音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

気持ちが良くなるために、気持ちが良くなる方法をみつける/スティービー・ワンダー楽曲レポート公開シリーズ22

2019.7.3⇨2020.8.31

スティービー・ワンダーの和声構造

~非視覚的クオリアを活用した作曲技法~

<前回>

www.terrax.site

 

目次ページはこちら 

アルバム25;「Characters(1987)

 

open.spotify.com

事例105;You Will Know(CDタイム 0:23-)

Aメロ

F#m7 | C#M7  |F#m7 | C#m7  |

F#m7 | B7  |EM7  F#m7/B |EM7  |

F#m7はIVm7的に響きます。

つづくC#M7とその次のシークエンスでのC#m7の対比が見事!

 

この響きの変化こそがそれまでのスティービーの進行テクニックとはまた違って、斬新であったから、この楽曲がアルバムのトップに持ってきたのかな???なんて感じました。

 

事例106;Skeltons(CDタイム 0:00-)

open.spotify.com

同曲はE♭m7の一発曲。

 

しかしながらリフが作り出すうねりの雰囲気の変化の中に、コード変化ではない、グルーヴの抑揚が音楽的脈絡を作り、旋律的なクオリアがストーリーを作りだしているのを感じていただきたいです。

 

メロディのリフレインだけでどんどんアレンジできちゃう人っていますよね。

スタジオでなんとなく作曲始めちゃうような準備の欠落した作曲方法や作曲空間て、いかにも感覚重視の即興っぽくて「ちゃんとした作り方っぽくない」って感じたりしませんでした?

でも不定調性論的には、そういうやり方こそその作曲家の作曲方法だ、となります。周囲もそうなった時に一緒に楽しんで、それができる感覚になっていければ良いと思います。

 

例えば、トランプでババ抜きをしよう!となった時、楽しみますでしょ?

ルールは別に難しくないし、それを守って楽しくやれば楽しいじゃないですか。

それを「ちゃんとしたテーブルでやらないババ抜きは何かが欠落している」とか

「もっとちゃんとしたトランプでやらなきゃダメだ」

とか

「最初にルール説明をして、ちゃんとカードを二人で切って、ちゃんと順番通りに配って、背中にあるあのカードが見えそうな金属の板を外して」それからゲームだ、真剣勝負だ!負けた奴は才能がないからとっととババ抜きをやめてここから去れ!この空間にいる権利はない!!

 

とかって思いませんでしょ??

音楽だって同じです。本当は同じ、遊びそのものなんです。

まあ、スティービーにとっての音楽のルールもババ抜き程度の難易度しかないはずですから、そこは差があるかも笑

 

まず、そういう洋楽の臨機応変さに慣れてください。

洋楽のアーティストはそういう作り方をどんどん敷居なく行なっていきます。

もともと「労働」「作法」といったことにあまり執着しないんです。

日本人には合わないかもしれません。

 

また外国人はmake loveによく例えます。

「お前、あの時、次キスして、次腰を触って、とかっていちいち計画するのか?考えてんのか?フィーリングなんだよ!フィーリングを出せよ!!頭空っぽにして今感じたままを出してみろよ!」

っていってくれます。まさにクオリア主義笑。

なるほどなぁ、と感じます。全く持ってその通りだと思います。

実際に作っているところを見ていると、まるで違います。

ビートが云々、サウンドが云々ではなく、グッと来るかどうか、そしてその基準がこちらではまるでわからない笑。説明してもらってもわからない笑。

もちろんこういう人ばかりではありません。繊細な人も無口な人もいます。

 

彼らは8ビートを作っているのではなく、彼らが作ったビートを8ビートと名付けているだけです。

日本人の演歌のこぶしを理論で説明してもあのフィーリングを出せるわけではありません。だから我々は「我々のフィーリング」で音楽をやるしかありません。

日本人の感覚だって世界で評価れています。

 

特に学習段階では、知識や利益基準があって、それに基づいて、より収益率の高い行動をしようとします。それが正しいやり方で、そういうやり方で結果を出すべきだ、と学んだからですね。テクニックを使うんです。フィーリングというのはテクニックではありません。グッと来るかどうか。coolかどうか。

 

民族間の文化意識の違いですからどちらを蔑む必要もないと思いますが、何かを行う、という方法はたった一つの正しい方法だけではないと感じます。

大切なのは自分にとっての結果を生み出す方法がある、ということ。それが評価される、されないは誰も予測できません。評価されるとわかっているなら延々と同じ方法を使えばいいんです。でも常に受け入れられる結果を出し続けられる人はいません。

成功を生み出す方法はないんです。ただし自分の求める作品を作ることはできます。

 

いきなり、フィーリング、といっても感じ取れないと思います。

 

例えば1コードパターンやリフパターンをリズム等とともに打ち込んで、ひたすらメロディを紡ぐ、という行為を楽しんで行えるか、とかです。まさに陽気な国の発想笑。

日本人がこれをやっているところの違和感は半端ではありません笑。

たおやかな民族ですから。陽気であることは無知である、ぐらいにも思っているはずです。でもファンク作りたかったらこれやるしかない、ってことぐらいは理解してください。そしてこれができるやつがファンクを作れるわけです。

 

結果的に、陽気な国民性になれ、というわけではなく、どんな方法でもいいので(理屈っぽい方法しかできないならそれでも良いと思います)、自分が「これやべー楽しい」と思える方法を、常識やこれまでの教育知識とは関係なく模索して何とかして見つけてください。

楽しい、自分にもできる!と感じない方法はすべて却下です。元から変えてください。

気持ちが良くなる方法でやらないと気持ちが良くならないのと同じです。

(達人になればなんでも気持ちいいらしいが笑)

安易でもシンプルでも複雑でもなんでも構いません。教科書はありません。

そして答えは自分の中にずっとあります。

 

不定調性論における作曲方法も同様で、現在に至るまであれもこれもいろんなそれまで「君はこうやると良いよ」を手放してきました。

結局テキトーから生まれたものをアートに変える、ということに自分は一番興奮しました(自分はそこなのかよ!!ってすごく一時期がっかりしました笑)。

そしてその「テキトー」は無意識とかクオリアが示唆している存在だと知りました。ただ自分を知り得ていないだけだったのです。何十年も生きててっきり自分を知った気でいました。

現在はその「テキトー」の精度を上げるために生活の中からクオリアを鍛える、というやり方をしています。

 

目次ページはこちら 

その23へ 

www.terrax.site