音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「移動」は不安と躍動の象徴;69, Living For The City他 / Stevie Wonder★★★

スティーヴィー・ワンダーの不定調性進行分析

69, Living For The City/Boogie On Reggae Woman / Stevie Wonder

 

<スティービー・ワンダーレポートより展開>


Stevie Wonder - Living for the City


事例66;Living for the City (CDタイム 0:11-) 
Aメロ
F# G#m/F# |A/F# G#m/F# |F# G#m/F# |A/F# G#m/F# |
F# G#m/F# |A/F# G#m/F# |F# G#m/F# |A/F# G#m/F# |
B |C# |F# G#m/F# |A/F# G#m/F# |×2
Bメロ
3/4 F#M7 |D#m7(♭5) | DM7 | C |C/B♭ |A7 (またはA△) |G |4/4 F# |


Aメロは、F#メジャーキーのI-IIm-IV-IImとdegree分析できる、ベースラインを統一したAメロの技法。グイグイくる感じになる。


またBメロはユーミンなども使う下降進行で、不定調性進行。

クリシェ進行を発展させた概念として捉えることができる。

 

一つ押さえた和音の指の形を、重心を維持して一音一音(又は数音)変えていくことでコード進行ができる。クリシェ進行もそうした簡易な動きの割に生まれるダイナミックな印象が特徴である。盲目であるがゆえに感覚的に発展できた手法かもしれない。

 

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Boogie On Reggae Woman


Stevie Wonder - Boogie On Reggae Woman

 

事例75;Boogie On Reggae Woman (CDタイム 0:29-)

Aメロ
A♭7 |A♭7 |D♭7 |D♭7 |
B♭7 |E♭7 |A♭7 |A♭7 |
A♭7 |A♭7 |D♭7 |D♭7 |
B♭7 |E♭7 |A♭7 |A♭7 /G /G♭ /F |
Bメロ
B♭7 | D♭7 |G♭7 | G♭7 /G♭ /G /G# |
B♭7 |E♭7 |A♭7 |A♭7 |


曲調はA♭のブルースに聴こえるが、使用和音が変化している。B♭7はII7であり、おなじみである。


Bメロに流れる際、この曲でもベースラインが導音的で次への流れをスムーズにしている。この曲では更に上がるベースラインも用いられている。この辺りに実験感を感じると同時に、sus4連鎖、また頻出するラインクリシェ同様、クロマチックのアプローチの変化感のダイナミックさがスティービーの感性と結びついて音楽的クオリアを構成しているのではないだろうか。


特にB♭7 | D♭7 |G♭7 | G♭7 /G♭ /G /G# |の流れにおけるG♭7への解決は実に不安定で、このベースラインがなかったら流れに脈絡を見いだしづらい。

しかしこの不安感というのは、盲目のスティービーにはどのようなものなのだろう。全盲の人にとって常に「移動」は、それだけでストレスの高い活動である、と参考文献にもある。

音楽の移動が持つこの不安というか定まらない感じは、私にとっては何とも覚束ないような感じもするが、彼にとっては“日常で感じている移動についての不安そのもの”かもしれない。とすればこの半音移動の問題は、彼が空間を把握する時に感じている空間把握感覚そのものである、となる。

 

それを「躍動」というところにも当然結びつくわけだし、当然そんなこといちいち考えないところで表現されている点が考えどころではないだろうか。


半終止のような感覚でVII♭7であるG♭7を用いているが、ここからさらにベースラインを用いてII7に戻しているあたりが、スティービー独特の“移動感”が表現されているように感じた。

和音ではなく、単音でどこへでも展開できるバランス感覚の持ち主なのだろう。

 

しかしこれは考えてみれば当たり前である。彼は幼少時、なぜ自分が他人と同じように動けないのかが疑問で、劣等感を持ち、いじめられていた。それは彼にとって生まれ持っての非視覚的世界把握は、人生において切り離すことのできない感情的デフォルトである。


彼の曲にクリシェ的進行が多い、と述べてきたが、同様にこのクロマチックのアプローチも彼が世界を確認する方法、移動についての“音楽的クオリア”が無意識的に、意識的に選択され、“このサウンドはクールだ”と思わせているのではないだろうか。

 

またリンゴ一つとっても、さわってみて、持ってみて、握ってみて、自分の感覚の中に少しずつ事物の存在が侵入してくる、浸透してくる理解のプロセスに似ていないとも言えない。自覚しているか、自覚していないかは分からないが、彼の音楽を世界中が受け入れている以上、その個性は認知されている。ハンディキャップから生まれた感覚の体現が、エンターテインメントにおいて希少価値の高い手法として認知されているのである。

 

彼ほどの音楽性を持った人間が、なぜ安易なクリシェ進行で音楽を作るのか、と私は最初疑問であった。

しかし、それがもし彼が生きてきた感性と世界との接点を表現する一つの方法論を想起させるから選択されているのだとしたら、彼にとってはただのクリシェではなく、自分が自分であることの証明のようなものだ。

 

自分がこうやって世界を認知し、こうやると自分はみなと同じく音楽が楽しめる、だからこれを選ぶ、これによってスティービー・ワンダーが何者か知ってほしい、このサウンドが自分なんだ!という主張である。

もちろんクリシェは隣り合った音に指一本移動させるだけであるから、単純である、というようなこともあろうが、音楽制作に妥協を許さないスティービーが、“指一本だけ変えれば出来てしまう和声進行”を多用する意味がどうしても見えてこないのだ。

「劇的」であることの雰囲気と移動の単純さ、が彼にとっての非視覚的な状態から見た大いなる音楽の価値であるのかもしれない。


また、7(♭5)のサウンドも鍵盤の押さえ方などの理由などもあろうが、その欠落したような響きは、彼が感じてきた他者と自分の感性の微妙な差異を象徴するようなサウンドに思えてくる。これもただのドビュッシーの変化和音ではなく、彼が自分であることの証明であり、それゆえにビビン!と来るコードを名刺代わりに繰り返し繰り返し用いているのではないだろうか。

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