音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

連関表モデリングの展開〜漸移旋回する重ね合わせの連関表(原理編2)

前回

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以前「旋調性」と述べていた内容が完結します。

 

モジュール

12音和音まで表記できる12音連関表モデルです。自分が理解した音関係を図示したものです。元は上下の倍音の発生モデルに端を発しています。
これを「連関表モデル」または「モデル(モジュール)」と下記では表現していきます。このモデルは、私にとっての音のイメージの二次元化です。

本当は三次元で高層ビルに囲まれている時のような感覚なのですが、それで音楽を作るのは自分には難しく、自分の知能が追いつける次元まで下げてみたら二次元になり、実用すると、これで私には十分でした。角度や距離感などイメージとの整合性は少し精度が落ちますが、実際モジュールを元に音楽を作るわけではない、と気がつきました。

これで、施調性自体を発展させた、旋渦状不定調性界ができあがります。なぜ自分が作る音楽が不定調性になってしまうかの源を、このモデルが作る対称性的世界構造に当てはめて考えることができます。
<参考>

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協和と不協和に代わる対称性と関係性の構造

このモデルが私の音思考のベースにあるなら、このモジュールから自身の音楽の美的形式が全て構成できないと、インスピレーションの選択肢に混濁が生じます。先人が作った様々なモデルを組み合わせるだけで音楽を作ることも可能でしょうが、私の気質的にそれだけだと、それぞれの特徴が私の中に入り込みすぎて、自分が求めるフレーズから遠ざかったり霞がかかったりしてしまうのを感じたからです。おそらく私は自分のフィルターを通さないと答えを得た実感がわかないタイプなのだと思います。

 

例えば、これはcを中心としたモデルです。

オレンジセルの音選択をしたら、下方左隅に集合していますね。

これはあくまで私のモジュールが生んだ形状です。Dm7が左下の正方形の和音になる、というわけではありません。

「私のモデルではd,f,a,cの集合は左下にこのように現れる」

と思うだけです。これを「自分の偏見」と理解します。自分の偏見を自分の外から見ている感じです。

この「一時的理解」がないと自分を通した理解は先に進みません。逆にこの理解は、自分自身の輪郭や手応えをはっきりさせてくれます。内部生成タイプの特徴でしょう。

普通は自分の偏見を認めるなど、自己否定につながるかもしれませんが、私の場合にはそれが自分を把握する手ごたえの一つであり、むしろこうした確認作業が必要なタイプなのです。

 

次の図をご覧ください。

この図では、先に比べて配置が分散してるように見えます。しかし音構造をよく見ると、c,c#,d,d#と半音が連鎖した集合です。

楽譜で見たらこれこそ半音でぎっちり密集した音の塊です。

しかし私のモデルの外観は密集というより分散しています。

これも私のモジュールが持つ「性格」といえます。そしてその様を受け入れ、12音連関表では、半音の集合は密集ではない、と把握します。

半音が密集している、というのは楽譜や楽器などから得た経験上の先入観です。

密集しているように見えても、

実は離れている、という状況はいくらでもあり得ます。

社会の中での価値の統一は必要ですが、個人の価値は別です。私の中でそれがどうなっているか知る事は、他者との競争から離れ、自分を独立させる意識へと向かっていきます。

 

共有の承認と分断

自身のモジュールが示す概念を他者と共有する事は意味がありません。

・自分の中の解釈をあなたと共有しようとする欲求(共有の承認)

・自分の中の解釈をあなたと共有しようとしない欲求(共有の分断)

をそれぞれ意識します(共有の二層化)。

社会の中では、他者との共通点を見出したり、違いを見出したりすることで、運営していく性質がありますが、個人を運営していくためには、自分の方法論をいかに社会の中で適合していけるものに磨き上げられるか、に精進します。

社会的価値と個人的価値を上手く分けられると、自分にも相手にも矛盾を許容できます。以前も言いましたが、矛盾は人間の発明品です。

 

本来はリディアンクロマチックコンセプトなども、ラッセル氏個人の解釈と欲望の体現ということもできます。またバークリー系ジャズ理論も同様で、誰もがスケールを覚えてそれをコードに当てはめて活用することが音楽学習に必要、というわけではないでしょう。当然機能和声論の「トニック」「ドミナント」という概念に異論がある人も多いと思います。それらも「共有された独自論」です。

社会的意識の学習効率を上げてくれましたが、それに違和感を感じる人には自分の仕組みを作る必要があると思います。

 

緩衝構造の自認

モデルの修正(独自論の弱点を常に見つける意思を持って修正していく作業)は必須です。私の場合、最初の連関表は、

不定調性論用語/概念紹介32>12音連関表 - 音楽教育活動奮闘記

これでした。

このモデルのままでは、理解を進めるためにそぐわない部分が出てきて、

このように変形して記号体系を作りました。

居心地の良い独自論に長いこと居座ってしまうと、独自論が自身を滅ぼしてしまうでしょう。

 

 

