音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

(音制心理1)音楽を聴くとイメージが浮かぶ人へ~音楽を共感覚的観点から考える

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参考文献『脳のなかの万華鏡』*1

脳のなかの万華鏡---「共感覚」のめくるめく世界

 

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導入

あなたがもし音楽を聴いて思い出や情景、見たことも風景、意味の解らないイメージ、匂い、味、感情、言葉が浮かぶのなら、それは共感覚的な知覚と言われるものではないか、という話です。

そもそも聴覚と色覚は脳内で部位が近く、刺激がリンクして反応している可能性がある、ということです。

だから音を聞くと、色、またはそれにリンクした記憶、映像、などが想起されるのは特殊でもなんでもなく、脳のバグ、というか自然な連鎖反応です。

 

あとはこの感覚をどのように自分の人生で活かすかです。

 

脳にはエピソード記憶、という記憶方法があり、"恋人と喧嘩したあのレストランで流れていた曲"を聴くと、急に当時の風景が鮮明に思い出されたりします。

ストーリー全体で記憶するシステムがあるからです。曲が悪いわけではなく、経験がその曲をそう記憶させています。

こういったことも共感覚的知覚と混ざってしまうのではないかと思います。

 

例えば

「この曲、なんか中学の時の裏山の夕日のオレンジって感じ」

共感覚的知覚+エピソード記憶が混じったような表現になることも。

 

音楽はそれぞれ違って聞こえている

「クールなジャズ」

この言葉、皆さんはどう理解しますか?

音楽が冷たいわけない、とか思わないですよね。

ああ、クールね、ってそのニュアンスを理解できると思います。

 

脳の左半球に色を知覚する領域と文字や数字の認識に欠かせない領域はすぐ隣どおしに存在しているため、文字外見が引き金になって、色覚領域が活性化します。

 

また、2005年の研究*2では、何らかの共感覚を持っている人は23人に1人の割合でみられるそうです。

 

なぜ和音はそう聞こえるのか

自分が悩んだ問題はこうでした。

「C-G7-CとCm-G7-Cmにおける二つのG7はそれぞれ異なる雰囲気を与える。」

意識したのは中学時代でした(ギターを弾き始めた)。このG7の印象の差異は明瞭で、全く風景が違う、と感じたのです。

 

なぜ同じ和音なのに、こんなに表情が違うのか。この和音には今何が起きているのか。

 

自分の音楽探究の出発点でした。

やがてそれは自分の外で起きているのではなく、自分の中で起きていることだ、と知りました。

音楽の印象には個人差があり、この個人差は相互が言い争って解決する問題ではない、と感じました。不定調性論はそこから「個人の感覚を知るためのプログラム」として作り直しました。

 

自分の共感覚的な発作状態の頭の中/耳の中の音のざわめきも音楽にしました。
潜在意識のいびきのようです。

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人それぞれ(オンリーワン)でいい、という意味

ものを感じる感じ方が一人一人違うから、それで良い、という意味だと思います。

「俺の感じ方には価値がある」というオンリーワンではなく、それぞれに別の世界観があり、時に争わないでは済まない、という世界線がそこにあることを理解せよ、ということでしょう。

 

クオリアという言葉の使用

自分はこの「クオリア」という言葉に出会ってから、ああこれだ、と思って使用してきました。

しかしクオリアというのは、あくまで結果であり、それがどのように起きるのかは説明されていません。

  

脳のなかの万華鏡』にこんな質問があります。

“もし読者のみなさんに、「煙や爆発は好きですか?」と聞いたら、「はい」と答える人は少ないのではないかと思う。しかし「花火は好きですか?」と聞いたら、全員一致で肯定的な答えが返ってくるのではないだろうか”

結局「自分がそれをどう見るか」にかかっている、ということですよね。

花火と爆発は現象としては同じことなのです。何が違いを感じさせているのでしょう。

音楽だって「空気の振動現象」です。

「花火」という言葉の音を聞くと、あの色、形、夏の空気、人の波、想いが想起されます。クオリアです。

  

なぜ歌うときの表情が大切なのか 

参考著書から引用をまとめます。

・ある感覚器官が受ける入力はどれもみな、同じ事象や物体に関する他の感覚と関連している。

・映画の音はスピーカーから聞こえるが、主人公がしゃべっているように錯覚している

・腹話術も上記の効果が利用されている。

・視覚、音、動きの知覚は互いに密接に影響しあう。

・触覚が、脳内の低位の結合を介して、ものの見え方に影響を及ぼすという研究結果がある(Macaluso E,Firth CD,Driver J. 2000.Moduration of human visual cortex by crossmodal spatial attention.)

・話し手の表情は、たとえ意識的には知覚されていなくても、話し手の声に込められた感情を知覚に影響を与えており、その統合がごく初期の段階で起きていることが脳は記録によって示されている。(de Gelder B,Bocker KB, Tuomainen J. et al 1999. The combined percerption of emotion from voice and face.)

