音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

音楽講師が映画"セッション"を観てみた

多少内容について触れていますので先に映画をご覧ください。

 

ハリウッド的作品、と言うよりも、質がめちゃくちゃずば抜けたインデペンデント映画(自主制作映画)、と思ってみると上質の批判を感じるので、そう言う意味では観る者の意識のすごい場所に押し込んできた、って言うモヤモヤ映画です。

 

アメリカNo.1の音楽院に入学した野望ある若者ドラマーが同様に野望あるスパルタ教師に出会う、というストーリー。

第87回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、助演男優賞を含む3部門を受賞しました。

他の人のレビューをあまり読んでいないのでご了承ください。

音楽学校運営・事務・講師をやってきた自分がどう観たかという映画の感想です。

 

教師は一流のジャズミュージシャンを育てようという野望を持っています。

若者は偉大なジャズ・ドラマーになろうという野望を持っています。

二人は似ています。そっくり、かもしれません。

この二人が出会うまで二人にはそれぞれ居場所がありませんでした。

その変人同士の出会いの映画です。

 

 

扱っているのはジャズですが、ストイック部活動的な世界です。

www.youtube.com

映画の教師はスパルタで怖い先生です。

恐れられた指揮者としてムラヴィンスキーなどは有名ですが、彼に限らず音楽に厳しいのは当たり前で、それをちゃんと理解しようとしないでなんとなく"仕事"をこなそうとする音楽家は指導されて当然です。"アンサンブル"にならないからです。

何よりムラヴィンスキー氏は真の紳士です。自分に一番厳しい。

 

そういう"実際"の在りようを知っている人から見ると、この映画の教師フレッチャーは少々深みのない指導をしているように感じるかもしれません。

もし学生がこのフレッチャー教師の暴力や暴言が怖いから従っているなら、それこそ絶対伸びない弱小部活話です。

きっとそれなりに意味のある指導をしてきたからこそ優秀な生徒が付き従っているのだと思います。その"優れた指導シーン"も見たかったですね。

伝説の教師の伝説をもっと聞きたかったところ。

 

音楽は個々の内面から湧き出るエネルギーのそれぞれのベクトルを結集させ、100%アンサンブルとして表面に織り成すためにどういう指導をかけるか、に指導冥利があって面白いのにそこがそっくり抜けているからかも。

 

教師は学校で次世代のチャーリー・パーカーを育てようとしています。

その価値観がちょっと古すぎたのかなぁ。

 

この教師も主人公の若者もバディが必要なタイプです。

同じように激しいが認め合える仲間がいないと、自分の暴走を止められません。

つまりこの若者と教師こそが互いにそういうバディの関係であり、これから互いの欠点、互いの夢、互いの目標を理解しあいがら、互いの暴走を止め合えるような人間関係になっていく映画、となるように教師の不器用さを描いて、最後にコンテスト優勝!となったら面白かったのにな、なんて映画の素人は思ってしまいます笑。

 

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この教師は

「なんで練習するか」

「どのくらいまで練習すればいいか」

「どう練習するか」

を知らなかったから、そういう指導ができず、

"とにかく本人を事故的に目覚めさせ"

"むやみに危機感を煽り"

"毎回挫折の谷間に突き落としても這い上がってくる若者"

を探していたのでしょう。

 

これでは犠牲者が出るわけです。

 

それでも負けない人間こそが次世代のチャーリー・パーカーである、と信じていたから、負け犬に容赦しません。

しかし実際には

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こちらでも述べている通り、練習によって生まれる脳の回路をいかに作るかというだけなので、無駄に練習して頑張っても一生ものの怪我を背負うだけです。

手のマメだけならまだしも、ドラマーは、各種関節腱鞘炎や腰痛に悩む仕事です。腰を痛めたら一生苦しみます。

 

しかし、この教師が煽るぐらいの勢いで練習しないと上達しないのも間違いありません。三年あればまだしも、数ヶ月で上達となれば。

 

教師は、

「このやり方で伸びる」

と信じてしまっています。

 

一流のプレイヤーを生み出してきた過去の自負がそうさせているのでしょう。

これは学生にとっても学校にとっても悲劇です。

実際は、教師をはるかに超える凄い若者が教師を目覚めさせるものです。

「俺の指導なんて三流だ」と。

だからこそ指導に深みが出て、一目置かれ尊敬されるようになるものです。

そして教師は"まとも"になるのです(自伝笑)。

 

ただひねくれた性癖を持っていると厄介です。

フレッチャー教師はどうなのでしょう。

本人も後半

「パーカーは生み出せなかった」

とあっさり認めてしまっています笑。

おいおい、できなかっった、では済まされない!ってあなた散々言ってたじゃん!自分ができなくていいの??!!(この弱音は自身のバンドに若者を誘う作戦?だったかもしれないのでなんとも言えない嫌な感じが鑑賞後残ってとても残念です。本音かと思ったのに!!)

