音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

7thコードはなぜトニックになりうるか(2018)★★★★★

この問題は、
I7ーV7ーI7
において
「なぜI7で、人はトニック感を感じるか」という問いです。
こういう風に唐突に人に聞かれたら、皆さんは何と答えるのでしょう。特に音楽を勉強、研究している皆さん。そして先生方。

 

   


「ブルース7th」と言われるこのI7、ブルース楽曲においてI度の位置にくる和音がI7とされ、それが伝統となりジャズとなり、ロックとなり、ポップスとなり基本的な和音だと認知されています。

<いくつかの考え方として>
I7の根拠を、
"ひとつの基音の上にはI-III-V-VIIbの自然倍音ができるから、本来本当のトニックはI7である"
とか言っちゃうこともできるでしょう。でもこの理屈だとV7ーImではなぜ解決感を感じるかということについて答えることができませんから、これについてはそれぞれのケーデンスを説明するそれぞれ別の答えが必要です。答えはたった一つシンプルなものにまとめられなければなりません。


"I7はI△やIM7の変化和音だ"
という見方もあるでしょう。しかしこの意見だと、ではなぜその和音は"理論的に変化"する必要があったのでしょう。もしそれが変化した理由が、作者の意図によるものだとしたらその変化させようという意図が理論的に必要なものでないとしたら、それはどの程度理論的な枠組みに収められる必要性があるものだといえるのでしょう。

ただの作者の気まぐれ?と言ってはいけないのでしょうか?

いや、もしそれを言ったら理論は枠組みを失います。

(ビートルズ研究では、ギターでの同じコードフォームをスライドさせることからできる進行感の拡張、と解説したりしましたね)。

変化が慣習に従った気まぐれなら、IM7(b5)がトニックになる音楽があってもいいんじゃない?またはI6sus4も極端な話、変化和音じゃない?

私はV7→I6sus4で解決感を感じるけど、これはなぜ?私が人とは違っている変わり者だから?「感じてる」なんて嘘をついちゃってる?私が自分が嘘ついてる、って気が付いていなかったら?


とかなっちゃいますよね。そして、

いやいや7thコードには解決感が伝統的に確立されてるけど、お前の言うIM7(b5)はそこまで認知されてないから、あるとは言い切れないんじゃん?

とかっていう話になります。


じゃあ、今は認知されていないとして、未来永劫存在しないと誰が断言できるでしょう。ここで音楽理論論争が始まります。

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<より音楽現場的な考え方を作りたい>
歴史がどうこう、理論がどうこう、を現場で議論している余裕などありません。

「今、この瞬間、この音楽はどうなのだ」という問題を討議できるような方法論を学習の現場でも並行して学ぶべきなのです。

「○○○○年にモーツァルトが使った手法」だから、今この音楽にも使える、なんていうことは最新の現場ではどうでもいいのです。

話を元に戻しましょう。

ここからが不定調性論になります。


この解決感がある理由に悩む人はまず、
V7ーI
はなぜ解決感を感じるのか、ということの答えを真剣に考えてみてください。

これは答えられますか?

あなたはこれを、トライトーンの半音解決で説明します??それとも自然倍音の発生と基音への帰結から説明しますか?それとも機能和声論の伝統理論から説明しますか?
とにかくある程度は音楽を勉強したことのある人なら答えられると思います。

 

動画シリーズの中頃でもこのポイントに触れて展開していきます。

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それでは次の進行はどうでしょう。
V7ーImや、IVーIやIVmーI、VIbーVIIbーIm
に解決感を感じるのはなぜ?でしょうか。それぞれのIやImにあなたは解決感を感じますか?それはなぜですか?先ほどと同じ理由で説明できますか?

V7ーImは自然倍音で説明できますか?トライトーンの解決で本当に説明できるのでしょうか。
IVーIとかIVmーIにはトライトーンもないのに解決感があると思います。なぜでしょう?


VIbーVIIbーImなんてV度進行もしてません。でも私はこのImのところで「キマった」感を覚えます。なぜでしょう?

同じ一つの答えの仕方でこれらが解決する理由を説明してください。それぞれに異なる注釈や例外など付けないようにして説明してみてください。

     


では、
IVーVIIbーIはどうでしょう。
VIIbはIIIbに行くべきところなぜ、誰の意図によってIに行ったんですか。
誰の指示ですか。

理論的必然性や権力者からの命令でないとしたら、曲の中のどんな因子がIIIbに行かねばならない理論的伝統性に反してIにいかせたのですか?

もしその曲を作っているのがあなたじゃなくて他の人だったら、そのアレンジの結果は万人において同じになるでしょうか?


では、IーIV#ーIはどうでしょう?
この進行感にニルヴァーナっぽい解決感を感じる私はおかしいですか?

