2019.7.18⇨2020.9.5更新
- 音楽理論の要不要
- 理論書理解のコツ
- 本記事での参考書
- コードスケールって必要??
- 読み終わっても曲は作れない
- 音楽の理論的世界は美のちゃんぽん状態
- 音楽理論研究に興味が出た場合
- 難解な音楽理論学習に注意
- 自分に活かせるものは何か、考える
- 音楽理論など意味がない!自分のやり方でやる
- Q.なぜ音楽を学ぶのですか?
- Q.同じ音程って何で0度じゃなく一度なんですか?ゼロの概念がなかったからですか?
- Q.どんな体感で学び続ければいいのでしょう。
- Q.なぜ音楽理論要る・要らない論争が起きるのでしょう。
- Q.音楽理論にうるさい人、音楽理論をガンガン教えてる人が実際の音楽表現になるとあんまりいいと思わないのはなぜでしょうか?
- Q.音楽理論を知らなくても曲は作れるのですか?
- Q.コード進行って何ですか?
- Q.正しい音楽理論、て何ですか?
- Q.SNS上で強烈に批判されたんですが、事実なのですごく悔しいです。事実なら不躾に指摘してもいいのですか?
- Q.第一線で活躍する人がSNS上の一般の人の演奏をとやかくいうのって余計なお世話ではないですか?
- Q.なぜ音楽の先生は妙な人格否定をするんですか?
- Q.クラシック音楽って敷居が高くて怖いです。
- Q.クラシック音楽って感性で聴いてはダメなの?
- Q.最近の音楽に魅力がなくなったのはなぜですか?音質ですか?
- Q.○○という曲の魅力を音楽理論的を理解したくて音楽を勉強しようと思うのですが、そういう動機で良いでしょうか?
- Q.作曲に必要な音楽理論てどこまでですか?
- Q.音楽理論て和音の構成や連結についての話が多くないですか?メロディやリズムももう少し理論化してもいいのでは?
- Q.音楽理論を勉強して理論に縛られる/個性失うってことありますか?
- Q.全く音楽がわからないのですが、あるコードから次にいくのにどれを選択するか、をどう決めればいいんですか?
- Q.感性が大事って何ですか?理論を学ぶと感性が鈍るんですか?
- Q.なぜ音楽理論はわかりづらい概念で作られているのですか?もっと分かりやすい教え方たくさんあると思うのですが。
- Q.ダサい曲、つまらない曲、嫌いな曲はこの世から消えて無くなってもいいと思うんですが。
- Q.悪い音楽(理論)、良い音楽(理)論てあります?
- Q.なぜメジャーコードっていい感じに聞こえるのですか?
- Q.人も文化もそれぞれ価値観と美意識は違う、という意見のようですが、ペンタトニックスケール的な音はさまざまな文化が使っています。何らかの共通した美的根拠があるのではないですか?
- Q.なぜジャズ愛好家ってお高くとまってるんです?
- Q.不定調性は調の流れを軽んじることで音楽の流れの重要な要素である緊張と弛緩を無視してしまっているから、音楽が渋滞し、ダイナミズムのない音楽になるのではないでしょうか?
- Q.音楽理論ガチガチの曲ってダサくないですか?
- Q.音楽はどう理解できるようになったら、わかった、と言えるのでしょうか。
- Q.音楽理論て「理論」て言えます?
- Q.不定調性論を作ったメリットディメリットを教えてください。
音楽理論の要不要
あなたが敬愛する作品を真似て、自分で作り直して展開し、自分の作品で応用できるのであれば音楽理論は不要です。先人の作品を上手に消化、展開できて、友達がみんな「ええ曲やん」と言うなら、それは盗作ではありません。それで活動できるなら、音楽理論自体は要りませんね。
音楽理論の要不要の話題を出す生徒のタイプに承認欲求の強いタイプがいます。話題に重要性があるのではなく、俺/私の話聞いて!が重要な感じ。
現実問題として、バークリーシステムが自分の音楽学習感覚に合わないという人はいるかと思います。あまりに論理的なコードスケール理論がレバーの苦味のように、どうも口に合わないという人はいると思います。
バークリーとは違うやり方でも楽曲ができ、ちゃんと支持される独自の音楽ができるなら今すぐ勉強しなければならない、ということはないでしょう。
ただ人間考えは変わっていくので、明日は果たしてどう思っているかはわかりません。
この話題の大きな括りになる概念は、ソシュールが「ラング」と「パロール」という話でずっと前に説明しています。お調べください。
中高生(日本で一番クリエイティブな人たちですが)は、国語の成績は悪くても、どんどん世界に新しい日本語を作っていきます。彼らの豊富な日常会話が「パロール」にあたります。そして彼らが学ぶ国語の授業が「ラング」です。
音楽に置き換えると、音楽理論がラング、実際の作品がパロールです。
変な日本語であったとしても友達と毎日楽しく会話はできます。いわば音楽理論がいらない状態です。感覚で作って、ギターをかきむしって、メッセージを伝える行為は素養と自信が揃えばできます。
やがてギター一本で歌うのに満足できなくなり、ホーンセクションを加えようと思ったら、美しいストリングスを入れようと思ったら、誰かと共有できる価値の中で自分の価値を認めてもらおうと思ったら、いよいよ伝統と格式、楽器の知識、音域、演奏方法、年代ごとの流行の歴史がわからないと人々がかっこいいね!って思うホーンの、ストリングスのアレンジになりません。音楽理論(音楽史を含む)であるラングの出番です。優れた音楽活動は、この二つの概念が組み合わさって次元が上がり、豊かに、文化的に価値のあるものになっていきます。それを知らないと、頑張っていいのが作れたけど、50年も前にファンクの分野で廃れたスタイルで、今やるとカッコ悪い、みたいなものが仕上がり、それを指摘されて修正しているうちにテンションが下がり、仕舞いにはぐだぐだになり「音楽理論うぜー」になります。あなたがサボっていただけです。
いざという時の仕事をスマートに完結させるためにも日々の勉強は欠かせないんです。
また、オリンピック出たこともないのに、俺は金メダルだ、って言っても社会は承認しません。社会での価値は、社会が定めたルールや様式を根拠に決定していかないと統制が取れないからです(社会的価値と個人的価値)。
「音楽理論(歴史/思想/汎用術)がいらない」と思っているうちはそれでもいいです。これは「今の俺にはいらない」だけで、誰もが一生要らないはずだ、とまで思う必要はないでしょう。
また、人との出会いによっても考え方は変わっていくと思います。
考えが昨日と変わったら「やっぱ要るわ」「やっぱ要らんわ」を行き来しながら自分がどういう音楽活動ができるタイプなのか自分の立ち位置が世界から見てどんな位置になるのか、それに応じてその都度考えてください。あと暇じゃないとこの話題に固執する時間がもったいないです。
理論書理解のコツ
音楽理論独習のコツは「全部を理解しようとしない」です。
「あとで学ぶ時のために何がどこに書いてあるかチェックしておく」ぐらいでOKです。
独特の思想的クセ(宗教的概念/何となくの感覚的概念/やたらそこだけ数学的な概念/昔はそうだったことを今も引き継いでる的慣習)があります。
気持ちに余裕がないとそのクセがウザく感じたりします。飛車は斜めにも動けよクソが!と思う人は理論学習向いてません。
