前回、自己の成果物について四つの段階があることを触れました。
これを元に様々な展開を考えてみましょう。ここでは作品とするものは必ずしも表現作品という位置づけではなく、どちらかというと動機から発生したゴールというイメージで書いています。
動機(m)が下記のように生まれたとします。
「子供に何か楽器でも演奏できるようにさせてあげたい」
と考えたとしましょう。
その直感、とても良いと思います。少なくとも私は同意します。
でもそれだけでは動機(m1)がちょっと弱いように感じました。
もう少し具体的に考えてみていただけるとあとでお子様に指導するときにも良いと思います。
何かm2を足してみましょう。より具体的なものを。
・ピアノにトライさせてみたい、もし向いていたなら社会人になってもどこでもピアノが人前で弾けるような存在になってほしい。
・楽器が弾ける人は、社会的にも信頼感が高いと思うから弾かせたい。
・ギターを学ばせたい。持ち運べてどこでも誰とでも分け隔てなくギターを通して音楽文化を楽しめるようにしてあげたい。
どんなものでもいいので、より具体的な親御様の指導方針を追加してください。
動機が決まったら、次はイメージ(i)です。
・家から近いところがいいなぁ、送り迎えも楽だし、大きくなったら一人で通えるし。雪の日でも行きやすいから、飽きないで続けられるのでは?
・柔軟な先生がいいなぁ、あまり昔気質の難しい先生で楽器が嫌いになったら逆効果だ。だからと言って優しすぎて結局楽器が弾けなかった、なんてのも困るなぁ。
・せめてミスチルとかaikoぐらい弾き語ってほしいなぁ
・2年ぐらい掛かるかなぁ。
・予算どのくらい考えればいいかなあ。
これで調べるスクールや教室、先生は大体定まります。あとはスタート(p)です。
実際スタートすると色々なことが起こります。pの過程では、学習すること、覚えないといけないこと、身につけないといけないことがたくさんあります。
この段階でmを見失ったり、iが崩れたりします。その度に、mもiも修正しながら目標を見据えていかないとpは大変ですし、前進する方向を見失います。
いろんなことが起きます。
意外と人見知りすぎてそれが上達に差し障りがあったり、ギターなどは小学生では押さえられないコードも多いです。
または、楽器が思った以上に向いていて、音楽家になりたい!と言われて尻込みするご両親や、全く上達しなくて先生を問い正したくなったり、フェードアウトしてしまったり。
楽器が大好きになって勉強しなくなったり、音楽友達で変な付き合いをしたり笑。
良くも悪くも予想外のことばかりで、後日運が良かった(悪かった)、と振り返ることばかりです。
これらの結実された状態の全てが、最初に動機mから発せられたゴール(e1,e2,e3...)であると思います。
結実されたものがどのように展開していくか、も随時進行していく別のm-i-p-eの過程で収束していくと思います。どれを動機と思い、どれをゴールと思うか、も人それぞれ違うので他人と比べることはオススメしません。
一つ一つ選り分けて分析することは難しいと思います。
人生は論理的ではないし、基本的には矛盾するものが常に自己の中にあり、それに本人も気がつきません。
そこで不定調性論では「音楽的なクオリア」という直感的感覚を理解する習慣をつけていくように申し上げています。
第六感といってもいいですし、降ってくる直感、でもなんでも構いません。
その感覚が論理も矛盾も超えた、自分の判断能力も超えた結論だったりするからです。
音楽をやらない人でも、
・今夜何を食べたいか
・次の休みにどこにいきたいか
・たくさんある服からどれを今日は着るか
...etc
ということを、考えずパッと選べるようにしておくと良いと思います。当てずっぽうではありません。今日はなんか黄色の気分、とか、今日はなんかお肉な気分、とか、今自分にしっくりくる事柄を察知できる能力を研ぎ澄ますことが、ブログでよく申し上げている「音楽的なクオリアを鍛える」という作業です。
それで失敗することもあります。
黄色い服を着て行ってはいけなかったとか。
しかしそれは社会の尺度とあなたの尺度が違うからであって、あなたは何も間違っていません。そこは決して間違いなどではありません。
もっともっと直感を鍛えれば良いだけ。また時々うまくいくこともありますが、「うまくいって当たり前」です。
直感は本当に確信を持って降ってきます。博打でもサイコロを振るのでもありません。
たとえサイコロが1の目を出してもその瞬間「6だ!」とあなたが思ったら、6を選ぶ、そのくらい強烈に自分の直感を信じて様々なことにトライしてみてください。
私がこんなことを言ってもまだ説得力はないでしょうが、私自身も生涯を通してゴールへの道筋を作っていきたいと思っています。
クオリアが働くのは(m)のときだったり、これからの過程をイメージした(i)の時に感じる臨場感かもしれませんし、(p)の時の思わぬ学習アイディアかもしれません。
それが働かないと(e)は面白みの薄いものになったりします。
論理的な人が、直感さえ論理で説明するのも、
直感的な人が、論理さえ直感で説明するのも良いと思います。
このトピックは今年のブログのテーマにもなりそうなので折を見て触れていきながら、内容を濃くしていきたいと思っています。
よろしくお願いします。