早朝に虹が出ていました。雨も降っていないのに。
日が短くなり、朝がだいぶ暗くなってきました。
起きている人もまばらな時間。
道ゆく人が誰もいないのに歌い続けるひとのよう。早暁の虹。

「不定調性音楽ってどう作るんですか」みたいなことは時々聞かれます。
今回も二つ小品を作りながらこの話題にトライしたいと思います。
不定調性を作る、というよりも、私がわがままに作った音楽が「不定調性」なだけです。この作り方以外できないのが実際。仕事で作っている音楽は、既存の概念をつなぎ合わせるだけですから私が作っているとは言えません(あまり所有感がない)。そう考えると自分の曲も、どこまで私が作っているのやら...それを自分が作りました、っていうんだから自分も傲慢だな、と思います。
ともかく皆さんが自然に作れて、最も心にしっくりくる音楽が、その人の音楽ジャンルなのだと思います。
写真を見るとまずこういうメロディが浮かんできました。

こういうスケッチをマザーメロディと言い、これを聴きながらイメージを膨らませて簡単なハーモニーをつけられるところからつけたり、装飾音を入れていくうちに、ベースの流れや、局地的な内声の動きなどが見えてきます。それが文脈というやつで、個人の中に宿る文脈的間主観性です。これがしっくりこないと決まりません。できた断片を少しずつ装飾しながら、見えてくる輪郭の中にあるしっくりくる流れを感じます。
虹の写真を見ながら、1音1音添えて、生まれる心象に...
・これって曇ってる感じ...
・これはうすーい2本目の虹の匂い...
・あーこれは漂う水蒸気の感じだな...
と音と心象とを結んでいく感じです。 言葉になること自体が稀です。ほとんどは音を置いたその瞬間、瞬間の心象と写真との相性を感じながら、立ち止まらずどんどん音を置いていきます。 それ自体を方法論にしたのが不定調性論です。え?感覚でやるテキトーで日和見な行為に名前つけて意味あるの?と言われそうです。空気に「空気」って名前をつけた感じです。ほんの少しだけ意味はある、そう感じています。
音楽理論にうるさい人でも、作りながら結局直感やその時の気分で音を自在に置いて、たいした根拠もないのに、"これで良し"と感じる感覚でどんどん作り進んでいく時があると思います。
その時「良し」と判断する基準が拙論で繰り返し述べる「その人の音楽的なクオリア」です。
普段考えてること、その前後で悩んだこと、最近理想だと思っていること、最近起きた出来事、そうしたことがシチューのようになって無意識の湖に流れ込み、 何か創作作業をしていると、水飛沫のように意識に飛び込んでくる「想い」「心象」「信念」...etc
以前それを「構造源」から生まれてくる何か、みたいに表現しました。
なんだかんだ理屈を並べて、結局感覚に頼るのかとご批判されるでしょう。
音楽理論にうるさくなるのは、構造源から生まれてくるものを説明したくて論理的に考えようとするのであって、その説明や根拠付けに慣れてくると、結局頭の中に浮かんできた直感や心象を受け入れることに躊躇がなくなります。
これまでそれを言葉で説明してきた経験に慣れ、結果的に言葉で説明する必要がなくなるんです。学習段階では確かに論理的に説明することが義務になる時もありますが、最終的に、宇宙の神秘、と言うか、人の力が及ばない「直観」に惹かれるものです。それが人が知る論理的な話のさらに上段にある論理的構造だからでしょう。
そしてできたのがこれ。
『朝虹』

程よく調性感自体はありますでしょ?特殊なことをしようとしているわけではなくて、やっていることは皆さんと同じです。ただ感じるままに音を置いていっただけです。
この「ただ置く」作業をしっかりできるように、普段からその直感が意味するものを考え続けたりします。
・誤った思い込み
・そっちにいきたい欲情からくる想い
・そっちにいきたくない偏見からくる想い
・カッコつけようとして背伸びした行動思想
...などの世迷い直感は、そう自分に認めることでこういう制作時の直感と向き合いやすくなります。選択眼が少しずつ鍛えられるのだと思います。そうして良い時といけない時を直観が分けてくれます。あとで「これは私の絶対的に正しい直観がこれを導いたのだ私すごい」と言ってもいいですし、「自分が作った」という権利を放棄してもいいでしょう。それらの旋律はこれまで学んだ知識が作ってくれたもので、権利は半々、と言ったところでしょう。論理的に作っても感覚的に作ってもあなたの権利は半分くらい。あとは歴史のおかげ、五感を作ってくれた母のおかげ、とか。何か人に自慢できるものが残るでしょうか。
また私の特徴として、自律神経が弱いので、安定した響き、心地よいケーデンスに現実味を覚えません。
いつもすこーし不安。でも結局それは慰めで、しょーもない自分への赦しでもあります。それはとても恥ずべきことですが、それを認めて自分の音楽を作りたいな、って今日まで思って不定調性論を独自論として承認欲求の代わりにブログで宣伝して満足しています。
私は調性音楽に憧れを持っています。しかし上手にできない。
平均律も大好きです。
自分のテキトーと調性音楽を合体させた自分の音楽への免状が不定調性論です。
さて、時間があったので次のメロディも浮かびました。

これは、だいたいこうなるかな、っていう完成後のフォルムをある程度イメージしながらまとめてますね。
あとはおんなじように音を1音1音足していきながら修正展開装飾していくのみ。
『夜露の余韻』




マザーメロディからイメージが変わることはザラです。
自分がイメージしやすいところからハーモニーをつけたり、合いの手をいれたり。モグラ叩きのようにポコポコアイディアが浮かんでくるところからまとめていきます。
音を置きながら「これは虹を表しているかな」とだけ考えます。時々、えーめっちゃVIbじゃん、とか思ったら一旦消します。手垢がつきすぎた(既存の和声の)雰囲気が、その曲に似合う時もありますが、そういうのは全体で数カ所です。
こうやって「個々人が独自論を持てば良い」という話になっていくのがご理解いただけると思います。
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虹の写真てあんまりピンときませんね。
実際の目で見る虹は、心に響きます。ふぁぁって鳴る。
実際の、リアルだけがその人の人生だとしたら、ほとんどが妄想や偽りの誇示。奇跡の一生であるけど、そんなに活きがらなくてもいいよね。逆に疲れるよ。
なんかそういうふうに音に嗜められるような今日の一曲でした。