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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

M-Bankユーミン楽曲(コード進行・歌詞)研究レポート公開シリーズ2★★★

日本人の心の情景を変えたシンガーソングライター(改訂版)

―研究レポート;ユーミン楽曲の和声分析と音楽的クオリアが紡ぐ作曲の手法―

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www.terrax.site

 

3.日本音楽理論研究会での発表の流れと意義・課題

2013年3月31日 「スタンダードナンバー"Autumn Leaves"のアレンジバリエーションにみるジャズ表現の可能性」
発表の意図;一つの楽曲のジャズにおけるアレンジの多様性の紹介
発表後の課題;「それぞれの”Autumn Leaves”のアレンジの連鎖は、まるで大きな変奏曲のようだ」という会からのメッセージをヒントに、その連関性を大きな視点で考え、そのバリエーションを一曲から一人のアーティストに拡大して分類化する作業を行なう経験を持つことの必要性を感じた。 

 

2014年3月30日「The Beatlesの和声進行分析から、コード進行による作曲技法を考える」
発表の意図;一つのバンドの全楽曲に見られる、コード進行を発表者なりに分類を行なった。簡易な長三和音の連鎖、同一和音の連鎖、ノンダイアトニックの使用、ブルース7thコードの広義解釈などで作り出されるジャズ的ともいえる不定調性的な和声進行について解説した。あらゆる和声進行に意味と旋律を乗せる訓練を行なうことで、ポピュラーミュージックの表現の幅が広がっていくことを指摘した。
発表後の課題;次に「和声と歌詞との関連」というキーワードを得て、同様の作業を日本人のアーティストに特化して行なう経験を積むことの必要性を感じた。


4.ユーミン略歴他

yuming.co.jp

<参考>

ja.wikipedia.org

 

5.ユーミン楽曲についての各所見

各曲解説内でも随時振れていく。

■ユーミンの“切なくて美しい、グッとくる雰囲気”は、いったい何なのか。
ユーミンの音楽を聴くと、切なく爽やかな暗示に掛かったような心情になる。同じような感覚を覚える方も多いのではないか。歌詞だけを分析しても、コード進行だけを分析しても、表面的に囚われるだけであった。言葉+メロディ+和声(アレンジ)という状態を、かつユーミンの声で鑑賞することで得られる雰囲気だけがこの暗示を引き起こす。
歌詞は心地よく聞こえ、どこか聖なる呪文のように耳に届く。そのくらい「ユーミンの声」というのは日本人の心の中に「ある準備」のようなものを引き起こす。
人は美しい風景を見ているとき、何を想い何を見ているのだろう。ユーミンサウンドは日本人なら誰でも持っている日本的風景、忘れかけた感覚、遠ざかっていった思いを想起させてくれる。または想起したくなる暗示のような感覚に日本中の音楽ファンが掛かってしまってしまうのを許しているように感じる。

ユーミンのコード進行には、ビートルズのように"どこか偶然的に生じたような(と感じさせられてしまう)"特殊進行ではなく、明らかに意図的に生み出された技巧性を感じる。人間関係、恋愛などの誰もが経験する人生の瞬間を切り取った題材、感情の表現によって心象を刺激してくる。

歌詞表現の呪術的な語感の不可思議さ、意味の多様性が、メロディと和音の流れの浮遊性と相まって人の感性を柔らかく多方向から刺激してくる。あわせてユーミンの声の質感と融合することで「ユーミンサウンド」「切なく美しいもの」という音楽的暗示が40年以上にわたり(その間、休止期間などが無い数少ないアーティスト)日本人のあらゆる世代の人生のクオリアの背景を形成してきた。音楽に感応する事の出来る人を中心にユーミンサウンドや歌詞世界が作った「現代日本人の切なさの具現化」によって、童謡や演歌、フォークソングの先の世界で体験して苦しむ現代的日本人のハートの拠り所そのものを創ってしまったのではないか。

 

■ユーミンの音楽のジャンルはポップスなのか?
今回の分析でユーミン楽曲に対して”ソングエッセイ”または”scene essay=情景のエッセイ”という見解を想定してきた。一枚のLPを通じてアルバム全体のコンセプト、最初に持ってくる曲、核となるシングル曲の配置、全体そして各曲の聴き所、挑戦的楽曲の配置、アルバムの最後をしめくくる曲、を十分に練る作品制作の姿勢は、現代ポップミュージックが目指すべき頂きの一つである。これは「ポップミュージックを鑑賞する」という体験そのものの意識の最先端にある音楽存在の一つかもしれない。