音楽理論書は辞書みたいなものです。その全ての知識/技法を覚えようとする行為自体が現実的ではありません。
本を読む時、わからない言葉だけを辞書で調べれば、現状のあなたなりに本は理解できます。その積み重ねが面倒なのは学んでも学ばなくても同じです。
毎日コツコツできる人は理論学習に向いています。
コツコツやれない人は不定調性論的思考で感性を研ぎ澄ませて活用する方法論を自分で創作するほうがいいでしょう。
理論書でわからないところ、興味が持てないところは飛ばしてOKです。何が書いてあるかのメモ紙を挟んでおいてください。後々わかります。
現代の音楽理論の学習体系は順序立てられていません。「セカンダリードミナント」なんて用語、レッスン以外で使ったことがありません。最初のほうに出て来るから大事だと思ってしまいます。音楽をやっていくうちに自然と使えるようになります。
また、「理論学習+オリジナル曲制作」はセットです。
そばの打ち方を去年から本で学んではいるが一切実践はしてない、ってどうなのでしょう。
そこで対応策として、最初は学んだ理論/知識(ラング)を無視してどんどん並行して自分が日頃から聴いている曲を参考に自由作曲をやってみてください(パロール)。
鼻歌でつまらない曲を作るでもOKです。
勉強は勉強、作曲は作曲と分けて同時に進めてOKです。
感覚的な判断に優れた方は、このほうがやりやすいでしょう。二つのリンクはある日突然やってきます。二つの方向から掘り進めたトンネルがある日、急に繋がるような感じです。一方からだけでは時間がかかります。そういうことを昔の哲学者は教えてくれるので、文系理系満遍なく勉強してください。
やがて「あれ?これがセカンダリードミナントじゃね?」「これがクリシェじゃね?」「これは便利だ!使える!」って気がつきます。
順番にこだわらずピンと来たことから進めてください。
勉強ばかりして曲作ってない、が最悪です笑。多分作曲向いていません。
ポピュラー音楽理論の土台をマスターできたと実感できるのは、楽譜が読めて、完璧に書けたときです。
まず「読めるようにして」次に「書けるようにします」。
学習には自分が読めると思える雰囲気で書かれている本格的な音楽理論書を1冊お選びください。勉強できるならインターネットサイトなどでも構いません。ただネットの猛者でなければ三冊くらいは紙の書物で持っていても良いように思います。人類は長い期間紙の本で学習してきました。紙にメモする、というのは人間の脳と非常に相性のいい行為だからです。
現代のネット教材への移行は、これからの脳の次の進化の入り口なのかもしれませんね。
しかし興味がなければ楽譜のところは飛ばしてください(でも明日、賢明なあなたはもう一度開くでしょう、それが二週間続くとあなたは楽譜が読めるようになっています)。必ずよく知っている曲の楽譜を最初に読んでください。
我々の時代はバンドスコアでした。なんであのメロディがこう書かれているのか、を音楽理論書を見ながら一つ一つ記号を覚えるしかなかったんです。
近代的音楽は基本楽譜によって作られてきました。だから音楽構造の謎を知るには楽譜の理屈を知っているのが一番得策なのです。
ただ、現在のようにDTMで音楽を作るという時代には、今度はDTMの知識も必要になってきますので、音楽家は50年前より大変になっています。
勉強→自由に制作→勉強のサイクルを作ってください。やがて勉強と制作が合致しはじめます。
本来は、スティービー・ワンダーのように、"全米No.1曲を世に出してから勉強に目覚め音楽大学に行って勉強した"、ぐらい専門的な包括的学習は後回しでも良いと思います。
音楽理論は何百年もかけて人が作り上げてきた学問です。一人の人間の一生ごときで学べるはずがありません。
本記事での参考書
今回は北川祐著「ポピュラー音楽理論」を参考にしながら、一回さらっと読むぞ!って決めた場合を想定して書いてます。
(アドリブまでやらない人は後半はまずは読まなくても良いです。)
北川先生は実際私自身が講義を受けた(数回だけですが)先生の中で最もフラットに音楽を捉えることのできる先生だと感じたので、ここでご紹介しています。
初心者でこの書を手に取ってしまった方はもう一冊欲しくなるでしょう。
同著のような専門本を読み続けても実践にピンとはこないかもしれません。
そこでもう一、二冊だけネットショップや楽器屋さんで必ず自分で選んでみましょう(5冊までは失敗OK、もしいくら本を読んでも勉強が進まないならあなたは独学に向いていません、近所の音楽の先生を探してください)。
「初心者でもわかる!!」的な安くて薄くて楽しそうな本で結構です(実際楽しい)。
難しい知識がわかりやすく書いてあります。作曲したいなら作曲に特化した本。ギター弾くなら、ギターで作曲する!的な本、ピアノならすぐにコード進行が弾けて楽しく音楽ふに触れられる本、とかでいいです。十分です。
この時同時に北川本を読んでいれば、初心者本の「わかりやすいけど、誤解を招く表現」「薄い内容の奥に潜む沼」も察知できます。
また、教材は自分で選んで買って読む、は私には一番学習への忍耐力を持続させました。性格でしょう。人に選んでもらった方が頑張れる人はそうしてください。
ちゃんと本が買える、というのも才能だな、と感じます。
うまく買えない場合は、上手に勉強している誰かに相談してみてください。
何事にも素養が関わっています。
コードスケールって必要??
もしあなたがジャズ・フュージョン寄りのアドリブを求められる音楽性に向かっているならスケールは便利なので理解いただきたいです。
コードスケールの知識は、ジャズ理論/分析を学ぶための助けにはなりますが、アドリブフレーズを作る助けにはほぼなりません。
スケールの知識はただの外郭に過ぎません。
例えばギターであればスケールより、ポジション構造を全部覚えることのほうが重要です。
それ以外の人は、この北川本Part3は年末とか、お盆とかの休みの夜長などにじっくり読んみましょう。
楽器がある程度弾けるようになって、ちょっと余裕ができきた頃理論を学び始めるとすんなり入ったり。
読み終わっても曲は作れない
これに気がついた人は立派です。
英語の教科書を読めても英語のコミュニケーションはできません。
外国人と話さない限り。
音楽的な会話は勉強を始めたらすぐに行っていいです。どんどん音楽について自分と同じタイプの人と話をしましょう。そうした会話で、どういうテンションで何を語るべきかが分かってきます。
あとはとにかくコードを一つ覚えたら、すぐに弾いて鼻歌でメロディを当ててみてください。
「音楽で一発当てたい・・・」
例えばこの言葉に節を乗せてCM7の上で歌ってみてください。
これができないとコードを二つ覚えても意味がありません。
これは知識というよりも、スキルです。持って生まれた能力です。
どんな知識も、ガチなスキルにしたいなら、まずあなたが持って生まれた能力を拡張展開させるために勉強する分野を決めてください。
音楽の理論的世界は美のちゃんぽん状態
音楽表現作品に対して美しい、と感じる時、人の感性はフル稼働しています。
旋律の文脈が...
