音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

音楽的なクオリアの奥にある"構造源"からの息吹

皆さんの"理論"でこの和音を分析把握してみてください。この曲の最後の和音ですね。

この和音は「何」だと思いますか?

 

などと言うと、身構えてしまうかもしれません。この手の話は「考えるときの考え方」があると思うのです。

この構成音は、a,a#,b,c,c#,d,d#,eです。もはや音階的ですね。

拙論での表記を使えば、aが中心だとすれば、

こうですからSRG記法では、A+uaT54でしょうか。別の書き方もできます。

 

私も最初、その音を"理解"しようとして、それができないと不安になるタイプでした。もうこの時点で音楽に向かないタイプです。

そこで無知なりにせっせと音と音との関係性を作ることを暇つぶしにしていました。このブログを見てもわかる通り少し病的です。人生自体にも向いていないんじゃないかと思うほどです。この性癖が犯罪行為として出なくて本当に良かったと思います。

 

それはさておき、こういう和音が自分から出てきた時、それをどう理解するか、という問題について結構追い込んできましたので、その先にどういう問題があるのかも知ってます。

 

この”理解”を進める先にあるのは、

「本当に理解したと言えるのか」「理解させられたという体になっているのではないか

という話になります。

 

この話は、古代の哲学者らが、その理解と知識の根源をロゴスと言ったり、タオと言ったり、イデアと云ったり、アカーシャと云ったりしてきました。

もっと現代的にいうと、量子のシステム自体を指します。渦を巻いているのか、フラクタル構造なのか、人はまだその構造の構造をよく理解していません。

なんで世界にプラスとマイナスがあり、不安定と混沌が支配しているか、という理由を突き止めることに相当し、現状結局よくわからないんです。

「空」と云ったりしますね。

結局宇宙は、不安定だから構成されました。あっちへ行ったりこっちとくっついたりするシステムがあったから物質が生まれたわけで、不安定など一切なかったら、宇宙は塵のままです。余り言うとニヒリズムになるのでやめます。

 

音楽理論闘争も、何が根源的なシステムなのかよくわからないからこそできます。

哲学を少し勉強すると、そういう論争のことを「机上の空論」「ソフィスト的論駁」とわかるし。でも、人間はそういうの好きですよね。

 

この話の顛末は、いかにその究極の美的構造の根源システムの影と自分がどう相対するか、になるので、少なくとも現代科学では解明されていないシステムの話を手前勝手に想像するしかなくなります。

 

拙論の場合も、そこにトリックがあり、このロゴスとの交わりの話を「音楽的なクオリア」と銘打って避けているんです。

宇宙の根源的システムが生み出す息吹を「音楽的なクオリア」によって劣化した状態で感じ取り、それを霊感として汲み取って、音表現にするのを楽しんでいる、と言う結論にしたわけです。

 

優れた超能力者なら、いつどんなことが起きるか予言できるのでしょうが、私はそういうことはできないので、なんとなく質の悪い直感に従って、音楽を作ることでしか、その息吹を表現することができません。

その程度でもできる限り直感を信じて頑張る、のみです。

実はそんな構造源などなくて、単なる脳の遊びだけなら「音楽的なクオリア」は究極の直感源になるので、それを鍛えて頑張ればいいだけの話です。

もしその背景に、我々が無意識に従ってしまう美的構造の源があるのだ、としたら、まあゾッとします。果たしてそんなものはあるんでしょうか。

 

逆に直感ではなくて論理的に攻めよう、と包囲網を作っても、そのあなたの論理自体が「究極美の息吹を劣化した感性で受け取った結果生まれた論理」なわけだったとしたら、やっぱり同じなんですね。それはあなたの感性で受け取った独自解釈である、となってしまいます。

「いや、私の感性は究極だから、私の論理は間違いない」

と言えるなら話は別ですが、おそらくこれを言うと先のソフィスト議論になるんです。あなたが究極でも周囲は、真理を把握していない劣化した理解しかできない存在になるわけで、まず議論が成り立ちません。

これを本気で言うと軽度の自閉症状持ち扱いされますので、健全で謙虚な社会人を第一とする社会から排除されます。

 

「音楽的なクオリアは、この世界を構成している根源的なシステムが放つ"震え"に、だいぶ質の悪い直感で、ほんの少しだけマジになった時、降ってきて感じている何か」

という話です。

人は、その直感自体が、本当に直感なのか、もっと何か上の方のシステムが引き起こす稲妻への共鳴なのか証明できないので、そこは考えず、自分に生み出される直感と真剣に向き合ってみよう、というところに話を納めるわけです。

それが前提として認めてしまえば、あとは「劣化した自分の理解」で考えた「とりあえずの理解」にしかなりません。

そこで、せっかくなので「自分が了承できるとりあえずの理解」を複数列挙しておいて、それをぼんやり眺めながら、それを「理解」とした上で、とりあえずそこを頼りにその後も制作や人生を進めてみる、となります。

この程度の曖昧さで人と議論しても、結局「俺の独自論はお前の独自論より2ミリだけ真理に近い論争」にしかなりません。

賢いインフルエンサーが目くじらを立ててるのはあくまでネタであって、ソルフェジオ周波数のところでも話しましたが、リアリティーショーだと思って楽しんで、最後は堪えきれず吹き出して笑って握手してほしいところです。

 

より真理に近いであろう話は歴史がこれから作っていくので、自分たちは作って作って投げかけるのみです。

 

