音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

ポピュラー音楽理論学習のコツ紹介〜全てを理解しようとしない

 2019.7.18⇨2020.9.5更新

音楽理論独習のコツは「全部を理解しようとしない」です。

「あとで学ぶ時のために何がどこに書いてあるかチェックしておく」ぐらいでOKです。

音楽理論書は辞書みたいなものです。その全ての知識/技法を覚えようとする行為自体が現実的ではありません。

本を読む時、わからない言葉だけを辞書で調べれば、現状のあなたなりに本は理解できます。その後たくさん本を読んでいくと、同じ本でも再読したとき違う解釈が可能です。音楽も同様です。

 

今回は北川祐著「ポピュラー音楽理論」を参考にしながら、一回さらっと読むぞ!って決めた場合を想定して書いてます。

同著の目次はこちらで。

(アドリブまでやらない人は後半はまずは読まなくても良いです。)

北川先生は実際私自身が講義を受けた(数回だけですが)先生の中で最もフラットに音楽を捉えることのできる先生だと感じたので、ここでご紹介しています。

 

学習には自分が読めると思える雰囲気で書かれている本格的な音楽理論書を1冊お選びください。勉強できるならインターネットサイトなどでも構いません。ただネットの猛者でなければ三冊くらいは紙の書物で持っていても良いように思います。人類は長い期間紙の本で学習してきました。人間の脳と非常に相性のいい存在だからです。

ネット教材への移行は、脳の次の進化の入り口なのかもしれません。

 

 

毎日コツコツできる人は理論学習に向いています。

コツコツやれない人は不定調性論的思考で感性を研ぎ澄ませて活用する方法論を自分で創作するほうがいいでしょう。

音楽理論を使わず音楽を作る方法

 

 

理論書でわからないところ、興味が持てないところは飛ばしてOKです。何が書いてあるかのメモ紙を挟んでおいてください。後々わかります。

 

現代の音楽理論の学習体系は順序立てられていません。「セカンダリードミナント」なんて用語、レッスン以外で使ったことがありません。最初のほうに出て来るから大事だと思ってしまいます。音楽をやっていくうちに自然と使えるようになります。

  

また、「理論学習+オリジナル曲制作」はセットです。

そばの打ち方を去年から本で学んではいるが一切実践はしてない、では側の打ち方を学ぶ真の意味を全く把握できていません。

そこで対応策として、最初は学んだ理論/知識を無視してどんどん並行して自分が日頃から聴いている曲を参考に自由作曲をやってみてください。鼻歌でつまらない曲を作るでもOKです。

勉強は勉強、作曲は作曲と分けて同時に進めてOKです。

感覚的な判断に優れた方は、このほうがやりやすいでしょう。二つのリンクはある日突然やってきます。二つの方向から掘り進めたトンネルがある日、急に繋がるような感じです。一方からだけでは時間がかかります。

 

やがて「あれ?これがセカンダリードミナントじゃね?」「これがクリシェじゃね?」「これは便利だ!使える!」って気がつきます。

 

順番にこだわらずピンと来たことから進めてください。

ポピュラー音楽理論の土台をマスターできたと実感できるのは、楽譜が読めて、完璧に書けたときです。

まず「読めるようにして」次に「書けるようにします」。

 

しかし興味がなければ楽譜のところは飛ばしてください(でも明日、賢明なあなたはもう一度開くでしょう、それが二週間続くとあなたは楽譜が読めるようになっています)。必ずよく知っている曲の楽譜を最初に読んでください。

我々の時代はバンドスコアでした。なんであのメロディがこう書かれているのか、を音楽理論書を見ながら一つ一つ記号を覚えるしかなかったです。

 

近代的音楽は基本楽譜によって作られてきました。だから音楽構造の謎を知るには楽譜の理屈を知っているのが一番得策なのです。

ただ、現在のようにDTMで音楽を作るという時代になった場合には、今度はDTMの知識も必要になってきますので、音楽家は50年前より大変になっています。

 

勉強→自由に制作→勉強のサイクルを作ってください。やがて勉強と制作が合致しはじめます。

 

本来は、スティービー・ワンダーのように、全米No.1曲を世に出してから音楽大学に行って勉強する、ぐらい勉強は後回しでも良いと思います。

音楽理論は何百年も人が作り上げてきた学問です。一人の人間の一生ごときで学べるはずがありません。

 

コードスケールって必要??

