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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

<不定調性論用語/概念紹介70>ブルーノートの新しい解釈7

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奥和弘 著 「アメリカン・ルーツ・ミュージック 楽器と音楽の旅」 音楽之友社 

より。

 

あわせて歴史認識を確認しておきましょう。

黒人霊歌に関連して、讃美歌専門の作曲家、アイラ・デイビッド・サンキーについて触れておきましょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アイラ・サンキー

http://en.wikipedia.org/wiki/Ira_D._Sankey

この人が、ゴスペル大流行の立役者ということです。

ゴスペルはご存知の通り、19世紀後半にアメリカの大衆伝道家が信仰復興運動の勃興のために盛んに作り歌わせた音楽。音楽の力での布教だったんですね。

サンキーの曲を聴いてみましょう。

1898年の録音だそうです。

同書によれば、この人は1200曲もの歌を作ったんだそうです。

1873年には、英国ツアーも行い好評を博したとか。

楽曲はコード進行と言うより、まさに西洋歌曲の厳かな進行を持っています。 この感じが黒人のゴスペルにつながり、白人のセイクレッド・ソングというジャンルにつながっていくんでしょうね。現代のセイクレッドソングもテクノロジーを活用してどんどん進化していきます。下記はそういう一例だと思います。

www.youtube.com

こういう曲は、これでこれで癒されると、確かに思います。

サウンドが綺麗ですからね。 仏教世界では出せない神聖さ。

ひょっとするとポップミュージックのルーツの一端がこのように当時最先端の音楽として表現されていたようにも思います。

 

また1866年、奴隷解放に勢いをつけるため、その流れで設立されたアメリカの黒人のための大学、フィスク大学での高度な黒人教育なんかもきっと白人音楽と黒人の音楽の融合に一役買っていたんではないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フィスク大学

こうした大学で結成されたコーラスグループは、完全に白人のハーモニーだったそうで、こうした黒人ハーモニーの設立が、白人にも「黒人の宗教音楽」への意識を変え、容認されるようになり、よりアフリカ系移民の音楽性を濃くしたゴスペルの発生を促したであろうことは容易に想像ができます。

 

またそれとは別に黒人のワークソングについての記述にも触れておきましょう。

一人のリーダーが音頭を取り、残りの全員がこれに応えるコール&レスポンス(掛け合い)が、作業のリズムを取るのに適していたため、歓迎されたと思われる。ワーク・ソングの歌声は、作業が順調に進んでいることを示すバロメーターでもあった。南北戦争以前に何部のプランテーションを訪れた人々は、こうした黒人たちのワーク・ソングに心動かされたとみえて、多くの記述を残している

 

 同書p23

 

黒人奴隷の文化の徹底抹殺が最初の奴隷政策であったにもかかわらず、これらの歌の文化だけは、白人たちの心を動かした、というのが皮肉でもあり象徴的です。結局ロックミュージックは差別意識を超えたところで無意識のうちに白人と黒人が「かっこよさ」で結びついた文化であると思います。ロック最強。

 

この最初のインパクトが、その後の白人によるブルース讃歌であり贖罪なのかな、とも感じますし、その点についてブルースを演奏する黒人たちとの温度差も最初はあったのではないでしょうか。

 

奴隷解放とともに、プランテーションがなくなり、労働歌はフィールドハラー(農園の叫び)となり、レスポンス部分がなくなり「ソロコール」となり、これがブルースにつながったのだといいます。

こうした労働歌の伝統は、刑務所における労働の際に歌われ「プリズンゾング」となって伝わっていったのだとか。

www.youtube.com

完全にhip hopへの道が見えてきそうです。

 

ウィリアム・F・アレンSlave Songs of the United States (1867)

この書が紹介されていたのをみつけたのは、日本のアメリカ文学者ウェルズ恵子氏のpdfからです。
出典は、「アメリカ黒人霊歌の世界 ─初期収集者たちとテクスト─」です。

何年の論文かは、ちょっと調べていません。

そのまとめ部分にこんな記述があります。実際検索で見ることができますので、読んでみてください。P74~

 

解放された奴隷にはじめて接触した白人たちが歌を収集した南北戦争初期は、黒人霊歌テクスト成立の第一期と考えられる。収集者たちは、奴隷解放に対する信念や新たな文学思潮に裏付けられて、既存の偏見を 排除しながら黒人の歌に接しようとした。また一方では、19世紀初頭のヨーロッパで盛んだった民話民謡収集の動きに影響され、研究対象を自分とは距離のある下層の人々と捉え、そこに残存する前近代的なものを保存する動機を持っていた。しかし同時に彼らは黒人の歌に感動していて、個々の歌の特色について記録を残し、芸術的価値を我々に伝えている。

 

 

そういう背景を経て完成された、『合衆国奴隷の歌』もpdfで見ることができます。

この本について、一橋大学の桜井 雅人教授による、
「黒人霊歌とその起源論争」というpdfの中で、
P321-


現在の研究水準からみると記譜方法、南部や白人民謡についての知識の欠如などにおいて様々な欠陥がある

 

としながらも、著者が記した前文における訳文での一節を指摘しています。
同p321-

 

しかし、序文で素直に記譜の難しさを述べており、「紙とタイプではせいぜいオリジナルとぼんやりと写し取ることしか出来ない。黒人の声にはまねの出来ない独特の性質があり、たった一人の歌い手でさえそのイントネーションや微妙なヴァリエーションを紙の上に再現するのは不可能である」と告白している。

 

原本が下記で読むことが出来ます。

https://archive.org/stream/slavesongsunite00garrgoog#page/n58/mode/2up

ぱっと見る限り、この採譜形式で記録することが大変難しいだろうなあ、と感じます。

 

人類史上最も洗練された魂の音楽文化を持った黒人音楽は決して滅びることなく現代では音楽業界の天下を取っています。

最初はなんとない郷愁と追いかけた音楽が、やがて実は人類全体に強い感銘を残す音楽であると多くの人が感じ、結果として現代の音楽文化を牽引する役割を担っています。

 

楽譜に表記される前から、彼らのメロディは「blue」だったことはわかったと思います。blueが最初にあり、それらはあらゆる労働歌、生活の歌、として伝承され、いつのまにか周辺の音楽文化を取り込んで音楽の歴史に存在しなかった魂の音楽を作り上げました。

歴史観はこのくらいにして、次からより音の動きなどの形態分析を見ながらブルーノートの世界を明確にしていこうと思います。

 

 

アフリカ音楽本が少しずつ出ているのはうれしい!