音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

無駄なコード進行が作る意味を学ぶ〜スティービー・ワンダー研究レポート4

2019.3.27⇨2020.1.29更新

スティービー・ワンダーの和声構造

~非視覚的クオリアを活用した作曲技法~

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アルバム3;「The 12 Year Old Genius」〜12歳の天才〜(1962)

(割愛いたします) 

アルバム4;「With a Song in my Heart」〜わが心に歌えば〜(1963)  
事例6;Dream (CDタイム 0:16-)

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B♭ |B♭ |A7 |A7 |B♭ |B♭ |G7 |〜
=degree= Key=B♭
I |I |VII7 |VII7 |I |I |VI7 |〜
“酒とバラの日々”、“枯葉”等の作詞で有名な作曲家・作詞家ジョニー・マーサーの作品です。

はじめにIからVII7に流れ、またIの戻るというブルース的「揺れ戻し」が効いています。ただ二つのコードを行ったり来たりするだけでもそこに憂いのある歌詞が乗れば音楽になります。なんなら1コードでもいい、という世界。

VII7がIIIm7へ向かうときの憂いを使って、I⇨VII7と動くことで、

I⇨VIIm7(b5)というダイアトニックな動きよりも、独特の痺れるような憂いを活用する、そのためにこの和音を使う!と"知っている"ほうが作曲の上では現実的です。

これがまたIに戻ることで、、「言い出せない感じ」とか「どっちつかずな感じ」が曲想にもどかしさ、ある種の切なさが出ています。「揺れ戻し」にはそういう効果が出る、と知ればいいんです。あとは使うだけ。それが不定調性論的思考です。

この"感じ"には個人差があるので、それぞれ各位で和音の響きの意味を構築して、それを活用してください。

 

この一旦発進して、同じ位置に戻ってくるという発想は、ブルースのI-IV-Iの考え方に似ている、とも言えます。幼少期に黒人音楽に親しんだ、と言うマーサーならではの優先的な感覚かも知れません。進行感を知っていても実感できなければ使えません。

 

I→IVそのものが転調的構造の展開である、とブルース・ジャズの研究家ウインスロップ・サージェントは著書「ジャズ―熱い混血の音楽」で述べていますが、単純に二つのコードを並べて出来る雰囲気が面白ければ、それを使う、という発想で皆が床屋の順番待ちをする中で演奏を楽しんだと音楽展開はブルースの源です。

 

不定調性論では、この「後から機能和声に参入してきたブルース」がもし、最初から同時にあったとしたら、どんな音楽理論ができるのだろう、というところをも考えることができます。

教材第六章、動画シリーズでも概略を述べています(25本目以降)。

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先の揺れ戻しの方法論を展開してみましょう。
例)
CM7 |Dm7 |CM7 |Bm7 |
CM7 |Bm7 |F#m7 |G |

(音はこちら)

rechord.cc


連続で交互に用いると独自の進行感が補てんされ、新たな機能感を感じます。

スティービーもこの揺れ戻しの方法論を、作曲の引き出しとして、その後展開していくことになります。

 

事例7;Get Happy(CDタイム 0:12-)

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C |G |C |C7 |F |C |Dm7 G7 |C |
F |C F|F |F |F |C F |C7 |F |〜
=degree=
Key=C
I  | V | I | I7 | IV | I | IIm7 V7 |I |
Key=F
I  | V I | I | I | I | V I | V7 | I |〜


Harold Arlen、Ted Koehlerの作品、ランニングベースからの採譜であるので、コードの解釈違いの可能性もあります。

1コーラスの中で、セクション転調が行われている事例。
この最初のA,Bセクションは、I調Cから、そっくりIV調Fに移調してます。

この単純さ、無仕事さは、先の揺れ戻しにも言えます。

こうした接続性の自由度をスティービーもこれらの曲から自然に習得していったのでしょうか。

行って戻ってくるだけでは“子供の使い”だ、と良くいわれたものですが、それ以後のスティービーによって極限までこの「無意味で安易な展開」が展開されていきます。しかし決して「無意味で安易な展開」ではなく、進行感の一つでした。

どうしてこんな進行を選択し美しいメロディにできるのか、スティービーが完璧主義で天才ならば、こんな安易な進行感を納得して選ぶものでしょうか。参考文献等でいわれる彼の「完璧主義」というのは、もっと違う意味なのではないか、と感じます。

 

この疑問はもっと違った形で後半解決されていきます。

むしろ無邪気さの方が天才さに勝ってしまったかのような不思議な音楽のシンプルな魅力、素人みたいな当たり前さ、と前代未聞のカッコ良さの融合がスティービーの音楽の"芸術性に勝るエンターテインメント性"であり、"人としての優しさ"を感じます。しかめ面の芸術家ではない、「棘が少ない」印象。

社会に恨みを吐いたり、風刺をするのではなく、その無邪気さを大切に、彼は世界が忘れていく愛のほうを唱え続けていきます。これは技巧、と言うより、やっぱり人となりが表現に現れているのではないか、と感じます。

 

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theharmonicacompany.com