もしあなたがジャズ・フュージョン寄りのアドリブを求められる音楽性に向かっているならスケールは便利なので理解いただきたいです。

しかしコードスケールの知識は、ジャズ理論/分析を学ぶための助けにはなりますが、アドリブフレーズを作る助けにはほぼなりません。ジグソーパズルのピースをすべて裏返しで作っていこうとするようなものです。

スケールの知識はただの外郭に過ぎません。

例えばギターであればスケールより、ポジション構造を全部覚えることのほうが重要です。

それ以外の人は、この北川本Part3は年末とか、お盆とかの休みの夜長などにじっくり読んみましょう。

 

楽器がある程度弾けるようになって、ちょっと余裕ができきた頃理論を学び始めてもいいくらいです。

 

初心者はもう一冊欲しくなるでしょう。

一冊専門本を読み続けても実践にピンとはこないかもしれません。

そこでもう一、二冊だけネットショップや楽器屋さんで必ず自分で選んでみましょう(5冊までは失敗OK、もしいくら本を読んでも勉強が進まないならあなたは独学に向いていません、近所の音楽の先生を探してください)。

「初心者でもわかる!!」的な安くて薄くて楽しそうな本で結構です(実際楽しい)。

難しい知識がわかりやすく書いてあります。

この時同時に北川本を読んでいれば、初心者本の「わかりやすいけど、誤解を招く表現」も察知できます。

また、教材は自分で選んで買って読む、がもっとも学習への忍耐力を持続させます。

本は自分で選び買い慣れてください。

無料で無制限だと人は読まないんです。

ちゃんと本が買えるというのも才能ですから、うまく本が買えない場合には、上手に勉強している誰かに1度相談してみると良いでしょう。本当に何事も素養が関わっています。

 

読み終わっても曲は作れない

これに気がついた人は立派です。

英語の教科書を読めても英語のコミュニケーションはできません。

外国人と話さない限り。

音楽的な会話は勉強を始めたらすぐに行っていいです。どんどん音楽について自分と同じタイプの人と話をしましょう。そうした会話で、どういうテンションで何を語るべきかが分かってきます。

あとはとにかくコードを一つ覚えたら、すぐに弾いて鼻歌でメロディを当ててみてください。

「音楽で一発当てたい・・・」

例えばこの言葉に節を乗せてCM7の上で歌ってみてください。

これができないとコードを二つ覚えても意味がありません。

これは知識というよりも、スキルです。持って生まれた能力です。

 

音楽の理論的世界は美のちゃんぽん状態

音楽表現作品に対して美しい、と感じる時、人の感性はフル稼働しています。

旋律の文脈が...

歌詞とメロディの感じが...

編曲が...

リズムが...

歌い方が...

声が...

混沌のノイズが...

抽象的な空虚感が...

数学的に...

幾何学的に...

自然にあるもののように...

非現実的に...

すごい人がすごいというから...

...美しいと。

これらはさまざまな人類が感じる美しさの基準のごった煮です。一つの音楽理論がその全てを解析することはできません。

だから「いい音楽」とはそう判断した人にとっての判断基準の中で良い、と位置付けられているにすぎません。

だから音楽理論の文章の中に自分が感じた美しさの根拠を探すことを目的にしない方が良いと思います。

また自分が感じた美しさを音楽理論の用語で説明しようとするのもお勧めしません。

「音楽理論は視野を狭くする」などと言われる所以が、美的根拠をチープに理論用語で代替作業を行う段階の人が常にいるためでしょう。

 

余談ですが、不定調性論もそこが課題でした。結局、自分がどういう人間かを知り、どこに美しさを感じる人間だからそれを美しいと思うか、を人生を通して知ればそれが一番良い、と現状は感じています。

 

 

音楽理論研究に興味が出た場合

もし音楽理論そのものに興味を持って独自論を作りたければ、大学に行って音楽研究の博士号を取った上で、独自論を展開する道を選択することを勧めます(私もすごく勧められた)。

もし私のように在野で公表していると、しばらく(二十年ぐらい)全く相手にされません。知ってもらうために人生を懸けることになります(私はそれが向いていました)。

世間では音楽理論を知っている人の方が少ないです。ましてやそれを応用した独自論など誰もわかりません。

 

 

自分に活かせるものは何か、考える

カーブ、スライダー、フォーク、ナックル、スローボール、チェンジアップ、あらゆる球種をあなたは今覚え、投げられるようになりました。

でも実践で通用するのは、あなたの体に向いた球種、あなたの性格に向いてる球種、握力がなくなってきたときでも自由に変化させられる球種です。それは投げ続けて、トライしてみて、失敗してみて初めて分かります。

