平行ハーモニーを単純な五度音階で何げなくできる素養がアフリカ音楽に古くから備わっていたとしたら、このような素養をもったアフリカ系移民の音感がアメリカ大陸で西洋音階に接したときも生かされ、本来は一つの調しかなった伝統音楽や教会音楽が彼らのハーモニーで歌われる時、上部の旋律で使われる音階と、下部で使われる旋律の音階の合致が複調性を作り上げていた、としても驚きません。
これはすなわち、サージェントが示した、上部と下部のテトラコードが同一の動きをする、という指摘と連動して考えることが出来ます。
一つのテトラコードにおける単純な旋律であった原初のブルース音楽が、並行移調された上部のテトラコードの旋律と、一体になって、オクターブという区切りの中に二つのテトラコードが入り、ブルーススケールという西洋音楽的発想に即した音階概念が作られ、そこに残ったのがブルーノートであり、彼らの旋律概念がそこに息づき、それと西洋和声が一体化した音楽こそ、モダンブルース(I7→IV7の移行時に起きる独特のモーダルインターチェンジ)であり、ジャズであり、ロックであり、ポップミュージックとなっていったという図式が出来ます。
アフリカ人が導音を加えられた時七度音を低く歌う、という音階使用をサージェントが指摘した良く使われる六音音階に反映させると
c d e f g a b♭
というミクソリディアンになります。この旋律でメロディを謳った時、もう一人(8度、5度、4度でハモる彼)は、
g a b c d e f
というハーモニーを単純に完全四度下(または五度上)で歌います。
二人は互いのどちらの声部も交互に歌いこなせます。
この二つの声部を分けて機能和声論に当てはめると、
CミクソリディアンとGミクソリディアンとなります。
二つの旋律が四度の差で同時に同じ小節内で並んでいることになります。
低音優先の原理を用いれば、

上部のCミクソリディアンを、下部の音階の中心音であるgに揃えて解釈するとGドリアンとなります。
この二つのモードの関係と転換した際の動き(Gミクソリディアン⇒Gドリアン)がブルースのI→IVの動きです。
G7 C7 G7 G7
C7 C7 G7 G7~
これらの二つの旋律は、どちらも等価です。私たちが勝手にIとIVと区分けしているだけで彼らにとってはどちらもIです(彼らが機能和声を学んだらまた解釈感も変わるでしょうが)。
また、五度の跳躍があまり見られない、というシュラーの記述から考えると、gをベースにして、cに四度上行する、というのが自然のように思います。
この四度上がる、という感覚は彼らの民族的音楽技法ともいえます。スティービー・ワンダーの転調形式などは、機能和声的転調ではなく、民族的な迸りに起因していたと考える方が自然ではないかと感じるのです。
上図、Gドリアンのm3rdとGミクソリディアンのM3rdの交換が起きます。彼らには自然な旋律です。
次にサージェントが最も使用される音階と述べた五音音階にこの並行堆積法(上部四度堆積=白玉に黒玉を堆積)を用いてみると(便宜上高音部への配置の方法に置き換えています)、上の譜面のように、サージェントが二番目に用いられたと指摘した六音音階が現れます。
これは二つの音階移調により旋律の音階音が自然に増えていった、と考えることもできます。

この六音音階の上部に四度を積み重ねて合体させると、理屈の上ではミクソリディアンができます。
同様にこの五音音階の上部に今度は完全五度を加える(下部に完全四度を加えることと同じ)とM7の現れる六音音階になり、そこにさらに五度を追加していくとリディアンができます。


このリディアンの五度堆積、四度堆積では、アイオニアンとリディアンの交換がメロディの連続内で起こることになり、#4th→P4thというような交換が起きます。
ここに♭5thと4th、5thの可変性が現れます。
四度堆積の場合、CリディアンとFリディアン(Cアイオニアン)との交換でこの4度の動きは#4th→P4thという流れになります。また、これとは別に単純にアイオニアンに4度、5度のハーモニーをつけても、この現象は起きます。

