音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

自己感受の結線記述〜モジュラー連鎖対称性による不定調性界記述(原理編2)

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モジュール

 この「連関表モデル」または単に「モジュール」と表現していきます。このモジュールは、私にとっての音の関係性を二次元化したもの、と言えます。

混沌とした音集合を視覚的に整理するためだけに存在しています。これが音楽を説明する類のものでも、クオリアの原因を突き止める素材でもありません。

抽象的で即興的な音存在を視覚的に把握するために用いる記録写真のようなものです。

 

私にとって音楽は、私の存在意義と無意味さの陽と陰が同時存在しているように感じます。そのなんとも言えない疼きを「不定調性論」という形にしたことが私にはどこか滑稽でもあり痛快でもあります。

本当の音楽の正体は、もっと私が理解できないレベルで複雑なものでしょう。しかしそのままだと諦めの境地しか生まれないので、そこでもがいて自分が扱いやすい形にしたら12音連関表になったわけです。

おそらく私は自分のオリジナルのフィルターを通さないと答えを得た実感がわかないタイプなのだと思います。これは気質の問題です。

<参考>

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協和と不協和に代わる関係性の視覚化

例えば、下記はcを中心としたモジュールで、

オレンジセルにした音は下方左隅に集合しています。音集合自体は、

Dm7とかF6と同等です。cを中心にすると、

・cの側表面領域のa

・cのl4領域(下方四度領域)が鳴っている、全体的に下方指向和音

全て表面領域(左側にある)

と解釈できます。

「私のモデルではd,f,a,cの集合は左下にこのように現れる」

だけです。

これを「自分の偏見」と理解します。自分の偏見を図にして見ている感じです。

この和音なら基音領域特化と呼びます。dim7集合ですから結果として上方、下方への指向が強くなります。

同様にこのような和音を、上方領域特化と呼びます。こちらもdim7の完全動和音ですから基音領域、下方領域(上方領域の上方領域)への指向が目立つ展開を作りやすいです。

こういった上方のない和音を、下方領域指向和音と呼びます(上方の場合も同様に)。下方領域への反応が主要素になっている、と捉えます。

このように各領域が均等に存在すると思える和音は、均衡領域和音と呼びます。ただし響きが安定しているかどうかとは別です。上記のように表面と裏面がなっている場合は動和音になることが多く、ざわざわした響きになることもあります。

これも均等領域和音ですが、Cで一般化すると、Cadd9(11)という和音でD7sus4(9)と書いたほうがいいでしょう。大抵一般化する時は領域の構成の関係で、下方領域の音が主音になる場合が多いです。

この音構造も各領域を安定して鳴らしているよう見えますが、c,c#,d,d#と半音が連鎖した集合です。

数理的な均等が、聴覚習慣の安定和音につながるとは限りません。このモジュールは不定調性のためのモジュールであることをお忘れなく。

これも私のモジュールが持つ「性格」といえます。

こうして私は「偏見を認め、その偏見で音楽を作っている」と自分に認めることで、初めて脱せられる部分があることを知りました。こうした理解も自分自身を内省的にし、輪郭や手応えをはっきりさせてくれます。逆に進む道の霞が晴れる感覚も持てました。

自分の偏見を認めることは自己否定につながる、と勝手に思っていましたが、自己省察の作業ではこれを越えないと先に進めないと思います。

 

しかし半音が密集している、という感覚自体、楽譜や楽器などから得た経験上の先入観でしょう。

密集しているように見えても、

実は離れている、と想像することもできます。

社会の中での価値の統一は必要ですが、個人の価値は別です。私の中でそれがどうなっているか知る事は、社会関係と自分の成り立ちの際を眺めることです。そしてその感覚は自分を独立させる意識へと向かっていきます。

このように、このモジュールに配置された音を視覚的に把握し分類するところから、始めます。

 

共有の承認と分断

自身のモジュールが示す概念を他者と共有する事はあまり意味がありません。

・自分の中の解釈をあなたと共有しようとする欲求(共有の承認)

・自分の中の解釈をあなたと共有しようとしない欲求(共有の分断)