歌詞とメロディの感じが...
編曲が...
リズムが...
歌い方が...
声質が...
混沌のノイズが...
抽象的な空虚感が...
数学的に...
幾何学的に...
自然にあるもののように...
非現実的に...
すごい人がすごいというから...
...美しいと。
これらはさまざまな人類が感じる美しさの基準のごった煮です。一つの音楽理論がその全てを解析することはできません。
だから「いい音楽」とはそう判断した人にとっての判断基準の中で良い、と位置付けられているにすぎません。
だから音楽理論の文章の中に自分が感じた美しさの根拠を探すことを目的にしない方が良いと思います。
また自分が感じた美しさを音楽理論の用語で説明しようとするのもお勧めしません。
「音楽理論は視野を狭くする」などと言われる所以が、美的根拠をチープに理論用語で代替作業を行う段階の人が常にいるためでしょう。
余談ですが、不定調性論もそこが課題でした。結局、自分がどういう人間かを知り、どこに美しさを感じる人間だからそれを美しいと思ってしまうのか、を人生を通して知ればそれが一番良い、と現状は感じています。
音楽理論研究に興味が出た場合
これは学校的成功の延長、禁欲的で、自分の感情と一旦距離を置いて、楽曲の構造について分析してそれを知ることが、音楽の感動に代替されてしまうタイプの人です。
こう言うのを「美的性向」と言うらしいです(「ディスタンクシオン」より)。
普通なら、涙目でわーぁあああと感動する音楽の表情に、感情的距離を置いてしまうタイプ。
みんなでカラオケに行った時、皆が手拍子と合いの手で盛り上がっているのにエコーの具合や、画面の角度、照明の位置、立ち位置とか気にしてしまう人。
飲み会で幹事得意な人(みんな酔って油断して話してる時に酔ってない俺偉い的な)。ホームパーティでの料理買い出し担当。みんなで旅行行く時の計画立てる人。ジャズを聞いた時、フィーリング無視してコード進行分析しちゃう人。
こういう人は、、またその人に合った生き方があるものですが、「誰かがエコー調節しなきゃあかんだろ」「お前らがやらないから俺がやるんだよ」みたいな空気出さんといてください。逆効果です笑、ホントは盛り上がるの恥ずかしいだけやろ、共感できないされない奴やん。
その上で、もし音楽理論そのものに興味を持って独自論を作りたければ、大学に行って音楽研究の博士号を取った上で、独自論を展開すると良いかもしれません(私もすごく勧められた)。
もし私のように在野で公表していると、しばらく(二十年ぐらい)全く相手にされません。知ってもらうために人生を懸けることになります(私はそれが向いていました=盛り上がるの恥ずかしいタイプ)。
世間では音楽理論を知っている人の方が少ないです。ましてやそれを応用した独自論など誰もわかりません。でもそれが楽しいと思う人がいても一人でシコシコやってる分には何ら問題は起きません。
難解な音楽理論学習に注意
まず隅々までジャズ理論を勉強を研究してみてください。その上でさらに難しい現代音楽理論も勉強しようと思うのであれば、それでも結構なのですが、その段階でほとんどそれを話し合える相手はいませんし、それを興味を持って行い続けられる方はほとんどいません。 実際の音楽にほとんど使わないからです(現代音楽的表現が1番自然であると感じる人は別)。
難しい音楽理論を使難しい音楽理論を使って作る音楽は、適当に音を並べて弾いた音楽とあまり変わりません。それを解釈する時に音楽的なクオリアが働きやすくなると言うだけです。
しかも本当にそこに行きたいと思うかどうかは数十年やってみないとわからない世界ですから、そういう実在を把握した上で趣味的に取り組む程度にした上でオタク産業として楽しむ分には気楽で良いと思います。
また、本来の音楽は、たとえどんなに難解な音楽でも、そのような難しい理論を使わなくても、99.999%は楽しめると、二十年ぐらいしてから自覚されることと思います。
自分に活かせるものは何か、考える
カーブ、スライダー、フォーク、ナックル、スローボール、チェンジアップ、あらゆる球種をあなたは今覚え、投げられるようになりました。
でも実践で通用するのは、あなたの体に向いた球種、あなたの性格に向いてる球種、握力がなくなってきたときでも自由に変化させられる球種です。それは投げ続けて、トライしてみて、失敗してみて初めて分かります。
あなただけのカーブを投げられるようにして、かつ最強の武器にしてください。
音楽理論など意味がない!自分のやり方でやる
というあなた。あなたは今、独自論を作ろうとしています。まずそれを自覚しましょう。独自論は人に理解してもらえません。あなたは人に理解してもらえないことで人に理解してもらおうと思っているのです。それが矛盾であるにもかかわらず、それに頑張れちゃう自分の変態さを正直に認め、分をわきまえてください。少なくとも社会にそういう人がいるとウザいだけなので、一生批判されることを覚悟することが最初にやることです。
大抵はしっかり勉強しないで独自論に入り始めると、やり方が雑になるだけで一般論の中に、先人の遺産の中にもっと良いやり方があるのに気付いていません。あなたがやろうとしている事は既に誰か必ずやっています。それよりも、
何より音楽理論はあなたに残された遺産なのですから、遠慮なく先人の遺産を受け取ってください。
学校の授業を二、三回出てつまらなかったからといって音楽理論の学習をやめるのは、あなたに相続権がある莫大な遺産を手続きが面倒だから、と拒否するようなものです。
その先に行き着くところがなくなって、独自論でやる!という最期の選択肢が残されただけです。
以下は「音楽の疑問」です。
Q.なぜ音楽を学ぶのですか?
A.自律的に共感して感覚的に選択できる自覚を極めるためです。音楽的素養のある人は自分が何に共感するか、何に共鳴するかを具体的に察知する能力をなんとなく自覚します。後は勉強を続け、その感覚を知識によって補ってゆきます。その感覚を極めると音楽表現も豊かになります。
またその訓練は人生の決断や、健康を維持するためにも活用できます。
音楽(愛好)家は音楽を通して全てを学べるので、そこに辿り着くために音楽を学び、自らを律してゆきます。
学校で学ぶのも「社会が認めた先人の独自論」です。勉強というより、"現代に生きる死者(先人)"との対話を続けることになります。
学ぶ目的を独自論の畑を豊かな土壌にするため、としてみてください。
やがて自分たちも死者になり、後世があなたと会話し続けるでしょう。
Q.同じ音程って何で0度じゃなく一度なんですか?ゼロの概念がなかったからですか?
