ついにシーズン10がスタートしましたね。
今回はシリーズ通して深夜に響くあの音について語ってみましょう。
なおこの記事での音程表記にはDAWで出力したままに基づいて音程名をつけてます。理論的スタンスの深い意図はありません。減五度=増四度等として扱ってください。
僭越ながらあの音を作ってみました。
こちらの都合で恐縮ですが、イヤホン推奨いたします。
後で気がついたらオクターブ低くてすみません。
Nexus3 のBasic Sine。
ドラマのこの木琴鉄琴系の音色はきょうの料理 テーマ曲 冨田勲 - YouTube的にも聴こえます。富田先生の作品は賑やかで家庭的で「陽」に満ちていますが、孤独のグルメのこの音は極端に音を減らした「寂寥としたきょうの料理」といった対照的な印象を感じてみたり。
d音から音程が減五度(増四度)と完全五度という二つの音程で換算できる音で構成されています。これを深夜に聞くと、この減五(増四)度の音がどこか孤独さ、空腹の辛み、を感じさせ、完全五度の音で静寂、スイッチが入る、そういった心象になります。
聴き取り間違っていたら本当にすみません。私そういう凡ミスをよくやります。
この音を聞くだけで「空腹」のスイッチが入る人もいませんか?
下記の記事でも述べていますが、完全にこの音が刷り込まれています。
"こんな三つの音なんて、何でもいいんだろう?"
と思うかもしれません。
ではやってみましょう。
これだとちょっと時報っぽく感じますね。カチっとしたイメージでどこか"味気がない"ように感じます。
味気がないので、どうも食欲自体そそりません。
オリジナルのほうの「減五(増四)度」は、いわゆる「悪魔の音程」です。幻惑的な不協和音。
この減五(増四)度は、まるで空腹が何かを諭すような...また同時に孤独を突き刺してくるような鋭さも感じます。
五郎が空腹に心を痛めている、そんなことまでオリジナルのあの音から感じられるようになってるかも。もはや刷り込み。
なお、まったく違いがわからない、という人もあまり気にしないでください。
世の中には食にうるさい人、音にうるさい人、ファッションにうるさい人、色々いるものです。また1人で勝手にやってる分にはこれほど楽しいことはありません。五郎のグルメのように。
ぜひ、ご自身がこだわってやまないものを追求していただきたいということは、このサイトを通じて言い続けていることでもあります。
では次は?
もし三音なんでもよければこういうのでもよいはずです。
この和音に空腹とか、これから食処に向かう渇望、みたいなものを感じますか?
これだと、ちょっと小腹がすいた程度で、もう食べるものも決まっていて、ちょっと探したけど、もう店の前に居て、あとは入るだけ、そんな感じですね。
だからこれではないな、と勝手に感じます。
では次。三つ聞いてください。
ちょっとオリジナルに近いですね。
ただ、嫌な感じの空腹感だけで完結してるように感じます。空虚さがありません。最低音と最高音がオクターブだからでしょうか。
次、
こちらは空腹をよそに、孤独だけがピックアップされてしまったかのような感じもします。短七度が広すぎて、高く上がりすぎているのが疎外感を感じさせるからでしょうか。
次、
うーん、これはどこかがむしゃらに食べることに取り憑かれて何でもいいから食わせてくれ、みたいな本能的欲求に負けてる感を感じました。これでもいい感じの回とかあったけど。
でも、基本は五郎はなんでも良いのではありません。「いま、俺は何腹なんだ」と問いを自分にぶつけるような男です。
オリジナルの音は最高音が、最低音の1オクターブと半音上になっています。
少し浮足立つような、それでいてちょっと都会の寂しさ切なさも加わった絶妙な孤独のグルメ感です。
これ、考えすぎるとダメですね。
音楽家はこうしたことを血反吐が出るほど悩んで作りあげるのか?といえば、そういう時もありますが、スルっと数秒で生み出せる時もあります。
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孤独のグルメシーズン1の初回では、
こんな風にシンプルなフレーズでした。
このあと、この空腹を感じるシーンがどのようにピックアップされ、音まで変わって行ったのか、の過程はわかりませんが、二話以降は、現在の音に変わり、シーンの重要度も増して印象的になっています。
深読みすれば、一話目では『孤独のグルメ家 井之頭五郎』はまだ普通の男だったが、富岡八幡宮で何をお願いしたのか、ここで食の神様に通じたのか、スイッチが入り、この日を境に「孤独のグルメ家」として生きる命運を授かってしまったのかもしれません。
「八幡様に"うまいメシが食えますように"ってついでにお願いしたのが効いたようだ」
と一話で五郎が言っています。
なんかもっと別の命運まで開いちゃったんじゃないの???
なんて感じますね。
それゆえ、初回だけさざ波のような合図で、二回目以降は、食の神のお告げとでもいうべきあの重要なシーンが生み出されていった、と解釈するのも面白いです。
この曲(メロディ)には「孤独の空腹」と曲が銘打たれています。
これによれば最初にfの音が連打されて、例のフレーズに流れます。
これをdからとると、
d...e♭...f...a♭..
でDコンビネーション オブ ディミニッシュスケール(またはディミニッシュスケールとなんとなくの解釈でも良い)でできているメロディ、ということができます。
通称「コンディミ」スケール。
混沌、混乱、殺伐...こんなクオリアが浮かびませんか?
空腹が五郎に食に集中するように脅迫するようなスイッチを入れる存在感。
我々世代だと「一休さん」がとんちをひらめくシーンの音なども思い出します。あれは木魚とリンですが、やはり何か神通力を得るような神妙な瞬間です。神聖な感じしますよね。このドラマだと、このシーンがないまま普通に空腹だぁって店に駆け込むのは、手水舎で手を清めずに神社に入るような行為に見えてきます笑
年末のゴールデンタイムとかではこの音は例えば、
ちょっとこっちにしたい、とか思うこともできます笑。
これはコンディミではなく、ジャズのオルタードミナントスケールです。ゴールデンタイムだから、あまり寂寥とならないように2音目は減五度の代わりにその反対側に一個あげた増五度(短六度)にして、少し動きを出します。
ちゃんと減五度(増四度)も最高音との関係で残してます。
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音ひとつでもそれが連鎖するとそれなりのイメージを聴き手に与えます。
比較することでそれぞれの違いも感じられる方もおられるでしょう。
不定調性論ではこれらを「音楽的なクオリア」「進行感」などと一時解釈し理屈と感性を直感的に使い分けて音を紡いでゆきます(その解釈はその都度深める気概で)。この記事が「わかる!」という人は、効果音作成のスキルは身につけられると思います。
今回のようなフレーズは、ぱ!っと決められるようになりたいものです。
この記事のように考え込んでしまうと創作自体に覚めてしまいます。
たった三つの音についての記事でした。
きっとスタッフの皆様からは「そんなことまで考えてないよ」と言われてしまっても良いのです。音楽は自分の机に出された食事と同じ。自由にとことんまで味わってナンボです。今回は皿を舐める勢いでたった三粒のご飯粒を味わいました。
もちろん。まるですき焼きの中を泳ぐような食欲溢れるメインBGMの数々が魅力でもあります。
食神井之頭のマインドフルネスとも言える孤高の食と音楽を楽しみましょう。