重ね合わせの連関表

こちらで示した通り、この連関表モデルは四つの"見かけのモデル"が重合していました。どのcを起点にするかで音の座標位置が変わります。

これだけ見ると、cに接する音がそれぞれ違っています。

しかし、これは平面の中に連関表を配置したからであって、本来はこの四つのモデルが重ね合わさった状態、を考えます。

重ね合わせの特徴

c=f#、f=b、g=c#...増四度の関係が可換性を持って形成されています。まるでその場所の音が旋回しながら絶えず入れ替わっているようなイメージです。

つまり、12音連関表は「ある段階でのある程度の関係性を仮固定したもの」だったわけです。新しい連関表を一般化すると、

こういう状態の「関係性の筐」となります。qと言っても何をRにおいたときにqになるかが重要になります。そこに与えられる関係性は、ある程度閉じてはいるものの、そこに置かれる音が常に決まっているわけではないという曖昧さを認める必要があるわけです。

ここからの音選択は直感的に行われ、即興演奏などでは、手が及ぶ範囲、経験で得たことのある旋律、リック、音配置などがほとんど無意識に選ばれます。このような選択を「偏意的選択」とします。

また、意思によらず、モデルに沿って選択することを「偏型的選択」としましょう。ドミナントの後にトニックを置く、という決め事から音を選ぶとしたら、それは偏型的選択の色合いが強いでしょう。

直感的に作曲する時や演奏するときは、これらの選択感がごちゃまぜになってアウトプットされます。

頭の中では、ある程度のモデルは決まっているものの、今そこに置かれている音を選択するときには、様々な意思や無意識の選択の計算が施され、本人の意思の有無にかかわらず、瞬間的に音が選択されていきます。

私の感覚では、何らかの物理モデルは、決まった配置がそこにあるわけではなく、大枠は決まっても意識という謎の存在によって左右される曖昧な筺ではないかと思います。その後、音はある意味では運命的に決められていきます。

自分自身のモデルから生まれた、この重ね合わせの筺の概念が醸し出す曖昧さが気に入っています。そしてそれを受け入れて、それに基づいてまた音楽構造を考えてみようと決めました。

これも、自分自身のモデルを考えていった過程で生み出したものであり、何もしなければ、ここにはたどり着かなかったでしょう。偏見を追及して、自分の特徴をあらわにするという非常に厄介な作業です。

 

旋回する三和音構成

次にこちらの表から、ニアトーナルヴォルテックスの回転する事例を改めて考えます。

c,g,fの裏面領域のセルを取り除いた、表面統合調性型のモデルで考えます。

この表はcを中心にして、一つ型を決めて選択した時、漸移的に回転して変化してゆくように並べたものです。一旦上記を下記のように整理します。

これでcの周りを音を規則的に配置できました。

結果として、これらの和音が全て同じ回転系に入る、とすることで関係性が作れます。

これもまた確率的に音が定まる、という考え方を拡張しています。

つまりここではC∇やAm、Fm、Cu4、Cl4は全て同じ和音の系に入る対称性を持った和音といえます。

この思想も、私が渦巻きや回転に根源的魅力を感じていることに端を発しています。

「止まっているもの」は存在しない、という独自論的観念がこの考え方を作っています。すべての音の存在から、今この瞬間、切り取ったものを示すという考え方です。

だから和音進行も、和音が変化して(構成音は時間と共に変化する)当然だ、と私は考えます。私にとって音楽が変化するのは、人が時間と呼んでいる概念と共に次元を移動することで、移り行くもののあわれを真似ているのだと感じます。

 

例えば、

c,c#,d

というクラスター的半音集合から

c#,d,d#

という進行に進んだ時、これは全て半音上の集合への進行ですから、関係性が閉じた、と表現できます。

そのあと、

d,d#,f

に進んだ場合、前の二つの作り出した関係性を破った、と表現できます。

しかし同時に、新たに、この三つの和音の連鎖が作る秩序が一つの関係性に閉じた、と新たに設置することもできます。

 

 

意識の角運動が作る音の連鎖

アートにおける回転関係性や対称性の意義は、

・視覚的調和

・美的バランス

・秩序の創出

・神秘性の創出

・焦点/中心/重心の創出

・流れの創出と淀みの浄化

など、書く必要もないくらい当たり前に人の思想やメタファーに呼応しています。

私自身を突き動かしているエンジン自体を全ての「私の原理」と潔く認めないと、全てが始まらないのではないか、と感じ始めたのです。

 

音の運動の場合は、楽譜の習慣によって左から右へと進むように錯覚しています。

しかしここでは回転するような運動、または螺旋状の渦を巻く角運動が作る音楽における音の展開、意識の角運動による必然的な展開、としてみましょう。

以降は、

「私の中では音は重ね合わせの確率世界が円運動を描いて渦巻いて上昇あるいは下降を自在に繰り返して時を刻むのではないか」

と考えて進めることになります。

すべての音集合は、その1つの回転系の中の音集合のある一瞬の側面であり、それらの複雑な関係性(伝統理論のように、簡単にその関係性が見出せないような複雑な関係性が無数にある)がつながって渦を作り、世界の創造を真似て、人の意識が理解できるような音楽表現として形成しているのではないでしょうか。

自分が理解しやすいように、少なくともこのように考えると、私が不定調性和音を自在に扱う意味合いが見て取れて、自分の原理として意識に定着できるのです。

その3に続きます。

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