自然とポジティブなメッセージを拾い、自分の心の情景に合う言葉とメッセージを聴き手は拾いあつめていく。

楽曲に用いられる同じ手法を私が寸分たがわず用いて作った曲があったとしても、ユーミン楽曲と同等な情緒的反応を引き起こすことはないだろう。ユーミンブランドとはそうした長い時間をかけて創られた独像的一大叙事詩であり、「ポップミュージック」でくくる前にその独自性を個々人が考え、それぞれの位置付けを考えてみるべきだろう。

 

■ユーミンの曲は絵画的か?
ユーミン自身に絵の心得があることからこの位置付けがされるのであろうが、聴き込めば確かにパステルカラーの心地よさを持った曲想は特徴的である。歌詞の中に色合いの表現や、一枚の写真について話すような絵画的要素も感じた。しかしそれ以上に「想像していて心地よい」想像を持たせてくれるその歌詞や曲想が、絵画的印象として聴き手に受け入れやすくなっている自然な仕掛けなのではないだろうか。心触りがよく、その世界に入りやすく、感じ入ることが楽しい音楽である(音楽を聴く、という根源的で基本的な楽しみそのもののクオリティがある)がゆえに、時に安易に「絵画的な歌である」と云わせてしまう要素を含んでいるのではないだろうか。同時に日本語の音楽としての聴きやすさ、自分が「幸運にも」出会った一枚の絵を鑑賞するような音楽となっているのではないだろうか。

「その音楽が絵画的である」というと、絵画的手法を信念として書いているように錯覚してしまう。絵画を描くのは画家であり、音楽家はあくまで音楽を作っている。心地が良いから、ずっとそのイメージを想像していても心が拒絶することはないユーミンブランドの意義を考えてみるべきだろう。

 

■ユーミンは「恋愛の教祖」なのか?
これほどまでに適切にその歌集を表現したキャッチコピーはないと思うが、ここではその門構えを一旦取り払ってみよう。このコピーは「作詞の天才」であるが故に派生してしまった分かり安いコピーだと思う。参考文献などを紐解くと、ユーミンの作詞術の表現力の源は、自身の妄想や心に留まった瞬間や映像を、恋愛や人間関係のシチュエーションの現場に自在に置き換えて、どんな感情でも想定し、歌詞に込めることが出来るスキルにあると感じた。ゆえにただ歌詞だけを見て「恋愛の歌」と判断し、ユーミンがどのように時勢を切り取っているか、という見方だけでは、その音楽性まで理解したことにはならない。
歌われているのは恋愛の瞬間でも、メロディがそれを別のものにし、和声がさらに別の感情を乗せる、一人の女性の失恋の歌が、旋律と和声を伴うことで、「人生世界そのもの」になり、より大きなメッセージとして受け取ることができる(ように日本人の心をユーミンらの音楽世代が育ててしまった、と言った方が良いかもしれない)。

100%ラブソングの歌詞であったとしても、和声、リズム、メロディの雰囲気が自分の中のまったく別の感情にアクセスしてくる。
「守ってあげたい あなたを苦しめる全てのことから」
という言葉だけでは、よくありそうなメッセージだが、ここに旋律と和声が乗ることで、得体のしれない言語感が生まれ、その声とメロディに「説得される」心の別の部分の反応を感じる。それが音楽的体験=人との対話で得られるものとは違う対話の体験、であろう。その体験感を無視して歌の歌詞を語ることはできない。
本レポートでは、私個人が印象的と感じた歌詞表現を後半に列挙した。どこかで聞いたことのあるような格言的表現も含まれているはず(ユーミンが発端)である。言葉にメロディを乗せ、和音を添えられる者だけが分かる世界、そんなふうに思ってユーミンのラブソングを鑑賞すると、安易なコピーではなく、もっと別のパワーや表現力を感じるのではないだろうか。またこれはその他のアーティストを表するときも当てはまるはずであり、会ったこともない人を勝手に印象付けて価値判断をするのであれば、良い印象を受け取れるスキル、相手の良いところを自身の活力にできるようなスキルを身につけていく方が良いのではないか。

 

■ユーミンにとっての「死」の歌の意味とは?

