音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

M-Bankスティービー・ワンダー楽曲(コード進行)研究レポート公開シリーズ5★★★

スティービー・ワンダーの和声構造

~非視覚的クオリアを活用した作曲技法~

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アルバム5;「Steve at the Beach」〜アット・ザ・ビーチ〜(1964)

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事例8;Beachstomp (CDタイム 0:07-)

F |F |B♭ |B♭ |F |F |B♭ |B♭ |
A |A |B♭ |Bdim7 |C |C |
F |F |F |C|
=degree= key=F
I |I |IV |IV |I |I |IV |IV |
III |III |IV |IV#dim7 |V |V |
I |I |I |V|


Hal Davis, Frank Wilsonといったモータウンレコードの作曲家による作品である。
中間部でIIIに展開し、IVに上行する。ここではIIIはIVの前置和音のように配置され、VIやVImなどへの強進行ではなく、滑るようにIVからVへの展開を、ブルージーに作る。
私はこうした進行感を、コードが機能ではなく、作家が感じる響きや展開感が優先されて配置されている、と理解することにしている。理論的進行を優先するか、しないかは、教科書が決めるのではなく作家や現場によって決まるのであるから、教科書的理屈を理解したら、どんどん現場に当てはめ、決断を迫られる状態をたくさん経験できる環境に自分を置いていこう。


この曲のIII→IVは、ダークなIII7のイメージから徐々にVに向かって明転している様が表現されている。これは個々人により感じ方は違うだろうが、IIIは基本的には平行短調へのVであるが、なぜかIII→IVという進行感も同等に使用される。
自分の人生や考え方にフィットする進行を選べばよい。

それが他者にどう評価されるかを気にすると、教師側は“そんな当たるかどうかも分からないようなものを学ばず、ちゃんと分かっているものを学びなさい”となってしまう。

しかし教師は、その人の音楽人生の責任は持てない。

だから不定調性論のような、独自を展開する様をご覧頂き、自分らしくあるための努力を惜しまず続けて頂きたいと考えている。

 

なお、この曲の歌唱に私はスティービーの「盲目」を感じる。

彼はビーチに"居る"が、若い男女がどんなふうに楽しんでいるかが"見えて"いない。彼は海も、波も、ラジオも棒も、男女も、陽の光も見えていないのでどんな風な気分になるか同調出来ていない。子供らしさ、と言えばそうかもしれない。

もちろん歌唱を非難しているのではない。そんなことは思いもしない。

そういうことではない、皆さんは彼の歌の雰囲気に、どこか彼の独自の想像された世界を表現しているような匂いを感じないだろうか。

とても興味深い雰囲気だ。彼の想像だけの世界の表現。

この雰囲気は逆に晴眼者は出せない。海は海であり、そうでない海を想定して真実にすることができないからだ。

逆にアルバム制作が重なるにつれ、彼だけが巧みに表現できる独自想像世界に表現追及の手を進めていく。

 

事例9;Beyond The Sea (CDタイム 0:09-) 

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A;
E C#m |A B7 |E C#m |A B7 |
E G#7 |A B7 |E E/B |A C#m |
F#m B Cdim7 | C#m |F#m |B7(#9)|
E C#m |A B7 |E C#m |A B7 |
E G#7 |A B7 |E E/B |A C#m |
F#m B Cdim7 | C#m |F#m B7|E D#7 |
B;
A♭ Fm |C# D#7 |A♭ Fm|C# D#7 |
A♭ Fm |C# F#7 |
C;
B G#m |E F#7 |B G#m|E F#7 |
B A |G#m F# B |〜A;セクションへ
=degree=
A;key=E
I VIm |IV V7 |I VIm |IV V7 |
I III7 |IV V7 |I I/V |IV VIm |
IIm V V#dim7 | VIm |IIm |V7(#9)|
I VIm |IV V7 |I VIm |IV V7 |
I III7 |IV V7 |I I/V |IV VIm |
IIm V V#dim7 | VIm |IIm V7|I VII7 |
B;Key=A♭
I VIm |IV V7 |I VIm|IV V7 |
I VIm |IV VII♭7 |
C;key=B
I VIm |IV V 7 |I VIm|IV V7 |
I VII♭ |VIm V I7 |〜A;セクションへ

 

