚えたフレーズが指に染み着き、どんな曲でも覚えたフレーズでアドリブができるようになります。それがジャズのアドリブという言語の体系です。オリジナルなものを作ろうとして、誰も喋れない新言語の文法を作ったとしても、聴いてもらえるまで数十年は誰にも通じないんです(それが望みでもない限り)。もし"ジャズ"をやりたいならジャズの言葉をしっかり覚えて喋ってください。

自分だけの言語を喋りたいなら、アルバイトをちゃんとしてください。

 

そういう意味でも理論的知識はある程度弾けるようになったその後(これが先に書いた「余裕」を作ります)でもいいくらいです。

オリジナルなメロディ/ソロ、はその向こう側にある未知の可能性なので、いきなり"自分流"にはなりません。全く数学の伝統を勉強せずに、数学の未解決問題を自分が思い付くだけのやり方で解くことはなかなか難しいと思います。

 

 

初心者はもう一冊欲しくなるでしょう。

一冊専門本を読み続けても実践にピンとはこないかもしれません。

そこでもう一、二冊だけネットショップや楽器屋さんで必ず自分で選んでみましょう(5冊までは失敗OK、もしいくら本を読んでも勉強が進まないならあなたは独学に向いていません、近所の音楽の先生を探してください)。

「初心者でもわかる!!」的な安くて薄くて楽しそうな本で結構です(実際楽しい)。

難しい知識がわかりやすく書いてあります。

この時同時に北川本を読んでいれば、初心者本の「わかりやすいけど、誤解を招く表現」も察知できます。

また、教材は自分で選んで買って読む、がもっとも学習への忍耐力を持続させます。

本は自分で選び買い慣れてください。

無料で無制限だと人は読まないんです。

その情報は無料で価値が乏しいと感じてしまうからです。

ちゃんと本が買えるというのも才能ですから、うまく本が買えない場合には、上手に勉強している誰かに1度相談してみると良いでしょう。本当に何事も素養が関わっています。

 

読み終わっても曲は作れない

これに気がついた人は立派です。

英語の教科書を読めても英語で真のコミュニケーションはできません。

外国人と話さない限り。

バンドをやり、制作をやり、先輩とディスカッションしながら「音楽語」で会話していくことで何が通じる表現か、がわかります。専門用語を知らなくても、あなたの熱い訴えで、専門用語で語るよりも、あなたの夢を理解してくれる人がたくさんいると思います。

むしろ、音楽理論に頼ることによって、あなたの熱意は半減して伝わることもあります。あなたが本当に好きな音楽を知人に語るとき、理論的用語で語りかけるでしょうか。伝えたいと思う、曲を作るときも聞かせる時も、説明する時も大事なのは真実ではなく、自分が感じた熱意であると思います。それらを分析し、真意を導き後世に残すのはプロの音楽分析家、音楽理論家に任せた方が良いと思います。

 

音楽的な会話は勉強を始めたらすぐに行っていいです。どんどん音楽について自分と同じタイプの人と話をしましょう。そうした会話で、どういうテンションで何を語るべきかが分かってきます。

知識は沢山詰め込んでも語り口が身に付いていないので、音楽理論屋は説明が下手なのです。これは自分自身の経験から。そして、なぜか上から目線になってしまいます。勉強したという高揚感からくる優越感ですので、少し許してあげてください。「ああ、勉強頑張ってる自分嬉しいんですねー」

 

あとはとにかくコードを一つ覚えたら、すぐに弾いて鼻歌でメロディを当ててみてください。

「音楽で一発当てたい・・・」

例えばこの言葉に節を乗せてCM7の上でボソボソっと歌ってみてください。

これができないとコードを二つ覚えても意味がありません。これは知識というよりも、スキルです。持って生まれた能力です。説明がうまい人っていますよね、スピーチがうまい人っていますよね、同じ言葉を使っているのに。

いくら音楽理論をたくさん勉強しても、コード二つ繋げて、自分の熱意を音楽にできなければ意味がありません。ここの部分が才能です。

もしこの作業がうまくいかないのであれば、商業作曲家の仕事は諦めてもいいくらいです。

このブログも、その才能がある程度ある人がその才能の活用のヒントとなる音楽制作心理、脳科学、音楽的なクオリア、というキーワードで色々と書き綴っています。結局自分とのガチな戦いで、突き詰めれば突き詰めるほど、笑って平和にできるという部分は一つもなくなります。