ゼロは紀元前にはバビロニア数学で用いられていたので、存在はしていましたが音程の基礎を考えたピタゴラスやボエティウスは0という概念を用いなかったようです。なので6世紀の古代ギリシャには0の概念は用いられなかった、というのが適切でしょう。ピタゴラスも音程の基礎を考えましたが、一つの音に対して、2:3とか、1:5とか音程を考えたので、基準となる音程は1だったんですね。同じ高さの音は比率1として同列に捉える、という考え方が自然になりますね。
ここでの「1」は「ひとつの」「基準の」と考える時の意味の概念も含んでいると思います。
例えるなら、3階建ての建物の1階を0階と呼ばない感覚、に似ているかもしれません。
隣の4階建ての1階もこちらの3階建ても同じ1階、みたいな。地下も0階は無く、いきなり地下1階ですもんね。0の概念が必要ない状況ってそれなりにあります。
パルコの北館1階から南館の1階に通路を通って移動したとき、「0階の移動をした」というようには考えないでしょ?考える必要はないですね、2階から正面出口に降りる時、1階下に降りてるけど、本当は地上に降りるのだから2階降りているはずだ、的にも考えないと思います。
音程の1を数詞ではなく、「考える習慣で癖づいたの感覚」みたいなことで「同じ比率1の音程」等と上手に理解してみてはどうでしょうか。数学的と言うよりも、習慣的な用語の展開利用です。方言によって単語のアクセントは変わりますが、どちらが正しいかなどと考えても始まりません。音楽では、同じ音程の高さを1度と考えて話を進めるといろいろ楽なのです。
もちろん同じ音を0度、半音を1度にしてもいいと思いますし、ピッチクラスセット理論などはそうした体系で12音技法の音楽などの解説を容易にしています。しかしあまり浸透していません。人が使いやすさよりも慣れ親しんだ概念で考えることをよしとする例だと思います。
この時、例えばドレミファソラシドの最初のドは0になります。これはこれで計算しやすいので、どうしても0体系でやりたければ、独自論的に音程関係を呼称していっても良いと思います。
しかし西洋理論に則って音楽を行うとき、cに対してc#=増一度、d♭を短二度、と呼ぶ習慣があります。楽譜に表記するときこれを分ける状況が起きます。これが便利です。毎日楽譜を読む習慣がないと、これらの書き分けの利便性に触れる機会もないと思います。またそういう時は音程を数では考えませんから、音程の数字が実際の問題になる機会自体が皆無なんですね。
Q.どんな体感で学び続ければいいのでしょう。
A.「彼を知り己を知れば百戦して殆からずby孫子」です。
音楽理論を知ることは、他の作品の分析に優れることです。
そして自らの感性を研ぎ澄まし信じ、その結果を日頃から自己分析する。その両方がしっかりできていればどんな作品への仕事が来てもあやういことはない、と解釈できませんか?これは故事ですから万事に該当するはずです。感覚と知性二つとも求めていく体感は重要だと感じます。
合わせて「学ぶ才能」と「学び方の発見」が必要です。学ぶ才能とは、探究をし続ける能力です。「学び方の発見」は自分にとって教え方が上手い人、自分に合う学び方、ノウハウ、メンターとの出逢いを見極め求められる能力です。
教える人の才能や実績、学びの形態の是非は関係ありません。
それに出逢うと天啓のようにそれまでの学びの道が習得の道に入ります。
そこからがあなた独自の学びです。まず自分に合う学びの方法に出逢うまでの勉強が大変なので、そこまでは頑張ってもがき、習得の日々に入れることを祈っています。
Q.なぜ音楽理論要る・要らない論争が起きるのでしょう。
A.その質問設定自体は、劇場型二極化議論の煽りや暇つぶしマウント行為ではないですか?
実際に仕事となれば、釘を打つ必要がある時、金槌が必要だと思ったら使うし、なければ石を使うとか、釘使わなくて済む別な方法を考えたり、とにかくその都度その都度真剣に考えてこなすのみです。
その後で個人がどうすべきか改めて決めれば良いことです。考え方もその都度変わります。今結論を出しても明日変わるかもしれない、というのが厳しい現場での日々です。
また、実際には、相手が提案するリファレンスに合わせて曲を締切内に作るスキルがあれば理論を知る知らないに関わらず問題なく仕事はできます。
実際に仕事をしてみて、日々直面する問題を一つ一つ解決していくと、その人なりの答えを得るわけで、二極化を求めるゼロサム脅迫はある意味で「質問する力」ではあると思いますが、質問する力があるだけで、提起している問題を解決させる議論力や思考力がない提案者もおり、「煽るの上手いなぁ」とだけ思えば良いのではないでしょうか。
理論闘争グラフ

理論/感性の闘争は、座標上の論点が違うときに勃発します。
理論は社会的価値、感性は個人的価値です。



脳は楽でわかりやすいものを信じがちです。
哲学者でないなら、答えの出せる問題からどんどん回答を創り、それを元手に人生を前に進めてください。
Q.音楽理論にうるさい人、音楽理論をガンガン教えてる人が実際の音楽表現になるとあんまりいいと思わないのはなぜでしょうか?
A.人にもよりますが、どんな場面でも上から目線、押し付け、批判がましい人が「教える側」にいると、「やってみせよろ!」って言いたくなりますね。
また説明が上手な人、説明好きな人、教えるのが得意な人、言語化が得意な人が、どの分野でも言語化して説明し語る機会が増えるのだと思います。それゆえに聞く人に理解を求めてしまい、音楽表現自体は簡素化され、普段聞いている豪華な音楽に比べチープになることがあります。
この辺までは理解できるだろうから、後は頭の中で補って聞いてくれ、と言わんばかりのチープさです笑(お前の表現力がないだけなのに、人に想像を強要するな)。
音楽的文脈の表現能力と制作表現能力は全く別物なのでしょう。
普段たくさん教育活動で貢献しているのだから、音楽はチープでも多少は許してもらえるのではないか?という甘えすら感じる時があります笑。それゆえに、音楽の部分だけ聞き取られて聞かれたとき絶望的な状況が起きます。
音楽は感情的に聴いてしまうといくらでも良し悪し差別できます。素直にあなたが良いと思ったものを聞けばいいと思いますし、悪いと思ったものは悪いと考えるしかないと思います。
上から目線の人ほど人に依存し、自分を甘く見る傾向はないでしょうか。
他人の音楽表現に厳しく、自分の音楽表現に甘さが出るのも、そうした視覚傾向からくるものだと考えると、自分の音楽表現がなくなるのは必然かと思います。
Q.音楽理論を知らなくても曲は作れるのですか?
