ご質問を頂いたので、お答えしようと思います。
ドミナントコードとサブドミナントコードの何が違うのかという質問でした。なかなか根源的で少し仰け反ってしまいました笑。
和音の構造
ドミナントコードとは、
「ドミナント音(属音)の上にできた和音」
という意味です。
同様にサブドミナントコードとは、
「サブドミナント音の上にできた和音」
にすぎません。
和音として何か特殊な性質を持っているから「ドミナントなコードなのだ」という意味ではありません。
それぞれの固有の音の上にできあがった和音の呼称、通称にすぎません。
結果として、このドミナント和音が主和音(トニックコード、も同様)への解決進行に用いられただけです。サブドミナント和音も同様です。「サブドミナントらしさを持つからサブドミナント和音」なのではありません。
五度上(ドミナント)に対して五度下(サブドミナント)の音の上に作られた和音だからサブドミナントなんです。
もちろん様々なことを根拠にして性格を上積みしていく説明も多々あると思いますが、実際に演奏している時にその意味まで把握して演奏することはないと思います。
代理という考え方
和音が持つ構成音の類似性を「機能の類似性」に展開していった解釈法が和音の代理という概念です。
代理は「根音省略形」に由来する、とすべきかもしれませんが、これは初学者には難しいです。
よく考えれば分かるとおり、この代理という考え方はだいぶ無理があります。
本来全ての和音はその響きはもちろん、使われた楽器や速度、歌詞、連鎖した楽曲内での個々の印象は全て異なるものです。
IVに対してIImのサブドミナントを用いた時、全く印象が変わるはずです。これを「同じ機能を持つ」としたのはあくまで「構成音の類似性によって機能を振り分けた」だけであり、音楽表現的には、
IV≠IIm
としておくと分類意識に苛まれなくて済みます。そうしないと「楽曲の中のIVはいつでもどれでもIImに代理して良い」という誤解を招きます。機能の棲み分け的にはその通りですが、音楽的に「変」に感じる場所だってあると思います(メロディとの兼ね合い等)。
こういう個々の印象の違いを併記して音楽表現や音楽分析/鑑賞に活用するのが不定調性論であり、私個人にはそれが最もしっくりきます。
しかしここでは機能和声論の考え方を紹介していきたいと思います。
Cメジャーキーを例にして。
主音c=iとする。
ドミナント和音(V7)の構造=v,vii,ii,iv
「主音から見たivとviiを持っている」(ドミナントはトライトーンを持つ、という考え方に発展する)
サブドミナント和音(IV)の構造=iv,vi,i
主音から見たiv,viを持っている。
サブドミナントマイナー和音(IVm)の構造=iv,vi♭,i
主音から見たiv,vi♭を持っている。
これはあくまでそれぞれの各音の上にできた和音がどのような構造をしているかということを書き記したに過ぎません。代理という考え方では、この構造に類似している和音を同じ仲間に振り分けていくというやり方です。
よく質問されるのが、サブドミナントマイナーというものの考え方です。
結局サブドミナントマイナーの部類に入る和音は、
「主音から見たiv,vi♭を持っている。」
という構造を所持していれば良いことになります。暴論ではありますがコードアナライズの時には便利ですし、コードを覚えていくための最初のステップとして重宝します。人の分類本能も満たしてくれます。
例として、VII♭7という和音は構造上はドミナントと全く同じです(トライトーンを持っているから)。しかし、コード慣習上振り分けはサブドミナントマイナーになっています。
なぜなら、VIIb7は「主音から見たivとviiを持っている」を満たしていないからです。
(主音がcの時、iv=f、vii=bです。G7はg,b,d,fですから、確かにf,bを持っていますが、Viib7=Bb7はb♭,d,f,a♭ですから、bを持っていません。ゆえに主音がcの時、Bb7はドミナントの機能を持っているとは考えません。)
だからこの和音は今決めた約束事を根拠に、「ドミナント和音に類似している」とはいいません。
そこで補足説明される方法として、サブドミナントは弱いドミナントであるという考え方が編み出されました。これはバークリー由来なのか定かではありませんが、私が学生時代に学んだことです。
G7⇨C
Bb7⇨C
はともに構成音が半音解決を有する点では類似していますが、
