音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

「音楽理論に基づいて曲を作る」ということに違和感がある人

音楽を理論的な手法に"基づいて"作る、という行為に違和感を覚える人もいるでしょう。

 

その感情の根源に、

・自分が楽譜が読めないから(音楽理論に詳しくないから)、理論を語る人が嫌い。

・つまり、理論に頼って作っているだけで、自分で全部考えていないのでは?と思っちゃう

・理論を勉強したとしても、それ以上の努力によって得た得難い経験値に基づいて臨機応変に新技を発明し、チャレンジ精神で向き合い続けるのが本来のエンタメでは?

みたいなことを感じているからでしょうか。

 

SNSだと、翌日にはもうそんなふうに思っていないのに発言だけは残るため、かつシェアまでされてその情報影響震度が上がるため、影響が大きく見えたり。

 

もっと現実的に考えてください。

締め切りが明日で、10曲仕上げて?みたいな話があるのが音楽業界です。そうなったらもう全人生をかけて力技でこなします。

深呼吸して、イメージが湧き作業時間のかからないものから取り掛かります。朝3曲、昼3曲、夜3曲、朝まで1曲、としてそれぞれに短めの曲を含ませ、計画して三食を挟んで一気にしげます。持っているストック、日頃貯めていたリファレンス、そしてもちろん音楽理論的お約束を駆使して、息切れしないように工夫して仕上げます。よかったらやってみてください。

音楽理論的知識がないと1曲できてその日終わりでしょう。

「プロの作家」にとってに音楽理論(的慣習、技法的知識/経験)は、会計士にとっての電卓、料理人にとっての包丁や鍋、F1レーサーにとってのコンピューター制御の高性能ハンドルみたいなものです。音楽家にとっての音楽理論の意味が一般の方とまるで次元が違うことをご理解ください。

 

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一方、1曲作ってくださいってお願いされた時、面倒だから既存曲を真似て、大体なんとなくセオリー通りに作って、いかにも「俺が作った最高にオリジナリティの高い曲」みたいなドヤ顔で送る、みたいな経験も誰でもします。

最初の1年はなんとかなっても、やがて「ふさけんな」と言われて仕事を失って、必死に考えて、気持ちをあらためて這い上がり「プロの作家」になっていきます。

クビになってそこで諦めるから「理論で作った嫌な曲」が嫌いになったりするかもですが、それは仕事を舐めたその人の責任であって、音楽理論は別に悪ではありません。

 

夢のある世界ですが、残念ながら音楽業界は全くもって甘くありません。修羅の国です。

 

また、SNSでこの理論を使った、とか自曲説明して、全く再生されない的な話も、やはり音楽理論が悪いのではなく、その人の音楽に向かう姿勢を受け入れてもらえないだけです。

 

どんなふうに作っていようが、あなたの曲がちゃんと採用されて、仕事をきちんとこなせているなら、そのスタンスが音楽理論的にどうであろうと問題にされることはありません。

 

こうした言論紛争を単なる暴虐と殺伐にしか変えられない人がいます。

作曲業をなんらかの理由でメインにできなかったが故に、世間的にあまり考えたりする機会が少ない音楽理論的なトピックの切り口でマウントを取って、業界で勝てなかった自己をなんとか正当化しようとしている、としか受け取られていません。

また、そういう人に影響を受けて「アンチ音楽理論お化け」になり一緒になって、また違う角度から論点を指摘し補強するお祭りになる傾向もあります。

本当は存在しない「アンチ音楽理論」闘争が暇な人たちの間で繰り返されます。論点とメンバーが年々変わっていくのが面白いです。

皆どこで何をしているのかよくわからない人たちの承認行動エンタメです。

「音楽理論に基づいて曲を作る」ということに違和感がある人

の誇張された違和感の背景に、うまくいかなかった自分の人生への不満を打ち消したくて、無理やりその違和感を感じて正当化しようとしている人もいませんか?

そういう方は辛いでしょうから、独自論の鍛錬を希望します。

www.terrax.site

 

忙しい人はそこに参加しなくても何の問題も起きない事案ですし、先に書いたように毎日3曲作るような責任を追っている人はそんな話題が発生していることすら気が付かなかったりします。

 

もし今そういう話題に興味を惹かれるなら、いずれ「そこに参加できなくなるくらい忙しい自分の日々を作ろう」と思う方向で毎日頑張っていけば良いと思うのです。

 

「人は生きる価値があるか」系の問いは、答えが出ないことが慰みです。または双方に都合よく答えを出せるから魅力的な問いであり続けます。

答えが出ないことで「自分は間違っていないはずだ」と思い込むことができるからです。または自分に合った答えを導けることで安心できるからです。