2017.9.10→2020.7.23更新
- 科学的解明を待つ間にやるべきこと
- マイナーコードは連続すると暗くない
- 天才たちは短調を超えてその先を表現する
- mより暗いdimは絶望?
- 切ないのは人生のほう
- 自分がそう感じたから、で成り立つこと
- クラドニ図形
科学的解明を待つ間にやるべきこと
「マイナーコードってなんで悲しい感じがするの?」
二年に一度ぐらい、このタイプの質問を受けます。
この問題の科学的解明が待たれる中、いま大切なのは
「あなたが今そう感じた」
ことを認め、活用していこうとすることだと思います。
振動数比や哲学的立場や美学的立場については、結局結論が出ず、最後はこの記事が述べる内容に収束していきますので一般論は他のサイトでご覧ください。
また、悲しい音楽を作りたいという場合には、あなたが悲しいと思う音楽を真似て作ってみてください、それを誰かに聞かせて、それを悲しいと思うか思わないかの違いが出るだけです。
問題は何故悲しいと思う、という現象が起きているかであり、それは未解明です。だからそう感じたこと自体を使うしか現状は手がありません。
そこを納得するためには、下記のような内容/可能性/ニュアンスを知っておけば十分だと考えています。
この考え方は不定調性論全体にも活用できています。
以下に文献を引用しますが、飛ばしてOKです。
いくつかの機能的脳イメージング研究では、「喜び-悲しみ」(Khalfa et al.,2005; Mitterschiffthaler et al.,2007)、「音楽的な美」(Suzuki et al.,2008)、または「好み」(Green ret al.,2008)を研究するために長調と短調の音楽が使われた。しかし2つの研究(Khalfa et al.,2005; Green et al.,2008)で短調と長調の音楽を比較した際の前頭前野内側皮質(BA10m/9m)の活動以外、これらの研究で一致した結果はなかった。
ポジティブな情動を誘発する音楽への反応の際には、右の前頭葉に比べてより顕著な左の神経活動を報告した。そしてネガティブな情動を誘発する音楽では優位半球は逆であった。これらの研究の1つ(Altenmuller et al.,2002)はDC脳波を測定し、他の研究(Schmit & Trainor, 2001)ではα帯域の振動性の神経活動を測定した。
情動もしくは混合した情動の強度、そして時にはその特性も時間とともに変化する。しかし、情動処理の時間的経過についてはこれまでにわずかしか分かっておらず、情動的なエピソードの異なるステージに関わる神経基盤については不明である。
「音楽と脳科学」S.ケルシュ(2016)より
この問いに脳の研究はまだ答えられていません。
2021年のこちらの記事集もご参考まで。
音大生・音楽家のための脳科学入門講義〜音楽制作で考える脳科学29
しかし「理由がわからないから音楽が作れない」ということはありません。
私たちは音楽に確かに情感を感じています。
でも、切ないコード進行とかってみんな紹介してるじゃん、
と思うかもしれませんが、それもよく聴いてみると、あれ?これ切ないかなぁ、どっちかっていうと爽やかだけど、とかって思うことがあると思います。また、皆が同じような生活環境で生活してきたことによる同様な価値観を持っている可能性も脳科学はしてきています(スキーマの形成)。
この記事では「主観」というものについてより考えてみたいと思います。
不定調性論の挑戦も、この自分の中に「沸き起こる情感」「確かに感じる直感への信頼」を頼りに、音楽を作る方法論です。
パソコンの仕組みはわからなくても使う人次第でアートにも武器にもなることに似ています。
たとえば『東京音頭』は、短調的(ラシドミファ)ですが、この曲、悲しいイメージしますか?
もし「悲しい」を感じたとしても、ただ「悲しい」だけですか?
懐かしさ、憧れ、そわそわ、お祭りのイメージ、夜の提灯のイメージ、一緒に歩いた友人、恋人のイメージなどいろいろ他にも情感を感じませんか(エピソード記憶)?
