音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

作品創作のための四つの現象的な表現態

自己表現/成果物作成全般について、下記のような位置付けができないでしょうか?

 

 

 

初期動機/着想/自然要因をmotifとして【m】と表記することにします。

 

【m】を元に、その個体が最も用いやすい表現方法を用いてイメージを構想することをImageとして【i】と表記します。作品計画です。イメージの中で作品は完成への道筋が作られます。

 

【i】に基づいて、実際に制作過程に入ります。これをProcessとして【p】で表記します。具体的制作作業です。

 

【p】の結果生まれることとなった作品/成果物をEpressionとして【e】とします。

 

これらの四つの段階を「四つの現象的な表現態」と呼ぶことにします。

これらの四つの表現態の流れを

【m】【i】【p】【e】

と表記することにします。「」の記号は「〜に成る」という過程と結果を全て含むものとします。

そして【e】【m】となり、新たな作品へと繋がります。


音楽に限らず、あらゆる作品制作はこの段階が複層化、連続化、がときに偶発的に行われます。

また、あらゆる作品制作のための方法論はこの四段階のいずれかに属します。

 

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これにより今学習している要素がどのような段階で必要になるかを考えることができます。

「なぜ勉強をするのか」ということについて、具体的な学習目的を段階別に明らかにする、と同時に自分の成果目的にとって必要な学習手段は何かということも考えるきっかけになるのではないかと思います。

 

例えば「楽典」は、【m】(思い浮かんだ着想)を記録する手段、または【e】(記録された作品)を読解する手段といえます。しかしながら楽典を勉強しただけでは作品制作は十分にできません。作品を作りたい、という【m】自体を生む方法について学ぶことができていないからです。作品のためのmotif【m】を生み出すためには、いろんな作品に触れたり、世界を旅したり、様々な経験を経る必要がある、などと考えることができます。

 

四つの表現態を認識することによって、楽典で学べることと学べないことをはっきりさせることができます。

 

より具体的な音楽理論はどうでしょうか。和声学や対位法を学ぶことは作品制作につながるでしょうか。

これもやはり、楽典同様【m】を記録するものであり、また【e】を作り出す【p】で用いる「表現の手段」であると言えます。

やはり【m】がなければ、いくら和声に詳しくても作品を完成させるには至りません。

逆に【m】がクライアントから与えられ、バッハ的な作品を作って欲しい、という依頼があれば、その音楽理論を用いて成果物【e】を作ることはできるでしょう。

しかしいくら作品の質が良くても、クライアントの心に訴えかける作品でなければ、納得を与えることはできません。編曲者は十分にクライアントの動機【m】を理解していなければなりません。

いかに【p】作業に優れていても、クライアントの真意を理解できる豊かな感性を持っていなければ、十分な作品を作ることができない、と言えます。

 

また逆にDTMを使いこなし、感性も豊かなクリエイターは、音楽理論という既存のシステムを知らなくても独自の「表現手段」【i】を着想でき、それに必要な表現過程【p】を創造し、駆使できることで作品を生み出せてしまう、といえます。

 

少し音楽から離れましょう。

朝起きて

「今日はゆで卵が食べたいな」

と思ったとしましょう。

これが動機【m】となります。

あとはゆで卵という作品【e】を作るだけです。

そのためにはどうやって作るかをイメージできなければなりません。これが【i】です。それを作るための鍋、水、ガス、などの表現過程に必要な材料、そしてそれを作る知識、作る過程のための時間がイメージできなければなりません。

その上で判断し、作り始めます。イメージできても作り始めなければゆで卵はできません。この制作過程が【p】です。

その結果としてゆで卵という【e】が完成します。

 

一つの作品を作るためには、これらの四つの表現態についての理解とイメージが持てなければなりません。

 

次に作品が生み出された後の社会認識について考えます。

料理であれば、食べられるかどうか、美味しいかどうか、売り物になるかどうか、大量に作れるかどうか、などを社会は測ろうとします。

楽曲も同じです。聞けるかどうか、聞くに耐えるものかどうか、受け入れられるかどうか、売れるかどうか、などで刹那的な価値が与えられ、社会に運用されます。

最後は客観的観測によってその価値が勝手に判断されます。

作者の死後売れる作品もあります。戦略で売れてしまう作品もあります。勢いで売れる作品もあります。ある事が引き金となりたまたま売れてしまう作品もあります。それらの【e】のたどる道筋を、作者は完璧には制作時に想定できません。

また、同様に誤った方法が成果を生み出すこともあります。また誤ったモチーフが意外な作品を生み出すこともあります。

つまり四つの段階というのは、未来において確実なものではなく、その時その時の思考に基づく連鎖現象的に顕れるものです。作品の行く末までを規定できるものではありません。

 

