この記事では「なんで丸サ進行はエモいのか?」を丁寧に考えます。
不定調性論自体は独自論ですのでご留意ください。
- 丸サ進行
- 丸サ進行とは?
- エモさのツボ
- エモさとは?〜「音楽的なクオリア」でくくる
- エモ進行のエモさに思う
- 簡易版"丸サ進行"とEb7のエグみ
- エモその1(sus4とドミナントケーデンス)
- エモその2(セカンダリードミナント)
- 進行感のバーゲンセール
- エモさは一つではない
- まとめ
丸サ進行
聞いてみてください。
AbM7 |G7 |Cm7 |Eb7 |
平成令和移行期のエモコード進行の代名詞、俗称"丸の内サディスティック"進行(丸サ進行)です。音源ではこのコード進行を四回繰り返してます。
皆が好きな楽曲の中にも必ずありますので、「丸サ進行の曲」検索してみてください。
元々はマイナーブルースやジャズの世界から来ているコード進行なので、かっこよくノスタルジックで大人びた作品の中に満を持して使用されてきたので、特に若い人は憧れ、自動的にかっこよさを喚起されるよう脳が覚えてしまっています。
少し音周りに色をつけるとそれっぽくなります。
丸サ進行とは?
椎名林檎の「丸の内サディスティック(1999)」において、冒頭から繰り返し用いられているコード進行のことで、1970年代頃から浸透し、大人かっこいい、エロかっこいい、エモい、おしゃれな感じを印象付けているAOR曲のコード進行の代名詞。
VIb V Im IIIb
という構造で、CmをImにして書くと、
Ab G Cm Eb
となり、
AbM7 G7 Cm7 Eb7
とセブンスコードでは表記できます。音楽理論を知らないとピンとこないでしょう。
しかし、これがなぜエモいかを知るのに、音楽理論の知識は要りません。
この記事の結論は、コード進行がカッコ良さを持っているのではなく、以前に使われてきた洒落た雰囲気の曲で聞き馴染んできたコード進行の記憶/心象が浮かぶから、それをかっこいいと認識するのだ、という話になります。
だから、創作時にこれをただ真似るだけでは、作り手の工夫が足らない、ありきたりの進行の評判に頼った、型にハマった創造性のないつまらないコード進行、という見方もできます。
(参考)「カッコいい」はどこからくるのか〜音楽制作で考える脳科学49
私たちがある曲を好きになるのは、以前に聞いた別の曲を連想し、それが人生の感傷的な思い出にまつわる記憶功績を活性化させるからだ。
音楽プロデューサーから音楽認知神経科学者に転身した上記参照書著者の言葉です。
この記事はもうこの言葉に尽きます。
(参考)J-POPを席巻する「Just The Two of Us」コード進行を読み解く | nippon.com
「Just The Two of Us(コード)進行」は、2018年頃から音楽ファンの間で知られるようになった言葉だ。(略)1980年にサックス奏者のグローヴァー・ワシントン・ジュニアが放った大ヒット曲。(略)グラミー賞の最優秀R&Bソングも受賞。日本では「クリスタルの恋人たち」なる邦題で知られ(略)売れに売れた。
シェリル・リンの「Got To Be Real」(1978年のヒット)、(略)ボビー・コールドウェルの「What You Won’t Do For Love」(同じく1978年発表)も、似たコード進行と言える。(略)アイズレー・ブラザーズの「Between The Sheets」や、ジャミロクワイの「Virtual Insanity」も、このコード進行にインスパイアされた曲と言える。
「愛を伝えたいだとか」(あいみょん)、「つつみ込むように...」(MISIA)、「接吻」(ORIGINAL LOVE)、「A Perfect Sky」(BONNIE PINK)、Rhyeの「Last Dance」、Madeonの「No Fear No More」、(「接吻」にはオマージュの対象として、山下達郎さんの「あまく危険な香り」もある_)。
このコード進行を使えばヒットする、などと思われては困ります(笑)。(略)コード進行は、曲の世界観を支配してしまうこともある。メロディや声質、時代感などが組み合わさって(略)トータルの見せ方や聴かせ方でこのコード進行に決まったという場合が多いのではないでしょうか。
詳しくは上記記事をお読みください。
エモさのツボ
ここではコード進行に還元して述べますが、個々人のエモさのツボは本来千差万別だと思います。
ボーカルの声や楽器の音色、歌詞、リズム、フレーズ、弾いてる人の姿、背景、聞いた時間、前後の人間関係、天候、映像全てにリンクして様々な個人の郷愁を刺激します。
このように使い古されたコード進行を持つ曲は広く伝わりやすい(いろんな点でいろんな人にエモさを感じさせるから)となります。