趣味で音楽をやる場合は、セラピーですので、この戦う部分を上手に隠しながら行わなければなりません。

 

 

最初なら音程など変えなくて1音程で歌ってもいいです。One Note Sambaのように。

これが全くできない人は、音楽の素養自体を疑ってください。

早めに音楽教室に行って、先生に相談しましょう。

もともと目が見えないのに自動車の速度を上げても危ないだけです。

皆知りたがろうとしませんが、大事なのは自分に何の才能があるか、をしっかり掴むことです。

私は幸か不幸か独自論を作って、その範囲で音楽をやるということに長けているようなので、残念ながら社会からはお払い箱になりましたが、自分の音楽の道は何とか歩くことができています。得意な道は自然とそれが収益に繋がる色んな枝葉が生まれるものです。

「絶対に食っていけない」はあなたの才能に合わないことをした場合にのみ当てはまる言葉です。

 

音楽理論研究に興味が出た場合

もし音楽理論そのものに興味を持って独自論を作りたければ、大学に行って音楽研究の博士号を取った上で、独自論を展開する道を選択することを勧めます(私もすごく勧められた)。

もし私のように在野で公表していると、しばらく(二十年ぐらい)全く相手にされません。知ってもらうために人生を懸けることになります(私はそれが向いていました)。

世間では音楽理論を知っている人の方が少ないです。ましてやそれを応用した独自論など誰もわかりません。

 

順当に行きたい場合は、せめて博士号があれば発表する場があるぶん、成果が出やすく権威も与えられやすいです(優れた発信能力のある人だけは別-稀です-)。権威が欲しいだろう。私は要りません。

 

独自解釈のまとめ方で迷った場合には、私にご相談頂いても構いません。

 

自分に活かせるものは何か、考える

カーブ、スライダー、フォーク、ナックル、スローボール、チェンジアップ、あらゆる球種をあなたは今覚え、投げられるようになりました。

でも実践で通用するのは、あなたの体に向いた球種、あなたの性格に向いてる球種、握力がなくなってきたときでも自由に変化させられる球種です。それは投げ続けて、トライしてみて、失敗してみて初めて分かります。

ここから先はあなたの修羅場、とにかく立ち向かって戦わないといけません。

あなただけのカーブを投げられるようにして、かつ最強の武器にしてください。

やり方を変えどんなに勉強しても成果が出せないのは、残念ながら、"結果を出すという才能の有無"の問題です。

そして、どんな人でも成果を出すことに向いている分野があります。

自分がどの分野で成果が出せるのかを見つけるのが、人生なのかもしれません。

私は音楽を作るという能力よりも、独自論を作るという能力に長けていたのが非常に残念です笑

気になったことはどんどんトライしてどんどん成果を出そうとしてみてください。必ず、あなたが成果が出せる分野があります。そこで生き抜いてください。私もそうします。

 

音楽理論など意味がない!自分のやり方でやる

というあなた。あなたは今、独自論を作ろうとしています。

大抵はしっかり勉強しないで独自論に入り始めると、やり方が雑になるだけで一般論の中に、先人の遺産の中にもっと良いやり方があるのに気付いていません。遺産なんですから受け取ればいいのに。

もし学校の勉強、音楽の理論の勉強に嫌気がさしたら勉強をやめずに、ちょっとレベルの高いマンツーマンレッスンを近所で探してください(オンラインでも)。または自分で仲間を集めて勉強会やゼミを学内で作ると良いでしょう。

そこで難しい音楽理論や自分が思っていることを素直に発言出来る場を設けてもらってください。

また、あなたが自分の作品を世間の人に聴いてもらいたいか、聴いてもらえなくてもいいかという表現欲求の選択でも音楽の学習の重要性は変わってきます。独自論は遅かれ早かれ勝手に精製されます。

