当ブログ音楽理論関連記事目次はこちら
ここでは下方倍音とその周辺の情報を扱います。
当ページは私個人が用いている下方倍音的存在の活用方法も含まれます。専門研究の方は文脈や内容にご注意ください。(素人ブログ情報ですので)
内容難しそうに見えるかもですが、振動数についての知識があれば読めます。
下方倍音は振動数を整数の逆数で割って生み出される計算上の概念です(短三和音がここから生まれたわけではありません。その類似性が後付けされただけです)。
下方倍音については、その概念とか存在意義自体を問い詰めていった方が良いと思います。虚数がなんで必要か??みたいな話にたどり着くと思います。
なんでそうなるかはこの下方倍音記事シリーズを読んでいただければわかります。
ここに書かれている引用先表記のない内容は、私の独自論です(おそらく海外に存在する、よりメジャーな独自研究の引用先を探し当てられていないということかと思います-"独自論"はwikiなどの"独自研究"扱いよりもさらに下位の扱いをしてください)。
このブログや私の関連教材以外のところで、同一の出典不明の言説やアイディアを見た場合には出典が私のブログである場合があります。専門外研究で下方倍音的知識を扱う方がネット情報で検索された場合は、十分に別途専門洋書などを慎重にご参照ください。私も先行研究を見つけたらすぐに掲載していますし、この記事についてはできる限り独自論と専門性を分けて表記しています。
下方倍音の解説
実際の倍音列表は下記をご覧ください。
倍音について数理的に計算方法等を見たい方は、その2に進んでください。
下方倍音の扱いや言説について
「下方倍音列理論」という音楽の理論が明確に存在するわけではありません。
下方倍音という用語(学術的な用語でもないように思います)は、私のような専門外(正統な音楽研究範囲外??)の人間が面白がって扱う側面と過去の関連著作の偶然が数多重なり、いまだ専門的な論術や発表現場で扱うのはちょっとした違和感を与える可能性もあります。
逆に下方倍音を使っているなどと無防備に云うと、未だ迫害される恐れもあります(そういう風潮を楽しんでる部分もあるんですが)。
せめてこの記事シリーズに書かれた内容を全部理解されていれば、迫害も本望であると確信できると思います。
人の「意識」が音楽を作っているわけで、この下方倍音の世界も意識が作り出す、と言うこと以上に結びつけられないからです。しまいには、人が「事実だけでは生きていない」ところに辿り着くので笑、普段の音楽活動で、下方倍音を何らかの実演の説得材料として用いることは御法度、と言う常識を身につけておけば良いと思うのです。
実際『20世紀の和声法』などでは、下記のようにp164に現代的和音の作り方の例「投影作法」というようなやり方を説明する際に、自然的な世界で上下の領域に音程的反映が投影を実証する唯一の例、として紹介しています。
ピタゴラステーブルを元にして
ピタゴラス学派による"ピタゴラステーブル"を応用すると下方倍音列の概念が生まれます。
古代哲学者時代から"下方倍音の数理"の存在(?)は概念として知られていたようです。
哲学者イワンブリコス(ランブリコス)はピタゴラスの研究家でしたが、彼がその本に下方倍音列の元とも解釈できるアイデアを書き記しています。
この表を元にギリシャ語のラムダ(Λ)という文字に形にしたモデルを書きこんでいます。
下記はグラハム・J・ジャクソンが"Adolf von Thimusがラムダモデルを倍音列の列の表に昇華した図"を掲載しています。
https://www.scribd.com/document/619875286
出典はこちらの記事の最下段にあります。
こういう本でもピタゴラスの図が紹介されています。
スティックスリップ現象によるサブハーモニクスの誤解?