 

この教師はいつもドラマチックに何かをしたいと思っているように感じました。

ドラマチックに才能を見つけ、

ドラマチックに相手を挫折し、

ドラマチックに復活させ、

ドラマチックに対決する。まるでパーカーの話のように。

 

結局映画のラストではまさに教師の願う形でドラマチックに教師を超えた若者と演奏で通じ合います。

自分が望んだタイプの若者を見つけた!!!!という意味で彼の人生は、あのラストのライブシーンで一つ完結したのだと思います。

しかしストーリーとしてわがままが変な形で身を結んでしまって、それでいいのか感が強く、なんだかすごく消化不良です笑

 

でも人生は、そこからがスタートです。

自分たちはこの程度だから、ここから何か一緒にできないか、と考えを改められるか、ではないかと感じました。そして映画でそこまで見たかった笑

  

そういう意味では、実在のホッケーチーム監督ハーヴ・ブルックス(故人)のやり方の方が好きです。彼も戦略的に選手に接していきますがそこには嘘も罵倒もありません。

当映画「WHIPRASH」の教師は野心とコンプレックスから感情的になってしまうのか、学生を認める必要などない、と思っているのか、ただ意味のない罵倒になってしまいます。

一番大切なアンサンブルのための仲間意識まで削り取ってしまいます。

学生同士まで孤立させては、アンサンブルの結束はあり得ません。

ブルックス監督のように、学生同士を結束させるため監督が"敵"になる、そこでチームワークを作る、というような指導は相当に難しいのでしょう。なにせあちらはオリンピック優勝の実話に基づくエピソードですからちょっとレベルも違います。

 

デューク・エリントンは自分のバンドに才能を集めるために給料などを好待遇した、という話がありますが、もっと倫理的にしっかりとした土台で厳しく運営できたはずです。

就職活動になったらめちゃくちゃ応援してくれる、とかね。

 

教師はパーカーがパーカーになった逸話を神聖視しています。

しかしジャズを研究しているなら、パーカー以外のアーティストの話もして欲しかったです。

 

パーカーのスタイルはあの当時まだ完成していませんでした。

なんとなくできていたけれど、完成しておらず上手く吹けなかったけどソロでは吹きすぎて(これは後年も変わらない)夢中に吹いていたところ、次のソロのやつも待っているし、いつまでもきりがないからシンバルを投げつけられたのです。

当然と言えば当然ですが、パーカーからしたら心外だったでしょう。良いソロはできる限り伸ばしてもらえる、という甘えもあったのかもしれません。

自分が良いと思っていたのは自分だけだった、よくある話です。

 

 

 

新しいことをやりたいと思っている人間は早くから着想があります。しかし誰もやったことがないことだから自分ですら半信半疑です。

しかしシンバルが飛んできてパーカーはスイッチが入ったはずです。

自分のやり方を極めるしかない。たとえ誰もやっていなくても。今のままではまだダメなのだ、と。

シンバルが飛んできたから悔しかった、というよりも、自分の革新的スタイルが中途半端な状態のままステージに臨み、その中途半端さを見透かされたことが悔しかったのだと思います。

あのビバップスタイルは最初からパーカーの中に内在していましたが、その時はまだ技術がなかっただけです。

だからこそ発破をかけられ、練習によってひたすら自己を高められました。

退学してフレッチャーに再会するまでドラムに向き合えなかった主人公の若者とは比べ物になりません。

 

若者は、そういった革新性や信念があるわけではなく、ただ負けん気が強いだけです。教師が彼に何を見たか、やはり自分と同じ匂いを感じたから自分の野心を押し付けたのではないでしょうか?

