2018.5.1⇨2020.9.21更新
楽理関連記事目次はこちら
Cメジャーコードをピアノで弾くとき、左寄り低音域で弾けば、どんなに協和音でも濁って聴こえます。
そりゃ濁るよ!
なぜ低音の和音は濁るのでしょう。
音程が取りづらい、という 理由のほかに自然倍音の混ざりも関わってきます。
これは、各音が発生する自然倍音自体の振動数も低くなって可聴域まで降りてくるので実音程と混ざって和音の実音と倍音が混ざって濁るように聞こえるからです。
低いC△
これはL.I.L.を破っています。十分濁ってますね。
こういう和音を鳴らすとその自然倍音は上記のようにほとんどの周波数帯域で響いています。もはやノイズです。
これをc1音だけにして、原音域(実際に鳴らした音の帯域)をカットして、さらに自然倍音部分をEQで強調して
このような状態で鳴らすと(音量注意)、
かなり金属音のような音になっています。
実際の生のピアノだとさらに部屋の音響なども加わってきます。
こういう理由から慣習的目安としてLILが定まっていきました。これも音楽理論、というより人の聴覚の性質から生まれた話といった方が良いです。
"これを気にしてるのは日本人だけ"とか、"曲がカッコよければ濁りもかっこよく聞こえるものさ"笑、という文化もあることを頭の片隅に置いて、先人の知識として勉強してみてください。
====
本来Cメジャーコードであれば
C△=構成音c,e,g(どみそ)ですから、これらの実音と同時に、
cから発せられる自然倍音
eから発せられる自然倍音
gから発せられる自然倍音
も同時に鳴っています(ピアノなどの弦の唸りが引き起こす、DTMのピアノ音にもこの倍音が混ざってサンプリングされている)。
通常の和音では倍音はかなり高い音域(振動数の二倍以上)なので、音として認識しづらいので"響き"として感じられるのが倍音の正体。
自然倍音(出典wiki)
ただ、低音の和音だと、原音が低いためにそこから発生するそれぞれの二倍音、三倍音...の振動数自体も低くなって音程認識可聴範囲(5000ヘルツ?以下=ピアノの最高音は4186ヘルツ前後)にたくさん実音程として認識できる倍音が鳴ってくるので、倍音自体が実音と混ざり、聴感上、濁って聞こえる可能性が増える。
的に覚えておいてください。
その濁る目安をまとめることはできないのか?として学校的に定められたのが
「ローインターバルリミット」という概念です。
これはどこから来たんでしょう。
わたくしはバークリーメソッド由来として学びましたが、語源や根拠がどこからきているのかを知りません。
特に生演奏のオーケストラ曲やホーンセクションのアレンジをするとき必要になるわけですが、依頼仕事のDTMerはもっと深刻な状態でこのLILについて考えなければなりません。
誰もがこの概念を知ってて音楽を作っているわけではないからです。
低音がモコモコこもっているときは、LILよりも演奏の仕方(ベースを指弾きからピック弾きに変えるとか)、EQで削る、でまず対処します。
(逆にLILを皆が守って、誰もが知ってる教科書的な響きになった世界ってどうなのでしょう。)
エレキギターがゴワゴワしてグチャッとしているサウンドこそがグランジだ、と身体が慣れている場合、二音下げチューニングでのパワーコードリフでも"気持ちよく聴けてしまう"場合もあります。
それはあなたのせいではなくて、あなたが接してきた音楽性があなたの耳をそう作ったんです。それは「グランジ耳」とでも呼べば良いことです。
そんなあなたにLILを覚えさせることは狼に鎖をつけて飼おうとするようなものです。
そのサウンドを聞きすぎることで人はそれに愛着を感じてしまうと濁っていると感じない場合があります。 逆に自分の好みを排除し理論的根拠だけを持ってしまうと、それが変に美徳になってしまい個性を失う、と言う話はこういった人の(脳の?)性質から来ていると思います。自分が作ったサウンドに対して学習時期に「理論的に間違っている」と 思いすぎてしまうと自分の本当の好みを見失ってしまうわけです。
また、お客さんの曲をミックス時、そういうもこもこした音源である場合
「あなたの作った曲、LILを越えてごちゃごちゃしてるから、アレンジ変えてもらえませんか?」
などとは言いづらいものです。
エンジンの詳細を知らない奴は車乗るな、みたいな面倒な人笑。
相手がすぐ変えられるかどうかもこちらは判断し、こちらでできることはしてあげます。介護と同じです。
それこそEQを必死にいじって考えます。
相手がこういうモコモコな感じを「音の厚み」と感じている場合、LILの概念は相対する考え方になってしまいます。
そうなった時のミックスには才能やセンスというこのブログで言う所の「音楽的なクオリア」についての個人の感覚がものを言ってきます。
上手にモコモコを消し、メール文言で説得できてしまう巧みなエンジニアもいれば、稀にエンジニアの経験を優先しすぎてお客さんに嫌われてしまうアマチュアエンジニアもいます。 どっちがいいとか悪いとかではなく仕事が成り立たなくなると困るのは自分自身です。
だから「濁り」というものに対して、どういう風に考え方の幅を広げるかを実践で理解していかないと「様々な人の美意識」に対して考えを巡らすことができません。
覚え方
(私は佐藤允彦氏の教材に従っています。同氏教材はバークリーの内容が元になっているとされています=現代では変わってるかも)
