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ちょっと総括する内容で今年の夏も締めくくりたいと思います。
はい。これにヴォイシングしてみましょう。
コード進行研究サイト、もたくさん優れたサイトが出てきたので、こちらでは「楽曲のコード進行分析」とか、する必要がなさそうですので、先だっても申し上げた「コード進行の次はヴォイシングだよ!」というテーマに沿ってまたどんどん先んじていきたいと思います。無料で出せない情報、って言うのはもはや「出そうと思ったら出せてしまうもの」は有料にする意味がないと思います。そういう時代なのだと思います。
特にヴォイシングはいろんな理由をつけて「自家製秘伝のソース」と言われ、ここから先は有料、だったのですが、こんだけ世の中にいろんなソースが出てくると、どれだけ秘伝のソースでもその単品の価値が低くなってしまっています。ゆえにどこかでこの「ヴォイシング」という音楽の究極秘伝の文化もこれからのネット民によってどんどん開発されて行かれるのは目に見えています。
音楽を専門的に学習してない人の多くのコンプレックスがコード進行やアレンジについてです。アレンジと言えば楽器割り振りの知識もありますが、とにかくヴォイシングがコンプレックスの最たるものです。
不定調性論的には、「もしあなたがそうしたいと思うヴォイシングがあるならそうすればいい」という精度を上げていくことになるわけですから、まずは一歩踏み出してください。そしてもし勉強の時間が取れて、ガッツリ伝統和声、ジャズハーモニーを学習できるなら、ぜひ頑固な先生に一度みっちり教わってください。きっと気が付くでしょう。「あ、自分が最初に思っていたやり方で良かったんだ」って。それを再発見するために勉強ビジネスは授けているのかも。
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さて。まずオーソドックスにハ長調でやってみましょう。
下記は必ず、打ち込むか、楽譜を自分で演奏するか、してみて下さい。
実はそうしないと体には入っていかないんです。見て学ぶだけだと、忘れちゃって時間だけが無駄になります。弾いて自分の解釈をして下さい。
順当にCに五度で解決していくように、綺麗に作ろうと思うと、ルートがaに該当する部分でアヴォイドなf音が入ってきてしまうので、それを避けてA7にしてb13というテンションを作る・・・とこの辺ぐらいまでは勉強してきてください。
で、その裏をかきますと、
とやっても
とかってやっても、違和感を感じない人が多いと思います。
ここでの考え方ですが、
まずF/Aと、ここだけ分数コードがあるのがなんか表記のバランスとして変かな?
と感じましょう。またAm7(+5)とかを使ってもいいですが、
このコードだけなんか変化和音になってて見た目が重いなぁ‥
などと感じられるようにしましょう。
バランス
類似性・伝統的さ
シークエンス
対称性・西欧文化的
シンプルさ
こういったことに私たちは戦後ある種の敗戦コンプレックスの結果、先進世界の標準的な美を感じさせられています。
しかし真のクールジャパンの新しい美は眼帯を付けた綾波レイを再発見して世界に拡散したことで(お岩さんとかからある文化ですが)改めて目覚めました。知らないと思っていたことを思い出したのです。つまり、
アンバランス
独自性・排他性
アンシークエンス
非対称性
難解さ・不可思議さ
も「はかない美」=「いとおかし」であることを知っていることに気が付いたことです。日本人はもともとこの「幽玄さ」を知っていたのですが、西洋文化にあまりに同化しすぎていて忘れていたわけですが、アニメや同人文化の自在な発展性の中でそのことに若い世代が共感をした、というところに日本人の創造性の底力を感じます。日本人の創造性の高さは、芸術に経費を割こうとしないもう一方の権力思想=芸能は卑俗な身分の者が就く職業という思想がぶつかっているからです。そこを次は打ち砕き、もっと芸能の一番下で活躍する人たちを支える社会であってほしいな、と思います。
話それましたが。
これもそういう意味では「アンバランス」の美です。これを
こうすると、全体が四声である、というバランスが崩れますが、コードネームの感じは交互にテンションが配置された感じになりバランスが取れます。
この辺から日本人の「幽玄さ」が発揮されます(西欧人にない、とは言いませんが、私たち独自の感性があるはずです-世代によって違いますが-)。
このどちらも「うつくしさ」をそれぞれ感じることができるでしょう。どっちかは全然ダメ!という人はおられないでしょう。
これを作りながら考えるのがヴォイシングの一番面白いところです。理論的に考えるのと同時に、自分の中の「美意識」と語り合いながら決めていきます。
これらのバランスの美とアンバランスの美をどこにどう使って、どう使い分けるか、に無数の方法論があるので、無数の秘伝のソースが生まれます。でも秘伝のソースも誰かが作ったものです。あなたのやり方も100年後は「秘伝のソース」になっているかもしれませんよ。
それならあなた自身が自分の方法の開発にさっさと取り組んだほうが良くないですか??この「勉強はほどほどに」という加減は難しいので、勉強している間から独自性を徐々に発展させる不定調性論的な発想法がこれからは結構便利だと思いますよ。無責任な発言かもしれませんね。
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この辺までは通常の美意識で考えるやり方で、次は、Cで終わるんですけど、ちょっと変化してくるやつ。
まずこんなふうに旋律に対してベースラインを決めます。これでコードネームシステム的には、
Cなんちゃら Ebなんちゃら |Dなんちゃら Dbなんちゃら |C
と行きそうな感じができますね。これは裏コードで行けそうですね。
このように分かりやすいところから割り当てて、だいたい後ろも揃えていきます。
だいたいこうかな・・・とか予想して。
これであからさまでいかにもな進行が完成。
こういうのができたら、ストリングスやホーンに置き換える時も簡単ですね。それぞれの声部をそれぞれの楽器に割り当てるだけですから。