1年だけでいいので、毎週1回60分、先人の高度な技や先輩方の残した遺産を有意義に自分のために使いましょう。

講師を選ぶ時は、あなたの言うことを遮らない、あなたの理想通りにスタートを切ってくれる先生がいいです。

そうした「学習する時間をしっかり設けた上での」とてつもない一般理論への違和感の瞬間が真に独自論に進むべきタイミングです。

学校の授業を二、三回出てつまらなかったからといって音楽理論の学習をやめるのは、あなたに相続権がある莫大な遺産を手続きが面倒だからと拒否するようなものです。

もっとわかりやすく言うなら、宝くじ1等の当たり券を放置してバイトだけでなんとかしようとしているようなものです。

いらないなら覚えるだけ覚えて(相続だけして)、あなたは使わずとも後輩に教えてあげる(譲る)ぐらいの度量で時代と智慧を背負ってください。

 

 

 

Q.なぜ音楽理論を学びたい、と思うのでしょう?

A.自分は、先人の技を学びたい、伝統を引き継ぎたい、人が良いというものを身につけて自分も良いと言われたい、インテリになりたい..とか欲にまみれて学びはじめました。「学ばないと相手にされなそう」という恐怖が勝って伝統に洗脳されてしまわないようにしたいものです。学習時期の焦りは気の迷いのもとです。

今自分は自分の方法論を磨くために学び続けています。

 

 

Q.○○という曲の魅力を音楽理論的を理解したくて音楽を勉強しようと思うのですが、そういう動機で良いでしょうか?

A.良いと思いますし、同時に浅いとも思います。

その曲にあなたが感動する理由は、例えば子供の時に聞いていたその当時の生活の記憶と郷愁を思い出す、とか親や家族が親しんでいた曲だったから、とか、人の脳は記憶との連動して感動する場合があるそうです。

音楽理論を学んで楽曲構造の魅力を探すのは個人の自由ですが、それは"お袋の味"の美味しさの根拠となる何らかの物質を特定しようとしているように感じます。

また、同じ技法を用いながらも正反対の感情を覚える楽曲にあなた自身出会うこともあるでしょう。

音楽に魅力を感じるのは、あなた自身の人間的魅力です。花を美しいと思うか、みたいな。

「おふくろの味の根拠は、パペトポポトピピパフェチン(テキトー)が他の料理より5%ほど高いのが理由なのだ」

とわかっても、脳は満足しないと思います。そうした理論的把握と同時に、

「おふくろが一人で頑張って作った、毎日の料理の味が今の僕の経験と記憶と人格を作っている。今の僕の感動を同じ味であなたに共有してもらうことはできない。それはあの瞬間、あの時代に僕ら家族だけが体験できた体験だからだ」という郷愁(拙論でいう音楽的なクオリア)を上手に振り分けて、音楽理論を探求してください。個人的直感と理論を混同しないように。

なんでもかんでも音楽の魅力を音楽理論で考えようとするのは、シンプル過ぎる、浅すぎると思います。

 

 

Q.音楽理論を勉強して理論に縛られるってことありますか?

A.理論的思考で助けられた時もありました。それからしばらく理論的に考え過ぎた時期もありました。でも長く続けると力まなくなりました。

縛られるのは最初だけです。そこで勉強をやめてしまうから縛られると思うのではないでしょうか。

コード2つしか使わない曲でも会場を沸かせることもできるので、理論うんぬんのそういうところで音楽をやっていては到底エンタメ本番の現場の実力に追いつきません。どんどん実際に作品を作り、積み重ねる作業に入ってください。

縛られるという意味では、メディアに、プロデューサーに、事務所に、お客さんに、世間に、時代に縛られることの方が多いと思います。縛られても縛られても破って噛みちぎって前に進むしかないのです。

また一方で、不定調性論(独自論)はそういう縛りとは一切無縁のところで戦う"自宅で一人ゲーム実況"みたいな楽しさがあります。どちらも人としての自我が爆発する楽しい行為です。

 

Q.全く音楽がわからないのですが、あるコードから次にいくのにどれを選択するか、をどう決めればいいんですか?

