音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

連関表モデリングの展開〜モジュラー連鎖対称性による不定調性界(原理編3)

前回

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不定調性界

上図で見慣れない表記は、55molを示した表記(SRG表記法)です。

わかりやすくするためにコードネームに類似する音集合はあえて既存の表記にしました。これをCのモデルとします。

 

ここで現れる、Am,C,Fm,A♭(G#)を仮に題材として、C,F,G,のモデルで調性的に展開すると

こんなふうに配置できます。不恰好に配置されているようで、これが螺旋状に竜巻上に上下していくような状況と考えれば、これまでの話と呼応します。

ただ、これは機能和声の話です。不定調性は「機能和声以前のモデル」から入る、というコンセプトですから、本来は下記のような混在モデルが想定されていて、

さらにこれらが12音になって例えば下記のように配置され、この合間を上下にスパイラルしながら偏意的選択して展開していくわけです。

このように配置回転する可能性を持つcを中心としたサークルが、

このように12音世界並んで展開していく感じです。

これが旋渦状不定調性界と言えます。制作時に実際これをいちいち考えることはありません。不定調性音楽の解釈時に用いる1つのモデルだと考えていただければ幸いです。

もちろん本来は一つの回転型だけでなく、拡張された12音連関表が重ね合わせで存在していて、それをディフォルメしたのが、

この拡張された連関表であり、これをさらに還元したのが、

この12音連関表であることは言うまでもありません。12音を用いることに変わりはないのですが、12音が一つの中心音の周りに関係付けられていることで、和音や音集合の相互の関係性を作りやすい、というのが不定調性音楽を分析する時に楽だ、という話を壮大に展開しているだけです。

 

 

ドミナントモーションの旋渦状世界の展開

機能和声における帰属進行V→Iも拙論では、同系和音の旋渦状の変化と言えてしまいます。機能和声は和音の根音のほかに、調的中心音を決めて考えるのが風習なので、このように複数のモデルを使うと旋渦状的になり相性が良くなります。

同じ形のものが次の形に並行移動する、つまり関係性や対称性が明確になりやすい和音展開と言うことができます。

 

逆に一つのモデルの中でG7とC∇を表示すると、その構造がわかりづらくなります。

これを旋渦状不定調性界を考えると、

こういう不定調性和音がV7の旋回系の相似和音として生まれるということはできます。

DmM7-CはG7-Cの旋渦状世界における、G7の関係性/相似和音を用いた進行だ...

とか言えます。

制作時にこうしたモデルを考えながら作るわけではありません。

音楽分析は後付けであり、学習時の一助であって、作り手側になったら直感的制作で日々トレーニングしていくのみです。自分が作った自分のための万能モデルが意識下にある、という安心感は、さまざまな制作についての迷いを取り払ってくれます。

 

 

セカンダリードミナントは旋回する不定調性

再度この和音集合を機能和声的な音の解釈に置き換えてみましょう。

ここにはCメジャー系列と、Cマイナー、Aマイナー、Fマイナーの系列が雑多に、不完全に混在しているように思います。

先に書いたように、このモデルでは、調的な中心音の連鎖は斜めに傾いて連鎖しているため、cが中心と設定しても、モデルの構造上縦に見ると、他の調的中心と言える音が並立しています。

機能和声における原理は、一つの音階と一つの中心、という構造でした。

そこに、平行調や、同主調という関係を見出し、

C -C7-FM7

といった、セカンダリードミナントの概念なども生まれました。

この図を見ていただくと、12音の数理を、なんらかの規則によって音集合を構成すると、機能和声における複数の調の領域が混在しているのが分かります。

だから例えば、

C→Fmといった、短調のドミナントモーション(マテリアルモーション)や、Cのキーの中で用いる、C -C7-FM7のようなセカンダリードミナントモーション(リアクティブモーション)は、本来機能和声の範疇外の、ここで述べている旋渦状の不定調性モデルのような概念の中で生まれる同じ系の中の和音の音集合連鎖、と分けてもいいわけですね。

 

Cが主和音なのに、なぜ主和音以外に進めるのか、主調以外の調に進めるのか、に音楽学習時に疑問を持たれた方もおられるでしょう。"なんだ、結局何でもありなんじゃん"と、音楽理論に裏切られたような気持ちがした人もいたでしょう。

広く汎用的な音楽理論は多くのことをぶっこみすぎているので、1つの方法論の中の矛盾を打ち消す/認めること自体を学習時の習慣にしないと身に付かないんですね。

 

"主和音に帰着する性質を持っているが、性質を持っていないとも言える..."

