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I am the walrus
イントロ
B ||2/4 B |B A | G F |E |E7 |D |D7 |
Aメロ
A A/G |C D E| A A/G |C |D |A |~
A'メロ
A A/G | D F G| A A/G |F |B |B |~
サビ
C |D |E |
1コーラス、まずは機能和声的に考えてみましょう。
最初オルガンがB△的なのでBメジャーキー的に感じられますが、このBをIIと解釈すると、後々全体が都合よくAキー解釈できます。最後D7をIV7と解釈しました。
次、メロディがiv#音を持っています。基調はAリディアンと解釈もできます。
最後のAでivがメロディに現れます。これを「AリディアンからAアイオニアンへの同軸モーダルインターチェンジ」といってもいい?です。
次、メロディにリディアン的な要素が残ったまま、同主短調和音(G=VIIbやF=VIb)が使われてます。
VIbからIIへの増四度進行(F→B)が奇妙感を演出しててウォルラス感というか、まさにマジカルミステリーツアー的不思議感が表現されていると感じます。
Bコードを二小節続けることでIIというよりもV7感、I7感が増します。
ビートルズが後期よく?使った、機能感を喪失させて、いきたいところへ行けるようにしてしまう和音、の使い方です(インド音楽の影響的?)。
C |Dm7 |G |G |G |G ||
やたら最後のGを伸ばすとGが独立してしまい、脳内でIに変えることができる人もおられるでしょう。
この考え方は当ブログではSteely Danなどの楽曲にも巧妙に使われていった印象です。
1コーラス最後、Bから半音上がったCはIIIbというよりもIIb感、VIb感に進んだような進行感があろうかと思います。
どっかで聞いたことがある進行は、ちょっと違和感があっても受け入れてしまうものです
以上、れっぽいアナライズはできたように見えますが、ジョンが、
「オレ、知ってるコード弾いてりゃ、メロディ勝手に出てくるからさ」
もしこう言い放ったら、今行った分析は単に「機能和声言語への翻訳」にすぎず、ジョンが語りたかった当時の作曲における精神性とかジョンの作曲技法を適切には伝えていないことになります。
これは「あなたが学習してきた音楽理論とと同系統の学習者に伝わるような分析」に過ぎない、となります(もちろん専門的な分析を図ることもガチで長年かければ出来ると思います)。
共通認識における分析は、学術的にさまざまな作品と比較ができて面白いのですが、私にとってはこの解説を見ながら、じゃあ私自身がジョンの精神をどのようにいいとこどりして、自分の音楽表現活動に活用していけばいいのか、がまるでつかめなかったのです。
もし、ジョンがキーがなんだ、同主短調がどうだ、サブドミナントが云々とか、って考えず曲を作っていたとしたら、こうした分析で、ジョンの作曲意図を炙り出すことは可能でしょうか。
本来ロックミュージックの分析においては、未完成で未知な新時代の若者の感性そのものに対して触れることができなければ意味がない、と感じます。既存の音楽理論で説明することなど、大人の傲慢ではないでしょうか(だから若者に反発される笑)。
"ジョンは天才だから、自然とモーダルインターチェンジを採用した"
もちろんこうした表現も、言い得て妙だ、と思うけど、この言葉をジョンに伝えたら、彼は何て言うと思いますか?
あなたのことに置き換えてください。
サンドイッチが食べたいと思い、コンビニでサンドイッチを選んだら店員に「ほら!ここに置いたからあの人買ってくれたじゃないか!あの人は食品配置理論を熟知してる!」とか言われたら違和感ありませんか?「いや、サンドイッチ食べたいな、と思ってコンビミきたらこれが目に入って、ま、これでいいやって選んだだけだけど?」と思うでしょう。戦略的に何かを成し遂げたいという野望でもってサンドイッチを選ぶわけではありません。ただ腹が減っていただけです。それをしたいとは思っていなければしなかった行為です。
ときに作曲や行動選びも似たようなところがあります。サンドイッチを選ぶ時=それは次のコードを選ぶ時です。理論を知らないからといって、食べたいサンドイッチが選べない、なんてことはありません。
ロック音楽はフランス料理コースの作法とは違うんです。ガッツキ飯です。失敗もします。それは次のエネルギーにします。
理論を勉強し、失敗しないようにして作ったロックミュージックは、まるで大量生産された「お母さんの手作りお弁当」のようなまがい物感があります。
ギターを持ってなんとなく弾き始めて、頭の中に陳列されるコードを感覚で選びそれをもとに音楽を組み立てます。
理論を学んでも失敗はあります。
作る人は勉強する暇がありません。
だから私は、作りながら勉強できる方法はないかと考えました。作る行為自体が、次の制作に繋がるようなものがいいと感じました。そして、それは製作者はみんながやっていることであると知りました。
それに、私が名前(不定調性論)を付けただけです。
私がジョンのコード選びで知りたかったのは、その時彼はどう感じたか、です。いいなと思ったから選んだのか、一番気味が悪い響きだからわざと選んだのか。
しかし、調べたらトリップしてる時に書いたそうで笑。どう作ったかなんて覚えとらんだろうなぁ、、と感じました。この探求はあっさり終わりました笑。
そもそもこのコード表記が正しいかどうかにも問題がありますし。
違う考え方をしましょう。
"おはようございま~す!"