・マガーク効果もこうした知覚の例 マガーク効果 - Wikipedia

・ブーバキキも似たような知覚問題 ブーバ/キキ効果 - Wikipedia

 

音楽の歌を誰かに伝えようと思ったとき、「歌っているときの表情」が大事なのは、言葉や歌を音だけでなく、人は歌い手の一つ一つの映像データからもいろいろなことを強制的に感じてしまうからですね。もちろん衣装、振り付け、演出も同様に大切であることは言うまでもありません。

これは、そうしたことが絶対に必要とか科学的に大切という意味ではなく、音楽というエンターテイメントを、第三者と一緒に楽しもうと思った時、こうした人々が住む社会との協調を引き起こす装置への順応が時には必要だ、という意味です。

 

 

未解明な世界に生きている

参考文献「脳の中の万華鏡」では、瞑想体験で得られる感覚の融合のような体験は、普段眠っていた共感覚的知覚が、瞑想による外部からの感覚の遮断によって活性化されたのではないか、というようなことが書かれています。

 

脳が扱う領域はクロスオーバーしていて、必要な働きのために連携する、といいます。

つまり形、印象、動き、音、匂い、触った感じ、これらが連鎖して人の感覚に影響を及ぼす、というわけです。

 

ダンスと音楽の関係も書かれています。

動きと音の印象がマッチする、それを動きで感じる、という人はダンスをやりたくなるのだ、と思います。

動きと音が自然と脳の中で融合しているんですね。

 

「ダンスなんてダサい」という人は、単に動きと音に対する感覚にあまり鋭敏ではないために、ダンスに魅力を感じない、というだけで、別に誰を批判する必要はなくなります。

「メタファーを生む能力=異なるものに類似性を見出す能力」

という解説を付けています。

 

知覚→共感覚→メタファー→言語

なんだそうです。

 

<方向性のメタファー>

・意識があるのは上、意識がないのは下

・支配するのは上、されるのは下

・いいことは上、悪いことは下

・理性は上、情動は下

哺乳類は寝ているときは横たえており、動くときは立ち上がるから、この上下に対する認識が自然と構築された、というのです。

「眠りに落ちた」「彼は没落した」「彼はトップだ」「彼は最高だ」「影響力が低下した」「質の高い仕事」「目標を上回る」「心が沈んだ」「高度な議論」

こういった上下のメタファーは自然と言語に反映されていることが分かりますね。

まさに「知覚→共感覚→メタファー→言語」の流れですね。

 

「心が押しつぶされる」「鮮やかな意見」「君の観点」「真っ赤の嘘」

「彼女のプライドは傷ついた」

などなど。

 

これは小学生の頃やった「コックリさん」と同様、動かしたいと思っていなくても、動くのではないか、と思っていると本人が気がつかないレベルで筋肉が動いてしまう「観念運動(Ideomotor)」の基づいています。

 

その逆が「止まっているエスカレーター」現象です。動いている時のようについ、重心を動かしてしまいます。そして変な違和感を覚えます。

心と体、印象と言語反応は連動しています。

 

・「明るさ-音の大きさ」などの感覚上の類似性は幼児期に見られる(生まれつき)。

・ 上記の類似性に対する感覚から「共感覚的なメタファー」が生まれる。

・「色-温度」「ピッチ-サイズ」のように思春期になってから現れる感覚もある(経験に基づくもの、11歳ぐらいから)。

・年齢にしたがい、知識に言語がアクセスして、共感覚的なメタファーを解釈することが可能になる。「共感覚的な換喩(メトニミー)」が生まれる。「彼はアイディアを"ひねりだした"」というような、動きと感情と、情動がリンクするようになる。

・乳児の身振りの模倣行動は、左前頭葉及び側頭葉の活性化と関係しており、そこはやがて言語に関係してくる領域なのだとか(Tzourio-Mazoyer N,De Schonen S,Crivello F,2002)(同著書p227)。

 

P254

 

共感覚はアーティストや作曲家や小説家に多いという印象があるが、彼らはまさに、メタファーをつくること、すなわち一見無関係なものごとのあいだに結びつきを見いだすことに熟達したタイプの創作者である。

なんとなく映像の雰囲気を音楽にできる、人の想いをメロディにできる、あふれる感情を一行の言葉でまとめようとする、こうした一見社会生活に不必要な行動に見えるこれらの音楽活動という行動は、人の脳が自然と体得した能力を活用しているわけです。 

 

あとは一人一人講師の役割です。

高い音を痛い音、せきたてる音、低い音を怖い音、言葉が出ない感じ、明るい音楽を妙に虚しい音楽、暗い音楽をやさしい音楽、などと表現する受講生の心情をこちらが汲み取り、生活環境やこれまでの人生経験を読み解きながら、その人に合う音楽表現、その人が求める音楽表現を、その人が感じる感覚/クオリア/ 共感覚的知覚に沿って丁寧に探していけたらと考えます。

 

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*1:リチャード.E.サイトウィック&デイビッド.M.イーグルマン著、山下篤子訳 2010-参考文献①-著者二人は共感覚研究の第一人者

*2:エディンバラ/ジュリア・シムナーら