2018.1.20→2020.6.6更新
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ビートルズの不定調性コード進行研究
Elenor Rigby / The Beatles
いきなり独自論を使った表題で申し訳ございません。難しい話ではないのでお付き合いください。
1コーラスのコード進行です。
C | |Em | |
C | |Em | |
Em | | |C | Em |
Em | | |C | Em |
Em7 |Em6 |CM7 |Em |
Em7 |Em6 |CM7 |Em |
この曲で使われているコードは、
C,Em,Em7,Em6,CM7
だけです。
C系と、Em系だけ。本来は変化感が弱い似たようなコードだからあんまり作曲ではことごとく推奨されない組み合わせです。
CM7=c,e,g,bで
Em=e,g,bです。
ほとんど同じです。
これだけであんなに豊かな曲が作れる、そのことにまずゾッとしました。
また歌詞の
"Eleanor Rigby picks up the rice in church where a wedding has been"~
のメロディがEドリアンの音で作られているのも良く知られています。これがまた独特な雰囲気を醸し出しています。
音階の理屈は知らなくてもいいので、「なんかここの部分、雰囲気が違う」って明確に感じられるようになったら音楽理論卒業でもいいくらいです。
さて、では、なんでこんなに変化感のないコードばかり集めて、あんなにドラマチックな曲が作れるのでしょうか。
それには機能和声論という存在をすり抜けた一つの和音のマジックがあるんです。
今回はそれを取り上げたくてこんな表題にしました。
同曲のEm→C△という進行にヒントがあります。
この進行はEマイナーキーにおける、
Im→VIb
という進行です。実はこれがめちゃくちゃ憂いを含んだかっこいい進行なんです。
FROZEN | Let It Go Sing-along | Official Disney UK - YouTube
最近でいえば、アナ雪の頭。ピアノの憂いのあるフレーズの最初の二発のコードが
Em---CM7
と同様の進行です(Let it go元曲は半音上のキー)。
どこかドラマチックでグッと来ませんか。歌い出しもこのコードです。
このC△は、聴感上、その前のEmの短調感に支配されるので、すごく「焦燥感たっぷりの流れ」を私は感じます。
C△-Em-C△
と
Gm-Eb△-Gm
(Em-C△-Em)(少し合間をおいて弾いてみてください。聞き慣れを防止するためにキーを変えています)
という場合の印象の違いを考えればよいでしょう。
このように和音の進行は、その物理的な変化の度合いと「心象」が比例しません。
そしてこれは個人差があります。「エリナーリグビー、パッとしないよね」と感じる人もいると思います。ビートルズが偉大すぎて声を上げられないだけで。
そうした個人の価値観を置いてきぼりにして機能和声論は成り立たせないといけなかったために、大衆の大方が好きになる曲を商業的成功、としてしまったんです。
それはさておき、この「半音しか違わないのに劇的なのはなぜ?」というポイントを不定調性論は説明できるようにしました。
数理親和音モデルなどで一つの基音の半音上下以外現れる仕組みを作りました。
これで音楽を作る、という観点からでは、半音以降は、「別のシステムへの移行」という意味が現れます。理屈はともかく、和音が半音変わるだけでまるで違う組織に移行する、違う秩序が生まれる、という考え方を方法論で作ったんです。
みなさんがそれを覚える必要はありません。
みなさんは感じればいいだけです。
これによりEmとEm7はイコールではない、という方法論が生まれたことになります。。
たとえば、
C△ |CM7 |C7 |CM7 |
におけるC△→CM7、CM7→C7は「劇的な変化である」といえるわけです。
さらに拙論はそこに「主観による判断」が音楽の個別的価値を決められる方法論にもしました笑。便利です。
あとはこれらのコード変化にあなた自身が「音楽的脈絡」を感じられるかどうか、個人の判断です。ビートルズが受けたから、これは意味のある進行だ、なんて思う必要はありません。
このビートルズ賛歌はどこまで文化の洗脳が入っているのか、我々自身が計測不能だからです。
だからもしあなたがEm→Cに「うわ、なんかいいな」って感じたら、それは不定調性論的に作ったシステムが云う「変化感」を感じているためであり、機能和声だけではない、あなただけの感覚が入っていることを自覚して、音楽を楽しんでください。
理屈はどうでもいいので、その和音の流れにあなたがどういう満足感をえるか、に注目して、それを活用ください。
そのような意味でもポール・マッカートニーは天才だった、と言えます。
散々ビートルズはコード進行に凝って凝って凝りまくっている時期に、いきなりこんな結合領域的進行をかましてくるのですから(細かくいうと色々背景あるのですが)。
<付談>
人は、最初のコードに印象を決められてしまってるんですね。
Em=e,g,b
C△=c,e,g
二つのコードは構成音一つ違いです。
このような和音の連鎖を不定調性論では「静進行」と表現をします。
また、CM7(9)=c,e,g,b,dはEm7=e,g,b,dと構造が似通っています。
このような関係を不定調性論では「結合領域和音」と呼んでいます。
同じような変化に、
C△-Csus4とか
C△-Caugとか
C△-C#dim
などがあります。調性範囲を超えてこれらの似たようなコード進行を命名する分類名が現状の音楽理論に見当たらなかったので(私が知らないだけかも)便宜上命名しています。
結合領域の考え方を発展させると、C,E,Gという構成音を1音ずらすわけですから、
C△→Cm
や
C△→Calt=C,E,F#
もできます。ここからさらに、
C△→Cm→Gsus4/C(=C,D,G)
や
C△→Calt→FM7omit3/C(=C,E,F)
という進行もできます。無調的進行も自在にできます。
次のようなコード進行はどうでしょう。
C△ |CM7 |Em/C# |E♭aug/C# |
G/C# |G/C |Eaug/C |Cm |
コード構成音が半音ずつ変化していく進行です。
この流れにメロディを自在に載せられる方は、ぜひ独自で作曲を押し進めることをお勧めします。
実はEm→Cってフィボナッチ数列からの不定調性論的解釈で生み出せる、みたいなことも記事にしてますので、ぜひどうぞ。