ソロはkey=Fでそのままエンディング。同曲は、1946年のシャンソン「La Mer」がカバーされた曲で、ボビー・ダーリンのバージョンがヒットした、という有名曲である。このスティービーのバージョンは、ビートルズのギターアレンジを意識したような仕上がりになっている。原曲にも見られる転調が活かされている。


ここではE→G#(A♭)という長三度転調が現れる。そこからさらに短三度転調し、全体でe-g#-bというE△の長三和音に沿うように、おおらかな讃歌とも言うべき展開を持っている。
また後半には、ユーミン楽曲でも現れたI VII♭ |VIm V 〜という展開が待っている。スティービーの転調の技法についてはこれから出てくる多数の曲で解説していくが、その豊かさは、まるで暴挙とも言える変幻自在さである。このBeyond The Seaの展開などかすんでしまうほどの暴挙的進行、と言っていいだろう。


完璧主義な彼は、その暴挙を暴挙とは思わないのだろうか、と私は正直思った。

それとも暴挙であると考えているのは私の価値観に過ぎないのだろうか。だとしたら私にとってのスティービーは完璧主義とは言えない。利己主義を通しているだけ、となる。
しかしそれもおかしな感覚だ。私だって利己的だし、誰しも利己的であらねば生きていけない。とすると、この「暴挙のような展開」は意味があるはずなのだ。
それがスティービーの性格に属するものなのか、生まれ持った感性に基づくものなのか、最初に記述した料理の逸話にしても、それを自分でやろうとすることの率先力、負けず嫌いに起因する自己流を進化させる断固とした進化力、と言えばいいだろうか。

いろんな衣装で差をつける、というのはスティービーの場合判断基準には入らない、

その分だけ、音楽の表現技法への卓越した追及がなされた結果のあの転調・展開のテクニックに繋がっているように感じる。


これは、私達が通常感じている視覚的な世界の常識とは違う、非視覚的な感覚が優先する判断力と言えないだろうか。

この時点ではそのようなヒントを感じながら、先を進めていこう。

 

アルバム6;「Up-Tight Everything's Alright」〜アップタイト〜(1966)  
事例10;Love a Go Go (CDタイム 0:01)

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intrio
E♭ |B♭m7 |E♭ |B♭m7 |
Aメロ
E♭ |B♭/D |Cm |Gm |
A♭ |Gm |A♭ |Gm |Fm7 B♭m |E♭ |B♭m7 |〜
=degree= Key=E♭
Intro
I |Vm7 |I |Vm7 |I |Vm7 |I |Vm7 |
Aメロ
I |V/VII |VIm |IIIm |
IV |IIIm |IV |IIIm |IIm7 Vm ||I |Vm7 |〜


コーラスの最後は、IIm-Vmで締める、という荒技が見える。

メロディもののラインに沿い、かつ主和音の完全五度(E♭のb♭音)で伸ばされている感じが実に不可思議な印象を持つのではないだろうか。これが作曲を学び立ての受講生の作品だったらどうだろう。五年前の私であったら、そこを指摘して直させてしまったかもしれない。

・和声のセオリーに流されず、メロディを歌ってみて、自分にとって自然な方向を模索した後で和音を乗せる
・通例流れる和音にすぐにとびつかず、ちょっと変化させてみたら、この音楽はどうなるかな?という変化の度合いを見ながら、和音を乗せる

 

というような選択肢が直感的に出てこないと、作曲は面白くない。

こうしたことで考える時間にストレスや疎外感(こんなやり方間違っていると潜在的に思ってしまうコンプレックス)を作ってしまうと作曲作業は急に色あせていく。

この曲の場合は、全体が極めて調性的であるから、変化をつけるなら、イントロか、Aメロか、サビの頭か、サビの最後か、などと見当をつけていかねばならない。このVmが新鮮なところ、印象的なところ、となる。

スティービーがこういう感じに影響を受けないはずがない。

 

真似できる価値観を上げるとすれば、最初から最後まで“ひねり”がないままで終わらせない、という感覚なら常時持てないだろうか。

また和声だけが“ひねる”対象ではない。メロディにひねりを付けることもできよう。レイ・チャールズのブルースのように、リズムで変化をつけることもできる。この辺りは漠然と考えていても上達しないので、とにかくバリエーション豊かな楽曲を作り続けながら、迷った時にこうした事例集を開き、直感で流れを構築できるようにあるのが理想ではある。