にメロディを付けて歌ってみて下さい。
比較的元気なあなたは「まーす」で音を上げたりしませんか?
それでは、なぜ今あなたは語尾をあげましたか?
機能和声理論的に考えました?
...というより感覚でやってませんか?拙論では、この直観を「音楽的なクオリア」と呼びます。音楽を感性で作るための重要な動機になる感覚です。
では同じように、
「自分が今知ってるコードを七つほど繋げて、今の気分でなんとなく繋げて流れを作る」
これでコード進行を作ってみてください。
不定調性論では同一和音(この曲ではメジャーコード)の連鎖を「和声単位作曲」等と呼びます(ジャズ理論の"コンスタントストラクチャー")。
その時の「連鎖させる動機と脈絡」はあなたのその瞬間の感覚のみです。音楽的理由は殆ど関係ありませんから、ある意味、ラリってても作れると思います。
作りながら考えるのはその音が今好きか嫌いか、それでいいか、それではよくないか、それを自分なりの直感的根拠で落とし込んでいくだけです。
大切なのは、今持てる自分で何かを表現したいという渇望のような思いだけです。私はその渇望を理解できる方法を作りたいと感じた訳です。
これがさく!っとできる人は不定調性進行に向いています。
普段作曲する人の中にはこうした経験と勘と自信で感じ作れてしまう方もあるでしょう。
もしそんなハレンチで無知識な方法など試したことがない、という人は、ぜひ、野生むき出しにして適当にコードを並べて音楽を作ってみてください。
この作業で、あなたが何者かも分かります。
<不定調性論的に考える>
この曲、例えばイントロから作ったとして拙論的にその流れや構造をについて考えてみましょう。
まずBをジャーンと弾いたとします(こういう作曲の起点となるコードを「センターコード」と言います、キーや機能には関係なく、あなたが起点としたという意味において、です)(最初にBというところが変です、ジョンのことだから最初はCで作り、あとで半音下げギターでつくったかな=if I fellあたりでやったパターン、または半音下げギターだった)。
ここから展開します。
B ||2/4 B |B A | G F |E |E7 |D |D7 |
Bから始めて全音ずつ下がっていくことにします(変拍子はジョンがこの頃こだわったテクニック)。
ギターなら2フレットずつ下にずらすだけです。このようなパターン形成を「模様感」などと形容します。進行に規則があることで音楽的な脈絡を感じる、というタイプの人はこれができます。これはなんとなく感じる感覚でその人の根本的な美的精神、平衡感覚、歪曲性や性癖に依存すると思います。
そしてFのあとEにいくのはギターだとそのまま全音下がってE♭を弾きづらかったから、かもしれませんよね(Ebはギターだとハイフレットに移動しなければならず音が軽くなります)。
これがピアノでの作曲だったらE♭に行っていたかも。行ったら行ったでまた別の音楽ができます。作曲した楽器の特性,指使いも動機に関係してきます。
(Ebに行ってもこの曲の革新性は変わらなかったでしょう。)
Aメロ
A A/G |C D E| A A/G |C |D |A |~
A'メロ
A A/G | D F G| A A/G |F |B |B |~
Aがセンターコードであると感じます。
最後F-Bの増四度進行は「ちょっとこの辺で、普段絶対行かないところ行って作ったろ」なら、ジョンの「なんかすごいことやったろ」「ちょっと意外なところ行ったろ」みたいな性格が反映されているとも言えます。これも作曲者の心象連環です。
イントロで全音ずつ降りてきて、歌い始めも全音下がるの、なんかマンネリじゃね?とあなたが思ったら、変えればいいんです。いや、この曲はひたすら全音下がりでいく!でもかまいません。
結果あなたがその進行感にその瞬間音楽的脈絡を感じるなら、それが今のあなたにとっての正解です。感覚に根拠は必要なく、自分自身の総体です。その思いは制止できません。それが意欲という欲望です。あなたが全行動の責任を背負えばいいだけです。それを論理的に説明するのは、音楽理論家の大切な仕事です。
私はこの分析方法ではなく、制作の時に用いることをできる心象連環という概念への理解が音楽理論以前に必要だと感じた訳です。
あとは進行感(=心象連環変換ありき)の訓練です。
A-A/GはI-I/VIIb
C-D-EはVIb-VIIb-I
D-E-AはIV-V-I
これらはよく見かける「和声進行の断片」です。それぞれ特有の進行感を感じる人は作曲に使えます。音楽は沢山聴いている人は耳に染み込んでいるでしょう。その論理的構造は理解できなくとも、そこに音楽を感じることができるから、その流れ=コード進行を使うことができる訳です。
たとえば、
|:C |C/Bb |C |C/Bb :| テンポ130,ハネ
音源はこちら
この進行にあなたはどんな「心象」を感じますか?