教育機関では、【e】が成せる事、が具体的な課題ですが、このように現象的である以上、絶対的指導は存在しない、と認識しなければなりません。

また、学習者もそう学ばなければならない理由はないことを認識しなければなりません。

 

学習初期の段階では、相互に理解し合うことはなかなか難しいものです。

ゆえに実績のある教育方針が優先される状況も起きます。

いずれにせよ、重要視されるのは受講者が目的を達することです。

 

適切な指導方法によって最短の期間で【p】(楽曲を作る方法)を完結させる手段(楽器の演奏、ボイトレ、音楽理論、DTM)、【e】(作品)の販売プロモーション(マーケティング、SNS活用=これらは、セールスマンにとっての過程[p]、作品[e]製作者にとっては動機[m]と言えるかもしれません)などがレッスンされるでしょう。

結果、アーティストは活動を開始し、自信をつける事で【m】や【i】が自然と豊かになります。さらに予算と時間が持てる事で可能性は増えます。

また逆にやる気や動機【m】が豊かな人で行動力のある人は、友人に制作を依頼して、作品を作ることができます。またそれを販売することに長けていれば、学生時代から売れてしまうこともあります。

 DTMやSNSなどの進化により、音楽理論の重要性やプロモーションの難度は下がってきています。

教える側の内容も四つの表現態への理解が常に求められています。

 

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時にこの四つの表現態は複層化、連続化します。

・何としても売れたい!というm1

・◯◯◯◯◯みたいな曲を作りたいというm2

・ギターが上手い友人にどう作るか相談できるというi1

・音楽理論や最近の音楽に詳しい先生がいるというi2

・i1が曲を作ってくれるというp1

・i2がアレンジの相談に乗ってくれるというp2

 

複数の要素があれば、成果物【e】にたどりつきやすいと考えることもできます。

(【m1】,【m2】)⇛(【i1】,【i2】)⇛(【p1】,【p2】)⇛【e】

また人間関係を人生における作品とみなすなら、講師との関係も【e】であるし、友人との関係も【e】です。それらが円滑に進めば、作品制作も容易になりますし、それらをうまくコントロールできない場合は逆にそれらが作品制作を妨げることにもなります。

中には、社会的成功という自己表現【e】を求めない個人もいます。

また、リアルタイムに評価されない成果物【e】もあります。しかし未来永劫価値のない作品、とは誰も断言できません。

 

また一つの作品を作る目的を諦めたとしても、次なる生き方に向けての【m】を持つことができれば、それは新たなる作品制作の過程に入った、と考えることもできます。

自分が人生で望む【e】を限定してしまうと、本来【e】になるべきものを見いだすことができなくなります。

生きている上での自己表現物の全てが成果物【e】であるならば、生き方も様々に創造できます。

音楽で食べていきたいというのは、最初の動機【m】です。そして教育現場で様々な人間に出会い、価値観を学び、その【m】はその人それぞれに変化していきます。学ぶべきは自分がどのような作品【e】を制作したい人間であるかを学ぶことです。

 

家庭内で言えば、家族Aが作る仕事も成果物【e】、家族Bが作る朝食も成果物【e】です。その上で社会があります。

一人一人の【e】が異なるからこそ、それらを対等に認識/呼応することで新たな【m】が作られ、新たなる【e】が生み出され続けます。

作曲家が生み出しているのは、楽曲だけではなく、友人知人、家族などの支えも楽曲の価値と同じ【e】である、となります。 

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【m】を生み出すために、あらゆるものに意味を創造できる感性=音楽的なクオリアを身に着けるように不定調性論では唱えています。

作品分析や研究は【i】の段階を豊かにする指標だと思います。 

【p】の手段は、音楽理論学習にはたくさんあります。ポピュラー音楽理論やジャズ理論、現代音楽的な書法などです。不定調性論的作曲技法は伝統的技法を補う形で確立しています。一般音楽理論を学習したら、みなさん各位のやり方で不定調性論的思考を手に入れていただければ作品制作はより容易になるでしょう。

表現方法が独自であればこそ、作品も独自的になります。

 

あなたの存在自体が【e】である、と言えます。必ずそれは次なる【m】を生み出し得ます。

 

またそれは「生」「死」はすべての完成であり、頓挫であり、破壊であり、創造であることを意味します。

亡くなった人が新たに動機を与え、新たな作品に繋がることもあります。

 

m,i,p=e

と考える人もあるかもしれません。

それぞれの考え方、方法論によって違いが生まれると思います。

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不定調性論が何をしたいか、何ができるかを表現するための補足としてこの記事を書きました。

論理学の専門でも何でもないので、今後もご批判をいただき訂正してまいります。

 

また、学習者の皆さんが、自分の作品制作完成のために、今どの段階の方法論をより深く学習すれば良いかの簡単な基準になればと思います。

 

みなさんの分野、みなさんの現場それぞれに置き直していただき、表現態のあり様を産み出してください。