2018.7.18→2020.11.10更新
ドミナントモーションの進行感の根源はこのトライトーンの半音での解決とされます(というか、そういう風に理解することで済ませている)。
マイナーコードではこれが作れないために、b9thを投入します。そしてこのb9thはスケール外音です。
スケールアウトの根源がここにあります。
秩序を保つためには、多少のルール違反も必要だ
まるでハリウッド映画のような俺ルールがここにあります。
そしてスケールアウトにまで概念が拡張されます。このb9thのスリリングでエキゾチックな解決への魅惑が肥大したのがホールズワース神のような先人が産み出したプレイスタイルです。
またこうした誘惑は、モーツァルトの半音進行に既に完成されていました。旋律のクロマチックアプローチです。
そしてブルーノートフレーズによってクロマティシズムは広くポピュラーミュージックでも用いられるようになります。
違和感=慣習からの逸脱=自然な状態を喚起
の慣れによって、「アウト感」への正統性という感覚の肥大が起きます。
ここから「どこまでセオリーからアウトするか」という競争が始まりました。
そしてそれは「4:33」という究極の作品により完結しました。
でも日本人は最初からこの感覚を知っています。瞑想して心を無にするとき、穏やかな気持ちになることを知っています。あまりに音楽とかけ離れ過ぎていてそれを、音楽の効用と似た側面がある、とは認識できずにいました。
真珠を「貝の中に入ってきた異物がコーティングされたもの」とはいちいち言いません。それを云うとこれまで人が培ってきた真珠という存在への意味や価値に対する思いを蔑むことにもなりかねません。
人に足があるのは重力があるからと言えますが、足が短いことで重力を怨んでもクリエイティビティは生まれません。
自分の持っている感覚をクリエイティビティに活かすしかありません。そちらの方向に前に意識を進ませることで自分の作品は生まれると思います。
私自身、そういうことが理解できず、自分自身の和音感覚を長いこと蔑んできました。不定調性論自体は無我夢中に作りましたが、結果的に私自身を救ってくれました。その音楽が良いか悪いかはともかく、穏やかな気持ちで社会の中で自分の音楽を創れるのは方法論確立の賜物です。
これ以降の様々な和音連鎖を用いた作曲の手法については、
こちらのページにまとまっております。