ジョンも先人たちの楽曲を吸収して、これらの進行の進行感に意義を感じていたことでしょう。だからそれが感覚に浮かんできて、「それをよし」とジョンが言えば、それが選択されます。
わたしは「白い壁の回廊を緊張感を持って歩く」というイメージを持ちました(明日は変わるでしょう)。こうした心象の自分語による個人表明を心象連環分析としました。
テンポを変えればまたイメージも変わります。
「今作る曲の進行として適切か?」だけを判断します。理屈は関係ありません。
もう人生どうなってもいいや、と思っている人は、逆に破壊的な心象を与える、最も嫌いなコード進行を選ぶことをよし、とするかもしれません。
そうした心象に基づく作曲法を「進行感作曲法」と呼ぶのです。
機能和声はこれを、
CはトニックのI、C/BbはI7の転回形、またはVIIb7(9,#11,13)のアッパーストラクチャートライアド。
などと解説するかもしれません。
この説明は、あなたがいつ、どんな時にこの進行が利用可能な説明だ、ということを述べていません。
あなたがこの進行に「ふわっと浮いたような進行感」を感じて"変わりそうで、何も変わらない毎日に"とかってメモ歌詞ができたなら、
「そんな退屈な日常に突如あなたが現れたのだ」
的な曲の導入部にこの進行感が使えるわけです。
この曲をどういうふうに作ったかはわかりません。ジョンの頭にはウォルラスが踊っていたのでしょうか。その動きや心象に合わせて曲を作っていたらできた曲、としたら、技法云々ではなく、
「ジョンはこの時、下がってくる感じが持つ気だるさ/可笑しさ/どんよりさという心象に適切さを感じたのかな?」
とかも感じたりします。たまたま前の日聴いていた曲がこうだった、みたいなこともよくあります。結局最後は「自分が今それを適切と思ったかどうか」だけです。
そんなこと言ったらビートルズの音楽に価値なんかないじゃないか、と言われるでしょう。彼らの価値は社会的価値なので、価値がないと言ったら経済価値を失うので、絶対認めないでしょう。ポイントは、皆同じなのだから、あなたも自分の作りたいものを作ればいい、というところに落ち着くという点です。不定調性論は資本主義とは相性が良くないです笑。
この発想はミックスでもアレンジでも恋愛でも?いつでも使えます。
失敗もするでしょうがこの場合、全て自分の意思で導き出した結論であり「その後の豊かな直感力という経験値」になります。
"ロック"を理解できる方法論だと自負しています。
人生のゲームは、たとえ失敗失点しても、解釈次第で先々失点が取り消されるような素晴らしい行いをすることも可能です。だから今10対0でも諦めないで。
この試合は死ぬまで終わりません。
そういうのこそ、ロックだと思いません?
そこにあなたが奮い立つのは音楽の理論ではなく、それ以前に心を活き活きと感じるからだと思います。
なんとなく作ったコード進行も何度も弾いていると脈絡が生まれてきます。
そこに独自の感情や情感や心象が浮かんできます。
それに沿うようなメロディーや言葉が浮かんできます。
それをずっと続けていくと、曲が出来上がります。それがあなたの個性です。
これが音楽的なクオリアによる作曲方法についての考察です。全く無価値に見えるその響きに、価値を感じることができる人はこの進行感作曲法のマスターです。
あとはそこからどのくらい理論を混ぜるのか、どういう風に考えてどんな風に完成させるのか等にレコーディングチームそれぞれの個人的な方法論が加わることによって、作品は完成します(誰も足を引っ張らなければ)。
もしこうした方法に共感を持てる人は、是非その方法(理屈で考えない)で音楽を作ってみてください。
そうした方法論による作曲法は不定調性論が方法論的にバックアップできます。
あとは見極めです。
・あなたが作ったものに対して社会もそこに価値が感じてくれるなら商業的活動が可能です。
・あなたが作ったものに誰も見向きもしないなら、商業的活動は諦めて仕事を持って、その活動を続けることができます。
誰も見向きもしないのに、それを商業的活動に繋げられる人が天才だと思います。良い宣伝マンを探してください。
ビートルズは「知識じゃなくて、自分を信じて音楽作ってもいいんだぜ」って教えてくれたバンドです。そこにすごく人情というか、青春というか、スポ根というか、そういうワクワクをくれるロックバンドなので、いつまでも色褪せない映画のようなパワーを持っているのではないでしょうか(その観点から言えば、バッハだってロックだ)。
改めて私が言わなくても良い事ですが、自分が感じることを真ん中に置いて考える不定調性論的思考(感覚に即した方法)と、伝統やセオリーで考える機能和声的思考(社会的価値につながる文化的資産)をバランスよく身につけてみる、というのはいかがでしょうか?
<参考>