をそれぞれ意識します(共有の二層化)。

そうして社会的価値と個人的価値を上手く分けられると、自分にも相手にも矛盾を許容できます。矛盾は人間の発明品です。

本来はリディアンクロマチックコンセプトなども、ラッセル氏個人の解釈と欲望の体現ということもできます。またバークリー系ジャズ理論も同様で、誰もがスケールを覚えてそれをコードに当てはめて活用することが音楽学習に必要、というわけではないでしょう。当然機能和声論の「トニック」「ドミナント」という概念に異論がある人も多いと思います。それらも「共有された独自論」です。

社会の学習効率は上げてくれましたが、それに違和感を覚える人は、社会常識に囚われず自分の仕組みを作る必要があると思います。

そしてまず自分の仕組みでものを見て「自分が所有できる形」にした後で、それが社会の中でどう扱われるかを推しはかりながら、自分と社会との距離を見つめ直します。

独自論運営ではとても大切なステップです。

 

独自性の更新

当然モジュールの修正(独自論の弱点を常に見つける意思を持って修正していく作業)は必須です。私の場合、最初の連関表は、

不定調性論用語/概念紹介32>12音連関表 - 音楽教育活動奮闘記

これでした。

このモデルのままでは、理解を進めるためにそぐわない部分が出てきて、

このように変形して記号体系を作りました。

居心地の良い独自論に長いこと居座ってしまうと、独自論が自身を滅ぼしてしまうでしょう。

そして現状も常に「不完全」とイメージしながら、日々更新し続けます。完成は自分が死んだ時であり、自分は自分の完成品を見ることはありません。

だからこそ先人が残した「完成品」を自分の完成品だと思って、親しみを持って学びながら、自分の不完全品を更新し続けることが使命になると思います。

完成したと思ったらそこで独自性は枯れ始めます。

 

重ね合わせの連関表

こちらで示した通り、この連関表モデルは四つの"見かけのモデル"が重合していました。どのcを起点にするかで音の座標位置が変わります。これらは先のページで示した回転する関係性に収束します。そのセルの音が入れ替わるので、さまざまな関係性構築が可能で、それを回転する音環境という状況に直してまとめてきました。

これだけ見ると、cに接する音がそれぞれ違っています。

しかし、これは平面の中に連関表を配置したからであって、本来はこの四つのモデルが重ね合わさった状態、を考えます。

重ね合わせの特徴

c=f#、f=b、g=c#...増四度の関係が可換性を持って形成されています。まるでその場所の音が旋回しながら絶えず入れ替わっているようなイメージです。

つまり、12音連関表は「ある段階でのある程度の関係性を仮固定したもの」だったわけです。新しい連関表を一般化すると、

こういう状態の「関係性の筐」となります。

実際の音選択は手が及ぶ範囲、経験で得たことのある旋律、リック、音配置などをほとんど無意識で選んでいきます。このような選択方法を「偏意的選択」とします。その人がその人であるから選ばれる音がある、という事象が起きます。

また、個人の意思によらず、特定の静的モデルに沿って音を選択することを「偏型的選択」としましょう。ドミナントが出てきたから、次はトニックを置く、という決め事から音を選ぶとき、それは偏型的選択の色合いが強くなり、「その人がその人であるから選ばれる音」の色合いは薄まります。

作曲はほとんど瞬間的に音が取捨選択されていきます。

ある意味では運命的に決められていく、と表現したほうがいいでしょう。私という人間がそう生きてきてそう選択する人間だからその音が選ばれた、という意味で運命的、の意味です。それらの音を固定化された筐の中に塗り込んで観察することで、関係性を一時的に特定して観察し、その音の意味を考える行為が私にはとても有意義なのです。

これは絵画鑑賞、写真鑑賞、詩の朗読などと全く同じ行為だと感じています。

 

旋回する三和音構成

下記はc,g,fの裏面領域のセルを取り除いた、表面統合調性型のモデルの関係性を描いた一例です。

この表はcを中心にして、一つ型を決めて選択した時(中心固定型)、漸移的に回転して変化してゆくように並べたものです。一旦上記を下記のように整理します。

これでcの周りを音を規則的に配置できました。

結果として、これらの和音が全て同じ回転系に入る、とすることで関係性が作れます。

つまりここではC∇やAm、Fm、Cu4、Cl4は全て同じ和音の系に入る対称性を持った和音といえます。

この思想も、私が渦巻きや回転に根源的魅力を感じていることに端を発しています。

「止まっているもの」は存在しない、という考え方が根底にあります。

和音進行も、和音が変化して(構成音は時間と共に変化する)当然だ、と考えます。

 