詰まるところこういう感じなので、独自解釈をして、自分が扱いやすいような形で理解していかないと既存の音楽理論学習は前に進めません。

 

他の調に進むためには、中心が持っている世界自体が一つの音階世界の外にも波及していないといけません。

そのとき、もともとcはFmに親和性がある、という方法論を作っておけば、音階的集合が作る秩序と、数理的集合が作る秩序が共存している、という理解であとは「どこまでを選択できる範囲にするか」自分で決めるだけです。

結果として、この拡張モデルになれば、CのキーがAmに関連するキー(平行調)Fmに、Cmに関連するキー(同主調)と関連性を持っていることがわかります。

機能和声では調性を超えて考える一つの方策として、平行調や同主調といった調性の関係性を掘り下げましたが、ここでは調の概念を用いずに関係性を見出しています。

 

個人の美意識が旋回する運動を作る

一つの中心音に対して、このようにある秩序を作って集合を作ることの意義は、私の欲求とか美意識に基づいたものです。

という2音集合を設けたとき、音楽的行動は、ここから次の和音に移行し、旋律がそれを飾り、時間的な連鎖が脳の中で記憶の連鎖となり、音楽の楽しみになります。その時の音の連鎖は経験と感覚的な選択が偏意的におこなれます。私の嗜好に沿った自由な選択によって、という意味です。
次の音は常に未確定です。あらゆる重ね合わせが存在して、観測して確定されるまでは、あらゆる音がその次の音に来る可能性があります。

上記のCg和音においてcが中心であるなら、gは、

どの音にも進むことができます。当たり前ですね。矢印の音かもしれないし、その一つ飛ばした青色の帯で囲んだ領域かもしれません。

機能和声における音階使用音の限定された状態では、

飛ぶことのできる音がある程度決まっていました。そこで生まれる音集合も極めて論理的な解釈が可能でした。しかし時には、

CgがF#c#に飛ぶこともあります。これはその人の感性ですから「普段絶対行かないところに行ったろ」というへそ曲がりな欲求でも、音楽的素養がある人はそれで音楽が作れてしまいます。

 

そこで一つの音階集合のフォルムを展開して複数の関連パターンが見いだせれば、それらは今作った和音に対称性のある音集合であるということができます。

12音連関表を用いた音の偏意的選択方式です。

cの周りを回転するように音を選んでいるのですが、基音であるcとその上方下方であるg,fの裏面領域を表裏一体(重ね合わせ)と表現することで成り立っています。この時側面にあたる、a,e,dの音とa#,d,g#の音も重ね合わせと言える表裏領域です。旋回する世界が、「次の音の選択肢群」として具体化します。

 

Cu5↔︎Cl5という変化は、点対称に反転した集合の関係性があります。同様にCu4↔︎Cl4も同様です。他同様にCqu5↔︎Cwl5つまりAm↔︎A♭等もあります。

 

このように組み合わせれば

 

C6↔︎Fm7

 

Am(11)↔︎Eb6sus4

 

Dm7↔︎Cm7

 

C7↔︎Fm6

 

などの関係性が生まれます。機能和声におけるIIm7→IIIm7というような連続は対称性の交換に見え、V7→Im6という短調のドミナントモーションにも類似した対称性があります。

