2018.6.8⇨2020.8.25更新
"好き"にしがみつく脆さ
このように序列化すると、ピラミッドの一番上に「価値」が生まれます。
この記事は、あなたが感じる「価値」を「あなただけが感じる価値」という認識に昇華していきたいと思います。
そして自分の弱さとか「"好き"にしがみつく脆さ」を知ることはとても良い体験です。
音名の排除を一旦試みる
これらの倍音列の音は、基音の振動数の整数倍の音ですので下記のように書き替えることもできます。
例えば12cとは1cの12倍の振動数を持つ音という意味です。数学の文字式における計数みたいな解釈による表記ですね。
これによって、まず音名の偏見や先入観から解放されます。
11cとか13cは素数の係数を持っています。それだけで別の価値を感じませんか?
美女が野獣を愛せるのは、野獣が見た目のような存在ではない、と知っているからです。
自然は現れてしまう現象
そしてこれらの分解能はどんどん細かくなり(係数はどんどん大きくなり)、最後はあらゆる音の振動数が基音の振動数の整数倍で表せてしまう事になります。
17cはc#です。
遠い親戚をたどったことはありますか?
意外な人が自分と遠い親戚だったりします。すごくファンタジーを感じます。
今回の記事のテーマです。
自然倍音は自然の摂理として「現れてしまう現象」であり、「価値としての重要度」を示しているという点ではない、と感じてみてください。
本当に自然の法則が美しいなら、洪水や津波も尊敬しなければなりません。
自然は畏れ接する、しか対処はできません。状況によって「美しい」「怖い」と判断しているのは、あなたの「自我」です。
音を発した時、2cも5cも9cも16cも311cも全て同時に鳴っています。そして311cになると人間の可聴範囲を越えるので人には聞こえません。鳴ってるのに認識されない存在...。
音楽も実は人の価値観の集合体です。
その証拠に、猫には価値はないと言わんばかりのそぶりをされます笑。
これはあなたが機能和声的価値観から解放されるためにも重要なトピックです。
そこから一度解放された上で、改めてルールを楽しめれば肩の力が抜け、音楽は難しいけど楽しいものに変わります。
批判する人
ルールを自分で決めず、自分以外のどこかに権威があり、"人はそれに従うべき"という発想があると、人を攻撃する以外に選択肢はなくなります。
「これを理解して活用できるのが当たり前、そうでない人間は音楽をやめろ」
という排他発想が生まれます。自分は必死で理解し自分を犠牲にして我慢して戦っているのだから、お前も我慢して戦え、となってしまうからです。
この人は「自分だけの正しい」を持っていません。自分を信じる勇気がないのです。
そして自分がピックアップして正しいと信じたものが「ただの自分の好み」であることにまだ気がついていません。
自分はこれが好きな弱い人間です、と認めることができません。
自分が弱くないと思っているから人を攻撃します。
教師は、初心者が作る音楽の"未熟さ"は本人の認識の甘さから生まれてくるものと知り、アドバイスによってそれを理解してもらい、自分で考えてもらい、改善に貢献する職業です。批判する必要はありません(批判は互いの行為の印象で生まれる全く別の議論です)。
人としての本性は「改善したい」という言葉に尽きます。
そう思ってきたからこそ今日の社会発展があるのだと思います。
音と音との関係を個々の関係に
シンセサイザーで音色を作るときに倍音の概念は欠かせませんが、必ずしも倍音の係数通り音を含ませていけば自ずと魅力的な音になるとは限りません。
魅力的かどうかは、常に今制作している音楽に合うかどうかにかかっています。
さていかがでしょうか。
和音神話はあなたの中で冷めてきましたか?
Cdim7もC7(b9)も使い方で美しく響きます。その多様な響かせ方は先人の音楽で為されたために私たちも覚えています。このブログでも特殊な和音の使い方を散々述べてますね。
「波の音に感じる価値」も人は海から生まれていますから、脊髄反射で価値を感じても不思議ではありません。しかし、子供の頃に海で溺れかけたら、海は嫌いになるでしょう。そうやってあなたは、あなたの自我で価値を構成しています。
そのために不定調性論では、音の関係性も分解能で表そうと思っています。どこまでも分解して理解することができ、どこまで分解するかも自分の方法論に応じて決めることができます。
c-g-c
というパワーコード絶対のハードロック価値観から
c-c#-d-d#-e-f-f#-g-g#-a-a#-b
というクロマティシズムまで、私自身が音楽の価値観をあっちに行ったり、こっちに行ったりして活用しています。
その時、ハードロックは和音がシンプルで価値が浅い、とか思いたくありません。
同時に12音技法はまどろこしくて売れない音楽だ、などとも思いたくないのです。
昔はそう思ったこともありましたが、音楽ではなくそれを作った人の自伝や人物を見てこれは多様性だ、と知りました。だから自分の方法論にも多様性が段階的に選択できる方法がいいな、と感じるようになりました。
勇気が必要なのは、自分が感じることが自分だけの感覚だ、と認めることです。
しかしこれにはご褒美があります。それを認めると、相手の多様性も、認めることができるからです。
しかしこれには実践を伴わないといけません。そこで自分は、一本化しようとする社会圧力から一歩退いて、自分の音楽を作り続けることで未来の人柱になっていきたいと思っています。
(4回シリーズでオクターブレンジの解説もあります。)