音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

中心軸システム と 不定調性論(2017)

中心軸システム と 不定調性論

   

 

中心軸システムの存在については、博士号持ちの中にもご存じない方もおられました。

よく見るとwikipediaなどにも本人に対する解説はほとんどありません。メインストリームではないのでしょうか。

 

バルトークの作曲技法 エルネ・レンドヴァイ 著/谷本一之 訳 

黄金比などを音楽に持ち込んだがゆえに「あ、これは個別研究ね」という位置づけがされてしまっているだろうことはなんとなく感じます。

でも私は、本来音楽の美は人間が良かれと思って作っているのですから、様々な美の形式に依存しないはずはない、と思います。

黄金比かどうかはともかく、音楽が美的形式に沿わないはずはない、と考えます。

「音楽が音楽外の美的形式に依存する人間の深層心理の研究」が進んでいないので大学に浸透していないだけ、ではないかと感じています。

生物学や量子力学が進めばこの辺りも融合されていくでしょう。

リーマン予想が解決されたらいきなり分かる事、かもしれませんしね。

 

音楽の分析や制作思考はどこまで行っても「個人の意志」であり「中心軸システム」も「個人が考えた方法」です。それは不定調性論も同じです。だから、その方法論をうのみするのではなく、やはり自分なりの観点で理解し自分の方法に展開していきましょう。

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「中心軸システム」で考えるべきは機能の拡張解釈のあり方についてです。

このシステムは、トニックとドミナント、サブドミナントというもともと確固たる地位にあった意味そのものを拡張してしまったのです。

 例えば「あなた首相と同じ苗字だから、あなたも今日から首相と同じね、あなた身長がカンガルーと同じだからあなた今日からカンガルーと同類ね?」

とどんどん決めていってしまうような話に似ている、と感じました。

ここには実は隠されたトリックがあると感じています。

 

そもそもトニックって何だ?についてあなた自身が確信を持っていなければなりません。それゆえ中心軸システムで作った曲のアレンジを聞いてみると、

「なんかピンとこないけど、こういう感じになるんかなぁ中心軸システム・・・」

という印象になるのではないでしょうか。それでもこうした試みをして耳を鍛える、というのは大変有意義であると思います。この感覚は不定調性論的にいう「和声単位連鎖」にも通じるもので、ビートルズやニルヴァーナの進行を理解する手助けにもなるでしょう。しかしながら最後には、

「さてと、勉強はこれくらいにして、自分の音楽に戻ろう」

となると思います。

音楽はあなた自身が納得のいく脈絡を編み出し、それによって作られていかなければならないからです。システムに則って作られる曲は、やはり「システムの曲」だと思いませんか?

不定調性論では、もうひとステップを置きます。中心軸システムで作った曲を再度チェックして「あ、ここはこのコードよりこっちがいいな、これ中心軸システムから外れちゃうけど、絶対こっちだな、俺は。」という方向に行くことを許すのが不定調性論です。「自分の音楽」に向かって行くわけです。

あなたはあなただけの存在であり、あなたの思考は本来この世界のどこにも存在しないものを生み出す権利がある、と思います。

この点を覚えておいていただいて、下記をご覧ください。

面倒な方に結論を書いておきます。

「システムに従わず、刺激だけ受けろ、あとは自分で考える」です。

 

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<参考>
「バルトークの作曲技法」エルネ・レンドヴァイ著 谷本一之訳 第17版(2005)

※中心軸システムはバルトークが考えたものではありません。
P1-2******
Cをトニカ(T)とすると、4度上のFはサブドミナント(S)、5度上にはドミナント(D)である。
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と書かれています。これはこれまで学んだことと違わないので問題にはされないでしょう(不定調性論はこの機能存在を疑うところから始まりますが)。

 

P2******
トニカと平行関係にある6度上のAがトニカの機能をもつものとすれば、
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ここに「仮定」が出てきます。伝統的にC=Amは平行調の関係だからでしょう(C6は転回するとAm7等)。でもAmではありません。Aです。C→Aは平行調の同主調への転調です。これをあなたはトニックとすることに本当に同意しますか?