A.選択肢を並べ、それらを聴き比べ、自分の「音楽的なクオリア」に従います。ただこの質問が出るタイプの人に音楽表現の追求は難しいと思います。

音楽表現が強迫観念のようにポンポン頭に浮かんでくる人が「音楽家」です。彼らは頭の中に音が響いているので"どう決めればいいか"なんて根本的なところで迷う必要がありません。
そういう才人たちが「もっと新しいことを..」と色々試した歴史が音楽理論です。

我々はそれらを学んでさまざまな選択肢を身につけ、そこから選べばいいんですが、現代は選択肢自体が膨大になってしまいました。

17世紀なら、禁則破るか、守るかで手に汗を握りましたが現代では「どんな表現もどこかの時代、文化、価値観の上では正解」です。

そんな時頼りになるのが「自分がどれを選びたいとその時直感したか=音楽的なクオリア」という自己判断行動と向き合い続けそれを適切に掴む経験を重ねることです。

 

Q.感性が大事って何ですか?理論を学ぶと感性が鈍るんですか?

A.「感性が大事」は「独自論が大事」の意味と捉えます。感性とは音楽家本人の直感、思想、嗜好ではないでしょうか。伝統や格式、規律に入れ込みすぎて、元々本人が持っていた人間味を見失うな、という戒めのような意味で「感性は大事」と表現するのではないでしょうか?

だから先人権威に押されて、自分の直感を信じなくなり、劣等感や失望感を感じたら、感性が鈍る=自信を無くす、という意味でしょう。

そこはあらゆる方策を尽くして克服できるまで追求せよ、としか言いようがありません。

"練習きついから辞める"では、どんな分野でも上達はないと思います。

どんなに失敗しても自分の感性を真ん中に置くことを忘れてはならないと思います。

それは自分自身を生きる、ことを真ん中に置く覚悟が必要です。

 

Q.なぜ音楽理論はわかりづらい概念で作られているのですか?もっと分かりやすい教え方たくさんあると思うのですが。

A.私個人に当てはまる答えを書きます。

学問の歴史の上に現状の知識があるので、言ってみれば、先人のまとめた教えそのままを学習時改めて解釈する手間を惜しまず学んでいこう、という意図はあると思います。

またそもそも音楽、芸術作品にわかる、わからない、の概念は今は感じません。わかりづらい、わかりやすいは個人その人の感性でそう感じるだけで個人の責任で断じているだけです。理解に視点が置かれると歴史学や数学になります。それ以外の得体の知れない人間の感情の発露が芸術です。それをわかりやすい概念で当て込むのはつまらないことで、そういった未知性への理解が、音楽の骨格を作り出す音楽理論という学問の現状の性質(古めかしさ、わかりづらさ)を許しているのではないでしょうか。

特に音楽理論を学ぶ人は、音楽を仕事にする人ですから、彼らこそ先人の思想に思いを寄せて「それらを現代的に解釈する」ことが最初の学習になると思います。先人を否定する人は後世から否定されます。

先人の考え方を理解できないことが問題、煩わしいと感じる人は、それが才能ですので自ら学問体系を作ってください。それ自体があなたの表現物になると思います。
文化は理解しようとする努力を止めたら身勝手な独自論になるだけです。

そして、理解することはほどほどに、あとは自ら解釈し、作品制作に移ってください。

実際、ピアノは音楽理論を知らなくても叩けば音が出ます。あとはそれらの音を使って何がしたいか、であって、先人が何をしたかを学ぶなら彼らの学んだ道を踏襲する必要がありますし、全く新しいものを作るなら勉強はほどほど程度で十分です。

理解したければ勉強しなければなりません。難しいと感じたらあなたに合わないので、それを避けて自分が創造しやすい道自体を自分で作るしかありません。
その過程でいつの間にかわかってしまう時もありますし、その過程で考えが変わり、真剣に先人の知恵を学ぼうと思う人もあるでしょう。

 

Q.なぜメジャーコードっていい感じに聞こえるのですか?

A.あくまで特定の文化圏における価値観であると思いますが、人の耳と脳が倍音構造を基本に空気の振動を捉えるので、メジャーコードに対して極めて不自然ではない感覚を覚えるのではないでしょうか。メジャーコードは自然倍音構造に寄せて作られた和音ですから、倍音の構造に似ているという機能的な面と、協和音に対し、健全さを感じるその文化圏の人としての性質、その文化圏においてメジャーコードが使われた楽曲に対する記憶や感情の記録がミックスされて安全さ、心地よさ聞き、馴染みやすさを感じ取るのではないでしょうか。科学的な要素もあるかもしれませんがより慣習的な要素がそう感じさせている可能性が大きいと私は思っています。

あなたが音楽家なら、その根拠を科学に求めるのではなく、自分の美しいを作品にして発表してください。それが後世の新しい「いい感じ」となって継承されるのですから。

 

Q.不定調性は調の流れを軽んじることで音楽の流れの重要な要素である緊張と弛緩を無視してしまっているから、音楽が渋滞し、ダイナミズムのない音楽になるのではないでしょうか?

