音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

対称性は誰から与えられるか

けふの記事は4分くらいで読めます。

対称性の認識

この三角形において、ピンクの点線aで縦に分けられた

左右二つの直角三角形BとCは対称性を持つ

と、あなたは認めますか?正確には線対称ですね。

 

学校で学ぶ算数の図形の対称性の問題では、問題文に前提として軸が与えられ、その問題を解く人は、それを了承して対称性があることを認知するでしょう。

これは絶対だ、と。

 

では次はどうでしょう。

これは不定調性論の12音連関表ですが、これも緑色で塗られたセルの配置の形がピンクの点線を軸に左にCメジャートライアドの構成音、右にF#のメジャートライアドの構成音の形が対称性に見えますか?

見えると、と仮に納得したとしましょう。

そうなると、

CとF#は対称性を持つ

と私が言ったら、あなたは認めますか??

 

おそらくこれは難しいと思います。なぜなら私が示した対称性は、多くの人が音楽の中で日常的に感じている「CとF#との関係性」とは、異なるイメージに属してしまう可能性があるからです。
そのため、あなたが私の示す対称性を受諾するためには、あなたの中に持つ音楽的感覚軸をいったん手放し、私が設定した抽象的な軸を受諾する必要があるからです。


それゆえ「CとF#は対称である」と言われても、即座に納得はいきません。

 

ピンクの軸は何?

この軸は私が設置した、私にとって都合の良い回転軸です。以前は表裏回転軸(SH Spindle)と表現しました。

12音の関係性を自分が思うように、感じるようにモデルにしていくと、自分が納得しやすいモデルが生まれます。つまりそこまでの過程も、私はいくつもの「自分の軸」によって自分の方法論を作っています。

身勝手な自分が良しと思う軸を起点としているのですから、他者が受け入れられないのは当然です。

 

しかし算数の問題で与えられるピンクの軸も、実は、了承する必要はありません。いかにも対称性を自分に感じさせる軸が自動的に現れているように感じるかもしれませんが、それはあなた自身が決めた線、受諾した線です。

こういう三角錐を斜め正面から見た図だったかもしれません。

そんなことはないだろう、と思うから、あなたはピンクの線が作る図形の対称性を受諾したわけです。

それがそう思えるかどうかは、自身が決めること、としてみると何が起きるでしょう。

 

観測者が世界を形づくる

cとf#は増四度というのは、特定の思想に基づいた軸によって決められています。

社会はそのどれかの知識を共通認識にしないと、まとまりません。artを作り出す基盤です。しかしそのartの前に、自分を承認しないことには方向性が定りません。

それに文句を言う人は、「文句を言うことがその人の存在の証明」です。

漢字の読み方や日本語の表現がどんどん変化する川の水のようなものなので、「今の水の流れかたはおかしい!」と叫んでも仕方ないと感じます。

 

〜〜というのも私の独自論ですが。

 

多くの哲学者が「知覚そのものが世界を形づくる」的なことを言ってますから、今更なのですが、それを音楽方法論に持ち込むには勇気が入ります。

それじゃ身勝手になるのでは?と思われますが、これはみんなうまいことやっていると思います。バッハが一番偉大なら、みんなバッハを目指せばいいはずですから。

一人ひとりが自分の軸を置き、「色々言われた通りやったけど、最後は俺がこう感じたことが全て」としていくから、個々人なりの作品ができます。

 

左右に物事を分かつ線は自分で責任を持って与えないと、自分の作品ができません。

私も自分が作ったモデル図表に自分で線を引いて、そこから生まれる対称性を自分が用いる関係性としていくのです。

 

発信と存在の証明

本当の身勝手はここからです。

C∇とF#∇が自分にとっての対称性であるならば、これを使って、発信しないと完結できません。その関係性を作品の中で示すことで「自身の存在の証明」みたいに感じるわけです。

それゆえ、発信します。

作品発表とか、感覚の性癖オリンピックであるArtと違い、個々人が自分の存在表明のために発信し続けることは、最下層の車輪を回す行為です。ここが皆ひしめき合って 車輪を回していかないとArt自体もきっと成り立たないでしょう。

 

今まとめているモジュラー連鎖対称性のページの脚注を一つの記事にしました。

 

様々な音楽理論の解釈や音楽理論の活用の仕方がありますが、それらも個々人が軸を設定し、それに基づいて方法論を解釈し、自分の音楽制作や発信に活用しています。

その他者の"軸の置き方"に対して、いくら美しいと思っても、自分自身の方法論(独自論)や音楽作品スタイルと合うかどうかは全く別な話です。それらの関係性はご自身で決めていかなければなりません。

やがて自分の軸が自分で置けるようになると、ちょっと楽です。方法論を読むだけで、それが自分の軸と違うかはっきりわかります。

そしてあとは自分の探究だけになるので、一人で闘うのみ。

私の場合方法論も作品の一つなので、こうして考えて書いて、存在を証明したくなるのでご容赦願います。

 

対称性が生まれるのは、あなたがそれを認めたから、と言う記事でした。