 人とマウスのDNAは99%類似しています、だからといって「人とマウスは類似である」というふうに言われたら、納得のいく部分といかない部分があるでしょう。それが「人の印象」です。

 

音楽もシステムではなく、人の印象でできています。ここがとても大切です。これを優先し、システムを退けられるのが人とコンピュータとの違いです。良いところであり弱点でもあります。でもそれが人間性だと思うのです。

 

では、C6がAm7の代理なら、C6(9)はAm7(11)です。これが二つともトニックである、ということは同意しますか?これは理論ではなくあなたの中で判断してください。

さらに、C6(9)を

低音から、g-a-c-d-eとした和音、すなわちGsus4(9,13)はトニックですか?ドミナントですか?

C△のgを低音にしたC/Gは和声学ではドミナントとされてきましたからC6/Gもドミナントかもしれませんね。

そうすると「どの音が低音になるか」で機能が変わることになります。これは低音優先の原理にゆだねてい流ということです。しかし中心軸システムではさらにE=e,g#,bという和音がドミナントの機能になります。これはなぜですか?

この和音にはg音は入っていませんから展開してもドミナントの要素を与えることはできません。ジャズ理論では、ドミナントになるためにはトライトーンを持たなければドミナントにはなりません。G7であればf,bという音を持つことがドミナントの条件です。しかしこのE△はf,gを持ちません。

E△がドミナントの要素を持ちえる、とするならば、別の「ドミナントとできる条件」を付け加える必要があります。

たとえばAマイナーキーにおけるVはEmですが、これを「ドミナントマイナー」、このEm→AmがE7→Amになると「ほら!!Eはドミナントだよ!!」ということができます。

この「ドミナントマイナー」ですが、「弱いドミナント」です。サブドミナントマイナーというのも「弱いドミナント」というニュアンスと言われたりします。

つまりサブドミナント=弱いドミナント

なわけですから、トニック以外は、すべてドミナントの性質を持った和音、ということができます。

サブドミナント軸の

f-a♭-b-dはG7(b9)のルート抜きであると言えます。この集合そのものはドミナントです。でもこれはサブドミナント軸と分類されています。

 それならG△→C△のG△はトライトーンを持っていないけど、ドミナントになっていますよね。これはG7に比べたら「弱いドミナント」だと思いませんか?

でも「弱いドミナント」なら「サブドミナント」なのではないでしょうか?この「弱い」と先の「弱い」は違うのでしょうか。これ問い詰めると大変なことになります。

これまでは理論会のタブーでした。

でも不定調性論があるのでもう大丈夫です。これは「機能がなくても音楽は構成できる」という方法論なので、機能論が嫌になったら、不定調性的に考えれば前に進めるのです。

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続きます。
P2*******
ここでDTS(ブログ主注「ドミナントートニカーサブドミナント」)のパターンが繰り返されていることに気づくが、この周期的繰り返しを五度圏全体に拡げてみると、中心軸システムの構成が明瞭になってくる。
====
とあります。
五度圏でc-g-d-a-e-という流れをT-D-S-T-D-と流れている、という指摘です。これはすでに「トニカと平行関係にある6度上のAがトニカの機能をもつものとすれば、」という仮定が確定されていますから、その仮定の吟味が曖昧である以上、本来ここには論を進めることはできないのですが、当時の絶対的な規範がそこに「当然」としてあったので、ここに進めて行けたのでしょう。

 

もし50年後宇宙人が現れて、超音波で音楽を聴くがゆえに、20000ヘルツ以下の音楽は、音楽ではない、と主張したら我々の音楽は彼らにとって音楽ではなくなります。そういう人たちが地球人より多く地球に住むようになったら、現在の音楽は消え去ってしまうかもしれません。また地球人も超音波の音楽を楽しむようになっているかもしれません。音楽理論とは、あくまで現代の常識の範囲内で定められたものであり、あくまで慣例であり、あなたが別に従う必要なお全くないのです。従うのは仕事上、「こういうのを作って欲しいから」という理由でサービス精神から相手の希望するルールに則っって音楽を行うにすぎません。

 