A.何でもいいなら数曲はできると思いますが、それだけで何十年も活躍しようと思えば、たとえばリファレンス曲を聞いて忠実に細部を聞き取って再現でき、そこから展開して、さらに独創性を混ぜ、自分の曲を作れちゃうタイプなのであれば、才能で生き残れる才能があると思います。
そういう再現/再創造能力の高い人は理論知識がなくてもカッコいい曲が毎日パッパと数曲できちゃいます。
たとえば、今から一時間以内に、今ヒットしている曲をパッともじって、自分の曲ができて、人に聞かせて「すごくいいじゃん」て言われたら可能性あります。
もし一時間経っても楽曲が発信できないなら、勉強して身につけた方が早いです。そしてその時点で、ヒットメーカーには勝てません。全くもって全然才能が追いつかないと思います。
そこで無能を嘆くよりもさっさと死ぬ覚悟で勉強した方がまだ追いかけらえると思いますし、自分(のみ)が生きられる道(独自論)が見つかると思います。
Q.コード進行って何ですか?
A.経験的に蓄積された、同一の雰囲気の塊が連鎖していく慣習・現象によって構成できる音楽パートを指します。その人が生まれて、その文化に深く接しながら体得していく「単語感」「文節感」の連鎖と言ってもいいでしょう。音楽的に歌詞の区切り、リズム、ベースフレーズの区切りで変化していく雰囲気の抑揚は音楽理解には欠かせません。
わたしはあさかれーをたべた
と書いても、日本人で、ある程度社会交流がある人ならどこかで区切り、意味を広い、内容の展開を拾い上げていくことができます。
そのような意味では個人の習った慣習に依存しているので、コード進行という宇宙的な意味や真理があるわけではない、または誰もが同じ概念で考えるわけではない、と思っておけば良いでしょう。
Q.正しい音楽理論、て何ですか?
A.絶妙に無学を感じるな表現ですよね。例えばその人がドイツで何百年も受け継がれている対位法を学んで、そこで和声とかも学んで、現代映画音楽などで活躍している作曲家に三年師事してあらゆる表現を学んだ、みたいなのがきっと「正しい音楽表現」とイメージもします。ただ結局は「その人が正しいと思う音楽理論」なのだと思います。正しい音楽理論を身につけた人だけが活躍する世界ではなく、「ある程度の正しさ」が必要なのは、世間の中に広く知れてる一般性とあまり相違しない価値観や知識や概念を教える状況において必要になると思います。四分音符を八分音符だ、と教えるて「これが世間一般で知られている事実だ」と発信すると誤りは指摘されやすいです。学ぶ側が二度手間になりますし、そのために払った教材費用の賠償問題にもなります。逆にコードの根音をルートと呼ぶ人がいて、「根音と呼ぶのが正しい」「ルートと呼ぶのがふさわしい」等はその学習分野や働くポジションで変わってきます。この場合の「正しさ」にはバリエーションがあります。それ故に何の臆面もなく「正しい音楽理論」の存在を振りかざすのは、やはり「その人が正しいと思う何らかの音楽理論」があるんだろうな、的に感じてしまうのです。
Q.SNS上で強烈に批判されたんですが、事実なのですごく悔しいです。事実なら不躾に指摘してもいいのですか?
A.SNSはSNSでしか輝けない人が、自分を輝かせる(Safeguarding tendency、価値低減傾向=優越コンプレックス)ために人を出汁にする場です。ネット上にいる人は実際には存在しません。彼らは「大衆」という背景の海から、顔だけを出して浮かび上がってきた大衆の亡霊です。実際に会ったらたいていはすごくいい人です。
その人自身が同じようなことで過去に誰かから侮辱を受けたことで火がつきます。
あなたが提示した意見、態度、行為にその人がコンプレックスを感じる部分があったのでしょう。
そもそも相手にその拙さを伝えるには、それを糧とするように伝えるのが一番です
「文は拙を以て進み、道は拙を以て成る」
です。自分が許せないポイントに遭遇すると無意が理解できない、中空など絶対に認めない病名のない病です。反応性アタッチメント障害 (Reactive Attachment Disorder)
境界性パーソナリティ障害 (Borderline Personality Disorder)自己愛性パーソナリティ障害 (Narcissistic Personality Disorder)強迫性パーソナリティ障害 (Obsessive-Compulsive Personality Disorder) 不安障害 (Anxiety Disorders)被害妄想 (Paranoia)...予備軍です。
「あー、そういう言い方でしか表現できないレベルの生活されてるんですね」です。その他の意見には意見しようとする気力すら起きません。無礼な文句を平気で普段言っている人にまともに対処する必要性があるでしょうか。そういう生活を続け改善されない人に、社会的専門家でもない私が時間を割く社会的意義がありません。
SNSのいいところは、そういう人が提示するヒントだけ吸い取って「タダでヒントくれてありがとう」とスクロールして次に行けることです。
あなたを不安にする人ではなく、あなたの生きる力を燃え上がらせる人の話を聞いてください。
ネット上の亡霊に惑わされないで。
Q.第一線で活躍する人がSNS上の一般の人の演奏をとやかくいうのって余計なお世話ではないですか?
A.人間皆平等の観点から、上からの人の、上から目線にどうしても感情的になってしまうでしょうが、AIは「その指摘は適切です」って答えると思います。
下手くそって言われた側の人がもっと頑張って見返せば良い、ってシンプルな話です。
問題は著名人がSNSのノリで、一般人以下の言葉足らずな表現、曲解される表現、推測や感情的な表現をしてしまい、自分は許されるだろう、という甘えから発信してしまっている場合があるとは感じます。
また"良い表現”はその著名人自身が自分のスタイルを「良い表現」と呼んでいる場合もあります。音楽の良さは一つではありません。
クラスのいじめっ子が「お前なんか死んじゃえ!」 みたいな言説と同じになっちゃうんでうね。これは、
「俺にこう言わせる原因はお前にあるんだからな」 理論です。
自己啓発セミナー講師が使うテクニックです。
SNS慣れしていないと、こういう古びた技法(胡散臭い)を気づかず使ってしまっている時があります。
その発言だけでなく、その人のいろいろな発信を見て自分に合う人かどうか冷静に見極めてみてください。たいした発信ができていなければ、その人は、自分の実績や自分の技術を棚に上げて自分に甘えた結果、そういう発言に堕ちた人です。難癖、僻み、やっかみが含まれます。
あなたが毎日頑張っているなら、そうした文句を燃料にしてスルーして良いと思います。感情を割くだけ時間の無駄です。当の本人もそれがわからず、自分より下?の人間に時間を割いているわけですから。
Q.なぜ音楽の先生は妙な人格否定をするんですか?
