何度も書いているネタですが、新年度ですので、このトピックを挙げておきます。
禁断の下方倍音
例えばcの下方倍音をf,a♭,dとしますね。下方第8倍音までです。
下方倍音を想定する、ということは、その上方倍音も想定する、ということになるんです。下方倍音列が単発では存在できないからです。
fは第3倍音にcを、
a♭は第5倍音にcを、
dは第7倍音にcを持ちます。
下方倍音を想定することは、それらが上方に持つ基音(ここではc)との関係性があることを認める、ということです。
だから拙論では上下8倍音までを用いるとするため、
c,d,e,f,g,a♭,b♭
がcに関係する音、とすることができます。

これらの音を組み合わせてできるcの和音
C
Cadd9
C7
Csus4
C7sus4
Caug
C7(#5)
といった変化和音は、基音cの下方倍音が作り出す倍音世界を想定した、と言えちゃうわけです。この時、全ての周波数を12音に割り振る、という方法論的前提があって初めて成り立ちます。拙論では24平均律の周波数値に沿って、近い音名に象徴的に振り分けて考えます。
機能和声論はこういうことは言わず、上方領域だけで音楽を考え、Csus4はM3rdがサスペンドされたもの、Caugは5度が変化したもの、みたいな発想で定めてゆきました。根音が中心になる、という思想です。
和音は倍音から作るものではありませんが、Cメジャーコードが心地良く響く、という感覚は生理的なものでその由来として最終的に倍音列の話になってしまいます。人の耳のシステムが倍音構造に反応するからですね。これは絶対的真理ではなく、人のシステムにとって真というだけです。
そこに加えて「周波数の数理」まで話を広げると、いろんな和音集合が作りやすくなるのも事実です。
思想的に個人差あります。
基音cからCmを作る
この話はさらに数理親和音モデルにまで話が進みます。

下方の音が上方にcを持つという仕組みを活用し、また8倍音までを想定すると、fは上方にc以外にa,e♭を持ちます(というか"関係性"を想定することができます、以下 同)(注;下方の左からの順番がf,a♭,dになっているのは、教材における話の都合での順番で、左からa♭、f、dとしてもいいです)。
a♭は上方にc以外にe♭,g♭を持ちます。
fは上方にc以外にa,e♭を持ちます。
拙論ではこれらも一つの基音の中に組み込める、という方法論を展開しました。
下方倍音は各上方倍音の列に基音を含む列であり、拙論が八倍音までを使用する、という取り決めに従い、これらの下方倍音も上方8倍音までを含めて考察する、と自分自身で決めたためです(独自論)。
すると、新たにe♭、g♭、aが使えることになります。ということは、拙論世界においては、
Cm
Cm7
Cm7(b5)
Cdim
Cdim7
C7(b13)
C7(13)
C6
Cm6
C7(#9)
C7(#11)
などが組み合わせの可能性として出てきます。オルタードテンションはほとんど出てしまいます。