C→Amという平行調の変化も、C→Cm7omit5のような同主調的変化も対称性を持つ進行ということがこのモデルではできるわけです。

拡張していけば、こんな進行モデルも作れます。自分の根本的な美的感覚と、そのモデルを融合させて作った進行です。

12音は多解釈が可能なので、このモデル自体が何か間違っていたとしても、音の連鎖自体は勝手に心象や意味を与えますので、1つのモデルに甘んじず生涯かけて改善していくのみです。

 

私にとって短調のドミナントモーションは領域変換だ、と以前から申し上げていました。これももっと大きな対称性の系の中の進行の一つ、と捉えられることになります。

以前こんなふうに書きましたが、勝手に旋回して満足させられることの理由を考えるのは、自分にとってはなんで宇宙が渦を巻くか、を考えるようなもので、声部連鎖で考えたり、何らかのコード連鎖の方法論で考えるのはあくまで表面を舐める程度に解説にしかならずあまり意味がないと感じたので、勉強はするけど結果は全部心象で捉える、というやり方に切り替わって納得できるようになっていたんですね。

声部連鎖で考えることもできるけど、それは商業的学習であり、学生時代はそれでも他者との共感の中で楽しめ、面白いけど、人生で迷うようになると、なんの指針にもなりません。自分の作品がしっかり作れたかどうか、にかかっています。

 

 

 

音階の音、一つ飛ばしで三和音

例えばこのようにcの領域に、下方fの裏領域bを反応させてみましょう。

するとCM7となります。赤字がこのc中心のモデルでのコードネーム解釈の可能性を書いてます。青字は中心音gの場合、緑字は中心音fの場合です。

なお、このCM7は、下記の三つの三和音の結合領域和音と考えることもできます。

これらはそれぞれ別々の系です。これについては最後に示します。

 

 

次に、この状態を反転させたc,f,g#の真下のモデルでは、先のCM7のモデルと対称性を作るため、反対の上方gの裏領域c#を反応させます。するとたまたまC#M7が出ました。IIbM7ですね。

で、今度は任意に、左側に反転させてg,c,f,dとします。c#の反転と解釈してgに戻してみました。そうするとG7sus4が現れ、次に斜め右上、のモデルが反転状態なので、置き換えてみると、C7sus4になりました。

また最初のCM7モデルを左に90度回転させると、bはcの裏面のf#に移ることになります。この時先ほどは下方のfは鳴っていないでbを用いていましたが、ここではcが鳴っているのでf#を消す、という選択肢と、f#を残す、という選択肢があります。

これも重ね合わせなので、あとはそこでできるモデルの汎用性や使用欲求に任せて自分で作ればいい、ということになります。残すとm6系の和音になります。上記モデルでは消しています。この場合は普通のマイナートライアド相当の構成音です。

逆にcを消すべきだ、とするなら、F#m7またはF#7のomit3的な柔らかいサウンド集合が残ります。そのモデルを右下に反転させてAbです。

その下のD7?Dm7?については、ここだけ別の反応音を考えて、都合よく、f#またはfを反応させた場合、それを右側のモデルに同様に反応させると、Cm7かF#m7(b5)が出た、という独立事例です。

 

学校では、"音階音をひとつ跳ばしに重ねると和音ができる"、と習いましたが、このように領域図を反応させても和音はできます。「ひとつ飛ばしで重ねる」なんて変な説明だ、なんて思いましたが、この不定調性界のややこしさに比べればなんとわかりやすい説明だったのでしょう。

本来は数理を理解し、それらの図形的美意識を考えて組み合わせるべきだったのかもしれませんが、それでは音楽はもっと数学的で、機械を作るような工作的文化になっていたかもしれません。歌など生まれなかった世界などもはや想像できませんが、今現在歌があるからこそ、こうした工作的方法論があっても特段邪魔にはならないでしょう。

 

またこうした自分のモデルで、

IIbM7はIM7の反転対称形という関係だ

とか自由に定義づけられるのは痛快です。

こういうことが自在に定義できると、音楽方法論的な不安はなくなります。

「なんでこの変な進行を自分はかっこいいと思うのだろう」

とか思わなくなります。なぜなら自在に多義的解釈が可能なモデルが自分の背景にあれば、なんか説明できるんだろうな、という程度に収まるので、すぐに制作に戻れます。

まあ普通はそこまで考えないでどんどん作れるのが本来の作曲家です。

 