そして何より、あなたの記憶、思想、好き嫌いに大きな影響を受けます。好き嫌いは人と語っても平行線です。同じ人生経験と記憶を持った人はいないからです。
たまたま同じ感性を持つ人と出会うと感動します。稀有だからです。そういう人が友達と言える存在になるのかもしれません。
しかし、脳機能の解明は専門家に委ね、私達は自分の体に起きた感覚をそのまま音楽に活用します。そうなると心象を扱う不定調性論的発想が色々便利です。
(科学的、論理的に音楽をやりたい人はまた別です)
エモいコード進行の話をするときは、音楽理論的慣習(社会的価値)と個人の感覚的心象(個人的価値)を分けて話をすると議論しやすいです。
所詮は個人の感想だからです。
専門書によれば「音楽と感じること自体が脳機能ゆえ」だそうです。
(参考)音大生・音楽家のための脳科学入門講義6〜音楽制作で考える脳科学34 - 音楽教室運営奮闘記
飲み屋で音楽の話が盛り上がる理由は、この個人の感覚的心象(エモさ)を酔って詩的に表現することが、お酒にぴったりだからと思います。
一番詩的に表現した人が飲み屋では神になります。
エモさとは?〜「音楽的なクオリア」でくくる
そもそも"エモいって??"がはっきりしないと話が進みません。
有識者の記事を参考にしましょう。。
「エモい写真」はなぜエモいのか? 真面目に分析してみた – シーソー|曖昧な私の未来を見つけるキャンパスマガジン by甲南女子大学
こちらは写真のエモさについてですが、
一回性があってノスタルジックなもの。「二度と戻らない過ぎ去った時間」という概念が重要です。
この辺の言葉、イメージ湧きやすいですね。
またこちらの記事では、
「エモい」の意味は?どう使う?〜心の素敵な揺れを3文字で射止めた言葉。使い方、分かりやすく
「エモい」のなかには「感情的」「哀愁がある」「物悲しい」など、さまざまな言葉が内包されているとしています。
も確かに。
あの時限りの一瞬をとらえた一枚、なんて確かにグッときます。
感覚的にはわかるのですが、結局抽象的ともいえます。
そこでこの記事では、エモさを"なんかよくわからんけどグッとくる"という表現としてみましょう。キュンとする、うしろ髪ひかれる、なんか胸が掴まれる…なんでもよいです。尊い…でも。
悪い感じではない、正体のわからない私情への畏敬の念=エモさ。
音楽から影響を受けながらも、その時のエモさの感情自体はその時の自分が作っている、ことになります。
音や音楽があなたの内面を刺激してくる感じを不定調性論では「音楽的なクオリアを感じる」と表現します(伝統音楽理論ではこれを説明しない=万人が音楽と感情をリンクさせるわけではないから )。非常に便利です。
一つ気持ちの良いところが見つかれば、そこを起点に快感を開発することができます。
エモ進行のエモさに思う
人は感情と記憶と色々連動させて心を扱います。
嫌いな音楽家が丸サ進行を使うと、逆にエモいどころか鼻につくと感じることもあろうかと思います。
「コード進行だけカッコつけたってダメなんだよ」的に思うものです。
共感も心象の一つですから、ひょんなことから崩れます。
アーティストが不適切な事件を起こすと、昨日まで名曲だった存在がいきなり今日最悪な曲、となります。人ってエモくて複雑。
丸サ進行をより不定調性論の独自表現風に言うと
「聴き慣れた進行感/模様感の連続が"想いの連続"を生み、それらを捉えきれず、はっきりしない感傷が走馬灯のように流れていくからエモい」
という感じでしょうか。
教室で学ぶ一般音楽理論は、音の動きが特定の感情や情景を発動すること(主和音に帰って、落ち着いた、とか)については特定の感覚しか言明していません。
音楽と情感の関連を自分専用に落とし込んでいただくと振り回されません。
また「個人の感想」なので頼まれない限り人に押し付けない方が良いです。
加えてエモいコード進行が全部最高級のオペラの声で歌われたらどうでしょう。それも良いとしても、やはりさまざまな声、スタイルで歌われ、聞かれるほうが多様性です。何度も言いますが、人はそれぞれ好みがあるからです。
だから様々なアーティストが同じコード進行で様々な曲を作ることによって、それぞれが好きな音楽性を聴くことができる訳です。
そして社会は飽きますのですぐ下火になります。そうした「一つの流行で大量生産」が、音楽文化の進展そのものに関わりがあるようにも感じます。
飽きるのも曲が悪いのではなく、脳が飽きるからです。
聞いてもらえる要素を増やしたくて、流行りのコード進行が用いられる側面もありますが、おなじような曲がたくさん生まれることで脳が飽き、音楽家も次なるエモに向かおうとすることで音楽文化はどんどん発展し、豊かになります。
以下はコード進行を少し考えていますので、少し専門的な話です。