A.調的システムは無視しますが、人の心象の中に生まれる緊張と弛緩まで無視しているわけではありません。緊張といっても人それぞれです。機能和声が提示する緊張はドミナントに特化しています。しかしC△-Caug-C△でも緊張は生まれます。C△-Cm-C△でも緊張感があります。しかしそれを生んでいるのは和音ではなく人の心です。

その人の心にキュンと迫る感覚が生まれるならそれが緊張であり、ドミナントだから緊張だ、と捉えるのは人心の画一化教育による慣習的な価値観に過ぎません。

自身の緊張と弛緩の流れを感じコントロールするためにも、自身の感覚で音楽を紡ぐ習慣を重ねてください。

 

Q.音楽はどう理解できるようになったら、わかった、と言えるのでしょうか。

A.理解する、というより、ただただそのことをあなた個人が感じ続ければ良いのではないでしょうか。理解というものは移ろいやすく常に変わります。演奏してる人が、演奏してる場所が、演奏してくれるタイミングが違えば状況によって理解できたり感慨深く感じたりするものです。そしてその理解が正しいのか妥当なのか誰も判断してくれませんし、判断されたとしてもその判断が正しいかどうかも分かりません。

理解は終わることはなく、ずっと理解し続けなければならないと思います。

つまらないと感じたら、現状のあなたの理解は、つまらないで終始しているのです。

それに同じような真理に対して、音楽では理解できなくても映画では理解できるといったこともあります。それはあなたの理解能力がそちらの方向に優れていることを示しているのだと思います。あなたが理解しやすいものを理解し、その理解によって自分の人生を構築していけば良いだけであって、理解できないものを理解しようとする努力は教育エンタメであり、勉強するとお得だよ、と宣伝しているに過ぎません。

理解の様は千人千様の方法論があってしかるべきで1つの理解だけが存在するというのは幻想だと思います。

例えば、夕日がオレンジではなくて、真っ青だったら、自分はどのように感じると思いますか?

自分が知っている夕日と違うことに恐れや不安、驚きを感じると思います。しかし二日連続で見ると、もう慣れてしまいます。

新鮮さ、驚き、予測不能な感じによる感覚は最初だけです。それは理解ではないと思います。また二日目以降に青い夕日の科学的理由がわかってもそれはあくまで現象の構造の科学的理解に過ぎません。高度な認知機能を持つ脳の理解レベルには到底追いつきません。先ほどのお袋の味の話と同じです。

その人が人生で驚きを経験し、分析して勉強し、発見する全ての過程が「その人なりの理解」を長い時間をかけて静かに作ります。

その瞬間にはわからないし、ただ体験しているだけです。

しかも長い時間が経つと都合の良いことだけを覚えているものです。

その全てが相まって、何十年後かに、あなたは体験してきたことを自分なりに語ることができます。そこに理解は存在しなくても、理解とは違う解釈があり、発見があり、体験談があります。それは正確に語れるものでもなく、ただただそれを感じるしかありません。結局自分の生きて自分の心でどう感じたか、を静かに感じればそれで良いのではないでしょうか(自分の記憶が科学でビジュアル化されるその日まで)?

誰かに語る、後世に残す、はエンタメであり、真実を語れるとは言い切れません。

刹那的な理解もエンタメなので、空腹時に食べて得られる満足の程度ではないでしょうか。

 

 

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大々べテラン、ヤマハの講師でもある北川先生のプロフィールHPはこちら。

遠い昔、日吉のヤマハ音楽院時代の夏期講座で北川先生に音楽理論を直接学びました。

とにかく丁寧なレッスンだったのを今でも覚えています。こうやって論理的に勉強する方法もあるのだなと初めて気づかされました。

その節はありがとうございました。

www.terrax.site

ポピュラー音楽理論 改訂版 北川祐 編著