またこのように中心追随型でも旋回パターンは作れます。

例えば、

c,c#,d

という半音集合から

c#,d,d#

という進行に進んだ時、これは全て半音上の集合への進行ですから、関係性が閉じた、と表現できます。

そのあと、

d,d#,f

に進んだ場合、前の二つの作り出した関係性を破った、と表現できます。

しかし同時に、新たに、この三つの和音の連鎖が作る秩序が一つの関係性に閉じた、と新たに設置することもできます。

その旋律が持つ関係性は、その心象が起きるかどうかを示しているのではなく、その心象が起こる原因を列挙しているのに過ぎません。

ここでいう「関係性」とは、旋律の存在意義を明確にするためのものであり、その旋律がどのような機能を果たすかを決定するものではありません。旋律の機能や印象は、最終的には聞き手の「音楽的なクオリア」や「心象」として立ち上がります。

旋律は、関係性の構図や、その瞬間に生じる音楽的な反応を経て、聞き手の心象へと接続されます。しかし、その旋律がなぜ特定の心象につながったのかを、すべての場面で理論的に説明することはできません。前後の旋律、その音が響く環境、聞き手の直前・直後の心象などが、それぞれの旋律の印象を変化させるからです。

したがって、旋律が持つ関係性とは、特定の心象が必ず生じることを示すものではなく、その心象が生じる際に関与しうる要因や契機を示しているに過ぎません。

 

意識の角運動が作る音の連鎖

アートにおける関係性や対称性の意義は、

・視覚的調和

・美的バランス

・秩序の創出

・神秘性の創出

・焦点/中心/重心の創出

・流れの創出と淀みの浄化

など、書く必要もないくらい当たり前に人の思想やメタファーに呼応しています。

私自身を突き動かしているエンジン自体を全ての「私の原理」と潔く認めないと、全てが始まらないのではないか、と感じます。

 

楽譜の習慣によって左から右へと進むように錯覚しています。

しかしここでは回転するような運動、または螺旋状の渦を巻く角運動が作る音楽における音の展開、意識の角運動による必然的な展開、としてみましょう。

音楽は時間の中を進むのではなく、音源の周りで渦になるように旋回し、形を変え、フォルムを変え、身体と同期し、共鳴し、それが心象という答えになって聞き手の中から現れます。

いわば現象と意味の共振であり、それを感じ取る人間と世界との対話そのもであると感じます。

以降は、

「私の中では音は重ね合わせの確率世界が円運動を描いて渦巻いていく瞬間を切り取って時を刻む存在」

と考えて進めることになります。

自分が理解しやすいように、少なくともこのように考えると、私が不定調性和音を自在に扱う意味合いが見て取れて、自分の原理として意識に定着できるのです。

自分自身の存在の輪郭を切り取って礼賛し、どうにかしたい、という思いの先にあったのは、クオリアに生まれた音(意識の旋回が旋回している証明)をその都度切り取って鳴らして繋げる、という行為だったわけです。すなわち一般には作曲行為と言われるものですが、役割がセルフセラピーに近い役割でした。

 