A.笑そんな先生ばかりではないとは思います。
人は自分が喜べるものに向かって進むようになるのが健全です。ただストレスを抱えたり、疲れたりしていると、逆に勢いがあったり、余裕があったりすると、自分の喜びを邪魔する存在を排除する力にまで傲慢に展開できてしまう時期があります。
その先生は疲れて不健全でいるか、講師業が順風満帆で健康が爆発しているかどちらかです。
ただ芸術音楽は厳しい世界なので、舐めてかかると怒られると思います。そこの沸点が低い"誇り高い"人はいると思います。でも人格否定は非難していいと思います。
「研究者」「博士」「専門家」という肩書きに権威を載せる人もいます。
人格否定表現は軍隊などで「業務を軽んじる人間は仲間の命を危険に晒すと気づかせるために徹底してその人の現状を悟らせる」ために行う慣習です。非常手段です。平時では犯罪です。
一般社会では、納期に遅れる、宿題をしてこないことが皆の業務に支障が出るから、と厳しく言わたりするわけですね。
逆に3人以上から同じ指摘をされるなら、あなたの側にも問題があると思います。
それを趣味講座で転用されると迷惑になる場面もありますね。これはドメスティックバイオレンスと同等です。最初は浮気したことを責められて殴られた、みたいな「こっちも悪い」みたいな状況が引き金で、暴力を容認してしまいがちな場面から蓄積し始める虐待です。
心はあるのにうまく働かせることができない人がいるんです。
繰り返しますが人格否定は犯罪なので、その部分は絶対譲ったらダメです。そこだけ徹底的に許さないでください。その人があなたを許した時、「あなたの人格否定だけは一生忘れない、ちゃんと謝り続けるまであなたを一生軽蔑する」と言ってあげましょう。
言葉は簡単に口から出せます。それを自覚できていない人に銃を与えると簡単に人を殺します。心を上手に使えないと、残虐を心が簡単に正義として容認してしまいます。
だからこそ自分が使う言葉からちゃんと制御できることは社会人としての基本だと思います。2回言われたらそういう人からは離れてください。
「先生の心は壊れている」「ちゃんと心が使えていない」「先生は生徒を壊している」
そう定義して接すると、その人の発言にあまり影響されません。
Q.クラシック音楽って敷居が高くて怖いです。
A.芸術音楽ですからね。
音楽の世界のK1のリングですから、素人がそのリングで殴られたら内臓破裂で即死でも仕方ありません。命を削って1音のために人生を積み上げた人たちの世界です。
その道の険しさ、芸術の不可解さ、孤高の精神が一般には理解し難いレベルで存在しています。私もクラシック関連の人からの音声編集御依頼を受けますが、1/10000秒以下のズレの指摘を受けます。そのレベルで集中できる精神性や感性に敬意を払いたいとつくづく感じます。そういう人たちがさらに必死になって命を燃やしているので、何もしない我々がバカにしたら、それは多分怒ります。
ただ、メディアに出る、聴衆にわかりやすく説明する、理解していただくサービス精神の能力が足りていない、と言われても仕方がない人にも沢山出遭ったことがあります。
そこはもうツッコミどころ満載で、思考が追いつかず「可哀想な人」で思考停止になりますが。
Q.クラシック音楽って感性で聴いてはダメなの?
A.普段クラシックで戦っている人ならその人の感性で聴いてちょうど良いくらいです。オリンピックに出られる人、とか、メジャーリーグで活躍する人、とかギリギリまで自分を追い込んで日々追い込み続けている人、同等レベルの達人であれば、クラシックを感覚だけで聴いても色々感じていけると思います。
なんか適当に聞いて、感覚で「つまらない」とか言っちゃうと、怒ると思います。
あなたを顔だけ見て「この人嫌い」って言われたら嫌でしょう?
Q.最近の音楽に魅力がなくなったのはなぜですか?音質ですか?
A.たくさんの曲を"ながら聴き"してるからではないでしょうか。どんな曲でもしっかりと作られたメジャー曲を耳コピしてカバーしてDAWで制作とか、バンドでライブでやってみると、深淵がこっちを覗いてきますよ。昭和の頃はもっとひどい音質で聴きつつ心から泣いてましたよ笑。
Q.○○という曲の魅力を音楽理論的を理解したくて音楽を勉強しようと思うのですが、そういう動機で良いでしょうか?
A.良いと思いますし、同時に浅いとも思います。
音楽理論を学んで楽曲構造の魅力を探すのは個人の自由ですが、それは"お袋の味"の美味しさの根拠となる何らかの物質を特定しようとしている行為に感じます。
正体は鍋の雑菌かもしれません。
音楽に魅力を感じるのは、あなた自身の人間的能力です。
花を美しいと思うか思わないか、みたいな。
おふくろの味の良さには偏見や先入観、贔屓、過大評価なども入っていますから、一つの味を万人に良いと思わせるのは不可能です。
彼らには彼らのお袋の味があるからです。ここが拙論で用いる心象であり、音楽的なクオリアです。
なんでもかんでも統合的音楽理論で考えるのは、浅すぎると思います。
Q.作曲に必要な音楽理論てどこまでですか?
A.私は「最初に作曲自体ができるかできないか」で考えています。鼻歌が普段から何となくできてしまう変人、何でも音楽的思考をしてしまう性的倒錯者がその行動に社会的正当化を与えるために定めた社会的枠組みが商業的音楽方法論のツールです。そこをあまり重要視しても歪んでしまうと思います。物を盗む癖のある人が、窃盗技法をまとめたとして、普通の人がそれに従って生活したところですぐ捕まります。
オリンピックに出たいなら、人体の構造は結構詳しく知る必要があると思います。
音楽理論は作曲するためのツール、というより、
絶壁を登れる人(作曲できる人)が、素早く安全に登るスキルや技術体得の方法、必要に応じて岸壁で一夜を明かすためのビバークテントが音楽理論というイメージです。
これはやはり多少の山を登ってみないと何がどれだけ自分に足りないかわからないと思います。なんとなく作曲できるなら、コンペに応募してみてください。それで合格採用されたら、今急いで体系的理論を1から学ぶ必要ありません。
Q.音楽理論て和音の構成や連結についての話が多くないですか?メロディやリズムももう少し理論化してもいいのでは?
A.結果論ですが、時代によって変化が如実で、話としてまとめ安かったのが和音的な現象だったのだと思います。
また、そうした厳密化によって、それ以外(メロディ、ジャンル、リズム)が組み合わせの妙となり、そこが唯一自分らしさを作る場所であったため、自然と理論化されない存在として解放していたのではないでしょうか。
ただ、私もグルーヴの掴み方とか、ビ・バップの旋律論、ヴィブラートの出し方とか、そういったことが方法論として和声同様に明確に確立されていると楽だなぁ、とこれまで感じたことはありますが、詰めれば詰めるほど、そこが個性の発揮される明文化できない特殊性として放置すべきかも、といつも思い直します。
Q.音楽理論を勉強して理論に縛られる/個性失うってことありますか?
