前回
続きです。ミッシングリンクだった部分を繋げます。以前「旋調性」と述べていた内容が完結します。
モジュール

12音和音まで表記できる12音連関表モデルです。自分が思う音関係を図示したものです。元は上下の倍音の発生モデルに端を発しています。
これを「連関表モデル」または「モデル(モジュール)」と下記では表現していきます。このモデルは、私にとっての音のイメージの二次元化です。
本当は三次元で高層ビルに囲まれている時のような感覚なのですが、それで音楽を作るのは自分には難しく、自分の知能が追いつける次元まで下げてみたら二次元になり、実用すると、これで十分でした。角度や距離感などイメージとの整合性は少し精度が落ちますが、実際モジュールを元に音楽を作る分けではないので十分でした。
これで、施調性自体を発展させた、旋渦状不定調性界ができあがります。なぜ自分が作る音楽が不定調性になってしまうかの源を、このモデルが作る対称性的世界の美的構造が元にあるから、ということができるのです。
<参考>
協和と不協和に代わる対称性と関係性の構造

このモデルが私の音思考のベースにあるなら、このモジュールから自身の音楽の美的形式が全て構成できないと、インスピレーションの選択肢に混濁が生じます。
これまで、様々な理論家の方法論を学び、そこにも独自の美しさを感じていましたが、それを用いても自分の音楽である感じがしなかったのです。これは私自身の気質によるものかもしれませんが、彼らの音イメージの使い方にどうも納得ができませんでした。
まるで借り物をしているようで。
そこで違和感はありましたが自分の性癖ずくめのこの十二音連関表が作る音集合のイメージを起点に考えを統一していくことで、自分の深いところの嗜癖が満ちるように感じたのです。
例えば、これはcを中心としたモデルです。

オレンジセルの音選択をしたら、下方左隅に集合していますね。
これはあくまで私のモジュールが生んだ形状です。Dm7が左下の正方形の和音だ、などとは思っていません。ここに考え方のコツのようなものがありました。
「そうか、私のモデルではd,f,a,cの集合は左下にこのように現れるのか、面白い」
とだけ思えばよかったのです。
この「一時的理解」がないと理解は先に進みません。
そう受け止めるといろいろなことが受け入れられます。次の図をご覧ください。

この図では、先に比べて配置が分散してるように見えます。しかし音構造をよく見ると、c,c#,d,d#と半音が連鎖した集合です。
楽譜で見たらこれこそ半音でぎっちり密集した音の塊です。

しかし私のモデルの外観は密集というより分散しています。
これも私のモジュールが持つ「性格」といえます。そしてその様を受け入れ、
12音連関表では、半音の集合は密集ではない、と把握できれば道は開けます。
半音が密集している、というのは経験上の先入観だったのです。

密集しているように見えて、

離れている、という状況はいくらでもあります。
確かに密集しているかもしれませんが、決めつける必要はなかったのです。
これは物理学ではなく、音楽の話だからです。
このことが示すのは、
「私にとっての密集があなたにとっての分散だった」
「私にとっての潜在化があなたにとっての顕在化だった」
といったことが起きる、ということです。
社会の中での価値の統一は必要です。それと個人の価値は別です。
それが分けられるか、上手に共存させ、自己主張と他者協調を自分の中でバランスを作る必要性があるのです。
共有の承認と分断
私が持っているモデルが示す概念をあなたにそのまま共有する事は意味がありません。
・自分の中の解釈をあなたと共有しようとする欲求(共有の承認)
・自分の中の解釈をあなたと共有しようとしない欲求(共有の分断)
をそれぞれ意識します(共有の二層化)。
ここに身勝手や矛盾の本質があるわけです。
自分にも相手にも矛盾を許容しないと、人は欲望があるので、暴走します。
以前も言いましたが、矛盾は人間の発明品です。
本来はリディアンクロマチックコンセプトなどでも、ラッセル氏個人の解釈と欲望の体現でした。それが暴走し「誰もが率先して用いるべき概念を作らねばならない」という教育者としての責務がごっちゃになり、結果的に既存の方法論を揶揄するような主張も混じってしまいました。平和を目指す人が平和のために争いを仕掛けるような構図です。
またバークリー系ジャズ理論も同様で、誰もがスケールを覚えてそれをコードに当てはめて活用することが必要、というわけではないのに、いつの間にかそれがジャズ教育の一つの基本ともなってしまいました。
当然機能和声論の「トニック」「ドミナント」という概念に異論がある人も多いと思います。
他者に押し付けず、自分の生き方に活用させてもらうことで、他者の生き方も初めて尊重できるのではないでしょうか。
緩衝構造の自認
モデルの修正もどんどん必要です。私の場合、

このモデルのままでは、理解を進めるためにそぐわない部分が出てきて、

こちらのタイプに変形して55molを作りました。こうした作業は一生続くので、完成もなければ、終わりもありません。
では、12音連関表の実態を掘り下げてみましょう。
重ね合わせの連関表
こちらで示した通り、この連関表モデルは四つの"見かけのモデル"が重合していました。

これだけ見ると、cの左側に位置する音が毎度違っています。
しかし、これは平面の中に連関表を配置したからであって、本来はこの四つのモデルが重ね合わさった状態、を考えます。