ピアノを鳴らしても物理現象として根音より低い音は自然には鳴りません。(差音による低音、耳の構造の中で仮想的に構成される音(?)の認識が感じられる可能性はあり得ます。また特殊な低音発声や演奏技巧として「サブハーモニクス」等の手法もありますが、これは厳密には"下方倍音"の現象ではありません。)
また100歩譲って、奇跡的に何らかの複合要因でいわゆるサブハーモニクスが偶然(部屋の反響、共鳴、前出音との振動の打ち消しによる差音などが発生し)鳴ったとしても可聴範囲にない音であれば聞こえません(20Hz周辺以下で鳴った場合など)。
また上方倍音は音色に影響しますが、下方倍音が鳴っても、西欧音楽の耳には音が濁るだけで不快になるだけ、という状況が多いと言えます。
その不快さを逆に詩的に「もの悲しさ」と感じることを了承できる人にとっては、下方倍音列は短調的な雰囲気を作る象徴的存在になるかもしれません。
そこは科学的事実とは別に、個人の独自論で処理した方が良いと感じます。
弦の原理的に、鳴らした基音よりも低い音は鳴りようがありません(ピアノの高い弦で、その張力のままそれ以上低い音は鳴らせない、ギターの6弦より低い音は弦を緩めないと出ない)。
それでも楽器/環境/音色セッティングの要因で、たまたま基音よりも低い音が物理的には生み出されてしまう場合がないとは言えない、と考えるのが自然発生する下方倍音の可能性を言及する限界ではないでしょうか。
(参考)
なお、演奏技巧における"低い音"については、上記で"anomalous low frequency vibration=ALF"異常な低周波振動、などと呼んでいます。木村まりさんの演奏技巧が著名のようです。
Subharmonic Partita, by Mari Kimura
先の"サブハーモニクス"については、上記アダム・ニーリーさんの動画にて音叉を紙に触れることで440Hzより低い200Hzの音を出しています。これは紙に触れる回数が、その距離感(紙と音叉の振動の接触)で実際の音叉の振動の半分ぐらいだったりするから、という説明です。下記の紙(青い線)に触れた音だけが鳴ってると考えてみてください。振動数は半分になるわけですから、音程もオクターブ下がります。
音叉自体の振動なのか、紙などにかかる振動の折り返しによる打ち消しなども含まれた結果なのか、手で触れるときの微妙な距離感がブレるからなのか、とにかくスティックスリップ現象と似たような原理が働くことにより、原音より低い音が出せるわけです。
これ自体は下方倍音現象というよりも、演奏テクニックによる振動数の間引きによる低音の生成です。こうした低音は下方倍音とは呼ばず、サブハーモニクス、と表現するのがポップなようです。この辺は界隈の用語的利用としてであり、当人が下方倍音の意味で「サブハーモニクス」という語を使ったとしても、単語単体の意味においては必ずしも間違ってはいないので、聞き手側が十分に解釈すれば良いと思います。
しかも、サブハーモニクスは弦の長さに応じ1/2、1/3倍音などがランダムに鳴る(どの音が鳴るかコントロールが微妙)、と説明しています。
どこまで意図的にサブハーモニクス演奏テクニックによって、出る音をコントロールできるか、は個人のスキルに依存します。
上方倍音を意図的にコントロールするにはEQなどのエフェクトツールを使いますが、サブハーモニクスの場合、弦を当てる角度、喉を鳴らす力加減、と言った技術的スキルによって異なる音を出すので、それぞれコントロールの意味も変わってきます。
スティックスリップ現象は「ヘルムホルツモーション」という表現もあるようで、弦の振動現象を利用した演奏法が発生原因である、としているようです。
下記ページ中段にヘルムホルツモーションの解説があります。
弦の毛が滑ってひっかかることで振動数が減少し、結果低い振動数となり、低い音になって現れます。
脳が下方倍音的存在に親和性を感じるから現実味が存在する
またニーリーさんも述べていますが、脳は欠けた基音を補う能力を持っています。
例えばシンセサイザーで上方倍音のc-c-g-c-c-e-gをの3倍音以降(g-c-c-e-g)を弾くと、演奏していない低い基音cが耳の中=脳の中?では感じられます。EQでも出ていない音が耳に確かに聞こえます(差音?アーティファクト=デジタルノイズの増幅、の可能性もある?=デジタルに実際存在しているならEQで確認できる場合も考えられます。差音の実音自体も耳の中で増幅される場合もあります)。
それらはスピーカーも鳴らしていない脳の中で作られた基音です。
WAVESはこの特許も持っていて、それをMAXXBASSなどのプラグインに応用した、ということです。下記は同プラグインマニュアルより。
However, the harmonics of the bass guitar are indeed coming from the speaker, and your ear interprets these harmonics and creates the “missing fundamental” inside your head. This is a well-known psychoacoustic phenomena. MaxxBass takes this phenomena to the maximum, and gives you control of it.