これを拙論ではまとめて「音楽的なクオリア」と表現します。
楽曲を丁寧に感じてみてください。その音楽/音現象にあなたの情感が動いたら、それが「音楽的なクオリアを感じた」ということにしてみてください。
逆にワイドショーなどで「いかにも悲しみを演出したい音楽」が流れると時折"ウザ!"って思うと思います。その音楽は完璧に人の悲しんでる状況や行動、思考を音楽にしているのに、人は状況によってその音楽を受け入れません。
単純に感情を音楽に乗せるだけでは、音楽は人の心を動かさないんです。
そういう音楽の短調は「悲しい」ではなく"クサい"と感じられ逆に笑われます。人はそれほど単純ではありません。
"ではその音楽を友人も同じように「悲しい」と感じると言っている、この曲には悲しみの要素が何か含まれているのではないか?短三和音には何かそういう悲しみの感情とリンクする性質を持っているのではないか"
という問いもよくありますが、音楽に対する感情は個人のその時の情況が関係し、シンプルな感情だけで捉えているわけではない、ということを感じてみてください。
だから当然あなたの「悲しい」のニュアンスや浮かぶ映像と、友人の「悲しい」と思って浮かぶ映像も異なるはずです。音楽が同じ映像を植え付けるわけではなく、記憶や脳の構造になんらかの反応器官があるわけです。そしてその機構はよくまだわかっていません。
マイナーコードは連続すると暗くない
Bb-Cm-Dm
と流れる時、経過するCmもマイナーコードですが、私はこの流れをあまり"暗い""悲しい"とは感じません。
(こちらで音で聞けます→)https://rechord.cc/WLdL3td2O3s
(<専門>Bbメジャーキーを先に感じてしまうことでCmをCm/Bb△=Eb6/Bb的に感じるから)
人は知識として理解するより先に、反射的に感情を感じます。
短三和音はなんで悲しい響きがするのか、という問題意識自体が実は表面的な問いかけです。
でもこの疑問に気がつくことはとても大切ですね。
先端の脳科学でも未解決な問題なのですから。
天才たちは短調を超えてその先を表現する
以下は例えば、です(記事を作ってる時期に扱っていたアーティストより)。
・ユーミン氏は『ツバメのように』で自殺をテーマにしながらテンポの良い曲を書いています。悲しみの果てのドライな感受性。自殺が悲しいのはわかっているから、マイナーキーの曲にはせず、テーマと歌詞と曲調がミックスされることで、感情が凍りついたようなちょっと"怖い感じの悲しみの表現"が模索されているように感じます。
・『神田川』は、学生運動時代、闘争か、家庭か、つい女性の優しさに惹かれて自由への闘争を見失いそうになる男性を描いた、映画の1シーンのような断片歌です。
「貴方は もう忘れたかしら?」の一節によって、いつまでも思い出される歌になっています。どちらかと言えば内容は「甘酸っぱい」歌です。これも思い出ですから学生闘争と激しい感情の入り乱れをメジャーキーでも良かったのでしょうが、マイナーキーにすることで少し疲れたような、だいぶこだわりも抜けてきたような「私も少しあの頃からより良く変われたのだ」という思いを感じます。それがハッピーエンドのように感じられ、また聴きたいと思わせる曲になっています。
・『あの素晴らしい愛をもう一度』は、実はとっても暗い内容の歌です。曲調が明るいことで、暗いメッセージを昇華させ意味そのものを変質させる、という効果が起きています。これは「ツバメのように」と同じです。
・『We are the world』も、前向きな曲調ですが、その歌が生まれた背景にはたくさんの悲しみや絶望があったわけですが、それは描きません。その先の一縷の希望を思い切り描くことで、その悲しみがいかほどのものか腹の底の方で感じながらも、同時にそれらの悲しみを燃やし、パワーにして何か行動しようと思う心を作ってくれました。
先人の音楽は、すでに短調=ネガティブを越えたところで音楽を作っています。
mより暗いdimは絶望?
また、先の理屈にこだわるならマイナーコードより暗いdim(ディミニッシュコード)は必ず絶望なのか?という話にもなるでしょう。
確かにdimコードはアニメや映画などでの危機一髪シーンでも使いますが、
S.Wonderの『Christmastime』の下記0:06
S.Wonder『Christmastime』
のちょっと翳りが出る和音の響きはII#dim7はいかにもクリスマス!!って響きがしませんか?神秘さすら感じます。
もちろんクリスマス=絶望、ではありません(去年フラれた人以外)。
これは伝統的なクリスマスソングジャズアレンジの内にdimアレンジがあり、それが耳に馴染んでスタンダード化された感覚と考えて良いでしょう。
だからこのコードが出るとその雰囲気によってクリスマスっぽく感じるように我々は刷り込まれています。
切ないのは人生のほう
人生は切なさを感じることのほうが多いですから笑。
人生で日々感じてしまう感情を音楽に求めてしまっているのかもしれません。短調が悲しいという決め付けは、自分の主観が存在することを忘れています。あなたの「悲しい」は、他の誰かと比べて本当に悲しいと絶対的に言えるものでしょうか。
また、あなたがその和音に感じた悲しさを具体的に表現して、誰かの悲しさと徹底比較してみてください。
悲しみは母親の胎内にいる時からそれを感じ、母親の悲しさも胎内で感じていたでしょう。
ここでもし母親が悲しみを感じた時に、逆に興奮してアドレナリンが出て踊ってしまうような母親であったらその子はまた違ったのでしょうか。その子は悲しみをどのように感じるのでしょうか。その子にとっての短調はいかなる印象なのでしょうか(情感のスキーマは幼児期にも形成/変化してゆく)。
現代は未来の人から見たらまだまだ豊かな世界かもしれません。
だから「マイナーコードは悲しい」なんて言わず笑、切なさを感じたら、それに気づき、次の希望に変える音楽家になっていただきたいです。
だから最初の問いは、
なぜ皆、人生に切なさを感じるか?