あなただけのカーブを投げられるようにして、かつ最強の武器にしてください。

 

音楽理論など意味がない!自分のやり方でやる

というあなた。あなたは今、独自論を作ろうとしています。

大抵はしっかり勉強しないで独自論に入り始めると、やり方が雑になるだけで一般論の中に、先人の遺産の中にもっと良いやり方があるのに気付いていません。

音楽異論はあなたに残された遺産なんですから先人の遺産を受け取ってください。

学校の授業を二、三回出てつまらなかったからといって音楽理論の学習をやめるのは、あなたに相続権がある莫大な遺産を手続きが面倒だから、と拒否するようなものです。

 

以下は「音楽の疑問」です。随時ブラッシュアップします。

 

Q.なぜ音楽理論要る・要らない論争が起きるのでしょう。

A.音楽理論的知識は必要ですが全てを学び切ることは困難です。適度に要るけど、何より全てを学びきれない、という事実があります。

現実はリファレンスに合わせて曲を作るスキルがあれば仕事自体はできます。

学んだ喜びのついでに理論必要論を説き、それでバカにされると不要論を説いたりするものです。承認欲求と劣等感に溢れているのでしょう。

 

Q.音楽理論知らなくても曲は作れるのですか?

A.リファレンスを聞いて忠実に再現/展開、独創性をいつどこに入れればわかるタイプの能力を持つ人がいます。彼らは能力ゆえに、見出され、多忙になり、勉強する暇がなく、締め切りに追われ、理論より技能をさらに磨き上げ実績が積まれてゆきます。

そういう再現創造能力の高い人は理論知識がなくても作れます。

 

Q.なぜ音楽理論を学びたい、と思うのでしょう?

A.自分は、先人の技を学びたい、伝統を引き継ぎたい、人が良いというものを身につけて自分も良いと言われたい、インテリになりたい..とか欲にまみれて学びはじめました。「学ばないと相手にされなそう」という恐怖もありました。

憧れや欲望が強い人ほど、それが武器になるのではないか、と思い込んで、学ぶ必要性を感じてしまうのではないでしょうか。戦場において、ナイフだけ持っていれば十分かもしれませんが、銃の扱いや戦闘術などを身につけるといいよ?と言われ実際にそういう人を見てしまうと、学びたい、というより、それがあれば自分も・・・ムラムラと来ます。音楽にとっての音楽理論もそういう側面を感じます。

 

Q.音楽についてうるさくいう人をギャフンと言わせたいです。

A.もしその人が「多くの人が」とか「という人のほとんどが」みたいな構文を使って、何らかの事項をマジョリティの支持を仮想して証明しようとするのを見かけたら、「あ、詰めが甘い人だな」って思ってください。

データがあれば別ですが。

研究を少しでも齧ったら、データのないことは言いません。

 

Q.なぜ音楽の先生は妙な人格否定をするんですか?

A.笑そんな先生ばかりではないとは思います。

生徒に対する悪しき態度は先生自身の未熟さの露呈だと思います。そういう人間にはこちらも卑屈にならず、堂々と批判したらいいと思います。

また二人以上に同じ指摘をされるならあなたの側にも問題があると思います。

 

Q.○○という曲の魅力を音楽理論的を理解したくて音楽を勉強しようと思うのですが、そういう動機で良いでしょうか?

A.良いと思いますし、同時に浅いとも思います。

音楽理論を学んで楽曲構造の魅力を探すのは個人の自由ですが、それは"お袋の味"の美味しさの根拠となる何らかの物質を特定しようとしている行為に感じます。

正体は鍋の雑菌かもしれません。

音楽に魅力を感じるのは、あなた自身の人間的能力です。

花を美しいと思うか思わないか、みたいな。おふくろの味の良さには偏見や先入観、贔屓、過大評価なども入っていますから、それを万人に良いと思わせるのは不可の杖巣。彼らには彼らのお袋の味があるからです。ここが拙論で用いる心象であり、音楽的なクオリアです。

なんでもかんでも音楽理論で考えるのは、浅すぎると思います。

 

Q.作曲に必要な音楽理論てどこまでですか?

A.私は「作曲は最初にできるかできないか」で考えています。鼻歌からなんとなく覚えたコードを当てて曲ができてしまう人が学ぶのが音楽理論というツールです。

オリンピックに出たいなら、人体の構造は結構詳しく知る必要があると思います。

音楽理論は作曲するためのツール、というより、作曲できる人が

絶壁を登る(作曲できる人)人が岸壁で一夜を明かすためのビバークテント(音楽理論)というイメージです。

 

Q.音楽理論て和音の構成や連結についての話が多くないですか?メロディやリズムももう少し理論化してもいいのでは?

