学習時期の「コード進行話」は音楽理論的理解が深まりやすく面白いトピックです。
エモコード進行話をするときは、
そのコード進行はどういう理由でエモいのですか?音楽理論的にわかるように説明してください。
と詳しい先生に聞いてみてください。
この「なぜエモいのか?」を音楽理論的にはもちろん、ガチで脳科学的に説明するのすら難しいのが現状のようです(だからこそ教室や飲み屋では盛り上がるのですが)。
この記事の結論は、コード進行がカッコ良さを持っているのではなく、これまで以前に使われてきたカッコいい曲で使われたそのコード進行の印象が脳裏に浮かぶから、それをかっこいいと認識するのだ、という話になります。
私たちがある曲を好きになるのは、以前に聞いた別の曲を連想し、それが人生の感傷的な思い出にまつわる記憶功績を活性化させるからだ。
音楽プロデューサーから音楽認知神経科学者に転身した上記記事参照図書著者の言葉です。
この記事はもうこの言葉に尽きますので以下は読まなくていいです笑。
ここではコード進行に還元して述べますが、個々人のエモさのツボは千差万別だと思います。ボーカルや歌詞、MV、楽器の音色、リズムやエフェクト、フレーズ感などが複合的にエモさを感じさせていることでしょう。
脳機能の解明は専門家に委ね、私達は自分の体に起きた感覚をそのまま音楽に活用します。これは音楽理論ではなく、心象を扱う不定調性論的な発想が色々便利です。
科学的、論理的に音楽をやりたい人はまた別です。
エモいコード進行の話をするときは音楽理論的慣習と個人の感覚的心象を分けて話をすると議論しやすいです。所詮行き着くところは個人の感想だからです。
飲み屋で盛り上がる理由は、この個人の感覚的心象(エモさ)を酔って詩的に表現することが、お酒にぴったりだからと思います。
エモさとは?
そもそも"君のエモいってどう言う感情??"がはっきりしないと話が進みません。
有識者の記事を参考にしましょう。。
こちらは写真のエモさについてですが、
一回性があってノスタルジックなもの。「二度と戻らない過ぎ去った時間」という概念が重要です。
この辺の言葉、イメージ湧きやすいですね。
またこちらの記事では、
「エモい」のなかには「感情的」「哀愁がある」「物悲しい」など、さまざまな言葉が内包されているとしています。
も確かに。
あの時限りの一瞬をとらえた一枚、なんて確かにグッときます。
感覚的にはわかるのですが、結局抽象的ともいえます。
そこでここでは、エモさを"なんかよくわからんけどグッとくる"という表現としてみましょう。キュンとする、うしろ髪ひかれる、なんか胸が捕まれる…なんでもよいです。
悪い感じではない、正体のわからない感情に対する畏敬の念=エモさ。
エモい、尊いって、美味しいとか眩しい、とかそういうことと同じレベルの現代人の感情の一つですよね。
では、コード進行におけるエモさの正体を無理やり探ってみましょう。
丸サ進行
次のコード進行を聴いてください。
AbM7 |G7 |Cm7 |Eb7 |
これがいわゆる平成令和移行期のエモコード進行の代名詞、俗称"丸の内サディスティック"進行(丸サ進行)です。音源ではこのコード進行を四回繰り返してます。なんとなく、あーコードが変わってんだな?くらいに感じてもらってOKです。
短調のII-V-IのIIをVIbに代理した進行です。
様々なバリエーションがあります。
皆が好きな楽曲の中にも必ずありますので、「丸サ進行の曲」検索してみてください。
元々はマイナーブルースやジャズの世界から来ているコード進行なので、かっこよくノスタルジックで大人びた作品の中に満を持して使用されることが多いので、自動的にかっこよさを喚起されるよう脳が覚えてしまっています。
下はちょっとこれで遊んだもの。
簡易版"丸サ進行"とEb7のエグみ
AbM7 |G7 |Cm7 | |
丸サ進行の最後をCm7のままにした上記が基本的なコード進行です。
これは短調のブルーズ、ロック、ソウル様々なジャンルで何十年も使われてきました。過去の様々な名曲の中に使われ続けたレコード会社が命運をかけて作り出してきたかっこよさです。私たちの両親の代から体に染み付いた「都会的なカッコよさを表現する曲で使われたサウンド」であり、これを巧みに現代的にアレンジしたポップ曲に「うわ、これ使ってきたんか!」という懐かしさの混じった興奮を感じます。洗練された雰囲気の場所で必ず流れていたタイプの音楽が持っていたサウンドであり、まるで最新VFXの映画の最後のボスキャラにロバート・デニーロが出てきた時の感銘みたいなもの(興奮?)を感じるわけです。懐かしい?コード進行で感じるエモさの衝撃は、この「デニーロ出てきた感」です笑。そしてデニーロがバットとか銃とかを構えるだけで「おお!」ってなります。なぜでしょう。他の俳優なら銃構えたくらいでは別に感銘はありません。
脳の中の情報処理が関わってくるように思えてきたでしょう?