が本当の問いかけなのかも笑。
私は、マイナーコードの響きは、「マイナーコードの響き」そのもの、と感じるようになれました。
私の最初の強烈な短調の記憶はベートーヴェンの「運命」です。
あの肖像画といい、ハ短調の曲に「怖さ」を感じました。
短調=怖さ
「怖さがぬるくなったもの」=悲しさ
「悲しさから憂いを引く」=「美しさ」
みたいなことも学びました。
短調=儚い美しさの体現
です。
「悲しみ」なんて誰も感じたくないです。
しかし音楽の「悲しみ」は音楽でしか感じない「独特の怖い感じ」がします。
現実の悲しみとはちょっと違うもっと美しいもの、"理想の切なさ"をいつも抽象的に表現してくれます。そんなことを本でも読んだ気がします。
現実に悲しい時って怒りとか後悔とかを必ず同時に感じます。それらのイライラする感情を全て抜き去ると短調の音楽になると思うのです。だからそれを「理想の切なさ」と呼ぶのかも。
コメントいただいたようにヘヴィーメタルのマイナー曲には逆に「絶望から立ち上がる決意」かっこよさを感じます。
ヒーローの悲哀みたいな。
悲哀=かっこよさ、です。
「悲しみを感じて、それを乗り越えた!というカタルシスを目指そうとする」
から、マイナーロックメタルは魂が燃え上がるのかな。
音楽の悲しみが現実とは関係ないと言ってもモーツァルトの葬送曲を毎日聴くわけにはいかないと思います。
これ聴いて「よっしゃ!!今日もピーカンでぶち抜くぜ!!!!」と思う人がいたら、あなたは天才です笑。
しかし幼少時から、めちゃくちゃノリノリのシーンでこのレクイエムを流す人生だったら、感覚は違ってくるのかな。
夕方、街にやってくる灯油屋さんのメロディ、そこまで悲しくないけど、すごく切なさを感じます。時間帯と、冬の寒さと、自分の今の境遇と、色々感じるからでしょう。
漠然とした切なさ=平和
かもしれません。文明国ならではの悲哀。
「悲しみを感じていられる余裕」ってよくいわれたりします。
指定紛争地域にいたら、今ほど悲しんでいられるのか?ですね。
また、長三度と短三度を惜しげも無くごちゃ混ぜにしてblueを生み出すアフリカ人には今書いた理屈が通じないかもしれません。
「その音に何を感じるか」、言語、習慣、食べ物、ライフスタイルと脳との兼ね合いも何かありそうですね(一定年齢までに覚えた事が脳にスキーマを作るため文化によって感じ方は違う)。
彼らの音楽を聴いていると、すべての悲哀を乗り越えて歓びに昇華しようとする力強い伝統のようなものを感じます。
自分がそう感じたから、で成り立つこと
最初の問です。マイナーコードがなぜ悲しい響きなのか、の「なぜ」の答えを
「自分がそう感じたから」
としてみましょう。その理由はまだわからないので、まず事実だけを受け止めるようにしましょう。
あとはそれを感じて何を話すか、何を創るか、どう行動するか?
にどんどん反映させていくか、いかないのか?です。
不定調性論も音に根拠を見出すのではなく、自分に根拠を感じ、それを音にするために音楽理論を活用する、という姿勢です。
感じたらそれをとにかく表現にまで持っていってしまうわけです。
音楽家は、感情の理由を考えても仕方がないと思います。
音楽家は、感情を音楽にする人種だから音楽家なのであって、感情それ自体がすでに音楽なんです。
その理由やその根拠を考えるのは哲学や科学、脳神経学、心理学にお任せしましょう。
クラドニ図形
上記の「クラドニ図形」は音の振動が物体の表面の振動の起伏に応じて様々な波紋を作るという現象です。振動数によって起こる形が決まっています。
同じことが耳でも脳でも起きていることでしょう。
人間だいたい同じ耳の大きさ、聴覚器官、脳を持っているなら、だいたい誰でも同じ音響で同じような部位が刺激され似たような情動が生まれます。
マイナーコードの振動数が耳と脳の同一の感情部位を刺激して、みんなだいたい同じような情動反応を引き起こしている、わけですから、短調がだいたい同じ情感部位を刺激するのは確かでしょう。
つまり脳のサイズ、耳のセンサーの機能や容量が異なれば、そうは感じないのかもしれません。カラスは人のバラードをどのように感じているのでしょう。
また、実際失音楽症の人は、音楽を音楽と認知できません。
様々なタイプの人が共存していて、自分だけが普通でもないし、多くの人が同じだからみんなおんなじ、と決めるのも変です。
様々な人がそれぞれで感じてそれを用いる方法論があっても良いと思います。
だから
「自分がそう感じる」を真ん中に置く、そういう自己感覚主体の不定調性論も宜しくお願い致します。
ギターのEmコードは、マイナーコードの王様ですね。
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引用の際は上記出典または下記専門の文献を活用下さい。
<関連>認知的侵入可能性
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/51/2/51_65/_pdf/-char/ja
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源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか-音楽美学と心の哲学-』読書ノート⑧|S Y M.|note
==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題==
この曲は野原で笑顔で映る、ってわけにはいきませんね。
「運命」って感じのジャケになります。メタファーが効いてます。