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こうしたら??ベースラインはなんとなくです。メロディが下がってくるから、対称的に上がっていくベースライン。これも機能的に考えれば、
AbM7 F/A |F#m7(b5) G/B |C
みたいに考えることもできます。しかし、それではひねりがないので、
あらかじめこんなふうに最後と最初を決めてから作ってみましょう。
(もちろん、これは創作の脳や集中力を導くための"マザーメロディ"ですから、作りながらその過程で浮かんだヒラメキによってほかの音に代替される場合もあります=これこそが創造性。)
ちょっとモンクチェンジの連続みたいになりますが、こうやって創作的に乗せることもできますし。もうちょっと機能的でソリッドなほうが良い、という場合は、
まずこう作って。
こういう構造を発見して、「よし、このマイナートライアド活用しよう」ってなって
こうやってみたり。これマイナートライアドが平行移動してるだけです。分数コードにした方が分かりやすい例ですね。
でもこれじゃあまりに平行移動が単純すぎるので、
こんなふうにトライアドを変化させたりして縦の機能を放棄し、横のシークエンスをよりきつく縛っていくことでベースラインとの兼ね合いで不思議な連鎖を作ることができます。
で。これに作り手が慣れてしまうと、あとはいかにギリギリの感じを出すか、ということの聴覚との戦いになります。
これらに対して、四度和音や二度和音などのコンセプチャルなコードタイプでストイックにヴォイシングする手もあります。しかしながらそれらの形の固まったコードは
自分の音楽性<規則の保持性
になってしまうので、「美的外観を備えているから、自分の音楽性よりも高に違いない」「多少音は変だが、美的価値観が勝る」みたいな意識も入り込んできます。
ここで「自分らしさ」と「自分らしさとは関係ない外観の美しさ」がせめぎあうことになり、時に「なぜ前曲ではあれほど自分の主張が大事とかいって、今回は自動的な四度和音使ってんだ」みたいになってしまいます。
日本のカレー屋さんがナンが世間で流行ってると聞いて、ナンもメニューも入れました、的な感じも出てきます。
でももちろん、別にカレー屋さんがそれまで売ったこともなかったナンを売っても良いと思います。
大切なのは、あなたの音楽活動の信念がどのように変化し、どのような流れで今流れているか、が分かれば良いのではないか、と思います。結果的に不定調性論の最初の思想である「自分がどう思うか」に戻ってきます。
様々なヴォイシングを学んでも、150cmしかない身長の人にLLサイズの服は着れません。
人生はシンプルにしましょう。
いろいろ学んだ末、自分自身の方法、やり方(大天才はともかく、通例2,3種類ぐらいしかないです)をしっかり見つけて、自然な努力の中で出来る音楽活動を作り上げてください。日本の音楽なんてダサい、なんて思われるかもしれませんが、現在チャートを賑わせているミュージシャンは、凡人ではなくとびぬけてすさまじい音楽的才能を持った人が並んでいるので、その凄さがいまいちわからないので「あのくらいできないといけないのではないか」なんて思ってしまうかもしれませんが、100mを6秒台で走るような人たちだと思ってください。
ですから様々な手法をとりあえず学んだら、自分の音楽を自分なりのペースで作りましょう。そこにたどり着く人がまず少ないんですから。
どんなふうに作ってもその正当性を説明することができる、という体系は不定調性論が作っているので、あなたが自分のやり方を信じている限り、その手法があなたにとって最も自然なやり方であると言えます。
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番外編。これを二長調でやる(全音上げ)。
やろうと思えば、どのキーでもできるでしょう。。ルールの厳密さをどこで縛るかが微妙です。
ここまできると「ゲーム」だと思いますので、勉強の一環としてやってみてはどうでしょう。
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ヴォイシングする
↓
音楽のコンセプトに(合わせる・合わせない)
↓
誰のいつの作品をリファレンスにする(作曲家A、作曲家B、作曲家C、アーティストA、アーティストB、アレンジャーA、アレンジャーB、動画投稿者A、動画投稿者B、オリジナリティ?......)
↓
合わせて何年頃の音楽をリファレンスにする?(1600年代以前、1800年ぐらいまでのクラシック、2000年代までのジャズ・ポピュラー、オリジナリティ?)
↓
ジャズ・フュージョンならいつぐらいのスタイルにする?
(1940年以前、1940-60、1960-1979、1980-2000、2000年以降、オリジナリティ?)
みたいなことを考える事に本当はなるのですが、面倒なのであまりやらないでしょう。又は参考曲2,3曲用意して、さっさと作り始めないと締め切りに間に合いません。結果として新しくなったり、ならなかったりします。かつ常に時代は新しい感じのものを欲しがるので、 更に作られた作品は実験的にひねられて混沌としてきます。
音楽の学習は、20世紀以前はシンプルだったのでしょうか。ベートーヴェンしか世界に存在しなかった時代は奥深く勉強できたのでしょうか。それゆえにルールを難解にして方法論が乱立していったのでしょうか。
20世紀に現代音楽、ジャズが生まれてからはもはやどう勉強したらいいか分からないでしょう。ましてや人間が一生で学べる量が限られてしまったので、「君はこんなことも知らないのか」というのが他者批判がやりやすい時代でもあります。
だから批判する側に回ることは容易です。そもそも全てを掌握することは不可能です。基礎すら知らないままやっている大御所だっています。問題はそれでも人を楽しませようと頑張れるエネルギーと責任感があるからそれができている、という凄さをもっとこちらが知ろうとして知るべきだと思います。
ですからあなたも学びながら、自分の作品を作り続けていってください。学びながら自分の手法が見つかればOK、また自分の作品を作っているうちに自分のやり方を見つけてしまってもOKです。