P3-4******
1つの軸の極点の音、いまそれをCとすると、その対極点の音Fisは他の軸の音、例えばAよりも強い機能的近親関係にあることに注目しよう。極点の音は常にその同軸上の対極点の音とその機能を変えることなく入れ替えることができる。
====
いわゆる裏コードの話、としていける部分、とされています。つまり、
G→C

Db→C
とすることができる、という発想です。
これ、単音で成り立つ、というのは100歩譲って良しとして、これをいきなりV7とIIb7という和音の関係にまで持っていくのは飛躍である、と感じます。

どこにも和音の話はまだ出てきていません。あくまで単音の関係性だけを述べていただけです。

 これについては最後に再度述べます。
V7のその他の構成音はどこから来たのか、どのように発生させたのかが明確ではないので、これも「慣習の流用」になってしまうからです。

 

まずV7→Iの機能と意味を疑うところから学習は始めなければならないのです。

 ====

例えばT-S-D-Tのバリエーションで見たとき、
key=C durとして、
C |F |G |C |

C |D |G |F# |
これらの各位置の和音は中心軸システムから同じ機能を持つ、ということになります。
機能解釈はそれでも良いですが、よく弾いてみてください。
「その音楽が言っていること」はまるで違うと思います。
つまり代理できたとしても、表現しているニュアンスが変わり、音楽的メッセージが変わってしまいます。

青と青緑を絵画において本来使い分けなければならないときと、類似して使っていい時、というのは状況により違うはずです。

 

ということはここで二つの音楽理論が発生してしまうことを意味しています。

自由に代理して良い、という方法論と、代理を禁ずる方法論です。。

これを判断するのは誰でしょう。もちろんあなた自身です。

お気に入りのプラグインを挿すように自在に中心軸システムを使ったり、モーダルハーモニーを使ったり、でも最後は出来上がったもの「あなたなりに直す」はずです。システムを絶対的には信じないはずです。それを自然と行なっているはずです。

プリセットのまま全て変えないでプラグインを信じることに徹している、という人はいないでしょう。

中心軸システムで作った曲をいずれ

「あ、この和音だけ、こっちに変えようかな」

と思う日が必ず来ます。四つしか代理和音がないのですから、いずれ飽きます。

飽きた時、あなたは自分の方法論を確立していなければなりません。

その時、中心軸システムを超えていかねばなりません笑。

 

====

これは手前みそになってしまいますが、だからこそ、学習段階のどこか早い段階で「機能という存在がない音楽体系」に触れて頂きたいわけです。そこで「自分が感じるままに作るということの難しさと面白さ」を感じ現状からスコーーンンととびぬけていってほしいのです。 

  

和音は「機能で連鎖」しているのではなく、「雰囲気が連鎖」しているのです。

例えば、
C |DmM7 |G7M7 |F# |
こうなったらどうですか?あなたはどう分析しますか?

このG7M7というのはチック・コリアが用いたコードです。

不定調性論ではG7M7を「苦く痺れるコード」とか自分で表現を作ります。「厳しいドミナント」とか既存の用語に沿ったものでも構いません。方法論が被ったから「それは中心軸システムで理解する」とかはしません。基本あなたの範疇で理解していくだけです。それが一番シンプルです。狼が野生で生きていくのに学校に行ったりはしないよいうに、実践と自分の経験から術を学び、自分で半出して経験値を高める、という方法です。早く現場に出てください。

 

同書にこんな表記があります。

P9******
註3)古典の和声では7度上の和音(H-D-F)が、ドミナントの機能をもつとされるのには若干問題がある。リーマン(Rieman)はこの和音を属7の和音の根音を省略したものに過ぎないとしているが、しかし、いまH上に減3和音の代わりに、H上に長3和音や短3和音を考えると判然としてくる。それが独立した役割を持つ場合には、Hは明らかにサブドミナントの機能を持っているのである。
====

この手の認識の差異を示すのは当時のやり方です。現代の超多様性の中では、いくら自分の方法を発信してもそうではない、という人が2秒後には出てきます。大切なのは自分で定義することではなく、「自分は自分のやり方で進まないと進めない」ということを知ることだと思います。

 