これも遊んでみましょう。
最後の部分をAbM7に戻るII-Vにして
AbM7 |G7 |Cm7 |Bbm7 Eb7 |
にすると、より我々世代のAOR進行になりますが、また別の機会に。
丸の内サディスティックは
AbM7 |G7 |Cm7 |Eb7 |
こうしたことで一味加わります。
ジャズではEb7でいろんなことができます。より苦味が入る感じがします。
この和音のかっこよさは、セカンダリードミナントのカッコよさそのものです。
Eb7が少しキラっとしたり、人情というか、暖かさみたいなものが垣間見えたりします。
エモ進行のエモさに思う
より不定調性論の独自表現風に言うと
「聴き慣れた進行感/模様感の連続が"想いの連続"を生み、それらを捉えきれず、はっきりしない感傷が走馬灯のように流れていくからエモい」
という感じでしょうか。
一般音楽理論は、何らかの音の動きが特定の感情や情景を発動しているとしても、それを説明する方法をまだ設けていません。
不定調性論は音楽理論の非公式キャラですから、みなさんも密かにこの音楽と情感の関連を上手に自分の中で落とし込んでいただくことで音楽に対する理解はかなり深まると思います。
これはあくまで「個人の感想」なので人に押し付けないで自分で遊び、それをどんどん推し進めましょう。やがてきっと「芸術性への理解」につながると思います。
人は感情と記憶と色々連動させて心を扱います。だから嫌いな音楽家が丸サ進行を使うと、逆にエモいどころか鼻につくと感じることもあろうかと思います。
「コード進行だけカッコつけたってダメなんだよ」的な。
人って複雑。
エモその1(sus4とドミナントケーデンス)
AbM7→G7
丸サ進行の1番目と2番目のコードの連結です。ここにエモがひとつあります。
この流れは、
G7sus4(b9,b13)→G7
というsus4の解決感に構成音の動きが似ています。
これはGsus4 G7 Cm7です。聞いたことあると思います。切なくエモいですね。
この時、sus4がエモさという感情を内在させているのではなく、私がこれまで聞いてきた音楽的経験からこのsus4という響きにエモさを添えてしまった人間に成ってしまった、という点に気づくことがポイントです。
音楽理論のみでsus4のエモさを説明しようとすると、必ずどこかで破綻します。またはやたらとその理由が薄っぺらくなります。
みんながそれぞれその曲を聴いて育ち、それぞれのエモさを持つようになったというだけ、としてみると、全て個人の感想ですから、喧嘩になりません。
あとは一番詩的に表現したやつが勝ち、みたいなところはあります笑
またAbM7→G7→Cmはコードのジャズ理論的な和音代理の慣習では、Fm7→G7→Cmが置き換えられたものだと分析することができます。
Fm7-G7-Cm
もうこれは歌謡曲の世界。そして童謡、ロマン派クラシックの響きです。
古い短調の歌謡曲の中には、ほとんど入っています。
日本に住んでいて、この"懐かしい"雰囲気を聞かずに育つことは不可能です。だから色んな感情を感じ日々生活しながら、この響きをずっとテレビやスマホやパソコンや町の中で聞いて育ってきています。
これがジャズ理論的におしゃれ(?)になったのがAbM7→G7→Cmです。
"AbM7はFm7の代理コード"とか言ったりします。Fm7とAbM7は構成音が似ているからです。
これらが連発すると音楽はイメージしやすくなります。エモみが分かりやすくくっきりしてきます。これまで幾度も人生で聞いてきた響きだから何度か聞けばイメージしやすくなるからです。
ビバップが生き残り、モードジャズが廃れた??のは、ビバップは情感を感じるコード進行の連鎖するエモい音楽だったから心が動かされやすい、ということも関係している事に一票を投じます。
エモその2(セカンダリードミナント)
Cm7 |Eb7 |
がエモその2です。丸サ進行の後半ですね。
Eb7はセカンダリードミナントコードです。
このようなちょっと調性から外れる音にエモみを感じる人もいるでしょう。
Eb7は頭に戻ってすかさずAbM7にドミナントモーション(ケーデンス)するのでここでも満足感というかエモみがやってきます。
進行感のバーゲンセール
黒い矢印の動きなどが場面転換をかんじさせます。
このようになるべく同じ音を維持させながらどこかに綺麗に半音を動かすようにコード進行をヴォイシングすると私は"擦れるような印象"を覚え、「やるせなさ」「切なさ」「葛藤」「余韻」という感情とかとリンクして、エモさを感じます。あなたはどうですか?