簡易版"丸サ進行"とEb7のエグみ
AbM7 |G7 |Cm7 | Cm7 |
最後をCm7二つ続けたのが丸サ進行の土台進行です。
これは短調のブルーズ、ロック、ソウル様々なジャンルでレコード会社が命運をかけて作り出してきた「都会的なカッコよさを表現する曲で使われたサウンド」です。
これを巧みに現代的にアレンジしたポップ曲に「うわ、これ使ってきたんか!」という懐かしさの混じった興奮を感じます。まるで最新VFXの映画の最後のボスキャラにロバート・デニーロが出てきた時の感銘みたいなもの(興奮?)を感じるわけです。
懐かしい?コード進行で感じるエモさの衝撃は、この「デニーロ出てきた感」です。そしてデニーロがバットとか銃とかを構えるだけで「おお!」ってなります。なぜでしょう。他の俳優なら銃構えたくらいでは別に感銘はありません。
脳の中の情報処理が関わってくるように思えてきたでしょう?
この進行も色をつけてみましょう。これも遊んでみましょう。
最後の部分をAbM7に戻るII-Vにして
AbM7 |G7 |Cm7 |Bbm7 Eb7 |
にすると、より我々世代のAOR進行(先のnippon.com記事参照)になります。
3回繰り返してます。延々とできそう。
丸の内サディスティックは
AbM7 |G7 |Cm7 |Eb7 |
こうしたことで一味加わります。より苦味が入る感じがします。
この和音のかっこよさは、より専門的には「セカンダリードミナントのカッコよさ」といいます。
Eb7が少しキラっとしたり、人情というか、暖かさみたいなものを丸サの曲で感じる人は、、そう、それです。それが音楽的なクオリアです。
感じる人と感じない人がいます。どちらが偉いというわけではありません。音楽にエモさを感じる人が音楽やればいい、というだけです。
エモその1(sus4とドミナントケーデンス)
AbM7→G7
丸サ進行の1番目と2番目のコードの連結がエモその1です。
この流れは、
G7sus4(b9,b13)→G7
というsus4の解決感に構成音の動きが似ています。
これはGsus4 G7 Cm7です。聞いたことあると思います。切なくエモいですね。
この時、sus4がエモさという感情を内在させているのではなく、私がこれまで聞いてきた音楽的経験からこのsus4という響きにエモさを添えられる人間に成ってしまった、という点に気づくことがポイントです。
音楽理論のみでsus4のエモさを説明しようとすると、必ずどこかで破綻します。またはやたらとその説明が薄っぺらく感じます。あなたの人生を1行でまとめられたような違和感があるのです。
みんながそれぞれその曲を聴いて育ち、それぞれのエモさを持つようになった、としてみると、全て個人の感想ですから、喧嘩になりません。
有名になった曲ほど様々な人に様々なシチュエーションで聞かれ、様々な思い出が重なります。中には同じような思い出を共有し、お互いを認め合うということもあるかもしれません。
またAbM7→G7→Cmはコードのジャズ理論的な和音代理の慣習では、Fm7→G7→Cmが置き換えられたものだと分析することができます。
Fm7-G7-Cm
もうこれは歌謡曲の世界。そして童謡、クラシックな響きです。
古い短調の歌謡曲の中には、ほとんど入っています。
日本に住んでいて、この"懐かしい"雰囲気を聞かずに育つことは不可能です。だから色んな感情を感じ日々生活しながら、この響きをずっとテレビやスマホやパソコンや町の中で聞いて育ってきています。まんま出てくると「四畳半フォーク」になります。
これがジャズ理論的におしゃれ(?)になったのがAbM7→G7→Cmです。
"AbM7はFm7の代理コード"とか言ったりします。Fm7とAbM7は構成音が似ているからです。
ビバップが生き残り、モードジャズが廃れた??のは、ビバップは情感を感じるコード進行の連鎖するエモい音楽だったから心が動かされやすい、ということも関係している事に一票を投じます。
エモその2(セカンダリードミナント)
Cm7 |Eb7 |
がエモその2です。丸サ進行の後半ですね。
Eb7はセカンダリードミナントコードです。
このようなちょっと調性から外れる音にエモみを感じる人もいるでしょう。
Eb7は頭に戻ってすかさずAbM7にドミナントモーション(ケーデンス)するのでここでも満足感というかエモみがやってきます。
進行感のバーゲンセール
黒い矢印の動きなどが場面転換をかんじさせます。
このようになるべく同じ音を維持させながらどこかに綺麗に半音を動かすようにコード進行をヴォイシングすると私は"擦れるような印象"を覚え、「やるせなさ」「切なさ」「葛藤」「余韻」という感情とかとリンクして、エモさを感じます。あなたはどうですか?