その人自身がなんとなく描いている音関係モデルが(意識のどこかに構成されて)ある、とすると、その関係性に応じて、

IM7とIIbM7の使い勝手がなんとなく把握できます。

ある物体がそこにあれば、影が必ず生まれるように、IM7の影がIIbM7である、とするモデルを持つ人もあると思います。

音の関係性は、その人の音楽人生の流れの中で(覚えた楽器や好きだった音楽、無性に勉強した音楽を通して)構成されてゆきます。

それらは意識せずに構成され、脳の中でなんらかのモデルとして組み上がります。

私はここでモジュールとしてなんとか具体的なものにしようとしていますが、通常は自分の意識の中の音関係モデルなど考えなくても、それがあれば、勝手に起動して音楽を作ってくれます。

だから通常は作曲家は、こうした音関係の相互性をいちいち定義する必要はありません。

ただ、もしそうした音関係に「なんだこれ?」「これだ!」と感じてしまう瞬間に疑問、追求欲求などを感じた場合、脳のシナプスのつながりのどこかになんらかのあなただけの音関係モデルがあり、それが反応して、「これだ!」と思わせているとだけ感じれば、その音関係の既存理論的追求は必要ないし、それがわかっても作る楽曲に変化が起きるわけではありません。

 

 

連関表と音程

f-c-gと書くと5度進行ですが、脇の裏領域を経由すると、f-f#-gという半音進行になります。つまり5度進行というのはその裏面領域を経由すると、半音連鎖と同等になります。

連関表を拡張すればそれがよくわかります。普段の楽譜や鍵盤での配置だと、半音連鎖は見事な階段状に思えますが、もっと複雑な別の秩序があったりします。上記をもっと狭い範囲での秩序対称性を作ると下記のような姿が見つけられます。

音の選択フォルムにもさまざまな対称性が見られる場合があり、どの姿が自分が美しいと思うか、優先するか、重視するかその都度潜在意識で決めていくことができます。モデルの有無とかその存在の確証などは要りません。

意識が勝手に作っていくからです。

あとはあなた自身が選択し、作品の流れの中でその見えない構造バランスを作ること、まるで暗闇の中で観音像を掘るような難しさですが、それが音楽の楽しさやクリエイティビティへの共感であると思います。

こうした個々人が持つモデルを「意識内関係性モデル」としましょう。

私は自分の例として追求しましたが、これらのモデルはみなさんの中にも独自なものが備わっており、それによって音楽が自動的に作れるのでこのモデルを特定しようとするより、そういうものがある、と認識して、あとはひたすら作り続けることで、出来上がった作品を俯瞰した時に、なんとなく「こういうモデルが自分にあるのだろうな」と思うことが新しい音楽理論探究の姿になろうかと思います。

また、こうしたモデルも二次元で書ける程度に劣化、またはディフォルメされているので、ここで示した図が私の意識の中の音関係モデルであると絶対的に確証することはできません。だからこの行為自体自己満足であり、それ以上のものにはなりません。

とっとこの段階を過ぎて、どんどん作品を作り、作品を通して生まれるモデル感=音楽性を空に形作っていくことが音楽理論学習の成果でもあり、また学習過程そのものでもある、と言えます。

音楽理論の学習そのものは、この自己モデルの追求作業であり、それができたとて音楽は作れません。地図のように二次元でもなく、物体のように所有したり具現化できるようなものではないからです。その先の作品、音楽表現で初めて具体化されるので、モデル追求はほどほどに、どんどんその独自論で自身の音楽を発信し、それを磨くことで、モデルの鍛錬、音楽理論学習の追求に代替していくのが、ここで私が言いたいことの全てなのだと思います。

(これも独自論であり、ただの個人の信念の完成なので自在に解釈ください)

 