不定調性界

先の例を題材にまとめます。

わかりやすくするためにコードネームに類似する音集合はあえて既存の表記にしました。

ここで現れる、Am,C,Fm,A♭(G#)を仮に題材として、C,F,G,のモデル(モジュール)で調性的に展開すると

これが螺旋状に上下していくような状況(綺麗な渦、というより、時にはワープしたり後戻りする量子の泡のような旋回)と考えます。

不定調性は「機能和声以前」から入る、というコンセプトですから、本来はCu5を持つ中心固定型の旋回を例とするとなら、下記のような世界が想定され、

これらが12音になって例えば下記のように配置され、この合間を上下にスパイラルします。

このように配置回転する可能性を持つcを中心としたモジュールが、

このように12音並んで展開していく感じです。

これが旋渦状不定調性界と言えます。すなわち、不定調性論を構築する音が連鎖する根本のシステムの具現化、となります。

制作時に実際これをいちいち考えることはありません。不定調性音楽の解釈時に用いる1つの世界観と考えていただければ幸いです。

本来は一つの回転型だけでなく、拡張された12音連関表が重ね合わせで存在しています。

この拡張された連関表が私の音世界であり、これをさらに還元したのが、

この12音連関表です。

12音が一つの中心音の周りに関係付けられていることで、和音や音集合の相互の関係性を作りやすい、というのが不定調性音楽を分析する時に楽だ、という話です。

あとは制作時の気分と直感と意図とクオリアが拾っていくわけです。

これまでむずかしい現代音楽の響きや流れは、作曲家が作った風景を見せられるか、その楽曲を作った分析者が見た風景を見せられるかしかありませんでした。

これからは一歩踏み込んで、独自論として、

「自分がこの瞬間見る風景」

をそれなりに論理的に作ることができます。風景を作る道具が揃ったからです。

これまでは出来上がった絵だけを享受していたのが、これで白いキャンバスと絵の具と筆を手に入れたイメージです。

それは自分だけの解釈絵画ですから、他者には通じません。

今その瞬間、それぞれがそれぞれの風景画を描いてそれに意味づける行為を行うのみです。

 

ドミナントモーションの旋渦状世界の展開

機能和声における帰属進行V→Iも拙論では、同系和音の旋渦状の変化で書くことができます。

一方で、機能和声世界では、cを中心としたGとgを中心にしたGの二つのG∇が存在するようにも感じていました。

cセクタのモジュールではG→Cは四度進行なので、モジュールを拡大すると、G∇はそれぞれ真下に移行することでC∇を生み出せます。IV種iiの移遷による進行となります。

またヴォイシングに沿うと、cセクタのcが鳴っていないフォルムにおいて、bがcに移行し、dが上方遷してeになり、cの上方領域という最もシンプルな形(cの自然倍音列の出現音の範囲)に収まります。

このように従来の関係性を連関表上でチェックできます。

世界がどうなっているか、ではなく、自分がどう理解したいのかを見ることのできるモジュールを作り運用するわけです。特に内部生成タイプの私には有意義でした。

自分の考えをなんとか社会の枠に収め、自分を社会の中で成り立たせようとするのではなく、そもそも自分と世界という二つのユニバースがあってそれを比較してただ楽しむことで、上手にハシゴをかけてこっちと向こうのユニバースを移動できる楽しみを受け入れればよかっただけです。

cが中心である、ということは、

G→Cとは

/|C-→Cu5と書けます。

これが見えると、今度は思索のバリエーションがモジュールを基に勝手に広がります。

例えば、cのモデルの中でG7とC∇を表示してみます。

このG7も旋回させて関係性を作ってみましょう。センターヴォルテクスチャーの手法にて、以下左側が左軸、右側が右軸系の回転に相当します。

DmM7-CはG7-Cの旋渦状世界における、G7の関係性/相似和音を用いた進行だ...

とか言うことだってできます。

私はこれが自分の中で起きたことの具現化だと割り切ることができて初めて制作がどんどん抵抗なく進められました。

あなたが選んだ音も、あなたのモデルの中で必ず意味のある関係性が作られる運命にある、と考えればいいと思います。

 

セカンダリードミナントは旋回する不定調性

さて、もう少しこの回転系のモジュールを考えてみましょう。

ここにはCメジャー系列と、Cマイナー、Aマイナー、Fマイナーの系列が雑多に、不完全に混在しているように思います。

機能和声における原理は、一つの音階と一つの中心、という構造でした。

そこに、平行調や同主調という関係を見出し、

C -C7-FM7

といった、セカンダリードミナントの概念なども生まれました。

この図を見ていただくと、機能和声における複数の調の領域が混在しているのが分かります。

だから例えば、

C→Fmといった、短調のドミナントモーション(マテリアルモーション)や、Cのキーの中で用いる、C -C7-FM7のようなセカンダリードミナントモーション(リアクティブモーション)は、私に中では、ここで述べている旋渦状の不定調性モデルのような概念の中で生まれる同じ系の中の和音の音集合連鎖、と分けられます。

広く汎用的な音楽理論は多くの方法論を複数閉じ込めているので、自分の中の方法論が固まっていないと、1つの方法論の中にある矛盾に混乱させられ、学習がままならなくなります。

この拡張モデルになれば、CのキーがAmに関連するキー(平行調)Fmに、Cmに関連するキー(同主調)と関連性を持っていることがわかります。

機能和声では調性を超えて考える一つの方策として、平行調や同主調といった調性の関係性を掘り下げましたが、ここでは調の概念を用いずに、単に周波数の数理的関係性の中に、不定調性が仕組みとして存在しています。