上図の、
オレンジ色のコード間の進行感(SDm→〔D〕)
緑色のコード間の進行感(〔D〕→Tm)マイナーのケーデンス
水色のコード間の進行感(Tm→subD)
ピンク色のコード間の進行感(〔D〕→T)セカンダリードミナントのケーデンス
全部強力な"伝統的"進行感を持っている、と感じます。
皆様それぞれでこれらの進行のどれか一つにグッとくるのでは?と言ってもいいくらいに丸サ進行は"進行感のバーゲンセール"になっています。気持ちいいツボだらけ。
映画の名場面集を観せられてる感じです。ついその映画が観たくなる感。
エモさは一つではない
当然グッとくる感じの種類はたくさんあります。
コードをちょっと変えたらエモみも変わります。
テンションだらけにすると、おしゃれさとちょっとした気高さ、手の届かない感じ、シルクのようなエモさ、額縁に入ったような、ドレスを着たようなエモさを私は感じます。そう感じたら、そういう曲を作る時それを用いればイイだけです。
こんな風に具体的な自分にしかわからない表現で、音楽の響きを一時解釈しようとする方法論は不定調性論が得意です。
自分がわかれば表現活動に移っていけます。
発信すれば、今度は他者が勝手に解釈して共感してくれることもあり、ファンが生まれます。
もし情感で感じないなら、どういう曲でこういう響きが使われているかを学び、それを真似ればそれを相手に共感させることさえできます。
こちらはCM7に流れてA7(裏コード)からAbM7に流れる感じ
最初だけ切なさがありますが、メジャー7thになるところで少し抽象的になると思います。
エモさだけなら「枯葉」やLovin' Youのようなコード進行もエモさと言える世代もあるかと思います。赤ルパン三世のテレビ枠のエンディング"愛のテーマ"=枯葉進行と短調のII-V-Iの二段攻め、とか子供時代に渋いなぁエロいなぁって感じました。峰不二子とかサックスの音色とかハーモニカ音色とか、オレンジ色の海岸を走る車のシーンとか、王いうものが関わる、と感じるようなら、それを時系列情報から受ける心象、と考えます。
伝統音楽であれば、ショパンなんかエモいですが、おなじ和音進行を執拗に繰り返したりしません。
絶えず曲の最初から最後までおなじエモみを維持することで「確かにエモい」を誰でも体感できるようにしたポップミュージックは変人芸術家だけでなく普通に生きる大衆を癒す文化、となった偉大な存在です。
まとめ
上記は私がエモい!と思う音です。
だからこうして主張しているのですが、他の人からしたら、はぁ?という音かもしれません。
みなさんがそれぞれ"なんかグッとくる音"を見つけて音楽を楽しめば良いことです。
エモい音楽を聴いて楽しむ=脳が遊んでいる
ゆえに音楽だけでなく、虫の声や海の音、育った家で久々に聞く日常の音にエモさを感じる時もあります(心象論=不定調性論的な音楽の捉え方)。
あなたがエモを感じる響きとおなじ感覚を醸し出すアーティストに強く共感することでしょう。
"私は嫌いだが、音楽理論的に正しいから好きと言わざるを得ない"という感覚を持てる人物が果たしているでしょうか。
長くなりました、エンディングです。
音楽はただの脳の快楽かもしれませんが、それをのんびり楽しめるような社会を作る、が平和のバロメーターです。