Using this principle,MaxxBass can extend the perceived frequency response of a speaker about two octaves below its physical limitation.しかし、ベースギターの倍音は確かにスピーカーから聞こえており、耳はこれらの倍音を解釈し、頭の中に「欠けている基本音」を作り出します。 これはよく知られた音響心理現象です。 MaxxBass はこの現象を最大限に活用し、コントロールできるようにします。
この原理を使用して、MaxxBass はスピーカーの知覚周波数応答を物理的限界より約 2 オクターブ下まで拡張できます。
なんでそんなことになるか、というと、そもそも人類の音楽文化自体が、脳の空気振動認識構造に適した形で進化してきたからです。どちらかというと楽器もDAWもシンセも脳内が倍音を上手に聴き分けることを活用して作られているので、脳(または必要な聴覚関連器官)は自動的に倍音を生成(補完)し、楽器の音色を聞き分け、脳内で生み出される倍音を勝手に聞いてしまっている、ということです。
「豊かな倍音」みたいな言い方をしますが、そもそも耳は倍音の複層構造の集合体でしか音を認識できません。
上記のような著名な著書にも、脳自体が倍音を感じ取る能力により現在の音楽(音色)文化が成り立っている、という方向に解説がなされています。
人の聴覚器官や脳が倍音を選別/聴取する機能に優れた組織(蝸牛の基底膜は音の周波数ごとに異なる部位が共鳴する構造を持っている=トノトピー構造)だから、現在の音楽文化のような形態になった、というのが実際のようです。
研究では、耳の中では原音よりも低い音が作られているとされます。これがベース音に安定を感じる人の感覚そのものである、と言えます。自然と基音を補ってしまう性質からバスという概念があるんですね。バスがあるから安定するのは、音楽の真理ではなく、人間の聴覚構造における都合と心象が作る「心理的安定」です。
自然界の音を人間の聴覚性質主体で捉えようとすることは、ある意味傲慢な行為であったのかも知れません。
不定調性論は、この人間の聴覚主体性を一旦バラし、そこまで低音優位を神格化しないバランスで音楽を作るとどうなるか、について考えています(制作メモ)。
実際の世界には人間が聴取できる存在以外に、振動現象を構成している何らかの現象がある可能性も当然あります。
例えば、ある音を思い切り鳴らし、壁などで反響する音と正確に打ち消し合うことが出来れば、振動数は半減し、1オクターブ低い音が生まれる、なんて可能性の世界もありえます(これが先に書いた「楽器/環境/音色セッティングの要因で、たまたま基音よりも低い音が物理的には生み出されてしまう場合」)。それらの音がとても小さいレベルでは存在しているとしたら、やはり人が認識できる世界でのみ評価を下している、と認めねばなりません。
ヘンリー・カウエルの下方倍音に対する考えはこの空気共鳴による下方倍音の発生の可能性を指していると考えられます。
<参考>
ヘンリー・カウエルの音楽理論と実践― 『新しい音楽の源泉』における新たな音響素材の探求―
実際に鳴っていない音存在も知覚できる人間の耳の性質は日常の音楽にも知らず知らずに使われているでしょう。ゆえに厳密には「下方倍音は鳴っていない」とか「下方倍音は存在しない」という言い分は「そうだろう、今のお前の中ではな...」という程度の話になります。
なぜなら相手の頭の中で響いてしまう音、相手の視聴環境によって聞こえが変わる存在を全て考慮したらこういった一元的な結論で話をまとめたところで、なんの解決にもならないからです。
「存在しないかどうか」は限定的な条件を組み込んだ際に、「耳の外では存在しない」とか「無響室では存在しない」「EQの上では現れない」と厳密に存在しないとする領域がどこを指すか、を定める必要があります。
脳内が下方倍音列的存在をその場の音響現象に関係した何かの拍子に感じたり、今後何かしらの現象において作り上げることがあったとしても、不思議ではありません。
何を持って「存在しない」と決めるかが曖昧、なのが現状、と捉え、今は非専門家が自由に扱いながらもスピリチュアルな側面に取り込まれてガタガタに崩れないように(日本ではまだ気が付かれていませんが...)論理的な体系を整えておくと良いと感じます。
和音に関わる別の話で結合音についての論談は下記をご覧ください。
その2に続きます。
倍音についての参考記事