   

事例11;Hold Me (CDタイム 0:13-)

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Aメロ
C |C |Bm7 |E7 |
Am7 Bm7 |C D |G |Dm7 G7 |
C |C |Bm7 |E7 |
Am7 |Em7 A7 |D7sus4 |D7 |
サビ
G |Gaug |C |C |
A |Em A7 |D7sus4 |D7 |〜
=degree= key=G
Aメロ
IV |IV |IIIm7 |VI7 |
IIm7 IIIm7 |IV V |I |Vm7 I7 |
IV |IV |IIIm7 |VI7 |
IIm7 |VIm7 II7 |V7sus4 |V7 |
サビ
I |Iaug |IV |IV |
II |VIm II7 |V7sus4 |V7 |〜


ここではじめてスティービーらしい曲、という印象を持った。クレジットにスティービーの名前もある。サビのaugを持ったクリシェといい、II7からsus4への展開がその後のスティービーのイメージを感じさせる。どの部分をスティービーが作り、どの部分が共作なのかは分からないが、こうした作品を通して、彼の和声感や構成感覚が養われていった、ということであればとても興味深い一作ではないだろうか。彼にとってのsus4やaugへの嗜好が垣間みられる。

彼の世界感のどのような感覚にこれらのコードがヒットしたのか、参考文献を読むだけではよく分からない。当時ポップスであまり使われていなかったので使った、というだけかもしれない。しかしそうだとすると、また彼への評価としての「完璧主義」という文字が浮かんでくる。スティービーにずっと接していた三浦氏の著書にもこの語は出てくる。
これらの変化コードは彼の盲目の世界感を象徴するコードであり、それを表現している響きと言えなくもない。我々のsus4とはとらえているニュアンスが違う、という意味だ。

この辺りは個人の音楽的なクオリアになってくるので、彼にとってのaugはもやもやっとした存在の象徴です、などと言っても仕方がない。

和音の響きは個人の印象に他ならない。

この辺りもまずは問題提起、として掲げて先に進もう。

 

事例12;Uptight(Everything's Alright) 

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D |C/D |
=degree= (Key=D)
I |VII♭/I |


曲全体を通して、この二つのコード感でできている曲である。単純なコード進行の曲、シンプルな構造曲としての事例として活用できるだろう。スティービーにはこうした徹底したシンプルな曲が何曲かこのレポートで出てくる。

複雑に転調を繰り返す曲、との対比として意図して作られているようにも思われるし、彼のもう一つの音楽構成技術である音楽的なクオリアによる旋律的指向性に特化して作られたような曲ということも言える。

セッションしているだけで曲ができてしまうタイプには良くある作曲技法である。サザンオールスターズの桑田氏も、適当にメロディと展開だけ決めてバンドで適当な英語で歌い出して、それがガツンとくる言葉=英語的な日本語になっていく、というような作曲法が自伝の中で紹介されている。


これは鼻歌だけで曲の最初から最後まである程度作れてしまうような場合は、和声によるサポートはほとんど必要がないため(和音を弾きながらスキャット的に作る)、リズムとグルーヴをいかに用いるかだけのアレンジになる。

そう簡単にはできないのだが。

同曲は、ホーンセクションのメロディが印象的である。

こうした曲が同時代には多数あったであろうから、そうした曲を作りたいと考えていたとしても不思議ではない。彼にとっての最初のメガヒットナンバーである。彼の名前もクレジットされている。


この作品は彼が作家としても認められた最初の作品となる。

そしてここから彼は大学の作曲課程に入学して自立のための勉強をすることになる。このあたりが彼のチームの優秀なところである。彼のわがままに付き合いかねて見は成す、ということをしなかったのはチーム(周囲)が優秀であるからであり、彼をスティービー・ワンダーに育ててあげた功績であると思う。

目のみえない彼の一般大学での勉強は苦労を極めたことだろう(大学進学についての出典は、三浦氏の著書より)。

 

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==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題== 

スティービーと共に過ごした三浦氏の著書。。ぜひ再販してほしいなぁ。。

f:id:terraxart:20190403163204p:plainM-Bankにあるよ!

 スティービー・ワンダー我が半生の記録―冷たい鏡の中に生きて (1976年)