この検分を「並行音程堆積法」とすると、逆に様々な音楽分析に利用できます。現にブルースコードのスリーコードI7,IV7,V7もいわば並行音程堆積法になると言えます。
もともと中世ヨーロッパで用いられたオルガヌム(Organum)の手法も、いわば並行音程堆積法だったわけですから、ある意味では文化のタイムラグがブルース形式を作り上げた、とも言えます。日本で例えるならば、三味線と西欧音楽が融合して和ロックのような音楽が生まれたような化学反応です。
この並行ハーモニーの考え方は、床屋和声で自由に楽器を弾く際にも不都合はなかったでしょう。彼らはハーモニーの連鎖による「調的逸脱」などに違和感を持たない、としたら7thコードの連続にも違和感などなかったでしょう。
7thコードの連続、に限らずメジャーコードなどの単純和声の並行移動的連続は、彼らが昔から用いてきたとした並行ハーモニーの連鎖そのものです。
それらの和音利用(メジャーコードの連続)をビートルズなどがポピュラーミュージックに昇華したことで、ブルースの並行和声は、より大きなマーケットの中で認知され、多様な文化に多様な解釈で吸収され、現代のポピュラーミュージックが生まれたといっても言い過ぎではないでしょう
サージェントが示した上部と下部の二つのテトラコードの同一の動き、という点もこの並行ハーモニーの考え方からうなずけます。
サージェントの著書では5度離れたテトラコードでしたが、シュラーの指摘を加えれば、下部テトラコード、または上部テトラコードとの差が4度であった場合も考えられることになります。I7 IV7は並行堆積の横への分離であり、彼らは上の旋律と下の旋律を横に並べて交互に歌い、それを「基本的なブルースの流れ」としていった、と考えるのはどうでしょう。

↓上下の堆積を横に分けて繋げる

ブルースの音階の出来上がり!
このような二つのテトラコード+不安定な音程の集合が接合されたとき、音階内の分離していた動きが歩み寄っていくことで、山下氏が指摘するような、核音的な主音の移動が形式化され、結果的にブルー5thと度数解釈されるブルーノートが固定化・習慣化したと改めて考えることができます。
この事はまた山下氏がその資料の中で応用的に示した短三度の旋律についての転調的なアプローチについてもあてはめられます。
a c d e♭
という旋律を短三度転調させると、
c d# f f#
更に短三度転調させ、
d# f# g# a
というようなフレージングを紹介していますが、五度や四度の転調が、調に関わらず自由にできたとしたら、三度の転調も調と関わりなくできる音楽性を持ったであろうことは容易に想像できます。こうした行移動は、彼らの音楽性そのものなのです。
これを受けると、
C∇⇒D∇
や
Cm⇒E♭m
といった並行進行が彼らの音楽に生まれるのも自然です。
スティービー・ワンダーの楽曲である、Don’t You Worry Bout Thingなどのように、
G♭sus4-G♭-Fsus4-F-Esus4-E-E♭sus4-E♭-Dsus4-D-D♭sus4-D♭~
調の移行というより、並行移動進行で考えれば良いことになります。
また、これらを用いれば、
:C |Dm D#m Em |Fm |G G# A |
A#m |A |G# G F# F |E |E♭ D♭:|
というような進行が構成が可能になります。
またシークエンスを用いて、
:C7 Bm |E♭7 Dm |A7 G#m |G#7 Gm :|
という進行も、並行移動の発想で理解すれば分析可能となります。
そもそも上下で異なる調が存在するようなハーモニーを、「一つの音律」と捉える感覚がアフリカ人にあったとしたら、二つの調の異なる声部が交じり合うことも自然です。
四度/五度でこれが交じり合うとどうなるでしょうか。

「元のフレーズ」が様々な度数での並行ハーモニーのフレーズを作ります。
ある民族が自由にこれらのフレーズを行き来しながら歌うことのできる音楽感覚を有していた、と仮定しましょう。
つまり調ではなく、並行ハーモニーのフレーズを自由に交換しながら歌えた、という考察です。


これらのフレージングには音程の無理が生じています。アフリカ系移民には、自然でも彼らの音楽を模倣する白人には異様に思えたかもしれません。クラシック音楽がベースにある彼らにはこれらの旋律を補正する必要が生まれてきます(移民の音楽に興味を持った白人も当然たくさんいました)。

こうしてフレーズは複雑化していきます。
機能和声的な要素も盛り込みながら、肌の色にかかわらず、文化的な興味や芸術的な共感が現代のブルースやジャズを作っていたと考える方が自然です。
これらの彼らの音楽の変遷を正確に語ったものではありません。あくまで解釈の可能性を述べただけです。ただ、音楽人の貪欲な表現欲求が、人種を超えて融合し、より皆がうけいれやすい現代の音楽を作ってきたのでは?と考えたくなるのです。
このように調とは無関係に、一つの旋律の型を移調させて、連鎖させて旋律の流れを作る方法を、並行音程堆積旋律法とここではしたいと思います。
C∇→D∇→F∇→A♭∇→B∇→C∇
という流れも並行音程堆積旋律法的な発想です。
これは機能和声論とはまったく異なる音楽的進化です。
西洋音楽も19世紀後半、調を緩やかに逸脱するようになり、アメリカ大陸の音楽もやりとりが行われ、現代の複雑な音楽的潮流に進化していったと考えることもできます。
サージェントの目的はブルースの音楽性の中に、こうした二つの音楽性がどのように融合しているのかを探ることであったはずです。