私は私の音楽がなぜ不定調性になるか、という理由を創造できたわけです。

 

私の美意識が旋回する運動を作る

一つの中心音に対して、このようにある秩序を作って集合を作ることの意義は、私の欲求とか美意識に基づいたものです。

という2音集合を設けたとき、音楽的行動は、ここから次の和音に移行し、旋律がそれを飾り、時間的な連鎖が脳の中で記憶の連鎖となり、音楽の楽しみになります。その時の音の連鎖は経験と感覚的な選択が偏意的におこなわれます。私の嗜好に沿った自由な選択によって、という意味です。
次の音は常に未確定です。あらゆる重ね合わせが存在して、観測して確定されるまでは、あらゆる音がその次の音に来る可能性があります。

上記のCg和音においてcが中心であるなら、gは、

どの音にも進むことができます。矢印の音かもしれないし、その一つ飛ばした青色の帯で囲んだ領域かもしれません。意識が旋回し、自分のクオリアが反応した音を拾い上げて音楽をつくります。

機能和声における音階使用音の限定された状態では、

飛ぶことのできる音がある程度決まっていました。

しかし本来は、CgがF#c#に飛ぶこともあります。これはその人の感性ですから「普段絶対行かないところに行ったろ」というへそ曲がりな欲求でも、音楽的素養がある人はそれで音楽が作れてしまいます。

例えば以下の図から関係性を創造すれば、12音連関表を用いた音の偏型的選択方式です。

Cu5↔︎Cl5という変化は、点対称に反転した集合の関係性だと言えます(パーバー表面統合型小点対称)。%Cu5 = C

Cu4↔︎Cl4も同様です。他同様にCqu5↔︎Cwl5つまりAm↔︎A♭等もあります。

C6↔︎Fm7

Am(11)↔︎Eb6sus4

Dm7↔︎Cm7

C7↔︎Fm6

などにも同様の関係性が創れます。

機能和声におけるIIm7→IIIm7というような連続は対称性の交換であるとも言えます。V7→Im6という短調のドミナントモーションにも類似した対称性があります。

C→Amという平行調の変化も、C→Cm7omit5のような同主調的変化も対称性を持つ進行ということがこのモデルではできるわけです。

拡張していけば、こんな進行モデルも作れます。自分の根本的な美的感覚と、そのモデルを融合させて作った進行です。

渦の流れが生まれるように、旋回している様を見るように、私は音楽を見たいのだと感じました。既存の説明方法や一般的な分析方法が自分にしっくりこないことも理解できます。私は誰かが美しいと言ったものを受け入れる事は、誰かが噛み砕いた食べ物を再度食べさせられるような気持ちになるタイプでした。

きっと私は自分で育てて、自分で収穫して、自分で調理して味わいたいタイプなのでしょう。

決めないと不安だ、というのではなく、私自身が自律神経が弱いので、不安の正体を知りすぎて、不安になりそうな存在自体を整えるのが癖になっているんです。また、そうしたことをケアしてくれる方法論は世界にはないので、自分でなんとかするしかなかったわけです。その結果は、独自論という存在から、社会にどのように呼応させるかを考える体制になったのではないでしょうか。

音の関係性は、その人の音楽人生の流れの中で(覚えた楽器や好きだった音楽、無性に勉強した音楽を通して)構成されてゆきます。

それらは意識せずに構成され、脳の中でなんらかのモデルとして組み上がります。

私は内部生成気質のため、そのモジュールを簡素化したシステムを具体化しようとしていますが、ふつうはこんな音関係モデルなど必要ないでしょう。

 

心象を記号に落とし込む〜自己感受の結線記述

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前回の作品、0:45〜の次の部分を考えてみましょう。

このフレーズは二つずつセットになった印象を持ちます。前後の流れを考えるとどこか"疑問に迷いながら平静を取り戻す"といった雰囲気のあるフレーズです。

まずこの心象に沿って音を記号で切り取ります。ここにある心象は、

「降りていく」→音程が下がる

「脱力していく」→下方倍音化する

「疑問に迷いながら」→ウロウロする

感じを出していけば、自分が感じたクオリアを記号化できたことになります。

この心象は明日にはまた変わります。

すると明日また別の記号が必要になります。

つまり記号化自体は重要ではなく、心象連環分析自体もその時を切り取ったものに過ぎません。ただ自分が感じたことをいつでも何らかの具体物にできる、という快感は、不協和や不定調性に対する不安を減らしてくれますし、何より自分の作ったものに意味が与えられる快感は、生きている意味の自己肯定作業そのものであり、音楽分析以前に「根本的に生活に必要な作業」にすらなる、ということです。