A.結果論ですが、時代によって変化が如実で、話としてまとめ目安かったのが和音的な現象だったのだと思います。

また、そうした厳密化によって、それ以外(メロディ、ジャンル、リズム)が組み合わせの妙となり、そこが唯一自分らしさを作る場所であったため、自然と理論化されない存在として解放していたのではないでしょうか。

ただ、私もグルーヴの掴み方とか、ビ・バップの旋律論、ヴィブラートの出し方とか、そういったことが方法論として和こえ同様に明確に確立されていると楽だなぁ、とこれまで感じたことはありますが、詰めれば詰めるほど、そこが個性の発揮される明文化できない特殊性として放置すべきかも、といつも思い直します。

 

 

Q.音楽理論を勉強して理論に縛られる/個性失うってことありますか?

A.日本語を学んだり、算数を学んだら、個性を失いますか?

理論的思考で助けられ、一時期どっぷりハマりました。皆さん"時期"があります。

ハマってる人がハマってない人にイキっているんだと思います。みんな通る道です。

無視しても影響はほとんどありません。それぞれが自分のペースで、自分の道を極めていけば良い世界なので。

縛られるという意味では、メディアに、プロデューサーに、事務所に、お客さんに、世間に、時代に縛られることの方が多いと思います。

縛られても破って噛みちぎって前に進むしかないのです。

 

Q.全く音楽がわからないのですが、あるコードから次にいくのにどれを選択するか、をどう決めればいいんですか?

A.選択肢を並べ、それらを聴き比べ、自分の「音楽的なクオリア」に従います。ただこの質問が出るタイプの人に音楽表現の追求は難しいと思います。

音楽表現が強迫観念のようにポンポン頭に浮かんでくる人が「音楽家」です。彼らは頭の中に音が響いているので"どう決めればいいか"なんて根本的なところで迷う必要がありません。
そういう才人たちが「もっと新しいことを..」と色々試した歴史が音楽理論です。

我々はそれらを学んでさまざまな選択肢を身につけ、そこから選べばいいんですが、現代は選択肢自体が膨大になってしまいました。

17世紀なら、禁則破るか、守るかで手に汗を握りましたが現代では「どんな表現もどこかの時代、文化、価値観の上では正解」です。

そんな時頼りになるのが「自分がどれを選びたいとその時直感したか=音楽的なクオリア」という自己判断行動と向き合い続けそれを適切に掴む経験を重ねることです。

 

Q.感性が大事って何ですか?理論を学ぶと感性が鈍るんですか?

A.「感性が大事」は「独自論が大事」の意味と捉えます。

感性は音楽家本人の直感、思想、嗜好ではないでしょうか。

伝統や格式、規律に入れ込みすぎて、元々本人が持っていた人間味を見失うな、という戒めのような意味で「感性は大事」と表現するのではないでしょうか?

あとは、しのごの言わず、万策尽くして克服できるまで追求せよ、としか言いようがありません。"練習きついから辞める"では、どんな分野でも上達はないと思います。

感性が鈍る、は挫折宣言です。負けずにその先に進まないと。

 

Q.なぜ音楽理論はわかりづらい概念で作られているのですか?もっと分かりやすい教え方たくさんあると思うのですが。

A.わかりづらい、わかりやすいは個人その人の感性で断じているだけでしょう。

もしガチでそう思うなら自ら学問体系を作って作品で成果を示せば良いと思います。

 

Q.ダサい曲、つまらない曲、嫌いな曲はこの世から消えて無くなってもいいと思うんですが。

A.選民思想ですね。それらの曲は「こういうのは作りたくない」「こっちの解釈はしたくない」「自分がやるならここはこうしたい」という全てがあなたを向上させるヒントになっています。思わぬ気づき、思わぬ価値が生まれることもあります。あなたが批判したくなる曲は「あなたが自分の考え方、音楽性を顧みるためのヒントとなる曲」出会って、非難する必要は皆無ではないでしょうか。

主張して自分の正当性を認めさせようとする承認欲求があるうちは青いです。それなら誰も気が付かない良さや価値を見つけてあげてもいいと思うんです。

 

Q.なぜメジャーコードっていい感じに聞こえるのですか?