A.日本語を学んだり、算数を学んだら、社会生活において個性を失うと思いますか?
学習を通して全員皆が辞書の例文のように喋っていたら教育の弊害、人格の否定と言えるでしょうが、現実はそうはなっていないようなので、教育はそこまで人格の発現を邪魔してはいないと思います。
音楽理論も最初はぎこちなくなっても使いこなす訓練によって、ぎこちない時期を乗り越えることができます。そこからむしろ表現の幅を広げる選択肢になり得ると思います。
学んだ最初の時期は、確かにそんなふうに感じるかもしれません。その段階で勉強をやめてしまうとますまそう思うでしょう。
縛られるという意味では、メディアに、プロデューサーに、事務所に、お客さんに、世間に、時代に縛られることの方が多いと思います。
そして縛られても縛られても破って噛みちぎって前に進むしかないです。どんことも、練習鍛錬挫折が嫌だぁ、と思う人はどのジャンルでも前に進めないと思います。根性論は流行りませんが、気合いが必要な時っていつの時代もあると思いますよ。
Q.全く音楽がわからないのですが、あるコードから次にいくのにどれを選択するか、をどう決めればいいんですか?
A.選択肢を並べ、それらを聴き比べ、自分の「音楽的なクオリア」に従います。ただこの質問が出るタイプの人に音楽表現の追求は難しいと思います。
音楽表現が強迫観念のようにポンポン頭に浮かんでくる人が「音楽家」です。彼らは頭の中に音が響いているので"どう決めればいいか"なんて根本的なところで迷う必要がありません。
そういう才人たちが「もっと新しいことを..」と色々試した歴史が音楽理論です。
我々はそれらを学んでさまざまな選択肢を身につけ、そこから選べばいいんですが、現代は選択肢自体が膨大になってしまいました。
17世紀なら、禁則破るか、守るかで手に汗を握りましたが現代では「どんな表現もどこかの時代、文化、価値観の上では正解」です。
そんな時頼りになるのが「自分がどれを選びたいとその時直感したか=音楽的なクオリア」という自己判断行動と向き合い続けそれを適切に掴む経験を重ねることです。
Q.感性が大事って何ですか?理論を学ぶと感性が鈍るんですか?
A.「感性が大事」は「独自論が大事」の意と捉えます。
感性は音楽家本人の直感(社会性と個人性が合算されて直観的に出される答え)や身につけた思想(社会性に依る)や嗜好(個人性に依る)全体が作り出すことを指すのではないでしょうか。
「センス」という言葉のニュアンスも同様です。
つまり「理論学ぶと感性鈍る」は、いきんで学び始めた伝統/格式/規律に入れ込みすぎて、学ぶ前に元々本人が持っていた「その人らしさ」を見失うな、という戒めではないでしょうか。勉強する場にいると「お前センス悪いな」とか「そのやり方は何も知らない初心者だ」とか言われて煽られて、元々持っていた自分の直感を卑下するようになるんですね。そうやって自分らしさを知識や学習内容で埋めようとしてしまうと「感性」が薄れてゆきます。
でも大丈夫、社会に出てしばらく仕事が身につくとその人らしさも戻ってきます。学習初期の生意気な時期、仕事したてのウブな時期に周囲が煽ってくる言葉だと思ってみてはいかがでしょう。そんな煽りに負けないで、自分ダメだ!と思ってもそのまま頑張って立て直してください。
35も過ぎると、生きやすくなりますので。頑張って。
Q.なぜ音楽理論はわかりづらい概念で作られているのですか?もっと分かりやすい教え方たくさんあると思うのですが。
A.わかりづらい、わかりやすいは個人その人の感じ方のスキルで断じているだけでしょうから、あなたの理解力に問題の焦点を向けてみては?
もしガチでそう思うなら自らがわかりやすい学問体系を作って、かつそれの成果を作品で示せば良いと思います。
Q.ダサい曲、つまらない曲、嫌いな曲はこの世から消えて無くなってもいいと思うんですが。
A.選民思想ですね。「いろんな人がいろんな人生を生きていることを理解しきれていない自分」への苛立ちですね。しょぼい曲が日本の音楽力を低下させている、という強迫観念でしょう。それは満員電車に乗ると自分死ぬかもしれない、という強迫観念に似ています。そういう恐れを自分が感じていることをまず理解し、余裕が出てきたら、批判されて苦しんでいる人に、道を示し、向上するようにやさしい言葉でサポートしてあげてください。いろんな人がいるから、ヒット曲が際立つだけです。世の中にヒット曲しかなければ、嫌味の矛先はヒット曲に向かい、どんどん選別されて最後は3人くらいしか残りません。あとは全員死刑です。それが自分たちの首を絞める、と予測できるので、不満の矛先を残したまま、数は薄る誰かを崇めることで自分が存在する意義を高めようと自分が承認する人以外を攻撃するのだと思います。嫌いな曲には消えて欲しいとあなたが願える世界にいることが健全だ、とあなたが気が付かないと苦しむのはあなただけです。
Q.悪い音楽(理論)、良い音楽(理)論てあります?
A.「自分にとって良い(悪い)理論」があるだけではないかと感じてます。他者に欠けた感じを覚える人が「自分よりもたどり着いていない彼が同じ土俵にいる問題意識感」を危惧してしまうのでは?そして、自分の理論が正しいと言うことを示すことで、自分が承認されたいという欲求が丸出しになっていることに気がつかないでいることの欠如感もみんなに伝わっています。いろんなやり方があって、議論を重ねていく中で、自然と社会の中で突出していくのが社会的価値を持った良い方法論ですが、何年たっても自分の方法論が世に取り上げられないのだとすれば、その人の営業力が低い、その人の言っていることに矛盾がある、歴史的に既に廃れたものといった様々な意味があるのだと思います。しかし、そこに気がつかないと、世の中が乱れていると、しか見えなくなってしまいます。個人が考える方法論は独自論であり、その独自論で自分なりの成果を残し、自分の人生感を豊かにする以外の方法は無いように思います。
そこに人を巻き込んだり、自分の承認欲求をそうした議論の矛先に展開したりするのは、やはりちょっと足りていないかなとも感じます。
それぞれが悩みながら、自分の音楽論を高めていけばいいだけです。
相手の理論が良くない、と思うなら、よくなるように提案してください。議論ではなく提案です。あなたは自分の方がいいと思っているのだから議論は必要ないです。
Q.なぜメジャーコードっていい感じに聞こえるのですか?
