音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

(音制心理14)「カッコいい」はどこから来るのか/グルーヴの正体

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新版 音楽好きな脳 ~人はなぜ音楽に夢中になるのか

「カッコいい」はどこからくるのか

 

音楽における究極の錯覚といえば、構成と形式の錯覚だろう。音符の順序そのものには、私たちが音楽から感じる豊かな感情のつながりを生み出すものは何もない。音階にも和音にも、本能的に解決を期待してしまう和音の進行にも、それはない。

私たちが音楽を理解できるのは経験のたまもので、新しい曲を聴くたびに、また知っている曲を新たに聴くたびに、それを覚えて変化できる神経構造があるからだ。脳は、子供が自分の文化の言葉を話すことを学んでいくように、それぞれの文化の音楽に特有の音楽の文法のようなものを学んでいく。

現代の言語学と心理学に対するノーム・チョムスキーの貢献は、人はだれでも世界のあらゆる言語を理解する能力を持って生まれてくるが、特定の言語を経験することによって神経回路の複雑につながりあったネットワークが形成され、構築され、最終的には余分なものが刈り込まれていくと提唱したことにある。

脳は、持ち主がこの世に生まれるまで、どの言語にさらされるかを知らない。(中略)脳は神経発達の重要な段階でいずれかの言語にさらされるだけで、ほとんど努力もせずに、その言語を習得できる力をもっている。

同様に、世界各地の音楽も言語のように多様だが、人は皆世界中のどの音楽でも学べる能力を持って生まれると、私は確信している。

 

 

 

音楽は組織化された音響(サウンド)だと書いたが、その組織には、予想を裏切る要素が含まれていなければならない。そうでなければ感情表現が単調で、機械的になってしまう。

カッコいいと感じる感覚は、個人の経験や深く染み込んだ体感に基づいており、違和感を感じないほど馴染んでいます。

これを前者とします。

 

細かいグルーヴの微細な体感や、高度な和声、得体の知れない表現に対してより細かく勉強し、その良さを会得し体感する研究的欲求、分析的欲求という知的理解欲求も人は持っています。

これを後者とします。

 

かっこいいリフを"かっこいいと思う感じ"が前者、

そのかっこいいリフの中に仕掛けられている技や楽器の物理的な法則によって生まれた独自の事象、魅力、仕掛けの妙などについて気づくのが後者です。

どちらか一方のカッコよさしか認識しない人もいるでしょう。

 

前者だけだと全部同じリフしか作れない人になりますし、後者だけだと理屈はしっかりしているのに作る曲がイマイチカッコよくない、などの事例が思い当たります。

 

スキーマを破る

I Want You (She's So Heavy) - YouTube

同著書が述べる、ビートルズ曲を題材にして"予想を裏切る"ことについて考えましょう。この曲はひたすら同じようなフレーズを繰り返します。鬱屈が積もり積もって不安さを持ってきます。

曲の最後は中途半端な感じで終わります。まるで40分の交響曲の最後の1小節を作らずに放置したような。

この辺りも彼らの「何を持って新しい表現か」を模索した欲求と探究が垣間見れます。

「通例こうくるだろう」という感覚を裏切ることで音楽は豊かな表現力を持ちます。これを「間違い」とする反応も、スキーマを破られたことにショックを受けるタイプの人の反応です。

しかし、間違いと定義されるのは一瞬で、脳は何度も聞くとそれに慣れてしまいます。

 

偽終止や転調、テンポチェンジや変拍子、などの技法は、マンネリズムの打破にその目的があると同時に、脳はそうした手法に新しい興味を持って接することができます。

それも彼らのような著名なバンドだと単純接触効果が肥大して受け入れることを容易にしてくれます。

科学者に命じられたら被験者に電流を流すボタンを押してしまうような「自動的な鵜呑み」と同じでしょう。

 

著者が紹介している例を挙げます。

Creedence Clearwater Revival - Lookin' Out My Back Door (Official Video) - YouTube

曲はどんどんゆっくりになり、そのまま終わることを予期します。しかし最後だけ一瞬テンポが戻ります。ちょっとした仕掛けが曲を印象的なものにします。これがあることで曲が"甦り""若返り""再生"し、ソリッドな印象を与え、いつまでも色褪せません。このロックの気概をまた聞きたい、という気持ちにさせます。

 

Yesterday (Remastered 2009) - YouTube

Aメロは7小節です。普段8小節(偶数単位)に聴き慣れた耳には、一瞬くぐもった違和感のようなものを与えます。著名過ぎてこの違和感に気がつかないほどです。この7小節という"欠けた感じ"に疎外感、寂しさ、物憂い物足りなさ、みたいな"昨日の思い出感"を想起させます。

