音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

音楽制作心理学〜導入

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このシリーズでは、音楽行動に関わる脳科学、認知科学などの側面から、話題をピックアップしています。

先入観、教育による洗脳、人間の思い込み、曖昧な脳、生きるのに必死な脳...etcそういった側面から音楽について少し柔らかく考えてみましょう。

 

日本では鎌倉時代に書かれた「平家物語」にはじめて「音楽」という言葉が使われたそうです(これ正しいかな??)。それから明治時代の文部省令で「音楽」と呼称されるまでは日本に「音楽」という総称は存在しなかったのだとか。歴史は浅く、その背景にある何らかの根拠も曖昧なまま、娯楽としての音楽の身体性、社会性だけが何となく商業に活用されている印象です。

 

ピュタゴラスという"人"

存在していたのかさえ怪しいとさえ言われています。

歴史書には大枠の生涯の流れと、彼が竪琴を奏し弦の長さの組み合わせで美しい音がなぜ出るかを考え、自然の裏に潜む秩序を数を通して理解しうることをした人物、という記録があるのみだそうです。

鍛冶屋の前を通って、そのハンマーの音から世界の調和について気が付いた、というエピソードが有名ですが事実かどうかわからないそう。

私たちが信じていることはどこまで真実なのでしょうか。

 

グイード・ダレッツォ - Wikipedia

あるベネディクト会修道士が作った近代五線譜の基礎の話。これがなかった時代は、あいまいな口承で無数の典礼聖歌が受け継がれていた、という事です。ネウマ譜などもありましたが、正しい音がどこか分からず、たいそうあいまいだったそうです。めちゃくちゃ適当に引き継がれた楽曲がある可能性もあります。

 

 

音楽表現活動も錯覚、勘違い、思い込みの応酬です。

引用

上記は下の方が長い、と信じます。これは人間が距離感を大げさに把握するときに都合が良いために起きる錯覚です。人間は周囲の状況に対して自然な予測把握を行い、その後の行動判断に対する"仮説"を立てて生きて区ために錯覚が必要なのだそうです。

錯覚は、必要のために起こりますが、思想において差別や軋轢を起こします。「勘違い」をする人間の基本をまとめたくてこの項を作りました。

 

人間は勘違い、思い込み、差別、偏見を持ってしまうものだ、という真実と、その脳内の仕組みを受け入れながら音楽をやらないと(人生全般ですが)、生きづらくなると感じたためです。

 

かつ、自分の意思に従う、のも覚悟が必要です。その確信や根拠自体、幻のような存在だからです。

ゆえに迷わない人はいません。

自分が作る全ての楽曲を大ヒットさせた人もいません。

人に脳がある限り、多くの人生は自分勝手に生を楽しむことを優先させてしまうのだと思います。

それを受け入れると人生がつまらなくなるから争うのだと思います。

それをまるっと全部面白いと思わないと軸がぶれてしまう。

 

なお、このシリーズで出てくるさまざまな心理効果、認知バイアス、心理実験、専門家の間で常識となっている社会通念、歴史的論文から引用した事実も絶対的な信頼で読まないでください。

時代が変われば、これらの成果も変わっていくかもです。

一つ一つ、あなたご自身の実感と、直感でお読みいただき、そこから冷静になってあなた自身の独自論における、現実のあり方を改めて模索いただければ、と思います。

 

 

実際のところ、私たちの「直感」は有益です。ほとんどの場面で、反射的に浮かんだ「直感」を信じて問題ありません。ただし、たまたま想定外の条件が揃うと、直感は珍妙な回答を導くことがあります。それが認知バイアスです。つまり、認知バイアスとは、脳が効率よく作動しようと最適化を進めた結果、副次的に生まれるバグなのです。

自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80 (ブルーバックス)

 

直感を頼りにする以上、認知バイアスについて考えることは有益です。

音楽の場合は、そうしたバイアスが個性的な表現になるときもあります。

 

<参考>

 138億年の音楽史 (講談社現代新書)

脳を知る・創る・守る・育む 17 音楽と脳

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