A.特定の文化圏における刷り込まれた価値観であると思います。

人の耳と脳が倍音構造を基本に空気の振動を捉えることも関係しているでしょう。

メジャーコードは自然倍音構造に寄せて作られた和音です。そこから健全さを感じるとした文化圏においてメジャーコードが使われた楽曲に対する記憶や感情の記録がミックスされて安全さ、心地よさ聞き、馴染みやすさを感じ取るのではないでしょうか。

あなたが音楽家なら、その根拠を科学に求めるのではなく、自分の美しいを作品にして発表してください。それが後世の新しい「いい感じ」となって継承されるのですから。

 

Q.人も文化もそれぞれ価値観と美意識は違う、という意見のようですが、ペンタトニックスケール的な音はさまざまな文化が使っています。何らかの共通した美的根拠があるのではないですか?

A.人類は共通した肉体構造(聴覚構造)は持っていますが、文化的背景/気候/木材の違いから、ピッチやリズム、微細な表現が変化します。少なくとも全く同じ周波数ではないはず。それを「同じ」と括るのはあなたの解釈の解像度です。

 

Q.なぜジャズ愛好家ってお高くとまってるんです?

A.そんなことないと思いますが笑、中には知らない・わからないと指摘されたくなくて、棘を立ててしまう場合もあるでしょう。

独自論じゃなくて、自分の方法こそ世界の理論の中心となるべきだ、と思ってしまうとキツイ態度になるでしょうね。自己防衛のために。

 

Q.不定調性は調の流れを軽んじることで音楽の流れの重要な要素である緊張と弛緩を無視してしまっているから、音楽が渋滞し、ダイナミズムのない音楽になるのではないでしょうか?

A.調的システムは無視しますが、人の心象の中に生まれる緊張と弛緩まで無視しているわけではありません。緊張は人それぞれです。機能和声が提示する緊張はドミナントに特化しています。しかしC△-Caug-C△でもC△-Cm-C△でも緊張感はあります。

それを生んでいるのは和音ではなく人の心です。

自身の緊張と弛緩の流れを感じ表現するためには、自身の感覚で音楽を紡ぐ習慣を重ねるしかありません。私にはそれが不定調性という概念なんです。

 

Q.音楽理論ガチガチの曲ってダサくないですか?

A.ダサい、と思いすぎなくてもよいと感じます。誰でもそういう作品を作る時期がありますし、自己嫌悪に陥る時期があるものです。そう感じる時期、そう指摘される時期を頑張って乗り越えてください。

未熟だけどもうこういう風にすればもっと良くなる、と指導してくれる人と一緒に頑張ってください。ただ 煽るだけの煽り運転の人とは何かを教えられたとしても関わり合わないようにしてください。彼らは自分を理解して欲しいだけです。

 

 

Q.音楽はどう理解できるようになったら、わかった、と言えるのでしょうか。

A.理解する、というより、ただあなた個人がそれを感じ続ければ良いと思います。

理解は移ろいやすいです。終わることはなく、ずっと理解を更新し続けます。

つまらないと感じたら、現状のあなたの理解は「つまらない」で良いと思います。

例えば、夕日がオレンジではなくて、真っ青だったら、最初恐れや不安、驚きを感じると思います。しかし二日連続で見ると、もう慣れてしまいます。理解出来ない不安は慣れで解消されることもあります。

 

Q.不定調性論を作ったメリットディメリットを教えってください。

A.社会的メリット/ディメリット、個人的メリット/ディメリットで分けてお答えします。

社会的なメリットは、相手の希望に100%応えようと思え得る人間になったことでおす。それまでは少しでも自分の意見を通そう、とか、自分のセンスを入れ込もう、とか思うことしか頭になかったように思います。

社会的犠牲になることも苦ではなくなりました。好きなことは自分の音楽でやればいいと割り切れたからです。

社会的ディメリットは出世欲がなくなったことでしょうか。もともとなかったのですが、拙論の完成がそれを加速させました。周囲には落胆や幻滅を感じさせて申し訳なく感じることもあります。

個人的メリットは、音楽制作で本当に自由になれたことです。能力以上に自由に作れる、と感じます。

個人的なディメリットは多分感じたことがありません。

それを感じたら独自論だから修正できますので。

総じて良し悪しではなく「自分らしくなった」ことを強く感じます。

 

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大々べテラン、ヤマハの講師でもある北川先生のプロフィールHPはこちら。

遠い昔、日吉のヤマハ音楽院時代の夏期講座で北川先生に音楽理論を直接学びました。

とにかく丁寧なレッスンだったのを今でも覚えています。こうやって論理的に勉強する方法もあるのだなと初めて気づかされました。

その節はありがとうございました。

www.terrax.site

ポピュラー音楽理論 改訂版 北川祐 編著