 

Elvis Presley - Hound Dog (1956) HD 0815007 - YouTube

このバージョンでは、曲の途中で激しいドラムフィルの後、いきなりテンポが落ちます。この変化に観客も狂喜します。予想していた何らかの期待を見事に全て裏切ってくれます。また、ゆっくりになったことで、エルヴィスが寄り添って歌ってくれてるような効果も感じます。2周目になると笑いまでこぼれます。もはや「サービス精神」と受け取られているようにも感じます。音楽の良し悪しとかではなく、もっと大事なものをお客さんが受け取っている感じです。単純接触効果の爆発的共感だと感じました。

 

歴史的に、極端にギターを歪ませたジミ・ヘンドリックス、ロックに本格ブルースを持ち込んだストーンズ、不定調を持ち込んだビートルズ、クロスオーバーロックをやったツェッペリン、バッハを取り入れたディープパープル、オペラを持ち込んだクイーン、レゲエを持ち込んだポリス...革新的なスタイルは当時の人に変化を与え、熱狂を、信教的信頼感を与えました。その衝撃はもはや宗教です。

細かいミストーンや、リズムのずれ、ピッチのずれさえももはや啓示であり、全く別の存在として受け止められています。

 

著者は誕生パーティーを例に出して「期待を裏切る」というポイントを説明します。

 

誕生パーティーのスキーマは(音楽と同じように)文化によって、また年齢によって異なるだろう。スキーマははっきりした期待を形成するとともに、それらの期待のどれは融通が利き、どれが絶対的なものなのかと言う感覚も生み出す。典型的な誕生パーティーで期待するものを列挙することができる。どれかが欠けていても驚きはしないが、欠けているものが多いければ多いほど、そのパーティーは標準から遠ざかることになる。

・誕生日を祝われる人

・その人を祝う人たち

・ろうそくが立ったケーキ

・プレゼント

・ごちそう

・パーティー用の帽子、鳴り物、その他の飾りつけ

 

つまりそれらが守られていれば誕生パーティーとして安心できます。

しかし誕生日を祝われる当人がいないと誕生日パーティーという存在は異質に感じます。

子供のパーティーで子供たちにお酒が振る舞われたら驚くでしょう。

ビートルズが死ぬほど好きな人へのプレゼントがスタートレックのレアなTVバージョンのレーザーディスクだったら変でしょう。

期待通りにそれが来ないと人は動揺します。

 

「ダサい」「面白くない」「かっこ悪い」も結局その人の感覚であって、それをそう思わない人も世の中にいるわけです。

どんなに勉強して真似をしてもあなたが同じように偉大なアーティストになれないのは期待を絶妙に裏切ると言う行為自体が大変難しい、ということだと思います。

 

 

 

赤ちゃんは5歳になるまでに、それぞれの文化の音楽のコード進行を認識できるようになる---この間にスキーマを作り出す。

 

 

私たちが発達させる主なスキーマには、ジャンルとスタイルの表現形式のほか、時代(1970年代の音楽には1930年代の音楽とは違う響きがある)、リズム、コード進行、フレーズ構成、曲の長さ、どの音符の後には普通どの音符が続くか、といったものが含まれる。 標準的なポピュラーソングでは1フレーズが4小節か8小節でできているといったが、これは私たちが20世紀後半のポピュラーソングについて発達させてきたスキーマの一部だ。(中略)だから<イエスタデイ>が7小節のフレーズを演奏すると驚きを感じる。たとえ何万回聞いたとしても<イエスタデイ>に興味を惹かれてしまうのは、 この曲の記憶よりもしっかり定着しているスキーマの期待を裏切られるせいだ。 何年たっても思い出す曲と言うのは、いつも多少は驚きを感じる位に、期待をはぐらかしている。(中略)何度聞いても飽きないと言われているアーティストのほんの一例だが、これがその理由の大部分を占めている。

音楽は言語ではない?

 

脳の音楽体系は、言語体系からは機能的に独立しているようだ *1。それは脳の損傷によってどちらか一方だけの機能を失った患者の、たくさんの症例から実証されている

*2。(中略) 大脳皮質左側の一部を傷めた作曲家のラベルは、音色の感覚を残しながらピッチの感覚だけを失ったために、音色の多様さを強調する《ボレロ》の作曲を思い立った。 (中略)音楽と言語は実際には一部の共通した神経資源を共有しながら、独立した経路も持っている。

(中略)生後間もない赤ちゃんは共感覚を持っていて、異なる感覚のインプットを区別できず、 あらゆる知覚をひとまとめにしたある種幻覚として生命と世界を経験していることを考えてみよう。