これは拙論のルールの結果です。
自分が一つ一つ納得できる形で決めていった自分のイメージにあったモデルが作るルールが確立されるのが独自論探究の不思議なところです。
子供がピーマンを食べたくないとまず思ったとして、その頭で勉強して論理的に結論を弾き出すと「ピーマンを食べることが自分には必要」と導き出されてしまう感じに似ています。そしてそれが新たな自分ルールになっていきます。そうやって、自分の方法論を極めていくと、結果的に一般論と似通ってはいるけども、個性的な考え方での音楽表現力がつくわけです。
一つの基音cからCとCmは作れない、みたいなところで悩む段階があるかと思いますがここではあっさり出ました。この辺の伝統を最初に作った元祖研究者は、かのラモーです。
同様に、これは私が気持ち良くなる独自論であり、所詮は私の頭の程度に合わせた方法論ですから、しっかりとそれを受け止め、劣等感とともにその独自論を進化させる過程に向かうのみです。
モデルの欠落点を補強する
この親和音モデルだけでは作れない音があります。
b9thとM7です。基音の半音上と、半音下はこのモデルに出てこないんですね。
このモデルだけでは、
CM7、CmM7、C7(b9)は作り出せません。上下の8倍音までで考える、という制限を設けていたためでもあります。
ここまで上方と下方の領域が出てきて、この次に用いるのが裏面の領域になります。ちなみに上記まで用いてきたのが主に表面の領域音になります。
cの裏面はf#です。つまり増四度の音が裏面の領域に該当します。
なんで裏面というかというと、これも倍音発生の数理関係が裏返しのように見えるからです。
表面と裏面を常にセットにして考え、いつもその音の裏には裏面領域の音が控えている、みたいな考え方で音を捉えるようになりました。
それからは裏面領域に変換したり、その音の裏面領域を表面音と同時に出したり、とアイディア次第で和音構成が広がりました。
Cメジャーコードの裏面領域(記号 <=> )は
c <=> f#
e <=> a#
g <=> c#
です。またcの下方については、
f <=> b
a♭ <=> d
です。上方倍音と下方倍音それぞれ,3-7倍音は表面と裏面の増四度関係なんですね。
さて、ここでbとc#が出てきます。しめしめです😆。
cが中心である、という発想で考えた時、
CM7=C(11)のfを裏面にしたものと言えます。
C7(b9)はC7にgの裏面のc#を追加並立させたもの、とも言えます。
C7自体が、Cメジャーコードのeの裏面領域のb♭を追加したもの、とも言えます。
これでほとんどのオルタードテンションコードまで1つの基音で作れることになってしまいました。
こういうインチキで身勝手な方法論を独自論といい、そうした独自論との付き合い方を独自論論と言って、生涯展開させます(個性を維持しながら社会と共存しやすくなる=変態はこれ大事です)。
独自論は「こういうことを考えてしまう自分の未熟さや恥」を認め、普段の社会性と切り分けて再構築をすることの重要性に気がつくところからがスタートです。四十歳でも五十歳でもそういう「小学校からやり直し」をしなければならない要素があるものです。あとはやり直せる勇気と気概が持てるかどうかだけです。
音楽は多解釈が可能な奇想物理学
さてこうなると、どの音がどの領域に属し、表面なのか、裏面なのかがはっきりしなくなります。
ここで「和音構成音の多解釈性」が生まれます。
そしてこの解釈の仕方は、個々人でその都度自由に創造するもの、としました。
音楽理論を理論というのはおかしい、という話を聞きました。ただその場合の理論とは「理論と実際は違う」という譬え話の際に出てくる"理論派"のような意味合いで「理論」という語を用いていると思います。文学理論とか経済理論、色彩理論とか、比較的論理的な構造と法則を見出せるものには「理論」と名付けることが慣習としてあります(辞書にも載ってます)。理論だから細部まで厳密で正しい、という意味合いの音楽理論を理論というのはおかしい、と批判するのは、文字面だけでの印象による個人的誤解ではないでしょうか。
音楽は、人の意識で自在に変化する特殊な奇想物理学みたいに感じます。
魅惑的な意識の魔力に負けないように自分の解釈力と想像力を自らの責任で確立していく必要があると思います。
不安定なC7と安定したC7
例えば、機能和声におけるC7はいわゆる属和音で、主音に解決力を持っている、的に定義しますね。でもブルースのI7のC7は、これで安定した和音とされて何の疑問もなく使われています。
この違いを説明するために、機能和声のC7は動きを持つ動和音としての性格を確立するため、Cメジャーコードのeの裏領域を加えた和音、と解釈します。
一方ブルースのC7は基音cの四度領域和音Cu4(c,g,b♭)に5度領域Cu5(c,e,g)のeを加えたもの、すなわちCu7、、、用語は分からなくていいのですが、このように確立の根拠を領域的思考で多解釈が成り立つことを利用して、自分で解釈するんです。
普段から、ポピュラー音楽家は楽曲の雰囲気の中で、その和音がドミナントセブンスなのか、ブルージーセブンスなのかを何も考えずに判断して使い分けていると思います。
ここでの説明はその無意識に行っている使い分けの説明を、いちいち領域という考え方を用いて少し論理的に説明できるようにしたわけです。
他にも機能和声は主音と属音で成り立つものだから、

という二つのモデルを使っても、cにとっての半音上c#と半音下bは生まれるので、
CM7はC∇+G∇の一部(∇はメジャートライアドの意として)と考えたり、
G7(b9)のgはcの第3倍音、fはcの下方3倍音、b9thはcの下方第五倍音だから、G7(b9)はcに結びつきやすい、みたいな理解もできるわけです。
学習習得したら破壊創造
新年度、学校でこれからコード理論を学ぶでしょう。
色々考えるかもしれませんが、全部なんでやねん!とそのまま受け止めて覚えてしまってください。
そしてどんどん学んだことの向こう側を目指して、音楽に関するあらゆるアルバイトをやって感覚を磨いてください。締め切りと時間に追われる生活の中で工夫を覚えて、いかに直感が大切かを身につけてください。自分には何が大事か、が見えてきます。若い時はそれを誰も教えてくれません。自分で気が付かないと!
車の運転や料理、スポーツと同じです。何年もそれを続けると、大切なポイントはちゃんと残ります。その間はひたすら試行錯誤していくのみです。もしうまくいかなかったら、自分と社会との相性が悪いのだと思ってみると、自分の方法論が見えてきたりします。つまり誰を批判する必要もなく、ただ自分の方法論をひたすら磨いていくこと以外する事はないと思うのです。
また、10,000人に1人ぐらい音楽理論沼にハマってしまう人がいるかと思います。
そういう方でプロ研究者(音楽理論家/博士)にならない方は自分で方法論を創るしかありません(独自論タイプ)。
社会教育が間違っているのではなく、あなたが理解しやすい理解の仕方が社会と異なるだけです。あなたが前進できればやり方は多少イレギュラーでもいいんです。
大きな音楽学校で7年学務をしていたのですが、音楽理論で学期の最後まで残っているのは5%ぐらいです。そんなに音楽業において大事ではありません。電気やデジタルの勉強をした方が実用的です。また 学校で学べる音楽理論に関しては、卒業後学んでも何の問題もありません。
いずれにせよ学校出た後の方が数万倍大変/楽しい〜ので、学校での苦労は笑って汗を流して前進していただきたいです。
新年度よろしくお願いします。