二つの旋律を聴いてみてください。
音源1
音源2
音源1の方は、Cマイナーキーそのまんまです。
しかし音源2は、f#やeナチュラルなどが使われいています。
ブルース的旋律というのは音源2のような微細な装飾音を巧みに使う音楽です。
あなたは音源2のブルーな感じを捉えられますか?
冒頭のf#は10歩譲って、前打音的な音としても、二小節目のf#(楽譜上ではg♭)はなぜ、必然的にここにおけるのでしょうか。
それに最後のeナチュラル。cマイナーキーでは絶対に使ってはいけない音です。なんでこれを使って音楽が成り立つのでしょう。
ブルーノートは、私の最初の音楽理論的な疑問の壁でもありました。
不定調性論の初期の大きな問題がここにそびえ立っています。
ブルーノートはどのような音楽理論的な理由から表現の中に持ち込むことが可能なのか。クラシック音楽の前打音やクロマチックな旋律とは明らかに違う「フィーリング」を醸し出すのはなぜか。
皆さんはブルースの独特の節回し、演歌の節回し、各地方の独特な節回しがそれぞれの音楽として成り立っているのを頭では理解していると思います。しかしそれらはポップスとは違うところに存在している、という見えない差別というか仕切りがありました。
しかし民謡的な節回しを元ちとせや個性的すぎるカラーボイスであるアラニス・モリセットのように歌うアーティストが独特の詩情を音楽で醸し出すようになると、いよいよ西洋音階理論だけでは、全てのポップスを説明できなくなりますした。
つまり学校で取り扱えなくなるわけです。そうなると学生は学ぶ機会がなくなり、彼らを異端であると認識します。一昔前のビートルズです。
楽譜に書かれていない歌い回しを歌で表現できる、というのはその通りなのですが、じゃあ具体的にどういう風にそれを身につければいいか、は教育機関では教えてくれません(でした-昔は-)。
その方法論がなかったからです。
答えを先に言えば、個々人の「音楽的なクオリア」をしっかり感じ取ればいい、というだけなのですが、そういうことを方法論の中に埋め込んだレッスンカリキュラムが存在していませんでした。奄美で育ち、その歌い回しを自分の歌に含めることで表現できる詩情がある、などと教科書には書いていなかったのです。またそういう音楽をどう理解すればいいかも書いてありませんでした。
現代では不定調性論的思考がいつのまにか理解されているので「感覚でつかむことの大切さ」を皆知っています。言語化する試みを行う重要性、言語化できないときは代替表現でできる限り正確に感覚を述べる、という行為ができる時代になりました。
しかし「個人の感覚」というとまだまだ独りよがりになります。
いわゆる「フィーリング」です。
このフィーリングという存在を音楽理論の延長線上に埋め込めなければ、音楽理論は失速します。学問の失速は学生の怠惰を招くだけです。
そこで私は、このブルースが持つ独自のフィーリングを紐解くところから、西洋音楽理論的思考と不定調性論的思考を融合させる道筋を作ることにしました(自分のために、ですが)。
教材の第6章を、何回かに分けて様々な角度から簡単に紹介していきたいと思います。 これによってブルースの音程感覚への理解を作り、ブルーフィーリングが感じられるようになると、近代音楽の半音主義や不定調性主義が見えてきます。
教材では最終的に「エクスプレッションノート」という考え方で音階音をゴムのように引っ張ることのできる存在にします。理解を楽譜に書き記すのではなく、脳にやらせるために聴覚や感覚器官をこれまでの「理論の言葉」と同じように機能させます。
結果として様々な民族音楽的表現への理解を「音階で理解するのではなく全ての知識(プログラム)を組み込んだ脳に自由に反応させる」という発想が生まれます。
つまり十分に学んだら、考えるな、学んでおけば脳は勝手に解釈を作り出してくれる、という発想です。
武道が基礎を繰り返し体に叩き込むことで千変万化する状況に対処する力を身につける、という考え方と同じです。
音楽学習も音楽理論の知識さえ色々さえ学べばというところが強調されすぎて、反復練習があまり重視されません。講師が出す同じ課題を1年ひたすらやる、など勉強として面白くないし、例えば対位法だけ3年間やっていたらなんの音楽もできなくなりそうです。それよりも部活でひたすら繰り返した野球の素振りのほうが未だに体が覚えていたりします。微積分は素振りより重要なのに覚えていません。
問題は「その人に向いている音楽はなにか」を指摘せず、在学中はただひたすら広く浅く学ばせる、というスタイルだからです。
結局、あなたのフィーリングが何を良い、と捉えるか、が判明すれば、好きな武器を取って、ひたすらに鍛錬をすればそれでいきていくこともできるでしょう。微積分は大人になってから必要であればいつでも学べます。効率も良いです。
そして、その人に何が向いているか、を気がつくには、講師学生共に自身のフィーリングを鍛える必要があります。音楽などはうってつけです。拙論では「音楽的なクオリア」というしかつめらしい概念を作りました。
ここではこじつけですが、フィーリングをどう確たるものにするか?についてブルースを理解することを通して考えていければ、と思います。
私自身、そういうことを知らずに育ったので未だに自分の道に苦労していますけど。
何回かシリーズになりますがよろしくお願いします。