音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

プラシーボ的反応と独自論3〜プラシーボ反応の具体例2

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プラシーボの治癒力: 心がつくる体内万能薬

 

代替医療が現代で必要とされる理由も、現代医療があまり注目しないコンプライアンスを超えた「いたわり」の精神などに社会を超えた、社会が生まれる以前からあった、お互いの生命の根源がリンクする要素が息づいているからではないでしょうか。

 

代替医療が減らないわけ
西洋医学の医師たちは、自分の科学的な能力、好奇心、技術、研究に誇りをもってきた。結局のところ代替医療を無視すること---その方法や効果について研究することさえ拒むこと---は非科学的だと彼らが気づいたのは当然のことなのである。

一周して、代替医療が持つ西洋医学が起き忘れてきた点は着目に値する、と、医師たちも気がついた、という意味での引用です。代替医療がすごい、というニュアンスではなく、双方のバランスをもっと偏見なく取り入れてもいいのではないかという発想だと思います。

代替医療に理解を示し、代替医療側も西洋医学を受け入れていく相互協力体制が整った時、治癒の道は広がる、と考えるのが西洋医学的見地から見ても明らかだ、と言うことがこの引用文に表れています。

 

もちろん代替医療の中にも、"瓶の中に入った薬草を高く売りつけるだけの魔女"もいるでしょう。

しかし多くの民間医療は、患者に寄り添い、話を聞き、十分に気持ちと不安を癒すからこそ(相応才覚に秀でた医師へのニーズが高まるからこそ)、例え科学的に効能がなくても、西洋医学では効かなかった患者が、一つの気付きから、人の自然な治癒力を呼び戻せた例があるからでしょう。

呪術の効果と考えるより、元から患者自身が持っていたプラシーボ反応のトリガーになった、というわけです。

民間医療も呪術者も依頼者をサポートすることで治癒行為が成り立つ、となります。

 

音楽理論が大切、というよりも、音楽理論が大切、と思っている人にとってはそれは呪術師の呪いと同じように機能する、という意味と言えます。

 

 

出産の時、ただ立ち会うだけの産婆さんがいる状況のほうが、出産がスムーズでその後の経過も良かった、というデータもあるそうです(誰かが一緒にいたほうが良い効果が上がる)。

 

 

ここで意味付け仮説を引用すると、その条件は

・病気についてよく理解できる説明を受け、それに耳を傾けること。

・治療者や周囲の人々からの思いやりといたわりを感じること。

・病気やその症状を把握し、自分が主導権をもっているという気持ちが高まること。

 

これにより病気に対する向き合い方がポジティブになり、その瞬間プラシーボ反応が働き出す、というのです。

 

代替医療は、時間の決められた治療院よりも時間が与えられる場合、「いたわり」の感情をとても刺激されます。これから自分を治してくれるんだ、そして自分も治るんだ、という主導権が明確になります。

その結果、プラシーボ反応が起きやすい、というのです。

 

これは医療の現場だけでなく、街の音楽教室も同じです。音楽大学のようなことはできなくても十分な時間と、マンツーマンでの対応、宿題や課題のサポート、イベントの資料作りなど、大学では絶対できないサポートができます。子供を預かったり、料理を作ってあげたりまで笑

こういった点を外から見ると「なんであんな寂れた音楽教室に通うんだ?なんか怪しいことをしてるんじゃないのか、権威も実績も大したことないだろうに」と表現されるのでしょう笑。

 

産婆さんが何もしなくても一緒にいるだけで効力を発揮するなら、それは「いたわり」になるからであり、それは田舎で一人で練習するより、話だけでも聞いてくれて、練習する様を一緒に見てくれる名もなきオジさん先生でも役に立つ、ということなのでしょう(その人の振る舞いにもよりましょうが)。

 

"インドでは、手術の前の晩に患者を一人で寝かせないのよ"と言って、病室に布団を持ってきて一緒の部屋で寝る女性の話が同書に載っていました。

これも不安にさせないいたわりの役割を果たし、結果として手術の効率も、治癒への集中力も上げてくれる役割を果たしていることを知っているからでしょう。

これすごくよくわかります。そうそうこういうことだよ、西洋医療に足らないのは って感じました。

 

私たちは赤ん坊のとき、触れられることで愛されていると感じることができた。(中略)---カイロプラクティックやマッサージ治療など---ではセラピストは患者に大いに触れるし、触れることが治療の中心になっている。こういった治療では、いたわりのメッセージはずっと強く伝わるだろう。

 

前述の母親の絆創膏の話と同じです。

この「いたわり」が西洋医学では欠けてている、のは誰でも感じているでしょう。

社会的規範を超えた「他者の内側に触れる行為」が、時に"愛やいたわり"になり、西洋医学では得られない治癒の力が生まれる、がゆえに代替医療がプラシーボ反応を伴う「意味づけ仮説」によって今も息づいているのでしょう。

またこれは「怪しさ」「禍々しさ」と捉えられてしまう節があり、そこに断絶が生まれやすくなることも容易に予測できます。人の肌に触れる、という行為は命懸け、というか愛を信じていないと他者に許せません。