A.人の耳と脳が倍音構造を基本に空気体の振動を捉えることも関係しているでしょう。
メジャーコードは自然倍音構造に寄せて作られた和音です。そこから健全さを感じる文化圏においてメジャーコードが使われた楽曲に対する人生の記憶や感情の記録がミックスされて心地よさ、馴染みやすさを感じ取るのではないでしょうか。
あなたが音楽家なら、その根拠を科学に求めるのではなく、自分の「美しい」を作品にしてください。それが後世の新しい「いい感じ」となって継承されます。
Q.人も文化もそれぞれ価値観と美意識は違う、という意見のようですが、ペンタトニックスケール的な音はさまざまな文化が使っています。何らかの共通した美的根拠があるのではないですか?
A.人類は共通した肉体構造(聴覚構造)は持っていますが、文化的背景/気候/木材の違いから、ピッチやリズム、微細な表現が変化します。少なくとも全く同じ周波数ではないはず。それを「同じ」と括るのはあなたの解釈の解像度です。
Q.なぜジャズ愛好家ってお高くとまってるんです?
A.そんなことないと思いますが笑、中には知らない・わからないと指摘されたくなくて、棘を立ててしまう場合もあるでしょう。昭和生まれは間違いを認めることを恥としますので。
自分の方法こそ世界の理論の中心となるべきだ、と思ってしまうとキツイ態度になるでしょう。自己防衛で。
正解のない中、長くやってきて信奉された時期もあったりすると、自分の思想にしがみつくようになったりも。歴史を作った人もそうなりがちです。病気みたいな物ですから、お薬出して「お大事に」というしかないです。薬飲まないで悪化させるのは本人の責任です。
意見を求められたら「ジャズは好きですが、あなたは苦手です」って言っても良いと思います(本気でなくても)。
Q.不定調性は調の流れを軽んじることで音楽の流れの重要な要素である緊張と弛緩を無視してしまっているから、音楽が渋滞し、ダイナミズムのない音楽になるのではないでしょうか?
A.調的システムは無視しますが、人の心象の中に生まれる緊張と弛緩まで無視しているわけではありません。緊張は人それぞれです。機能和声が提示する緊張はドミナントに特化しています。しかしC-Caug-CでもC-Cm-Cでも緊張感はあります。
それを生んでいるのは和音ではなく人の心です。
自身の緊張と弛緩の流れを感じ表現するためには、自身の感覚で音楽を紡ぐ習慣を重ねるしかありません。私にはそれが不定調性という概念なんです。
Q.音楽理論ガチガチの曲ってダサくないですか?
A.ダサい、と思いすぎなくてもよいと感じます。誰でもそういう作品を作る時期がありますし、自己嫌悪に陥る時期があるものです。そう感じる時期、そう指摘される時期を頑張って乗り越えてください。
誰かの曲にそのようなことを感じる時は自分が初心者だった頃を思い出してください。
指摘された人は悔しいですけど、もっとこういう風にすればもっと良くなるよ、と指導してくれる(そうやったら実際に良くなった!とかの)人と一緒に頑張ってください。ただ煽るだけの煽り運転の人は自分を理解して欲しいだけなので関わらないで。
Q.音楽はどう理解できるようになったら、わかった、と言えるのでしょうか。
A.理解は移ろいやすいです。終わることはなく、ずっと理解自体を更新し続けます。
つまらないと感じたら、現状のあなたの理解は「つまらない」で良いと思います。
例えば、夕日がオレンジではなくて、真っ青だったら、最初恐れや不安、驚きを感じると思います。しかし二日連続で見ると、もう慣れてしまいます。理解出来ない不安は慣れで解消されることもあります。疑問は内ポケットに入れて、時々考えると良いです。みんな同じように考え、鵜呑みにしたり自己解釈を繰り返したりして乗り切っています。人によってそれぞれです。わかろうとするよりも、昨日はこう考えた、今日はこう考えた、とどんどん理解を更新していってください。やがて他の知識に溶け込むほど自然な話になります。そしたらまたより深い、厄介な疑問と対峙していく、そんな感じです。
「全てを完全に理解した」という日は来ません。
「明日も考えていこう」がずっと続くだけではないでしょうか。
Q.音楽理論て「理論」て言えます?
「音楽理論」て、17-19世紀ごろの価値観で当時の"音楽は理論的にできていると言える!"的な宣言をしてそれがそのまま残っているので仕方ないです。
実際、経済理論とか、文学理論とか似たような"論理的とまぁまぁ言える方法論"をナントカ理論と宣言する慣習は国語的に許容されています。辞典にもそのような文言があります。
つまり現実を完全に再現することではなく、どの程度の説得力を保持した上で理解しやすく現実を原理や法則などとして単純化しているか、ということが理論の本義であると言える。
また自然現象の実験や政策提言のための調査などによって得られた知識を蓄積する上で有効な思考上の枠組みを提供することができる。
しかも理論は研究において均衡の取れた総合的な視野を提供し、さらに直感的または感覚的な結論を回避して論理的な説明を行うことが可能である。
例えば、政治学や社会学、生物学や実験物理学など帰納的または統計学的な手法に基づいた自然科学的または社会科学的な理論は数多い。
厳密に言えば、「音楽理法」とか「音楽法論」とかいうべきでしょうが、そういう言葉はポピュラーにはならなかったですね。
音楽理論に気に入らないところがあるからそう思うんですよね。
それは数学とかでも一緒で、厳密に厳密を重ねると矛盾が生まれる、と結論も出てます。学問ですからおおらかな気持ちで、自分に刺激をくれる知識を自分のこれからに活用していく、という本筋を忘れないように学習を進めてください。
また、そもそも「音楽」なんて「楽」しくない!とかいうところもよく言われますが、「楽」の字は「雅楽」の頃から使われていましたし、人をもてなし、人に良い時間を提供し共に讃える、的な「そういう嗜みを作り出す空間をなんとなく定義した用語」スタンスで用いられており、古代中国でも音楽を通じた人々の調和や徳を養うものという観念で音楽は単なる娯楽ではなく、社会の秩序や精神の浸透や養生に必要なものという意味が「楽」には含まれます。
ただ単に「楽」がパーリーピーポーを指すわけではありません。
Q.不定調性論を作ったメリットディメリットを教えてください。
A.社会的なメリットは、妙なこだわりがなくなり、相手の意に応えられる人間になったことです。
社会的ディメリットは、出世欲がなくなったことです。それで周囲に「上を望まない不能者」と落胆させたのは申し訳ないです。
個人的メリットは、音楽制作で本当に自由になれ、能力以上に自由に作れることです。個人的なディメリットは、感じたことがありません。それを感じても独自論だから即修正できます。
総じて良くも悪くも楽になりました。
大々べテラン、ヤマハの講師でもある北川先生のプロフィールHPはこちら。
遠い昔、日吉のヤマハ音楽院時代の夏期講座で北川先生に音楽理論を直接学びました。
とにかく丁寧なレッスンだったのを今でも覚えています。こうやって論理的に勉強する方法もあるのだなと初めて気づかされました。
その節はありがとうございました。