 

 

最も驚いたのは、音楽の構造を追うときに活動することがわかった左半球の領域は、目の不自由な人が手話で会話するときに活動する領域と、全く同じだった点だ。(中略)そこは視覚に反応する領域、手話が伝える言葉の視覚的な構造に反応する領域と言うことだ。

最後に、著者が述べていた表現から、音楽鑑賞の実際を描いてみましょう。

・ あらゆる音は鼓膜から始まる

・ 音はピッチごとに分解される

・ 言葉と音楽は別々の処理回路に枝分かれする

・ 会話の回路は個々の音素を識別できる信号を分解する

・ 音楽の回路はピッチ、音色、音調曲線、リズムを個別に分析し始める

・ ニューロンからのアウトプットが前頭葉にある領域に送られひとまとめにされ全体の時間的パターンに応じた構造や秩序があるかを見つけ出そうとする

・ 前頭葉は海馬や側頭葉の領域にアクセスし、この信号を理解するのに役立つ記憶を問い合わせる

・ 以前聞いたことがあるパターンか聞いたことがあるならいつかどんな意味か...etc

これらの情報作業から、音楽鑑賞で感情が湧き、さまざまな心象を感じる、ということになります。

音楽は脳にしかわからない快感であり、人はその機能に自分を委ね、よくわからないまま音楽を楽しんでいるのかもしれません。

 

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グルーヴという便利用語

「グルーヴ」と言う言葉があります。

グルーヴがある、グルーヴがない。。

世界中で使われているけど、クラシックでは使わない。アフリカ民族のリズムには使う、演歌や民謡にも時々使うけど、童謡では使わない。

そもそも繊細な時間的変化を伴う時間の間隔を埋めていくことで生まれるグルーヴ感覚自体を言葉で全て説明するのはほとんど不可能です。

 

筆者はこう述べます。

 

グルーヴとは、曲を前へと動かしていくそうした特性であり、どうしても読むのを止められない本の音楽版といったところだろう。

 

 

 

ただし、グルーヴを生み出す決まったやり方はなく、それはR&Bミュージシャンたちがテンプテーションズやレイ・チャールズの往年のヒット曲で、グルーヴをそのまま真似ようとしてきた例からもわかる。実際にそのグルーヴを再現できた曲がほとんどないのは、真似るのがそう簡単ではない証拠だ。

 

グルーヴとは何か決まったテクニックで確立できるものではなく個々人が感じられるそれぞれの気持ちよさ心地よさです。

かっこいいと思うグルーヴを真似て演奏してもそのとおりにはならない特性があります。

だから相手が思うグルーヴに寄せるのは非常に難しく、どうしても「 君にはグルーヴがない」的な議論に発展しがちです。

互いの「カッコいい」の認識の差異。

 

 

スティービー(・ワンダー)がハイハットで演奏するビートに、二度と同じものはない。タップ、ヒット、そして休みを、ほんのわずかだけ余分に加えているのだ。その上、シンバルでも少しずつ音量を変化させている

 

 

ミュージシャンの意見がおおよそ一致しているのは、メトロノームのような厳密なリズムを取らない時、グルーヴが最も冴えるという点だ。つまり、完璧に機械的なリズムではない時、ということになる。

自分の筋肉関節コントロールには長年の鍛錬が必要なので来週までにグルーヴ出す、みたいなこともなかなか困難です。

この手のグルーヴはある種の「かっこよさという感情」にリンクしています。

筆者が言うにはクラシックは同時に進行していく様々な人やリズム情報が予測がつきづらいためにグルーヴという認識と少し違う、ということを述べています。

 

このようなタイミングの変化を感じる、または知るには、次にいつビートが聞こえるかについて、脳内の計算システムが予想情報を手にしてなければならない。規則的な鼓動のモデル(スキーマ)を脳がつくりあげるからこそ、演奏者がそこから逸脱したのに気付けるわけだ。

クラシックは情報が多すぎて次の音が予測できなかったりします。

童謡にはビートと言う概念が乏しいため、当たり前すぎてリズムと言うレベルにおいて認識していない可能性があります。

それに比べアフリカンビートや 津軽三味線のビートなどは、一定的なパターンがあり次の音に対する予測が成り立ちます。その予想に反して、演奏者が作る独特の揺れや独特のズレに対して、人は「かっこよさ」という感覚=満足感、陶酔的美しさという感覚=グルーヴを得るようになりました。

 

微細なデータのズレの連続によってグルーヴという感覚にある種の「裏切りに対する驚き+美しさを感じる感覚」が引き起こるわけで、 グルーヴのあるなしを、 端的に指摘されても果たしてそれが適切な指摘なのか実際よくわからないのです。

