今回はいよいよ長三和音を「音楽の細胞」としてとらえて、それらを組み合わせて音楽を構成してみました。すごく抽象的な響きの連鎖になるのですが、それを意味としてまとめて、具体的な旋律の連鎖にすると、やりたかったことが具現化できた気がします。
動画後半は下記のようにDAW画面で音が確認できます。
曲の冒頭はやはりC△から入ります。この曲は希ハ長調です笑。
そのあとは不定調性論的な声部の静/動進行で作るのでコード進行を考えているわけではありません。響きの連鎖を聞きながら、今回作りたいと思っている"抽象性"になっているか、どうか、だけ聴き探りながら作っていきます。
最初はコード進行っぽいのですが、どんどんUST形状になり、長三和音がいりみだれます。
中には響きのテンションが欲しくてaugやsus4も入ってくると思います。
これらの和音はCul3、Cul5と呼ばれる和声単位ですね。
基音cが持つ領域を変換反応させることによってこれらの和音を作る方法論ですから、こうした感覚/意識で使うんですね。
こういうところは両手によるオクターブフレーズですが、メジャートライアドのアルペジオ的になっています。
しかしつなぎ目の聞き方を変えると長三和音ではないアルペジオが鳴っているようにも感じます。この辺がコーダルミュージックとは違う自由さ、曖昧さが自在に表現できます。これはどのように受け取っていただいても、分析していただいてもOKです。
あなたがどう感じたかで観測いただき、表現されている意味をほじくってみてください。私の意図は「アルペジオを置いた」という意図以上はありません。
こういうアルペジオも五度のハーモニーを並べているだけですが、つなぎ目で短三度が生まれたりして響きに潤いが出てます。ここのアルペジオパートは、朝の静けさみたいなサウンドで気に入っています。
こういうアルペジオもしっかりメジャーコードの構成音を主に置いていますが、やはり聞こえ方はもっと豊かに聞こえます。
後半はさらにひねくれて、大きなCdim7を鳴らしながら、余韻のように各音の長三和音の構成音を鳴らしています。
こうやっていくと、どんどん「長三和音」をおかなければならない、という十二音技法の時の義務感のようにも似た気持ちが襲ってきます。こうなると純粋な創造性は保てず、技巧的になって、意味が散漫になります。そろそろこの曲も締めどきです。
クライマックスは上下に花びらのように広がる長三和音。
本当はこの形に沿って下方はCl5(≒Fm)にしようと思ったのですが、やめました。
最後は12音のカーテンコールで12和音を鳴らそう!って思って並べたらA#△のところがどうも気に入らなくて変えました。
— M-Bank_STUDIO (@M_Bank_STUDIO) August 12, 2021
Cの注目は当然として、F#△とB△は二回出てきます。#世の中平等じゃない#不都合なやつは美意識を根拠に静かに削除される
なんかそういう感じが出たからそれを採用しました。 pic.twitter.com/rNLv4ZiXyT
今回の作風は、和声単位作曲技法と言っていた作品制作の方法です。
教材に書いていた頃はまだまだ手探りでした。今回の作品で、このコンセプトがようやく具体化できたかな、と思っています。
9年前に作った作品はコードの部分だけを一つの和声単位で作ったに過ぎませんでした。ここから今回の形になるまで9年もかかって。一体その間何をしていたんだ、と言われそうですね。9年もあって。
やることがいっぱいあり過ぎて何もできていない、というのは本当によくないな、と思います。
次の作品も頑張ります。