g⇨cの五度進行(強進行)に対してb♭⇨cの二度進行(弱進行)は「弱いドミナント」ということができるかもしれません。
これもあくまでその理論的説明を成り立たせるための一つの解釈のあり方なのでそれがあなたにしっくりくるなら活用してください。これが科学的真実である、というわけではありません。
もしあなたが音楽理論を作るとき、これらの振り分けに不都合があると感じるのであれば、より明快な方法を解説する方法論を自分で作れば良いと思います=独自論の生成。
拙論ではこれらすべての機能性を用いなくても済む法論を設置しました。
また、同様にサブドミナントマイナーコードと類されるためには、
「主音から見たiv,vi♭を持っている。」
を満たしていれば良いので、
Dm7(b5)、DbM7、Fm7、Bb7、
などが該当します。
AbM7問題
問題なのは、AbM7です。
AbM7=vi♭,i,iii♭,v
i,iii♭,vを持っているからトニックマイナーである、とする理論書もあります。そしてそう解釈しても音楽的になんの問題もないけど、この和音はサブドミナントマイナーである、と教えているものも多いでしょう。ちなみに初期ジャズ理論書ではトニックとしているものがあります(「ジャズ・スタディ」など)。
よく見る進行に
AbM7 G7 Cm7
という進行が慣例としてあります。ここからAbM7はサブドミナント的性質を持っている、という解釈は確かにそうかもしれません。
しかし
Cm7 G7 Cm7 G7 AbM7....
というように、曲の最後で飛翔したようにVIbM7から曲がリリースされたような感じになることもあります。確かに特徴のある終止感を感じる、という繊細なクオリアを持てる人も多いことでしょう。この感じを「トニックの代理だ」といったほうが良い、という考え方も確かに面白い、と思います。
根音省略形
最後に「根音省略形」の考え方に触れます。
Dm7(9)=d,f,a,c,eでFM7/Dであることがわかります。このdを省略するとFM7ですからDm7はサブドミナントである、という考え方ができます。
CM(9)=c,e,g,b,dでEm7/CだからEm7はトニックだ、とする解釈法です。
これに基づけば、
Fm7(9)=f,a♭,c,e♭,gであり、これはAbM7/Fです。
故にAbM7はサブドミナントマイナーである、
と解釈します。スッキリしますね。
しかし、この根音省略形、というのも結構曖昧な考え方です。
g,b,d
という和音はVです。これはドミナント和音です。
Em7=e,g,b,dでG/Eです。
ではEm7はドミナントではないか?という考え方があります。
FはAm/Fです。ではAmはサブドミナントでしょうか?トニックですね。
そもそも機能和声にとって重要な根音を省略する、ってどうなんでしょう。
主権は国民にある、しかし国家間国際会議で皆が決めたことには従ってもらう。
的なまーそうだけど、なんかなぁ、と言う理屈に感じます。
じゃあ、国民主権て言うなよ、という話で、それを実現したのが不定調性論、と言ってもいいのかもしれません。
この根音省略の慣習も「和声の歴史で用いられてきた慣例」に「機能論」が後追いしているが故に起きているちょっとした齟齬です。こういうことが起きると、
「i,iii,vに低音には別の音を置かない」みたいな新たなルールを作ったりしなければなりません。これは徒労に終わります。
この手の学習は「こう考える考え方がある」ということを理解してあげる、で済みます。それ以上の観念論は「独自論」になります。
あなたが教材で教わっている知識も、結局は過去の誰かが作った独自論が形骸化したものです。
音楽理論解釈そのものにハマってしまう段階は真面目な学習者なら誰にでもあります。
そもそもドミナントとザブドミナントという取り決めも慣習です。
リーマンの独自論、と言ったら言い過ぎでしょうか。
音楽理論は全て「独自論=先人の手法と独自の解釈が混じった自分だけの確信」からスタートしています。どれが正しいとかではなくて、自分がそれによって作品が作り始められた方法論があなたにとって使いやすい音楽理論です。
世界中の音楽理論を全部マスターしようとせず、自分のやり方で先に作曲をし始めてください。そこから自分なりに約束を決めて、後追いで音楽理論を勉強すると「よくわかっていなかったところ」「知りたかったこと」を判別しやすいです。そして理論と自分が合わないところ、理論の方が自分の分類法より優れたところ、なども見つけやすくなります。理論を学習し、より洗練されたあなたの独自論をどんどん押し上げて下さい。