 

この進行をそのまんまベース音主体に記号化すると、

DwΛ  /C#q  F#h-\  D#+l5  F#sp  Awh-

と書けます。

例えば、これを一般コード表記に置き換えると、

B♭(#11)   B♭m(11)nf  D7(#9)na  EM7  E♭m6  A♭add♭9

こう書けますが、これでは一般的にみた時の不定調性が顕になっただけで「疑問に迷いながら平静を取り戻す」を示していませんし、余計に不安になるだけです。

それぞれを2セットずつ書くと、

ここから構成音を見て、中心音が下降する流れを作ります。

上がっていくこともできますが、それでは「疑問に迷いながら平静を取り戻す」感が出せません。ここから先、どうしても和音と和音の間に関係性が作りたい場合は、細かく解析します。全体の流れは、

DwΛ ≙⇑  /C#q ≚⇑ /C|h ≙⇑ \B|q ≚⇑ A#l7 ≙⇓ Ah-w ≙

となります。この記号の向こう側に「疑問に迷いながら平静を取り戻す」何らかの根拠が隠されている、と考えます。これは私の願望でもあり、また理想の体現でもあると思います。こんなことを普段の私は求めませんし、まず生活に必要ありません。でもおそらく言語化できない本能の部分が文化を纏って化け物になった時、こういう欲望を形成するのではないでしょうか。

ここからさらに関係性を煮詰めることもできますし、ここに隠れた別の意味合いを見つけたり、真逆の記述もできます。これは音楽に感じた心象を記号化して記述することで、明確な心象言語にすることなく、なんとなく

・「降りてゆく」中心音の明記

・動静分類の明確化

・(必要なら)対称性/関係性の記述

を示すことで「疑問に迷いながら平静を取り戻す」という心象は、直接的な感想語ではなく、記号とその関係の記述にたどり着きます。

ここで行われているのは、感情を説明することではなく、自己が感受した心象を、音との結線として記述する行為である。

記号として眺めることにとどめることで、心象が個人化されすぎず、また個人の装飾された言葉にも依存しません。

そこには完全な一般化ではないが、他者にも読解可能な状態で提示されていくのです。

 

このような一連の形式(連関表列挙による音の関係性記述がもたらす世界)を「モジュラー連鎖対称性による不定調性(界)記述」とします。

 

If I Fell冒頭の対称性

Ebm |D |Db |Bbm |
Ebm |D |Em |A7 || D

こちらも考えましょう。これを調的に考えてもジャズ和音になってビートルズの進行の簡便さが壊れてしまいます。この進行はゆっくりと気持ちが膨らんで、徐々に自分の本音を明かすように、最後のEm A7で迸る思いが弾ける語り感があります。その心象を記号記述してみましょう。

ここでは和音進行だけにして考えます。

/A♭u4 A♭h+/ \A-\ \A+\ B♭l5 A|w Bl5 D♭ua\ Du5
こうすると、より自分の心象に近づきます。徐々に中心音が上がっていき、一旦反動をつけて、一気に調的進行Em A7に向かう感じを中心音の流れで作りました。

 

 

自己観察を通じた内的価値の発見と独自論

楽曲分析は、その人の中にあるモデルによって得られる美的構造の確認です。

そして人はそれぞれ違うので、同じ概念でも必ず違うフォルムが潜んでいます。

社会的価値の競争で、個人がもともと持っている価値は排除され無視され続けます。

だから意識して社会的価値とは別に個人が培ってきた個人的価値のモデルを想い、心のどこかに確固として実在させておく事こそが、自分の本能に少しだけ余裕と希望を与えます。

この不定調性界が作り出す価値は私にしか意味を持ちません。

この不思議な体験は私が生きる意味、というより、私の中に生まれた時に組み込まれ、ずっと世界を吸収し「自我」となった本能が喜ぶ体験なのではないかと感じます。

本能とは別の、社会的人間としての私は、もっと短絡的に音楽を楽しんでいます。その区別がついたことは、繰り返しますが、不思議な体験です。

 

 

その3に続きます。

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