悪い言い方をすれば、この教師程度の若者、と言っちゃうかもしれません。この若者を見出す程度の教師、とか。

 

学生の中に"革新性"があるか、それがどのくらいやれば開花するのか、を把握できる教師は優れていると思います。

 

主人公が楽譜をなくすエピソードは犯人が最後までわかりません。これがモヤモヤします。

楽譜を後輩に預けるドラマーも舐めすぎです。

でもそれは指導不行き届きなので、やはり教師の責任であるべきです。

他のチームの演奏、他の学校の演奏が全くないので、コンテスト感が出ていませんが。

 

ドラムだけ二番手がいる、という設定も、どことなく違和感です。

個人的には全パート引き抜かれた一人ずつがあの手この手でフレッチャーをかわして罵倒され続けたメンバー全員が結束し、コンテストを優勝する、という程度でよかった(スポ根)笑

 

先のホッケーチーム監督ブルックス監督。

事前に選手に行う筆記試験を「意味がない」という理由で受けようとしなかったキーパーが、後々悩んだ時にブルックスが声をかけます。

"試験を拒否したその反骨を試合で見せろ"

と。全ての指導に意味がありました。フィクションかもしれませんが、映画ならそういう演出を望んでしまいます。

きっとフレッチャー先生なら筆記試験を受けようとしない学生がいたらクビにしたのではないでしょうか。従順な者だけでバンドを作る、のは結局意外性や即興性が喪失します。

 

浮ついた迷いを起こさせ、メンバーにミスをさせる、ゆきすぎた指導によって親が敵に回る、学校が敵に回る、というのは教師として、またバンドリーダー/経営者としては失格です。

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終始そわそわして終わってしまいました。

きっとこれは批判をさせるために作られた映画なのだ、と思いました。

ざわざわとモヤモヤする、セッションの後の演奏感を体現しているよう。

いつもうまく弾けるわけではありません。相手の理不尽で演奏が壊れることも。良かれと思ってやったプレイがまるで評価されなかったり。どこにも正解はなく、誰も勝者ではない。それでも音楽と向き合えるかい?って言われてるみたいな映画。

 

私は映画の素人なので、"この映画をみてスッキリしなかった人は「ミラクル 」をご覧ください"としか言いようがありません笑。二本立てで観ましょう。

 

 

ザ・ニューヨーカーのリチャード・ブロディもパーカーの伝記との比較をしたうえで、『セッション』はジャズに対しても、映画に対しても何の敬意も払っていないと指摘した。 - Wikipedia

うーん、そうかも、と思ってしまいました笑。 

 

もちろんその他の賞賛の言葉もたくさんあります。

インディワイアーのジェームズ・ロッキは本作に肯定的な評価を下し、

「『セッション』はまさしく若手監督の作品といってよい。虚勢や尊大さが満ちていて、既存の枠組みや素晴らしい演技だけに頼ろうとはしない。チャゼルに偉大な監督の素質があることを証明した作品でもある。」と述べている

全編ジャズの色合い、トーンカラーが支配しています。映像表現としては優れているのでしょうね。特に黒の色調が大変上品です。

 

表題曲Whiplashはハンク・レヴィの73年に作品です(ドン・エリスのアルバムに収録)。40年代のジャズを再現したいのかな?それともコンテンポラリー曲を40年台に戻したいのかな?とかいろいろ感じてしまいました。ただ「むち打ち」っていう言葉だけで選んだとしても、かっこいい曲ですね。

曲の解釈もフレッチャー先生から聞きたかったです。

終始ピッチとテンポの指導の記憶しかないので笑。テンポこだわりすぎやろ、って。

パーカーは天才です。きっとテンポの指示などしたら辞めるでしょう笑。

でもフレッチャーはパーカーを探している。

これは映画的矛盾、というよりも、"フレッチャーの深いところの自己矛盾"を示しているような感じがしました。それがフレッチャーの限界となり、それを若者が気づかせた、覆した、という特異な出会いまでの映画です。少なくとも映画の最後の瞬間に少なくともこの二人は"救われた"のです。

 

インデペンデント映画、と言いましたが、エンディング曲も往年の曲を使わずオリジナル曲を使うところなどは自主制作っぽいです。自主制作では著作権がかかる曲は使わないからです。"映画を引き立てる名曲の数々"を配置しないところもそれまでの音楽映画とは違う、という点を出したかったのかな。

 

モデルはニューヨークのジュリアード音楽院では?ということです。2001年にジャズ科が創設、と言うことで往年のジャズプレイヤーは一人も入学経験などないわけですが、まさに40-60年代のジャズ・ジャイアントは孤独に学習し戦っていた、というのがあの時代のジャズを生んだのだ、と思うとなんだか感慨深いです。

 

個人的にはこれに懲りず。どんどん音楽関連の映画作っていただきたいです。

 

怖い先生というのは子供時代に一人は居るものです。"あんな先生には悪いことが起きればいいんだ!!"とかみんなで噂したりしたものです。

きっとそうやって怖い先生は悪運のループにはまっていくのではないか、そんなふうなノスタルジックな想いも湧いてきました。

優しければ良いというものでもないですが、学生時代の学生の人生は「これから」です。上手に次の人生の現場に受け渡すことのできる存在になりたいものです。