偏意的氾対称性の世界〜実例を考える

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前回の作品、0:45〜の次の部分を考えてみましょう。

ここに、六つの和音がある、と解釈できます。このフレーズは感覚的に、二つずつセットになって降りていくようなイメージを持っていると私は感じます。これをベース音を中心としたモジュールの連鎖を作ってみましょう。

こういう感じですね。最後のエリア和音F#dim7はまさに動和音、これは領域移動欲求の高い可能性を示すまさにドミナント的和音になっているのが面白いです。

旋律に句読点をつけたい、その1歩手前でドミナント的な和音を置いてしまうのは、私が機能和声音楽に常に憧れていることを示す行為ではないでしょうか。

 

これらの和音にも対称性の変化、同じ系の展開が見られます。

最初の二つのうち最初の和音のeをテンション的な役割とすると、隣り合う系の和音が線対称の連鎖になっているのがわかります。この二つは同じ対称性の系の中に閉じている和音といえます。中心音が違うので、この2つの界を旋回するように動いていると解釈するわけです。

 

次の二和音は、二つの隣接和音が合体したような和音で、これが次の非サイクル型和音に連鎖しています。まるで一方の音がg#に、一方の音がdに旋回しているようです。この時もeは付加音と考えると解釈が比較的平易です。

 

最後の二つの解釈は結合領域的な類似和音の連鎖です。まず左側の和音は、それまでの和音の連鎖の対称性を破っています。対称性の破れは、ダナミックな動きを作ります。この和音自体も動的欲求を強く持っています。

右側の和音はそれまでの隣接和音系にcが付加された和音と見るか、cのエリアの音が入れ替わり、g#を反応付加音の扱いをするか、の解釈は自由に。

この最後の二つは、F#dim7→CdimM7的です。このように書くと不定調性ですが、上記のように一つのモデルの中での変遷が統一感を与えてくれます。

 

また、この進行に対して、下記のような機能性を書き込むこともできます。

でもこれは結果論(心象連環分析)であって、学習段階でのモデルトレーニングのためにはいいですが、実際の制作は心象=音楽的なクオリア一本で行なっていくので(声部連鎖の一般学習などは済ませていただいた上で)、対称性の発見においては意味が二重になったり、不鮮明になったりします。和音の動きに美を感じるか、汚濁を感じるか、は個人の印象であって、構成音が対称性とは無関係になることも多いです。

心象連環分析は音の連鎖が引き起こすその状況を無調とか非機能とかと断罪しないように設けた分析方法です。

 

今回の進行は、SRG記法では、

DwΛ /C#q F#h-\ D#+l5 F#sp Awh-

と書けます。 

このような一連の形式を「モジュラー連鎖対称性による不定調性(界)」とします。

単に私の音楽構造モデルです。

aが帰着点とすると、この重ね合わせのモデルの12の旋渦状不定調性界を漂う和音連鎖である、ということがぼんやりわかれば個人的には十分です。

 

次に冒頭の部分も考えてみましょう。

このアルペジオはここまでが1セットと感じさせます。このラインがなんらかの対称性を持つように設定し、その構造を具体化してみましょう。

こういうフレーズはジャズ理論的には、

"3度に該当する部分の音が揺れ動くアルペジオ"

と1行で説明できちゃいますね。ジャズ理論ほんと簡単で便利。

個人で方法論を作ってみればわかりますが、現行ジャズ理論はほんと優秀でわかりやすいし、誰もが納得のいく体系が多いです。

 

モジュールの連鎖を作りましょう。

二番目のモデルのg#、a#はアルペジオの降りてくる音です。

六つのモデルがありますが、より対照的になるようにつくって見ました。不定調性なので、類似した音形だからといって一つの音が中心になる必要がないんです。

「価値」は私自身が見出す概念で、構造源からのどんな息吹に自分が感じやすいかも教えてもらえます。こうすると良い、こうすべき、ということがないのが独自論の世界なので、もし社会的活動に疲れたら、逃げ込める独自論的世界があると、社会生活でイライラすることはなくなります。リセットが早いからだと思います。

 

 

