音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

調性を橋渡す不定調性〜ダイアトニックコードをつなげる不定調性

この記事もサクッと読めます。

レッスンの中で作ったのでせっかくだから記録させてください。

 

再生でできない場合 - dore1.mp3

お聞きの通り、ハ長調のダイアトニックコードです。すみませんEmがC/Eになってました。後で気がつきました。

ちなみにこのコード自体も下記のように記すことができます。

Ew\^C |Dw Ew\ C|q^F Gu5 Ew\^A \Fq^B |C‾|+Qw

これらの集合は本来未知の集合ですが、普段は簡易的に皆と共通理解するために「ダイアトニックコード」と位置付けているに過ぎません。

その音を聞いた時、湧いてくるイメージはいつも違います。

だから私は常に違う音を聞いている、と解釈することも可能です。

これらの記号表記は鳴っているそのままを落とし込める記号形式です。

 

下記は少しアレンジしたものです。

上の音を並べた時、なんか穏やかな丘の上の学校に向かう階段だな、と感じた感じをトップのメロディにしました。

再生でできない場合 - mp3

最後が物寂しいのは、多分学校に誰もいないから、、では?ないかと。

最後の和音は不定調性的です。個人的にはコード表記と混ぜて拙論表記を用いることもあるます。

簡易的表記としては、

CsrM7またはC-sru5(参考)。

 

構成音まで正確に表記したいときは、

r3C|qCu5‾ \.q‾ .-u5wq‾ .w

鳴らす音の順番までは表記できていないので、その辺をどうするかは検討中です。この記号で表したのに意味不明感が出ている感じは性癖です。

皆さんは無視していただいてOKです。

 

 

そして和音と和音の間を不定調性で埋めてみます。

再生でできない場合 - mp3

ダイアトニックコードが置かれるアクセントはありますが、間をつなげる音が不定調性のために程よい作品感が出ています。最後の和音はChM7です。

不可思議な形と静けさを持つ風景にワクワクが置いてきぼりになった心象を表現してます...多分。

 

ジャズ的な方法論の場合、

CM7 A7(b9) Dm7 D#dim7 Em7〜みたいに論理的に調性を維持する和音を挟むのですが、不定調性の場合、関係ありません。特に上記は小節を無視しているのは、好みです。すみません。

<参考>機能的に埋めた進行(下記)

再生でできない場合 - mp3

文脈を繊細に抽象的に、かつ論理的につなげるような雰囲気を出したい時は、慣習的に機能的連鎖の方が伝わりやすい時が多いでしょう。

 

要は自分のクオリアに任せて混ぜていけばいいんですが、大切なのは技法ではなく、その時どうしたいかが身体に備わっていることで、私の場合、そこに委ねると下記のような感じになってしまいます。

そういう一般式がなかったので、「不定調性」という概念を作っただけです。

では小旋律作品として、

「丘の上の誰もいない学校」

再生でできない場合 - mp3

和音一つ一つは比較的調性的ですが間をつなげている音が不定調性なので、妙な進行感が、聞いたことがあるようなないような幻想的な感覚にしてくれます。

最後は基音の側面領域を鳴らしている低音から>IC-w、または混合表記でCM7(wとも表記可です。

低音からの表記はr1C¯/|r3.¯/.-w¯|.です。下記は堆積を低音から視覚的に描いたものです。‾はオクターブの区切りです。

|.

/.-w

/|r3.

r1C

 

これは技法、というより、私の音楽。

ただ聴いて欲しかっただけです(*´・∀<)テヘ。

 

不定調性制作においては、コードスケールという概念がないので、そこに置かれた和音が、コードスケールで彩られる時とは違う表情を見せるのがお気に入りです。それがコントロールできない状態で作られる、という点が気に入っています。

コントロールしたいときは、ジャズ理論を使いますね。

普段は、機能的/不定調性的..両方織り交ぜてその時にしか作れない表現を作りたいと思っています。

皆さんもきっと、感覚でほぼテキトーに委ねてしまう時はないですか?

そのテキトーの罪悪感の部分、そこが不定調性論の領域で、そこをいかに論理的に描いていくかが課題なんです。テキトーではあるのだけど、あなたの全人生が詰まった結果の「その場限りの最高の解答」であり、そこに救われたこともあるでしょう。

そこを神聖視すると理論を貶すでしょう。そこを軽蔑すると、理論に縛られるでしょう。両方を適切に自然に自由に自分に導くには、どちらにも方法論が必要なんです。

 

こんなこと、社会のためにも何にもならないのですが、何か犯罪行為で自分の存在感を示すより、まだマシかな、と思って、振り切ってこの"何にもならない音遊び行為"によって、よくわからない自分自身の表現活動を慰めたりします。

 

本日も無事終了です。