 

「こんなに話を聞いてくれるこの人なら私に適切な治療法を与えてくれるはずだ」

詐欺と治癒のギリギリのラインが生まれます。この怪しさと掴みどころのない雰囲気を打破して信頼を勝ち取るには、現代の西洋医学のようなスタンスを作らざるを得なかったのでしょう。

 

代替医療が西洋医学が却下した「気」という存在を扱うのも

「医学を知らない人でもイメージしやすいわかりやすい説明(流暢性の処理)」

が人の理解と共感、治ろうとする意思を呼び起こすために、科学的におかしくてもいまだに活用されているのだと感じました。「気が乱れている」と言われると、なんとなく調子悪い、と本人も感じたりするからです。難しい医学的説明や、いきなり生活習慣の問題点を指摘されるよりも。

 

健康な血液は本来ドロドロしたものですが、健康な血液はサラサラ、油分やストレスで澱んだ悪い血液はドロドロ、と表現した方が、一般人には健康の意識をイメージしやすいために、事実とは異なる説明が「イメージ」として定着しています。

医師ですらそう表現するときもあります(コロナワクチンの時"血液サラサラのお薬飲んでますか?"と聞かれませんでしたか?)。

 

赤血球はマイナスの電化を微量に帯びているので、本来は反発しあいます(簡単にはくっつかないようにできている)。過度な寝不足、ストレスなどで血しょう中の正の電荷を持つ酵素等が炎症に対応するために増加したりして赤血球がくっつき合うこともある、とされています。ただこんな説明をされても普通一般人に健康意識など湧くはずがありません。「あなたの血液はドロドロです」と言われたほうが意識が変わります。

 

 

アーシングもいくつかの治験で炎症部位の電荷異常を整えることで、炎症の進行を止め治癒を早める、と言った部分的な証明はできていますが、それ以上に、少しでも傷が治ると、心も癒され、治る!喜び、また前のように生活できる希望を持つ感じが全く天啓でも授かったような心持ちにもなります。どこまでがアーシングの効能で、どこまでが体内製薬工場の稼働で、どこまでがプラシーボ反応なのかわからない、ということが今の私はイメージできます。

 

 

医療の場では自分の行動や対処に主導権を持ちたい、と考えている人もいます。

主導権を持てることがコントロールしやすい環境を生み、プラシーボ的反応を起こしやすくするからです。総合病院でつい横柄な態度を取り、医師からも冷たくあしらわれると、優しく諭してくれて、時に叱ってくれて、時間を作ってくれる民間医療においてプラシーボ反応が現れても不思議ではありません。

「自然であること」という訴えは代替医療の魅力の一つですが、これも「癒す効果」を促進する文言といえます(本当に自然なら服を脱ぎ、野山で生活しないと自然ではない、的なことは無視してしまう)。

鍼が効くのではなく、自分が鍼という概念と行為を使って自分の症状を自分で治す、とイメージが湧く時、鍼の効果に反応する製薬工場が稼働します。

医療も実は「独自論の先にある」と考えると、色々整理がつきませんか?

大手の専門学校だと全然自分の時間が取れないけど、ここ(studio)だとたくさん時間が取ってもらえるので楽しいです、と言ってくれた受講生がいました。今書いてきた事例と同じような現象ですね。これで「自分たちは間違っていない」と、私たちもプラシーボ的反応を起こし、頑張れたものです。

 

代替医療的な方法を使うことで、患者は自分が治療の主人公だと再認識することができる。

私が従来の音楽制作に向かう時に感じた違和感をこの文章が払拭してくれます。

私が独自論を作ったのも、結局私自身が制作時の思考において主導権を握りたかったのだと思います。

そして実際に主導権が取れているかは問題ではなく、「独自論ができたので主導権を握ることができた」という勝手な確信が、少しずつポジティブに作用した、と捉えればいいわけです。

私にとっての不定調性論は、「自分に合うやり方」という事実以上に、「社会に毒されて混乱した自分を治癒する力」になったのだと思います。

自分に合うと信じた信条に基づいた行動が最も自らを癒す、という同書のリサーチ結果に沿うように行動をしていたわけです。

 

しかし社会という枠組みでは、

自由に生きる=枠組みの外にはみ出た人

になる覚悟は必要です。枠組みがあるのは、多くの人が均等に生きられるシステムだから生き残っているわけで、「自由に生きる」はあなたが単に社会から見た「ハズレ」だっただけかも...。だから自由を訴えると疎ましがられます。

社会と自由は相入れません。だから自分の中の自由をしっかり作り置き(独自論)、、それを一つの武器にして上手に社会と戦っていけば良いと思います。

独自論を表に出す必要はないわけです。そこが一つ落としどころではないかと今は感じています。

 

 