例えば、
C |B |Em |Am |
を弾いてみてください。
C→Bでは、皆さんは何を感じますか?「ドミナント感?」「サブドミナント感?」
B→Emではドミナントの解決感を感じるのではないでしょうか。
では、
C |Bm |E7 |Am |
ではどうでしょう。Bmは「サブドミナント感」を得ましたか??
不定調性論では、ここに「個人差がある」と考えます。だから「サブドミナント感」などと定義しません。そうあなたが感じるならそうでしょうし、だけど人は同じようには感じませんよ?ということです。
だから「CがBに行った感」という感覚を自分なりに捉え、それが音楽の表情的に「どんな感情を表出しているのか」を各自が汲み取り、それがソロをとる際のコード進行なら、どんな風に自分のソロで表現しようか、というようなことを各自が考える、ということに重点を置きます。

機能の解釈の違いは歴史的な観点の違いであり、あなたには関係ないんです笑、あなたにはあなたの観点があり、それを曲作りに活かせば良いだけです。
だから「中心軸システムはこう定めているから、これは正しい」というのは逃げ。です。

あなたの感覚を真ん中に置く、というのは勇気がいります。すごく勇気がいります。

でもそれをし始めた途端、勉強なんかしてる暇ない!自分は人前で演奏しなきゃ!この自分を見てもらわなきゃ!!ってなるはずです。それが音楽理論の最終的なゴールであり、そこに辿り着く距離をできる限り最短距離にすべきなのです。


故にHのコード(つまりVIIのコード)が、どんな機能で言われようが、あなたには関係がないんです。レンドヴァイ先生の意図をくみ取ったら、あとはすぐに「自分はどう考えるか」「どう使うか」に移行し、分析、実践に行動を写していただきたいわけです。

また観点を変えれば、レンドヴァイ氏のこのアプローチこそ「自分のやり方」の極致だと思いませんか?楽しかったんじゃないかな?と思います。この研究してる時笑。

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最後に改めて。

V7て、v以外のvii,ii,ivはサブドミナントな領域音なわけですが、構成音比率サブドミナント:ドミナント=3:1でもV7はドミナントなんでしょうか?
機能ってそもそも和音のどこにある、どんな要素なの?、、、って思いません?

またc-e-g-b♭-d-f#-aってC7(9,#11,13)だけど、これはドミナントでしょうか。

ドミナントの要素=g,b♭,e

トニックの要素=c,f#,a

サブドミナントの要素=d

そんなに機能の分類が音楽の展開を決めてくれるものですか?ブルースではC7はトニックになりますが、ここで機能の断裂が起きるとき、どちらを優先しますか? 

 それを決めるのは誰ですか?あなた自身だと思います。

あなたはあなた自身の感性を鍛え上げなければなりません。それは理論ではなく、あなたの感性の鍛錬こそが音楽をより自身を納得できるものにしてくれる、というわけです。だからできる限り勉強は現場に出なあgら、実際に仕事を受けながらしていってください。最初は苦労しますが、最短距離だとわかりますし、理屈など考えなくなります。不定調性論もまた「理屈ではなく、自分の信じることを優先せよ」という方向にするために何百ページも使って理論を解体する作業を提示しています。

 

おわりに

レンドヴァイの分析の色合いですが、バルトークが短三度をうまく活用してヴォイシングの展開をコントロールしていた、という点を「機能性の拡張」によって説明した、という点がとても面白いです。しかし機能の拡張、というよりも短三度連鎖で元に戻れる、という点が重要であり、それを従来の「トニック」「サブドミナント」「ドミナント」という名称を借りて分類しただけで、厳密な諸機能の拡張と考えないことでより近代音楽が面白く分析できるのではないか、という提案のように感じました。

また不定調性論でも述べている通り、12音の関係性は「いかようにも関係性を作ることができてしまう」のということを上手に活用しましょう。

だからあなたがどんなにその方法を信じても、それは「主観」ですから、提示するだけにとどめ、あとは建設的なディスカッションをしましょう。チームで音楽を作るときはなおさらコミュニケーション能力が必要です。でもそれが苦手でも大丈夫です。相手の主張を受け入れてあげればいいのです。