「グルーヴ」という言葉で説明すると「わかりづらい説明」になるんですね。

どのデータがどのくらいずれているから悪いのか、ズレすぎてないから悪いのか、グルーヴという言葉ではなく、より細かい指摘で音の強さなのか、切り方が遅れているのか早いのか、遅れ方がまずいのか、ずらし方が足らないのか、などを細かく指摘してもらったほうがノリ/リズムの指摘としては適切です。

それゆえにがっかりさせられたミュージシャンに対して使う「グルーヴがない」という捨て台詞や言葉にできないほどかっこいい(言葉で表するのは野暮だ的な)ミュージシャンのリズムを「素晴らしいグルーヴだ」という表現で括ってしまう文化が未だにあります。

クセのあるリズムか、エグいグルーヴかは紙一重です。

 

著者によればこうしたリズム的現象に対する脳の反応が何らかの快楽物質を出し、こうした反応になっているのではないかと書いていました。

流暢に喋る人、ハキハキとしゃべる人、元気よく明るく振る舞える喋り方、そうしたことに心地よさを感じるのと同様に、人は聴覚の情報から様々な感情を得るような仕組みができています。これもまた生き残るためにそうした情報処理が必要だったからです。 聴覚は無意識的に瞬時に判断できるようになっています。

それゆえ、「理屈ではなく感じて覚えろ」みたいなアホな教え方が減りません。

アホは言い過ぎですが、それでは教えたことにならないし、それで上手くなる子がいるとしたらその子が優秀なんです。聴覚的判断は確かに一瞬ですが、学校では理屈を学ぶ場です。感じて覚えるのは、家でやることで、どうやって感じて覚えるかという理屈を学校で教えないと、才能は芽生えません。

 

音楽は言語の特徴の一部を真似ていて、言葉によるコミュニケーションと同じ感情の位置を伝えるように感じるが、何かを意味したり、何か特別なものを指しているわけではない。また、言語と同じ神経領域の一部を呼び覚ますが、音楽の場合は言語よりずっと、動機付け、報酬、感情に関わる原始的な脳構造に深く入り込んでいく。 

こちらに向かって吠えている獣に「なんで吠えてるの?」とおっとり理由を聞く必要などないように、脳が発達した訳ですね(逃げろ!)。

 

 

脳は新しいビートが聞こえる予測を常に更新していて、心の中のビートと実際に聞こえてくるビートが一致することに満足を覚え、巧みなミュージシャンがその期待を面白く裏切ると楽しく感じる(それは誰でも知っている音楽のジョークのようなもの)。曲が呼吸し、周りの世界と同じようにスピードをあげたりゆっくりになったりすると、私たちの小脳はそれと同期を保つことに快楽を見出す。

ここにグルーヴとは何か、の答えが全て書かれている気もしますね。

 

屋根を叩く木の枝のリズムが変化すると、ネズミが感情的に反応するように、私たちもグルーヴのある音楽ではタイミングのズレに感情的に反応する。ネズミはタイミングの規則違反に何の知識もないわけだが、それを恐怖として経験している。文化と経験を通して音楽は少しも脅威では無いことを知っている私たちの場合は、認知システムが規則違反を快楽や喜びの源として解釈することになる。

 

 

音楽を聴くと、脳のいくつもの領域が一定の順序で次々に活性化する。まず、音の構成要素を最初に処理する聴覚皮質。次にBA44やBA47などの前頭部。(中略)そして最後に、覚醒、快楽、オピオイドの伝達とドーパミンの生成に関わるいくつもの領域からなるネットワーク(中脳辺縁系)らに続き、即座核の活性化で終わる。その間、小脳と大脳基底核はずっと活動を続けている。おそらくリズムと拍子の処理を支えているのだろう。その後、音楽を聴くことによる報酬と補強の側面に関わるのは、即座核内でのドーパミンレベルの上昇と、前頭葉と辺縁系につながって感情を処理制御する小脳の働きだ。現在の神経心理学理論は、前向きな気分と情緒をドーパミンのレベルと関連付けている。だから新しい抗うつ剤の多くは、ドーパミン作動系に対して作用する。音楽は明らかに人の気分を良くする手段になる。これで、その理由がわかったように思う。

 

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*1:著者は後に述べているが音楽や言語のそれぞれの経路発達が行われ共通の資源を持っているかもしれないとも書かれている。 SSIRH= 共有統語的統合資源仮説

*2:ブログ主注...音楽の記憶と妻の記憶以外全て失った指揮者の話や、音楽の記憶を全て失ったが言語やその他の記憶を留めている例が紹介されている