サックス、ピアノ、ギターなどでこれらが踏襲できます。
その他の低音楽器、チューバ、コントラバス、バスファゴットなどの楽器の演奏者のスキルによってもう少し多少下まで大丈夫、という状況が生じるのは言わずもがなです。
なお、このラインが絶対ではなく、理論書によって微妙に異なります。
m2-M2-m3-M3-P4-#4-P5-m6-M6-m7-M7
の順番で書きます。
D-C-C-Bb-F-G-Bb(↓)-F-F-F-F
です(Bb↓はBbのオクターブさらに↓、の意)。つまり
レドドシ-
ファソシ--
ファファファファ
(2,3度系)レドド シマイナス、(シマイナスはb♭の意)
(4,5度系)ファソ シマイマイ、(シマイマイは1オクターブ下のb♭の意)
(6,7度系)ファファファファ
という呪文で覚えてしまいましょう。
よりシンプルに、
二度はヘ音記号のレ
三度はヘ音記号のド
四、五度は無限
それ以上は下のヘ音記号のファ
と覚えてもいいです。
この黒丸音符より下で、各音程を作ってはいけない、という意味です。
さらにLILには例外もあります。上記ルールより下になっても
X7のb9th、b5th
m7,m7(b5)の時の11th
はさらに下までOK~と学びました。
またルートが他楽器で鳴っているときは、自分の楽器はその一番低いルートに支配されますので、そのコードサウンドのルートをメインに考えると濁り感覚を避けられます。
すごく人の感覚に左右されるケースがあるので、本当に目安なんです。当時はデスメタルとか無かったし、あれをかっこいいと好奇する若者が生まれるとは誰も思っていませんでした。商業主義で働く年寄りの方が美の基準を改めないといけなかったわけです。
また調性音楽が重心にあると、人は聴感覚上、ルートを想定しながら聴いている時があります。その場合も「なんか濁るなぁ」と感じることがありますので、今弾いている和音の低音がルートでない場合は、その下にルートがあるものと勝手に脳は仮定して仮ルートと音程差がLILを破っていないかまで確認するようになったらビョーキです。
特にクローズヴォイシングの連続や、ギターの開放弦コード、ベースでlowBを使う音楽、クラシック系ホールでの演奏など、濁りが目立ちそうな状況ではアレンジから変えておくか、十分に注意して演奏するか、そこだけ騒がしいパフォーマンスにする、などの工夫でLIL関連の違和感を感じさせない演出なども効果的です。そういうところでギター燃やしていたら背景のLILはむしろアート的演出と変わってくれるのが現代芸術の都合の良いところです。
もちろんDTMは倍音をある程度コントロールできるのでLILを越えて音楽をコントロールもできます。まさに神の手。
現代では、音楽理論の知識とミックスの知識まで必要になってしまったんですね。
脳科学の進化とDTM技術の進化によって、結果的にLILをそこまで気にしなくていんじゃね論になります。
でも標準指標を作った人、というのは私はすごいなぁ、と思います。
LILの罠
仕事の現場では一番偉い人の感性に準じます。
その人が「濁ってる」と言うなら直してください笑。
「濁らせて、それをこの曲の美しさとしよう」ってディレクターが言えば、そうします。
そういう意味では
High Interval Limit、Large Interval Limit
だってあると思いません?
はい、C△です。
しかし以前はこんなヴォイシング常識的ではなかったからルールがいらなかったんですね。
ローインターバルは「気がつかずおかしいことやってた」ってなることがあるので設定されている、ということだと思います。
不定調性論は協和と不協和の境がないので、ローインターバルも「濁りで表現する」「不協和で表現する」「ありえない響きで表現する」などと考えていく必要がある、という方法論にしました。
濁りもまた表現。
こういった和音が鳴った時、
「(はい不協和。)」
とするのではなく、
「(あ、『葛藤』だね、しかし、どんな葛藤だろう)」と理解できる音楽の聴き方です。この心象による発想自体はLILが生まれる前?19世紀からありました。
時々低音を極端にペダルを離して鳴らすことで、音程のない厚みが出ます。
逆に、音楽を大衆に売りたければこういう(勝手な)好みは一旦捨てなさい、と教わりました。
ルールを学ぶ程に音楽表現は難しくなります。
伝統理論を学ぶというのは、それに合わせて自分の感性も押し広げる努力をしなければならない、ということです。
低音の濁りは全く気にしないタイプの人がLILを学んで低音の濁りを「これは誤りだ」と認識できるのは、辛口カレーが大好きな人が子供用の甘口カレーを 開発するようなものです。 つまりどのくらい自分の感覚が大衆のマジョリティーに合っているのか、が最初にわからないと、自分の感覚が大衆と違うのにヒット曲を作ろうとするという誤謬に落ち込みます。
理論が自動的にあなたに曲を作りやすくしてくれる訳ではありません。
理論は大衆音楽を作るためのガイドラインです。 自己満足の音楽よりも多くの大衆を幸福にする音楽を作る音楽家の方が社会にとっては有意義だからです。
自己満足の音楽は音楽家の秘密の花園です。 不定調性論を作ったのはそうした音楽家の生きた証としての自己満作品の持つ響きを肯定するためでもありますので、器用な人は、社会の為、自分の為の音楽をどんどん作っていただきたいところです。
LILが目安である、という真意が伝わったら幸いです。