重ね合わせの特徴
・c=f#、f=b、g=c#...増四度の関係がランダムに確率的に可換性を持ち、回転の系において確率的に形成される
表裏のcとf#、側面表裏のaとd#が常に確定するまでは重ね合わせられた状態である、とします。重ね合わせ、という概念は"シュレディンガーの猫の話"と同じと思ってください。ここでは二つ以上の状態が重なって存在しています。
またここには上下の領域の対称性はそのまま保存され、側面の表裏の変化が生まれます。この辺は完全に自分にモデルの独自解釈ですから、まさに他者と共有の分断をすべき情報です。
これが最善ではないはずなので、今後もバージョンアップを目指します。
連関表はこうした確率分布がある、としてみましょう。
つまり、12音連関表は「ある段階でのある程度の関係性の確率の存在を象徴したもの」だったわけです。
新しい連関表を一般化すると、

こういう状態の「関係性の筐」となります。
ここからの音選択は直感的に行われ、即興演奏などでは、手が及ぶ範囲、経験で得たことのある音配置などが選ばれます。このような選択を「偏意的選択」とします。
また、意思によらず、モデルに沿って選択することを「偏型的選択」としましょう。
旋回する三和音構成
次にこちらの表から、センターヴォルテックスの回転する事例を改めて考えます。

この表はcを中心にして、さまざまな音を選択していく時に、同モデルの周囲を音が漸移的に回転して変化してゆくように並べます。
一旦上記を整理します。

これでcの周りを音が回転してるっぽい図になりましたね。
途中隙間があるのは、c,g,fの裏面領域のセルを取り除いた、表面統合調性型のモデルをここでは使っているからです。
これらの和音は全て同じ回転系に入る和音の変化系である(相似)、と捉えます。
つまりC∇やAm、Fm、Cu4、Cl4は全て同じ和音の系に入る対称性を持った和音といえます。
対称性は、ただ回転によって、その瞬間の見かけの姿が違うだけ(かつモデル設置者が決め軸を通して見られる個人的な美的価値観があることも含む)、と捉えます。
例えばヘリコプターの回転翼は回って位置や座標が変わっても、同じプロペラの移動にすぎません。
この思想も、私が渦巻きや回転に根源的魅力を感じていることに端を発しています。
「止まっているもの」は存在しない、という独自論的観念がこの考え方を作っています。
だから和音進行も、和音が変化して(構成音は時間と共に変化する)当然だ、と私は考えます。音楽が変化するのは、人が時間と呼んでいる概念と共に次元を移動することで、移り行くものの哀れを示しているのだと感じます。
その動的魅力を和音の変化の美意識にあてがっているだけですから、不協和でもアンバランスでも私には、音集合の変化、連環は魅力的に、意味と意義のあるものに感じられるのでしょう。
ずっと川の流れや波打ち際を見続けられる感覚は皆さんはお持ちですか?
私はあの感覚と同じ感覚で音楽に接しているのだと思います。
だからサビも繰り返しも規則性も意図的なランダムさも必要ではなく、ただ音楽だけは自分の意図を反映した「気まぐれ」で連鎖するような世界を自分で作って自分で感じたかったのだと思います。
例えば、
c,c#,d
というクラスター的半音集合から
c#,d,d#
という進行に進んだ時、これははっきり全て半音上の集合への進行ですから、関係性がある、と表現できます。
そのあと、
d,d#,f
に進んだ場合、前の二つの作り出した関係性を破った、と表現できます。
しかし同時に、新たに、この三つの和音の連鎖が作る秩序を一つの関係性、と新たに設置することもできます。
ここで表現する「関係性の破れ」とは、あくまで一般社会が許容できる音楽や芸術的な創造性の中で使われる文化的な仕事を対象とした行為にのみ許されると思います。
法を犯す反社会的行為を「社会の関係性を破った」とは言えません。反社会的行為自体が残虐性という対称性を遵守する限り、ただ単に迷惑なだけなのでおやめください。
不定調性論は、社会秩序との協調の中でのみ許される行為の中で完結することを終始訴えています。破壊行動の容認は一切していません。
意識の角運動が作る音の連鎖
アートにおける回転関係性や対称性の意義は、
・視覚的調和
・美的バランス
・秩序の創出
・神秘性の創出
・焦点/中心/重心の創出
・流れの創出と淀みの浄化
など、書く必要もないくらい当たり前に意識に呼応しています。和音が変化すること自体に疑問や動機を考えたくなる人も私ぐらいでしょう。
音の運動の場合は、楽譜の習慣によって左から右へと進むように錯覚しています。そこで、ここでは回転するような運動、または螺旋状の渦を巻く角運動が作る意識の自立回転を「和音連鎖のエネルギーの根幹」として、和音が連鎖することは、意識の角運動による必然的な展開、としてみましょう。
しばらくは、
「私の中では音は重ね合わせの確率世界が円運動を描いて渦巻いて上昇、下降を自由に繰り返しているのではないか、だから私が作る音楽は不定調性になってしまうのではないか」
と考えて進めることになります。
その3に続きます。