プラシーボ反応と言えない事例;ホーソーン効果と病院効果

ja.wikipedia.org

人は一般的に関心を持つ人や期待する人の心に応えようとする傾向があるとされる

医学実験でも、熱心な医師や研究者の期待に応えようとする意志が働くことでプラシーボ反応に似た効果を起こしてしまう場合があるそうです。

日頃頑張っている美人研究者、イケメン研究者を喜ばせよう、期待に応えよう、という心の反応が結果に影響することで「痛みが減った」と思い込んだり、つい喜ばせようと痛みが減った気がしただけなのについ不正確なことを言ってしまう、のは厳密にはプラシーボ反応ではありません。

しかし実験の状況によっては誤ってプラシーボ反応に分類されてしまう場合もある、ということです。

 

同様に治験のために病院に通う人も、医師や看護師と接しているうちに無意識に健康状態を気遣うようになり、結果として健康な状態を作りやすいので、中長期的に続く実験の種類によっては、通例とは異なる治癒力を示す「病院効果」が出てしまう場合もあるそうです。

 

・優れた講師のおかげで音楽の才能が伸びたのか

・優れた講師に教わっているのだから、と自信を持てたから受講生の力が発揮されたのか

・優れた講師に教わっているんだね、という周囲の期待に応えるべく普段より懸命に勉強や練習に励んだから成果が出た

のか、結果の要因はいろいろで、結果が出たんだからいいじゃない、と周囲は思うものです。臨床実験はそんな曖昧では済まされません。

著名人に師事する場合はよく考えましょう。レッスンはイマイチでも卒業して仕事現場で「へーきみ、○○先生についてたんだぁ、大変だったでしょ?」と受け入れてもらえる場合があります。学歴詐称もそういう意味で多用されます。

 

 

また実験で使うクリームなど、触覚に関わる素材は心地よさを感じればリラックスが起き、それが何らかの改善効果を生むかもしれません。
これもプラシーボ反応かどうか状況により変わるでしょう。

 

 

新品の楽器、高価な楽器、買ったばかりのプラグイン、高価なプラグインを触って「これはすごい!」と思う時も、同じことが起きているでしょう。
例え結果が悪くても

「慣れたら変わるだろう」

「ある程度弾いて馴染ませないと」

「まだ使いこなせてないからな」

とか思うでしょう。せっかく金を出して買ったものに損な印象を持ちたくない、というサンクコスト効果が働いているかもしれません。


メーカーから受けた案件でメーカーが期待するようなことを言ってしまうのはその報酬もそうですし、頼られた、という自信と責任、役に立ちたいという感情が自然と紹介行為の中に溢れてしまいます。

その辺の案件が得意な人はやれば良いと思いますが、不得意な人がやると逆効果ですね。

 

まずはとにかく何かやってみないと、次に何をしたらいいかがわからないものです。

 

この話はARAS機能の話と同類かもしれません。

脳は思ったことと行動の現実の真偽など考えないからです。

だからこそ"笑っていれば、幸福な脳内物質が出る"のだと思います。ただしこれは、「自分が本当にそれを信じていて、それを普段から継続している」ことが大切です。

 

 

性癖に合う相手を見つける

日頃からネガティブな発言や批判を繰り返す人は、その状態が一番ポジティブです。周囲からすると迷惑ですが。

また、高圧的に命令された方がうまくいく、という人は、厳しい師匠に弟子入りしてください。また上記のようなネガティブ発言をする人の方がポジティブな刺激を受ける人もいます。

 

逆に、褒められたければ、褒めてくれる人のそばにいてください。

 

老人には優しくしてください。認知力は落ちていますが、脳の原始的な機能は活発です。認知していなくても褒めるだけで体調が良くなるのは、ボケた分、無意識の反応が早くなっているためでしょう。老害と言われないような、程よい老人になれれば、いろいろ楽です。

 

真っ当に生きたい人は、真っ当だと思う人とつるんでください。

 

こんな環境退屈だ、なんとかしたい、と悩み憂うのが毎日続くなら、実はあなたにとって"その感じ"が心地よいルーティンなんです。怖いですね笑。

 

 

関係性と期待によって効果が生まれる

一ヵ月後に患者が良くなったと言うかどうかをいちばん正確に予測する要素をひとつだけ発見することができた。それは、初回の診察で病状を説明する自分の話を医師が十分に聞いてくれた、と患者が言ったかどうかだった。(中略)

初診時に医師と十分な話し合うことができ、頭痛についての自分の気持ちをわかってもらえたと感じた患者ほど、その回復を実感していることがわかった。

 

教え方が上手いと生徒はその効果効能をイメージでき、それによって前進できます。

権威のある無しは関係ありません。無名の講師でも人を導くことはできます。

教えることだけ上手な人もいます笑

 

不定調性論に対して「自分にとってのみ心地よい方法論」と割り切るには勇気が必要でした。ただ単に自分にしか役に立たない方法論だ、と言い切るのは切ないものです笑。

ただこれができた瞬間、人生を前に進める手段になりました。

 

皆、学校でなんとなく「こういう人材になって社会に貢献しなさい」みたいに刷り込まれ、追い求めていると思います。

でも私は、私の人生で私を生きるだけで精一杯でした。

それを認めるのは社会では罪です。ただ、そこからもう一度始めることで変わってくる人生もあるのではないかと。

 

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