三番目と最後が同じフォルムになるようにしました。また二番目と四番目は回転対称的、一番目と三番目は点対称的、といえます。このフレーズのモデルは一つ一つの連鎖は不規則ですが、セクションの集合の流れ、として考える時、呼応しているニュアンスをそこに作り出せます。この冒頭の流れは、

Equ3 |E \(h,\. \B| B|w B|/ \D#|

などと書けます。E→B→D#という流れが見えます。

冒頭のeが中心だとすると、この流れにおけるd#はAの裏面領域です。

E → B → A裏面という機能和声的にいうと、T  D   S   みたいな流れで展開している、といえなくもありません。

キーCメジャーキーなら、

C      |G     |F     |〜みたいな流れの系の対称的存在、といえなくもないんです。この進行ならヒット曲にたくさんあります。

 

 

 

If I Fell冒頭の対称性

Ebm |D |Db |Bbm |
Ebm |D |Em |A7 |

こういう進行です。これを調的に考えてもジャズ和音になってビートルズの進行の簡便さが壊れてしまいます。この進行にある対称性をみつければいいだけです。

二番目のDがa中心なのは、メロディに#11が含まれるためDをaのivと解釈したためです。Bbmがc#扱いなのはc#のVImと解釈したためです。

最後のEm-A7はd主音のII-Vの解釈です。楽曲自体は機能和声が潜むジャンル内での楽曲表現なので、分かりやすい進行のところは特に不定調性解釈する必要はない、と考えます。

E♭m→Dはwu3→l4統合対称

D→D♭はql3→u5平行移動対称

D♭→B♭mはu5→qu5回転対称

B♭m→E♭はqu5→wu3統合平行移動対称

というようにフォルムの中に対称性を明らかにして、関係性を作ることで、それが不定調性界における美的構造を持つ和音連鎖である、という事実を作れます。

この楽曲の和音進行が変態だから、ビートルズは変態だというような愉しみ方を既存ポピュラー音楽理論側はするかもしれません。どうせ感覚的に作った作品なのだから、気張って方法論の中に落とし込まなくても、ビートルズの楽曲は十分に音自体で楽しめます。

この進行に音楽理論的魅力を感じる人は、その魅力が自分の中のどこから来るのかと言うことを、統一的に判断できる思考/モデルの存在を確信するくらいまで、自分の許す限り追い込んでも良いかもしれません。ちょっと沼なので人生が無駄にすぎないように気をつけて。!!。

 

 

自己観察を通じた内的価値の発見と独自論

楽曲分析は、その人の中にあるモデルによって得られる美的構造の確認です。

そして人はそれぞれ違うので、同じ概念でも必ず違うフォルムが潜んでいます。

社会的価値の競争で、個人がもともと持っている価値は排除され無視されています。

だから意識して社会的価値とは別に個人が培ってきた個人的価値のモデルを想い、心のどこかに確固として実在させておく事は、人生に少しだけ余裕と希望を与えます。

その中から導き出したあなただけの価値の確認は、クリエイティブな思考行為であり、仕事にも直結するという意味では、健全な(またはひどく捻じ曲がった)自慰行為と言えるかもしれません。

 

・あの時の匂いと同じ匂いがしたとき、誰とも共有できない自分だけの複合的な思い出と価値が心に浮かぶと思います。

・その風景の、その季節のその色合いの景色を見たとき、自分の心でしか生み出せない独特の価値があったりします。

・自分の過去の苦い思い出が作り出す淡い思い出が独特の日常のスパイスになって日々を彩ることがあります。

 

そういう価値は、他人と共有するのも違うでしょうし、人それぞれにその人にしか感じられない質感が人生を動かしたりします。

この不定調性界が作り出す価値は私にしか意味を持ちません。

そのジグソーパズルが完成した風景が、私にとっての音楽そのものであり、そのために音楽をやってきたのですが、そういうことを目的に音楽をやる、など、社会的にはおかしいわけで、行き止まりにせず、これを突き詰める機会があった事は幸いと言うべきか滑稽と言うべきか。

 

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