私が感じているこの解決感は世間一般の「解決感」とは違うのでしょうか。でも私は「これも解決感だろ」と信じています。

そこで不定調性論、という脳のプラグインが必要になってきます。
不定調性論は伝統的思想や発想をまず「良し」としながらも、本当のあなたは今どんな印象をその音楽に抱いているか、を並行して確立させることができます。

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この問題をもっと広げましょう。
犬や猫がこれらのケーデンスを音楽的に感じないのはなぜでしょうか。

 

私はそういったことへの普遍的な理解も必要だと思っています。
人間だけが良ければ良いのか?もうそういう時代ではないのではないか。

そこはスルーして、あなたのテストの得点が高ければよいのか。本当にそんな生き方をいつまでも続けていてよいのか。

いつかその疑問にぶつかるでしょう。人と同じ競争をしたい人もいればもっと別な観点から人生を闘いたい人もいるでしょう。


<結論>
簡単ですね。
"自分がそう思ったから、今はそう思うしかない"

自分はI7に行ったとき、この和音の進行感に「トニックさ」「終止和音の感じ」「カッコよくキマった感じ」を覚える、という感覚を自分に認めてあげればいい、というだけです。殴られそうになったらよけるでしょ?「なぜおれは今よけようと思ってるんだろう」とか考えないでしょ!?

その他の和音進行も同じです。あなたがそう感じたから。

トライトーンが解決しなくてもあなたは進行感を感じるのです。

そういう音楽をずっと聞いてきたからそういうあなたが出来ただけです。

 

あなたの五感は、あなたの意識以上に研ぎ澄まされているのです。

それを信じて音楽も行え、そしてその感覚をさっさと磨け!

といいたいのです。

 

「なぜ自分はそれを感じるのか」というのは今まさに研究が続いている分野です。だからその「なぜ」はこれから音楽以外の分野も含めた、「意識学」「脳科学」で解明されるのを待つしかありません。

しかしその仕組みがわからなくとも「そう思った」のはあなた自身であり、それを音楽理論、伝統、慣習、教えを叩き込んだ先生のせいにする必要はないのです。

人生の積み重ねの結果、あなたが自我を作ったんです。そう思うことに責任をもちましょう。他人に同意を得る必要はありません。


ただ今のあなたはどう感じるのか、それを自分に認めてやるのです。

それは恐怖です。勇気がいります。ゆえにそれを認めず、何か根拠を探したがるのだと思います。音楽理論がそうした根拠のための学問に利用されていることは悲しことです。

 

「なんでI7ってトニックになるんだろうねえ」
という質問が、ちょっとずれた聞き方だと思います。

「俺あの娘が好みのタイプなんだけど、なんでだろうねぇ」

と聞いているようなものです。そして答えるほうも

「そりゃ、あの娘は、ハリウッド女優だから、スタイルもしぐさも魅力的だからさ、誰の眼にも好みに見えちまうのさ」

と答えるので、なるほどねぇ、じゃあ俺の責任じゃねえや。

 

で、ぱっと好みを忘れられれば良いのですが。

 

結局は、

「お前がそう考える理由なんてオレには分からんよ」

と最後はなります。

そして、そこさえ疑わず認められれば、音楽に理論書は必要無くなります。

「おれはイイと思うんだけど、理論書にはダメ、って書いてあるから、俺この方法せっかくだけどやめるわ」

なんて思わなくていいんです、本当は。

どうしても自分が良いと思うなら、悔いなく使ってみればいい。そしてさんざんこき下ろされてみて、がっかりして音楽辞めたくなったらそれでいいし、何くそ!って思えばもっとたくさん勉強するし、もっと良いものができます。どっちを選んでも良いです。

諦めるのも、頑張るのも理論のせいではなく、あなたの責任のもとにある話です。

 

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猫ちゃんがケーデンスを感じない理由は、「ああ、きっと猫は何も感じないんだろうなぁ」で済むわけです。でも本当にそうでしょうか。人間よりすぐれた感覚だって持っている彼らです。別の何かを聴いているかもしれませんよ。

勝手に判断して楽しんでいるだけです。


また、こうした和声の進行感を理解できない人に出会っても、もはやその人が勉強不足とか、才能不足とは思わないでしょう。「その人は感じない」だけであって、もっとその他の感覚が研ぎ澄まされて、生き方をそちらに向けているのだ、と「理解」できるでしょう。
ビートルズを万人が好きにならないのと同じです。

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まず、素直にあなた自身がどう感じるか、その音はどんな感情か、その音はどんな展開を待っているか、その音とあなたとの間で決めていく、そうすれば次のステージはすぐそこにあります。

特に若い方、これからを背負って生きていかれる皆様、とにかく自分の感覚を研ぎ澄ませてください。教科書は勉強のためではなく、自分の感覚を研ぎ澄ますために読んでください。