必ずしもユーミンの感覚の全てを理解できるはずもないのだが、分析当初は簡単に歌詞に出てくる「死」についての表現には違和感があった。しかし「死」「自殺」という事象については、時代それぞれの価値観の変遷があるので、現代の視点で過去の歌を考えすぎないように努めた。
ユーミンの「死」に対する発言は参考文献から外縁部は補填できる。身近で起きた死、死の状態への美意識(高度成長時代にそれまでタブーであったものが少しずつ解放されていく時代背景も無視できない)のようなものが、裏返され、生きていくための欲望の一つに昇華されていると読み取った。また卒業、スポーツソング、失恋、などの表現がその言葉通りの意味を越えて生と死〜輪廻、自然や宇宙に対する価値観へ拡大されていく。卒業は青春の終わりではなく、勝負の敗北は夢の終わりではなく、失恋は幸福の終わりではなく、死は人生の終わりではなく、宇宙とのつながりを果たす瞬間のきらめきを示しているような「鑑賞感」をいつも感じる。ユーミンが述べるニュアンスに“終わりがあるからこそ一生懸命に”、“終わりがあるからこそ切ない”という観点は非常に分かりやすい。だから終わりを見つめるのではなく、そこから生まれる切なさを見つめていく。死は避けられないし変えられないが、「切なさ」という感情は感じ方を変えることによって、喜びにも幸福にもできる。

昭和の時代の「死の美学」とは、タブーがもたらす稀有な価値であったが、情報化社会となった現代では死すら消費されてしまう。だから、感じ方を鍛えておかないとあらゆるものの価値を見失えてしまう時代である、と感じる。拙論である不定調性論が感じ方を鍛えて、自在な感性を作り上げようとする試みは、まさに"心のみが現実である"ということに基づいている。

 

■ユーミンの作詞について

参考文献の引用をまとめると、たとえば、家に帰ってきて知らない人の赤い靴があったら、そのシチュエーションをみるだけで、様々なストーリーが妄想できるタイプの作詞家である、ということが分かる。もしユーミンを「作詞の天才」と私が呼ぶ具体的な根拠を挙げるとしたら、この止め処なく沸く妄想が作れる、という点においてである。また逆にそのような作詞の方法もあるのだ、と分かれば、ちょっとした一場面から色んなストーリーを思い浮かべて作ってみる、という方法論ができあがるだろう。数々のヒットを飛ばし一時代を築いた音楽プロデューサーつんく♂は、その自伝的エッセイ「一番になる人」(株式会社サンマーク出版,2008)で、作詞というのは一枚のスナップ写真が浮かぶような作品にすると良い、等と書いている。まさしくユーミンの発表する作詞テクニックの一端も、こうした言葉に沿うものであるし、むしろこれはユーミンサウンドが長い時間掛けて世に示してきたテクニックが現代のクリエイター達の血肉になっているともいえるのではないだろうか。

 

■ユーミンの作曲=言葉+メロディ+和声について
参考文献などから感じるのは「言葉の和声感」そして逆に「和声の言語感」などの鮮烈さである。そもそも和声やメロディは、言葉が乗っていなくても、何らかの表情、感情的な情景を想起させることがある(これを不定調性論では「音楽的なクオリア」「音楽のクオリア」等という)。長調の進行には優しい感じ、朗らかな感じを、短調の進行には、陰鬱な感じ、淋しい感じ等々、一言では言えない音楽独特の言語感、情感、心象が生まれる。
たとえば

・夜の闇をイメージする言葉やメロディ

・明るい太陽をイメージするリズム

・のどかな昼下がりの淡い色合いをイメージするような和声

が、一緒に演奏されたとしたら、人の心はどのような心象を思い浮かべるのだろう。

この状況を絵にしたら明らかに不可解な光景である。
しかしながら、シンプルなスリーコードでさらなる新しい音楽的情景を作ろうと思えば、例えとしてこうした思考的な工夫をする、という手も一つあろう。もし私がユーミンを「作曲の天才」と呼ぶ根拠を挙げるとしたら、まさに朝の雰囲気を持つ和声に、夜の言葉を乗せて新しい風景を表現するような、現実にはあり得ないが、誰でも心のどこかに封じ込めているような不思議な風景を実際に音楽で描く方法と考え方を持っている、という点においてである。

 

その3に続く。 

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==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題== 

これが一番衝撃的でした。作詞作曲に触れる話は、ちょっと"それ載っけていいの??"って思いました。

ルージュの伝言 (角川文庫 (5754))