この例のように、メジャーペンタトニックを四度で重ねるとミクソリディアンが表れます。
またこの最初の二小節までのように転調感のあるフレーズも、並行ハーモニーの解釈の中で自然にできたと仮定すると、これらを混ぜ合わせるような歌い回しが複層的に、且つ全く交じり合うように表現する方法が、楽器演奏の中で確立されたとて不思議ではありません。それゆえに「七度を少し下げた」ミクソリディアンがブルースにおける基本モードになった、と解説されても納得してしまうでしょう。
この複調性を身に付けたアフリカ系移民二人が、その感覚を保ちながら、西洋音楽的音階を知り、一人がCメジャーのスケールで歌い、もう一人は綺麗に四度上でハーモニーを付けることができます。その四度上のハーモニーの旋律はFメジャーのスケールになる、ということも起きると思います。
この辺りは引き続きしっかりと歴史的な資料を確認しなければなりません。
一般にモダンブルースという音楽は、モード交換(I7=Iミクソリディアン⇒IV7=Iドリアン)の音楽であることは知られています。しかしなぜモードを交換されなければならなかったのか、という点の説明はあまりされていません。
そもそも“モード”という言葉を、この際用いて良いのか、という疑問すらあります。拙論ではその理由として、この並行ハーモニーによるモード変化を、Iを基準にした結果解釈が変わるから、という捉え方をしています。そして、不定調性論では彼らの方法も音楽制作の基本的手法とし、そのために邪魔になる「機能」を手放し、純粋に和音の連結の可能性のバリエーションを広げて方法論を作り直しました。
ブルースを取り込むためには、機能和声本体をリセットする必要があると思ったのです。
この旋律感を再度まとめておきます。

最初の旋律です。ここに並行ハーモニーが付きます。

やがてこれらの声部がばらばらに歌われます。
単純に元の旋律を高く歌うことで気持ちの高揚なども表わせす。そしてこれがブルースのI⇒IVにつながります。

そしてこれらの音階音が融合します。

このときにブルーノート的な旋律感が生まれます。この過程で、人種に関係なく、音楽感覚が融合され、平均律の価値観にデフォルメされた現代的ブルースが誕生します。
ここに西洋和声が乗ると、和声によってさらに修正されなければならない音も出てくるでしょう。
サージェントが挙げたベッシー・スミスのブルースなどを聴いてみると、和声はあくまで西洋音楽的な添え物にすぎず、「和声に応じて旋律を修正する」という文化がまだ生まれてさえいなかったような印象を受けます。
これからいよいよ機能和声論とブルースの融合を試みます。
C∇ E♭∇ F∇ A♭∇ B♭∇
というようなコード進行は、同主調のコードを混合して利用した、と機能和声論が解説するのと同時に、不定調性論的に単純に同一和音タイプの並行ハーモニー(和声単位旋律)による進行であることももはやご理解いただけるでしょう。
このコード進行にブルースが用いた移調旋律を当てはめてみます。

これは最初の小節の旋律フォームを次々流れるコードに合わせて移調、省略しただけです。
そして同じコード進行で統一したモードの旋律を作ろうとすると、

という工夫ができ、同主調和声の混合利用と機能和声論で解釈されていく慣習に沿うこともできます。
このメロディは、和声進行が生み出した、ともいえます。
平均律ブルース的旋律感は、調の維持ではなく、和声の進行感によって生まれる変化感を、旋律で縁どるように、また逆に、同一の旋律を配置して、和声の変化で生まれる旋律のクオリアの変化という二つの音楽性に進化して融合された、と考えることができるのではないでしょうか→これがビ・バップ的旋律感に繋がっていき、そこから現代ジャズの潮流も生まれた、と言う発想はどうでしょう。
このような旋律感を持ったクラシック音楽も当然あったでしょう(旋律のシークエンスは同じで和声が変わる等)。アイディアとしてクリエイターなら誰でも思いつく手法だからです。
これらの音楽の発生と混沌とした音楽性の変化が、サージェントが述べたような、「音楽教育を正式に受けていない」人々の中から生まれた音楽であったからこそ、それらの音楽は、野性的な勢いや、生きる欲望がギラギラと旋律に活かされ、大衆性を存分に含んだブルース・ジャズ・ロック・ポピュラーという独自の音楽世界を生んだのではないでしょうか。