上図の、
オレンジ色のコード間の進行感(SDm→〔D〕)
緑色のコード間の進行感(〔D〕→Tm)マイナーのケーデンス
水色のコード間の進行感(Tm→subD)
ピンク色のコード間の進行感(〔D〕→T)セカンダリードミナントのケーデンス
全部強力な"伝統的"進行感を持っている、と感じます。
皆様それぞれでこれらの進行のどれか一つにグッとくるのでは?と言ってもいいくらいに丸サ進行は"進行感のバーゲンセール"になっています。気持ちいいツボだらけ。
映画の名場面集を観せられる感じです。映画観たくなる感。
「音楽的なクオリア」でくくる
これらの音があなたを刺激してくる感じを不定調性論では「音楽的なクオリア」と呼んでいます(伝統音楽理論ではこれを説明しない=万人が音楽と感情をリンクさせるわけではないから )。
そして一つ、気持ちの良いところが見つかれば、それをベースに他の進行にも快感を開発することができます。
音楽のエモさは、和音の連鎖はもちろん、楽器の音、リズム、テンポ、フレーズ、弾いてる人の姿、背景、聞いた時間、前後の人間関係、天候、映像全てにリンクして様々な個人の郷愁を刺激します。
そして何より、あなたの完全なる好き嫌いに影響を受けます。
エモさは一つではない
当然グッとくる感じの種類はたくさんあります。
コードをちょっと変えたらエモみも変わります。
テンションだらけにすると、おしゃれさとちょっとした気高さ、手の届かない感じ、シルクのようなエモさ、額縁に入ったような、ドレスを着たようなエモさを私は感じます。そう感じたら、そういう曲を作る時演奏する時にそれを用いればイイだけです。
こんな風に具体的な自分にしかわからない表現で、音楽の響きを解釈しようとする方法論は不定調性論以外では具体的な方法論はないと思いますので、他の皆さんに通じるかどうか分かりませんので、乱用は自分の頭の中だけにしてみるといいと思います。なんせ自分にしかわからないんですから。でも、自分がわかれば表現活動に移っていきます。不定調性論は独自論であって音楽理論ではありません。
もしこんな風に情感で感じないなら、どういう曲でこういう響きが使われているかを学び、それを真似ればそれを相手に共感させることができます。理論も感性も好き嫌いも全部音楽表現では大事です。
こちらはCM7に流れてA7(裏コード)からAbM7に流れる感じ
最初だけ切なさがありますが、メジャー7thになるところで少し抽象的になると思います。
エモさだけならセカンダリードミナントやトゥファイブ、一昔前なら、Lovin' Youのようなコード進行もエモさと言える世代もあるかと思います。人それぞれです。それを感じるかどうかが大事。
伝統音楽であれば、ショパンなんかエモいですが、おなじ和音進行を執拗に繰り返したりしません。
絶えず曲の最初から最後までおなじエモみを維持することで「確かにエモい」を誰でも体感できるようにしたポップミュージックはやはり偉大です。
また、全てのエモいコード進行が全部最高級のオペラの声でおなじように歌われたらどうでしょう。それも良いとしても、やはりさまざまな声、スタイルで歌われ、聞かれるのが自然です。何度も言いますが、人はそれぞれ好みがあるからです。
だから様々なアーティストが同じコード進行で様々な曲を作ることによって、それぞれが好きな音楽性を聴くことができる訳です。どうせすぐ社会は飽きますのですぐ下火になります。そうした「一つのテクニックで大量生産」が、音楽文化の進展そのものに関わりがあるようにも感じます。
飽きるのも曲が悪いのではなく、脳が飽きるからです。脳が飽きるトピックは下記から。
おなじような曲がたくさん生まれることでエモさが開発され知れ渡り、脳が飽き、音楽家も次なるエモに向かおうとすることで音楽文化はどんどんと発展し、豊かになります。
まとめ
みなさんそれぞれの好きな曲をじっくり聴いて(じっくり音楽聴く時間がない)、和音/リズム/フレーズの連鎖、があなたの心象をどのように刺激するか、また理由は分からなくても"なんかグッとくる音"を具体的に見つけてみる、ことをやってみてください。
和音でも、この音がエモいんだよ!という音を見つけてみてください。上記は私がエモい!と思う音です。
だからこうして主張しているのですが、他の人からしたら、はぁ?という音かもしれません。
エモい音楽を聴いて楽しむのは自分の脳機能の性質を体感する行為かも知れません(脳が喜ぶ)。
真の理由はわかりませんが、あなたが気持ちいいと思う音は過去のどこかであなたが気持ちいいということを記憶した音存在である可能性が高いからです。
だから、普段も、海の音にエモさを感じる時は、そのまま海の音を聞いていることが精神衛生には良いと感じてます。脳は、音楽とかノイズとか関係なく世界の振動現象から得られる情報を脳内回路に巡らせて勝手に喜んで遊んでいるように感じます。
だからこそ、あなたがエモを感じる響きとおなじ感覚を醸し出すアーティストに強く共感するのではないかと思います。まさに好き嫌い。
AI以外で"私は嫌いだが、音楽理論的に正しいから好きと言わざるを得ない"という感覚を持てる人物が果たしているでしょうか。人に脳がある限り、人は不完全で飽きっぽく、故に新しい音楽を生み出し続けるのかも。
共感もまたひとつの心象ですから、ひょんなことから崩れます。
それをなんとか理論で説明しようとするか、感覚であることを認めるか、の態度の違いがあるだけかもしれません。
エンディングBGMということで。
テンポが落ちるとまたちょっと雰囲気が変わりますね。
こういうの始めるとやめられません(脳に遊ばれてる)。