だからここで書く「私の理解」も、究極真理「構造源」からの息吹を、ボケた頭で感じ取ってズレた理解で構成したいくつかの欠片である可能性を承知いただければ良いと思います。絵空事。妄想。

 

あとは皆様それぞれの独自論に置き換え、それぞれの理解で作品や生きる指針を作っていただくしかありません。それを誰かがまた発展させるでしょう。

 

この和音は、こんな感じかな、となんとなく半音でぶつけて、一つ一つがb9thを形成するように置いていきました。置きながら、ああーこんな感じだよなぁ、という程度です。それから上の音だけヴェロシティを小さくして、香味付けの機能を与えました。

だからフォルム上は、

a,a#,b,c,d,d#

という下の音に、なんというか光の霞の役割を果たす半音上の音が、香味として乗っているようなエンディングの和音なんですね。

見た目も仕組みも綺麗で気に入っています。

 

どの音が中心かはわかりません。

作った本人は中心を意図していません。

しかし私が構造源からの息吹を感じ取ったのなら、無意識的にシステムの中に組みこまれて、無意識にうちに何か美的構造をこの和音に私は与えているはずです笑。

 

音分析では、そうした「後でわかる構造」を探すこともできます。

 

SNS的に言えば「こじつけ」ですが、究極美的システム構造源からなんらかの震えに共鳴したのなら、本人が意図していようがいまいが、そこになんらかの「構造」が見えてきてもなんら不思議ではありません。

そしてその構造への理解も、劣化した理解なわけですから、結局私の妄想の劣化した具現化にすぎず、どうにも真理には近寄れないのでエンタメとして楽しんで、自分の活かせる知識を汲み取って自分の作品が捗るならそれでいいわけです。

「個人の感想」なんですね。目くじらの立てようがありません。

だからとことんいろんな感想が言えるような仕組みを拙論は持っています。

例えば拡張した12音連関表の中のパターンで対称性を求める場合、このc#をこの和音に加えることでバランスが取れる、と考えることもできます。c#は香味漬けの音に使われていますが、この音だけは和音として解釈したほうが良い、とか捉えることもできます。

 

また「荒城の月」の主音であるaを主体にこの和音全体を考えると、

(半音連鎖の青が低音側、赤が高音側)

二つを合算するとAadd9やAmadd9、Asus4はもちろん、aとeの裏面領域d#,a#が鳴っているのでA(b9,#11)といったざわざわとする神秘的和音も見つけられます。

この連関表は、下記にて作った主音を中心に置く連関表の展開です。www.terrax.site

この話自体は音集合を考えることによって、不協和音でもそこに仮の意味を与えることができる、という理解の方法でした。意味が与えられると聞き方が生まれ、聞き方が生まれると最初の意味がどんどん展開します。

a,a#,b,c,d,d#だけだったら、

こんなふうに書けます。SRG記法では、/A+|uaという表記になります。

名前を与えることが不協和音へのフラットな理解には必要です。

 

例えば、裏面領域であるd#,a#は付加音とすると、この和音の母体は、

a,c,b,dである、と言えます。a≒cは同じ基音領域、b、dのうちbはfの裏面領域です。

そんなふうにこじつけると、この和音はa≒c,d,f,すなわちDm7の変質した和音と言えてしまうわけです。加えて中心はaとしているでaの下方領域主体の和音であり、その上方領域の対応する和音を見つけると、

A6である、みたいなことまで言えます。機能和声にこうやって戻すのは、これらの和音には関連性がある、ということを普段、慣れ親しんだ感覚によって意識が理解するためです。

 

こういう和声分子構造にも書けますし、

と一般化もできます。

 

これらの理解は、音集合に意味を与えることで、意味への理解が、不可解への不安を一旦取り除いてくれます。

 

私個人は自分の程度の低い理解をいくら他人に示しても意味がないと考えてしまうので、いくつかコード進行分析などの記事を書いてはみましたが、結局は独自論にすぎないことを痛感しました。

 

自分のやってる系統がわかる、というのは性癖への理解であり、いわゆる構造源(私たちの構造源にはプラスとマイナスという不安定要素が作る性癖があるが)が無意識に発信してくる直感を自分がどんなふうに捻じ曲げて理解してしまうのかがわかります。

それがわかると、創作時の嵐の中で「あ!!このムラムラは性癖による嗜好であり、今正解となるべき創作意欲を俺は勘違いしてる!!」とかわかるので、その時、少し直観的熟慮を働かせることができます。瞬時に前回より良い選択肢を選べます。そうやって動けなくなるまで人は考える葦であり続けるんでしょう。

 

自分に降ってくる直感を「真理を性癖と色眼鏡で見てしまう劣化した受信構造」と捉えることで冷静に色々判断できます。

宇宙の基本系状である渦巻きを音集合の連鎖に当てはめても面白いです。

www.terrax.site

もし高い音や低い音、というのは人間が感じる音の感じ方だけで、本当は密度や距離、といった空間的概念で音を捉えることで振動の法則は新たに捉えられるのかもしれません。



この和音でのピンクの音はかなりヴェロシティが小さいのですが、これは音が小さいのではなく距離が遠い、ということで成り立っているのかもしれません。

とにかく構造の源が持つシステムが人間が把握できる次元のものではないとしたら、理解認知不可能であり、その真実を探ることはできません。

自分が何をしているのか、人生はよくわからないのも、元々のシステムが高度すぎるからかも(自分には)。

だから構造の源のシステムをコントロールしようとするのではなく、そこから感じる感じ方自体を静かに見つめていこうかな、と。